太陽星座なるものを肴に、ひとつ脳裏で遊んでみた。

そもそもこの世には、己が何座の生まれかすら知らぬ人が大勢いて、それでも平然とパンをかじり、電車に揺られて人生という名の汽車道を進んでいるのだから、星の話など要らぬ世の中かと思いきや、いざ一たび耳にすれば、みな揃って「私、何かありますか」と目を輝かす。

中でも獅子座に太陽を宿し、なおかつそれが八番目の家屋――つまり占星術の大家が「第八ハウス」と呼ぶ怪しき座敷に鎮座している者は、なんとも扱いが難しい。

ぱっと見には、百貨店の化粧品売場のごとき華やかさがあるが、そこに足を踏み入れれば、香水の奥に隠された無言の吸引力がある。

要するに、まぶしくて、怖いのである。

たとえば――人生の折々に妙に大きな変化が訪れる。

引っ越そうとすれば隣人が騒ぎ出し、転職すれば社が潰れ、恋をすれば相手が悟りを開く。

本人は至って無自覚で、「私、何かした?」と首を傾げるが、それがまた厄介なほどに影響力を持っている。

これ、すべて第八の間に光る獅子の太陽のせいである。

あなどるなかれ、この光はただ照らすだけではなく、運命そのものを焼き変える熱を持っている。

だがそれでも当人は明るく、困難には火の玉のように立ち向かい、気づけば周囲はその気骨と情熱に惹かれて集まってくる。

本人はただ「なんとなくやってみただけ」と笑うが、その「なんとなく」が他人には一大事である。

してみると、太陽の位置というのは、旅人の持つランプのようなもので、灯せば道が見えるが、同時に虫も寄ってくるという。

第八の間にそれがある者は、常に人生の裏道、もしくは秘密の抜け道を進む定めにあるのかもしれぬ。

かくて今日も、獅子座の太陽を背負った誰かが、知らず知らずのうちに、周囲の運命をくるりとひっくり返している。

まるで猫がちゃぶ台に飛び乗るように、優雅で、迷惑で、美しい。