今日は令和7年7月7日七夕です。
七夕といえば、七夕飾り🎋
娘が小さい頃は、短冊に願い事を書いて笹飾りを作ったものです。
七夕の話をすると
娘はこんなことを聞かせてくれました。
娘:「短冊には、自分で叶えられる願い事は書いちゃいけないんでしょ?」
私:「へぇ~、そうなんだ。」
娘:「ママが教えてくれたんだけど!」
私が娘に、そう教えたそうです。(なぜか他人事)
そして娘はそれをずっと守ってきたようです。(え、偉い!)
この話を娘から聞くまで、私はそのことを忘れていました。
小さい子どもにそんなことを言ってたのか。夢のない話をしていたなぁ。と、ちょっと反省でしたが、当時の私が子育てに一生懸命だったことが滲み出ていて、懐かしい気もしました。
何度も言いますが、私は娘の子育てに一生懸命だったんです。
だから、子育てに関する話題にはいつもアンテナを立てていました。
教育本からの知識や研究者の話などを聞いて、「使える!」と思ったらそれをすぐに実践していました。
おそらく当時、そういう話を何かで聞いたのでしょう。
その時のことは忘れてしまいましたが、私の考えていたことなので意図は分かります。
目標を立てるとか夢を叶えるとはどういうことなのかを覚えて欲しい
例えば、条件も何もなしに、ただ「叶えたいことを願い事として書けば良い」という前提で短冊を書かせたとします。
そこで「かけっこで1番になりたい」と、短冊に書いて真剣に願ったとしても、かけっこで1番にはなれません。
元々足が速ければなれるかもしれませんが、本来かけっこで1番になるためには、願うだけではなく、実際に体を動かしてかけっこの練習をしなければなりません。
私は、「短冊に書く願い事は自分の努力だけでは叶えられないことを書くんだよ。」と言ったそうです。
だから娘の定番の願い事は、
・アンパンマンに会えますように
・100歳まで生きられますように
でした。
厳密に言えばかけっこにも運はつきものですが、小さい子どもにはややこしくなるのでそれはダメだということにしていました。
願い事は、誰かに叶えてもらうものではなく自分で叶えるものという感覚を「当たり前」にさせておきたかったのです。
これは経験を積んでいけば自分で気づくことですが、早めに「当たり前の感覚」にさせておきたいと思ったのです。
私の経験から、無意識のうちに身に付けた「当たり前」の感覚は、その後の人生にすごく大きな影響を与えると感じていました。
占星術を学んでから、それは月が担っていると知って、ひどく納得したものです。
私は幼い頃に育んできた「無意識の感覚」にかなり強い劣等感を感じていました。
実際それによって苦労を多くしてきたし、うまくいかない原因がここにあるということにも気付きました。
それを書き換えるのに最近までかかってしまいました。
と言っても、完全に書き換えることは出来ないので、結局は「そうなってしまう自分」を意識していくしかないのですが。
だから娘には、無意識的に「幸せに生きられるような考え方」を身に付けて欲しいと思っていました。
私の子育てのモットーは、「もし、私がいなくなっても、前を向いて自分の力でたくましく生きて行けるように」だからです。
おかげで、娘は今、こう言います。
「私は人と比べることはしないよ。比べるとしたら過去の自分かな。まぁ、凹むこともあるけど、友達は人と比べてクヨクヨしてることがあって、大変そうだなぁって思う。だって、人と比べたらきりがなくない?」
娘の月星座は水瓶座。
「私と同じ苦労はさせたくない」と思い、懸命に向き合ってきた結果、娘はいかにも月:水瓶座らしく、物事を俯瞰してみる目線を持つことになりました。ちょっと大人目線を持たせ過ぎたかな?と心配した時期もありましたが、そんな心配もいりませんでした。元々そういう素質を持って生まれているのですから。
この自然な流れは仕組まれていたのか?と思うくらい。本当によくできていますね。
そして、私が娘に教えたこれらのことですが、すっかり忘れていたところに、今度は娘から聞かされました。久しぶりにこの感覚を思い出しています。
「願い事は自分で叶えるもの」ということを含めたこれらの考えや想いは、今の私にとって必要な言葉だからまた届けられたのでしょうね。
みなさんは、七夕飾りをしますか?
その短冊には、どんな願い事を書いていますか?
きっと
長くつながれてきた親から子への思いがそこにはあるんでしょうね♡
どんなルールも尊いですね。
素敵な七夕をお過ごし下さい☆