私は、頭に浮かんだことを書き出す“ジャーナリング”を日課にしています。それは誰に見せるためでもなく、自分の思考を整理し、感情と向き合うための時間です。
あるとき、その頭の中の実感をそのままSNSに投稿してみたところ、思いがけない気づきがありました。自分の中では一貫しているつもりの文章が、専門的な用語は他の人にとっては伝わりにくいこと。話が飛ぶわ、抽象的だわ、そして友人からは「ちょっと何言ってるかわからない」とサンドイッチマンのボケセリフのように言われてしまいました。
読み返してみると、結論がぼんやりしていたり、文の区切りがわかりにくかったりしました。よく見ると同じことを繰り返していたり、専門用語の説明も足りなかったり…。自分では当たり前にわかっていることでも、他の人にはそうじゃないんだなぁと改めて気づかされました。
この経験から、「ジャーナリング」と「SNSの投稿」は同じ“書くこと”でもちょっと違うんだなと気づきました。ジャーナリングは自分の気持ちや思考を掘り下げ、読み手は自分だけ。でもSNSには、自分以外の読み手がいる。そのことを意識するだけで、書き方も少し変わるんだなと感じたのです。まるで乙女座的に「言葉を整え、改善し、伝わりやすさを意識する」ような姿勢です。
まだまだ試行錯誤中ですが、より多くの人に自分の思いを届けられるようになれたらと思っています。