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 古典占星術では天秤座15度から蠍座15度までをバイアコンバスタ(消矢の道)と呼ばれていますね。

 いろいろ言われてるようですが、私自身月星座も太陽星座(太陽は関係なさそうなんですが)もここに位置していまして、言われてみるとあるかもなあと感じる部分があります。

 プログレスの月も太陽も私の場合大体3歳くらいまでここにいたので自分の幼少期の聞いた話と合致する部分があったりします。

 ここになんらかの惑星がきたりすると精神的に参る時でもあるそうですが、幼少期の次にプログレスの月がきたのが、ちょうどサターンリターンとほぼ重なっていますからなんとも言えませんが私の場合は、現実を知って夢砕かれた時であったとも言えます。

 土星にしてもプログレスの月も一周ほぼ30年周期で、何か区切りが起きやすいのかもしれないですね。

 ✴︎二極の世界だからこそ片方の暴走はやがて反転する✴︎

 天秤座も蠍座も他者に視点が置かれてますよね。当然自分自身が圧迫される体感があるのがこの場所だと思います。

 ネットで見ると、ここに惑星があったり、なんらかの惑星がきた時は、思い通りにいかないと書かれているのを見ますが、自分の体験から言うと何をしてもうまくいかず、自分よりも他者の強大さを感じていたと思います。

 その落としどころが他者に合わせるという方法だったと自分の場合は感じています。私の場合は両親とも太陽星座が天秤座ですから、親にしてみればそれでうまくいってるわけで子供にもそれを伝えますから、その在り方が正しいと脳が思い込みます。

 自分でも意外だったのが、大人になって皮肉にも天秤座的資質が出てきてしまったところです。まさに月星座の記憶というかリズム出るべくして出たという感じでしょうか。

 もちろん利点もあります。基本的に物事において主観の判断は少ない方だと思いますし仕事柄仲裁も得意になりました。

 また本当に世の中にはいろんな人がいるんだと感じさせられた事です。当時ぶりぶり💢してましたが今思うと楽しかった部分もあります!

 ただ、『どうしたいか?』ではなく『どうしたらいいか?』に軸がおかれちゃっていたので、プライベートもその癖が抜けず自分の感情もどっかいっちゃってましたね。

 そして…本当に我慢の限界がくるんですよね…。そこは調整が得意になってるだけで感情置き去りになってましたから、必ず時がくるもんだと実感しています。

 その臨界点がウラヌスオポジションだったのか、それを超えてから人間関係とか落ち着いた気がします。極端な動物園の猛獣使いになるような職場から縁が切れた気がします。ふとその頃のホロスコープをみると…

 プログレスの月は牡羊座

 N火星とT天王星がオポジション

 N太陽とT冥王星がトライン

 N月とT冥王星がスクエア

 その頃珍しく怪我をして転職したばかりの会社を朝ゆっくり通勤させてもらいましたし、思うとそこら辺から落ち着いた気もします。

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 バイアコンバスタに月やASCがあったり、なんらかの惑星があるのは、他者との関わりの中で様々な対応を学ぶ事や取り込んで肥やしにしていく事で自分自身を育んでいくというのがそれぞれ必要な目的に応じてある気がします。

 ですから最初に自分の思い通りにいかないという人間関係の中での体験が起きるわけです。

 ただ、二極の世界とは、必ず一方が暴走すれば臨海点をむかえたところで事態は反転してきますから他者との関わりを通して、自分を抑える体験から今度は自分を出していくという方向へ行き、最後はその両極を統合していくと、双方上手に出来るようになるのだと思っています。

✴︎少しづつ健全さを取り戻して思う事✴︎

 私は最近、ようやく心が長きにわたり健全ではなかった事に気づかされたのですね。心の未病みたいなものだと思いますが、今、案外この状態の人が多いように感じます。

 少しづつ自分を取り戻していくと他者との関わり方も随分リラックスしてできるようになりました。(以前はいい人を装うので、まあ…それだけではないのですが、とにかく疲れるのか人と関わる事でとにかくぐったりしてました)

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 自分に対して正直に表現するようになると最初はどんどん離れていくという、まさによく言われてるような通過儀礼を体験しました。

 その間は寂しさと自分だけ取り残されてるような感覚のオンパレードですが、そこも貫き続けると幻想である事がわかってきます。

 周囲の人を断つ事で自分自身を見つめる事ができますし、その間に新しい人と関わり方も育っている気がします。ですからそういう時は寂しさから人を求めていかない事です。ここも中途半端にやると余計に時間がかかることになります。

 で、しばらくすると不思議と人間関係で変化がおきてきます。

 そして自分が正直に表現してるせいか同様に周囲も同じように反映してくるのか、まずは家族で関わっていく人達が私に対してオープンになってきた事が驚きでした。

 本当にオセロがひっくり返るように変わるのが見えてきますし自分を正直に表現したらトラブルになると思い込んでいたのに本当に反転します。

 そうしていくと、気がつけば自分で自分の機嫌が取れるようになってきたのです。ひとりになるっていうのもすごい!人はどんな環境においてもなんらか見出すものだなあと感じています!

 そうすると自分の機嫌を人にとってもらおうとしたり(他者承認)、依存しなくなってきますし、被害者意識からも解放されてくるのを実感しています。

 ひとりになるとわかるのですが、本当に様々な助けがあって自分がいる事なんです。ひとりで生きてる気になってる人も依存しがちな人もこういう環境になる事でおのおのわかる事がたくさんあるはずです!

 そうなって関わってくる人間関係は健全になるので、エネルギーを奪い合うような関係から解放されてるのを実感しますし常に自分らしさのまんまでいますからエネルギーは充填状態になります。

 その状態から出る発想や行動の違いが人生に差をもたらすのは明らかです。

 薬膳でも気血水の『気』が全てのベースであると言ってるように人生でもエネルギー不足では、土台がきちんと整っていないので全てに影響が及ぶのは容易に想像つくと思います。

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 そうした中でわかってきたのは、自由とは環境そのものではなく心の問題だとわかってきたことです。

  自由を求める人は多いと思うのですが、私もそうでしたが、自由にできないのは、環境や他者のせいだとほとんどが思っている事です。

 私の場合ですが、いざお好きにどうぞ!とぽ〜んと放り出されると、できないのが現状であんなに窮屈だと感じていた環境に戻ろうとしていました。

 ここで『やった!好きに出来る!』と思ってしかも即実行できる事はすごいと思います。まさに自由とは自分で責任を負う事であるからです。

 私の場合はそこが最初に露呈したんです。

 今置かれている環境に窮屈に感じていて、そこから抜け出す事に何か期待を見出してる場合があると思います。

 こうなったら自由になる!ああなったら楽しくなる!でも本当に全ての責任を負う覚悟が必要だと思います。

 中途半端に自由を求めて、中途半端に他者や環境に依存するという引っ張りあう意識状態では、そのままどっちつかずが現実に出てきますし、何より消耗が激しいんです。

 先日も投稿しましたが、決め切ることと中途半端をやめる覚悟が人生を動かします。私も怖いなあと思いましたが、案外それも幻想ではないかと思っていて、それよりもその先にある世界を見たくて仕方がありません!

 怖い方に焦点をあてるのではなく、その先に焦点をみようとすることで少し変わりませんか?その時に改めて自分はどうしたいのか?を見つめてみるといいと思います。