わたしは普段、介護士をしながらWebで小説や詩を書いています。
詩作をはじめたのは十歳のころ。わたしが育ったのは現代でいう『機能不全家族』でした。
父の兄に対する暴力と、兄のわたしに対する陰湿な嫌がらせ。物心つくまえから、兄には毎日毎日『おまえさえ生まれてこなければ』といわれてきて、はじめて自死を考えたのは小学校一年生か二年生のころだったと思います。
いろいろ複雑な事情もあって、わたしの誕生をきっかけに父の暴力がはじまったらしいので、兄からすればまさしく『おまえさえ生まれてこなければ』という感じだったのでしょう。
そんな環境でしたから、わたしは自分の気持ちを言葉にするということがいっさいできない子どもになっていました。
頻繁に起こる四十度近い発熱、のたうち回るほどの頭痛、おそろしく頑固な便秘など、身体はSOSを発しつづけ、十歳になったころついに心は限界をむかえました。
最初は右手の震えが止まらなくなり、そのうち両手にひろがり、ひどいときは全身が、眠っているとき以外ずっと震えているような状態。あらゆる検査をしてみるも異常なし(原因不明)で、最終的に無理やりつけられた病名が神経性てんかんでした。
そうして精神科に通院するようになって、あらゆる心理テストを受けたのですが、そのなかのひとつに『わたしは』からはじまる文章を思いつくかぎり書くというのがありました。
わたしは何歳です。わたしは○○が好きです。など、なんでもかまわないと。
それを書きはじめたら止まらなくなってしまって、震える手で、なにかにとり憑かれたみたいに書きつづけ、最後には医師がどん引きするくらいの文章量になっていました。
自分の気持ちを声に出すことができなかったわたしが、『書く』という表現を知った瞬間でした。
そしてそれは、わたしの『自分の言葉』を探す旅がはじまった瞬間でもありました。
その後、わたしが十三歳のときに父が自殺、兄とは表面上和解したように振る舞ってきましたが最終的には絶縁。数年まえに末期がんと診断された母を在宅介護で看取り、わたしはいま、ようやく自分の人生のスタートラインに立ったような気がしています。
思いを言葉にするのが苦手で、だけど言葉で物語を表現するのが好きで、苦手で好きだから、ずっとずっとわたしはわたしの言葉を探しつづけていくのだろうと思います。
ということで(?)ここでとってつけたように星の話をします。笑
わたしは他者との関係性をあらわすといわれるディセンダント(Dsc)がおとめ座なんですが、父と兄がおとめ座なんですよね。
なんというか、最初のおとめ座とのかかわりが強烈すぎました。笑
以来、おとめ座っぽい人とのかかわりは特に記憶にないんですが、これから——なのかしら。
そして最後に、#どんな過去も尊いタグをつくったまゆちん先生の書籍『過去占い』で占ってみたのですが、結果は『魔法の白い箱』でした。このメッセージを受けとるのははじめて。
『制限と向き合おう』『創意工夫によって、道なきところに道を与えよ』
制限といわれてまっさきに思いついたのは短歌でした。いまはまってるんですよ、短歌に。
まさに短歌は三十一文字という制限があるからこそ自由になれる世界ですから。
それから、現在経済状況がだいぶヤバめなので、生活にも創意工夫が必要かもしれません。笑
過去占いのメッセージはとにかくやさしいですね。というか、この本のすべてがやさしい。読んでいるうちに、自分という存在をまるごと受けいれられるような気がしてきます。