今回はテストも兼ねて、最近感じたことをメモ風に書いてみようと思います。まとまっていないかもしれませんが、ご了承ください。

占星術には大きく分けて「古典」と「モダン」があります。どっちがいいかという話ではないんですが、私は「古典」の考え方が気に入っていて。

「モダン」は、主に人の心理を描写するので良し悪しは問いませんが、「古典」では主にその人に起きる出来事を読むため、自ずと「良し悪し」を占うことになります。

これを「モダン」に取り入れると、人の心理に「良し悪し」を問うことになります。現代の「多様性」の概念には一見反するように思えますが、逆に一周回ってその本質に近づけるのではないかと考えています。

古典では、火星と土星を「マレフィック」と呼びます。マレフィックとは「邪悪な/凶悪な」という意味です。ディズニー映画の「眠れる森の美女」に登場する茨の魔女“マレフィセント”はここから名付けられているのでしょう。彼女は「全ての悪の支配者」とされていますから。

話を戻すと、火星や土星は「凶星」とされています。私たちにとって、戦いや死は「悪いこと」と評価されています。確かに、誰かや何かをを傷つけたり失ったりすることは、痛みや悲しみ、怒り、憎悪などを生みます。こういった感情はネガティブなものとされ、実際に感じている時は不快な気分になります。

ただ、これらは「悪い」からといって取り除くことはできません。感じないようにすることはできないものです。「自分の感情と向き合う」「癒す」といってもネガティブな感情がなくなったり、感じなくなったりするわけではありません。

現実的に考えて、悲しみや怒りのない世界はきっと「おかしな世界」です。悲しみや怒りがない代わりに、喜びや感動もないでしょう。

痛み、悲しみ、苛立ち、憎悪、嫉妬心、孤独感、焦燥感、喪失感、執着など、誰もが抱えるネガティブな感情たちは先の映画に登場する“ヴィランズ”のようなものだと私は考えています。

彼・彼女らは“ヴィランズ=悪役”ですが、どこか憎めない魅力と親しみがあるキャラクターが多いと思いませんか?作中では人々を苦しめる「悪い人」なのになぜか嫌いになりきれない...愛嬌さえ感じることも。

欲しいもののためには手段を選ばないズル賢さ、何度やられても諦めない執念、強大な力を手に入れるためならどんな努力も惜しまない根気強さ...評価の仕方によっては「悪くない」気がしてきませんか?

それに、彼らはとても感情表現豊かです。自分の計画を邪魔されて悲しんだり、苦しんだり、激怒したりする自分を隠しません。それどころか、それらの感情を「燃料」にして、また(懲りもせず)悪巧みをするのです。

悪巧みは実際はやらない方がいいと思いますが、こうして見るとネガティブな感情も「悪くない」と思いませんか?「悪」そのものとしてではなく、「悪を演じているだけ」のものとして見れば、苦しい状況を打破する「強大なパワー」や目的を達成する「執念」を私たちに与えてくれるかもしれません。

まとめ(のようなもの)

火星や土星がもたらす怒りや悲しみなどのネガティブな感情と向き合うのはエネルギーが必要です。それはそれらの感情にものすごいエネルギーがあるから。向き合うことができずに呑まれるくらいなら、こっちから「丸呑み」にしてやればいいんじゃないか?支配されるくらいなら支配してやればいいんじゃないか?排除されるべきものではなく、糧となるものなんじゃないか?などと考えている、今日この頃です。