その歳で俺と対等に話せるなんて、どんな人生を生きてきたんだ……?
私が30歳になる少し前。
職場で出会ったリーダー職の人と飲みに行ったとき。
その当時、40代だった男性から言われました。
精神面に関する抽象度の高い話について来れてたから、相手もびっくりしたんだと思います。
そう言われるだけの経験を積めたのは母がいたから。
今日は母から学んだ 「大切なもの」 について語ります。
厳しい母だったから今の私がある。
密度高く話せることがあるのは、母が私に考えるきっかけを与えてくれたから。
母が信じていること、言っていることは本当なのか?
何のためにそれを言っているのか?
上記について考える回数が人よりも多かったからです。
母の強さと弱さ。
タロットで例えるなら母はクイーンで私はペイジ。
家庭内において親は絶対的な存在であり、その下に子供があるのだと教えられてきました。
それを裏付けるような代表的なしつけといえば 「土下座で謝る」 という習慣。
ただ謝るだけではダメで、心も伴っている必要がありました。
許されるかどうかは母しだい。
こういった行動の裏に母の弱さがあったと気づいたのは、私が大人になってからです。
本当はとても弱く繊細な人で、そうでもしなければ自分の心を保てなかった。
母に悪意はなく、自分の父親からされてきたのと同じように接していただけ。
母にとっての普通が 「それ」 だっただけ。
愛情があるからこそ強く言うし、手も出る。
子供のためを思ってやってる。
私はまちがってない。
自分の弱さを隠したい。
言葉では言い表せないような、とても複雑な心境で子供(私)と向き合っていたんだろうなと。
新しい視点をゲット。
私には母との関わりを絶つことで対処した時期があります。
でも、それだと問題から逃げているだけで何も解決していないから、どこに行っても似たような人間関係のトラブルが生じていて。
逃げてる場合じゃないと思った私は母と向き合うことを選びました。
私が母を悪者にするから、すべてが悪く見えてただけ。
母を悪者にして被害者ぶるのは終わりにしなきゃいけない。
そのことに気づかせてくれたのは母でした。
( 「死を乗り越える。」 にもちょっとだけ書いてます)
たとえば 「ジェンダーという呪いからの解放。」 で 「お前は男だから人の気持ちがわからないんだ! 」 という発言が母から飛び出したのは、私がうわの空で話を聞いてると母が気づいたからかもしれない。
そんな風に思える視点を私は手に入れたんです。
どんな人とでも愛を持ってつながれる。
私は母から 「愛は自分で見つけるものだ」 と学びました。
どんなに手厳しいものの中にも必ず愛はある。
愛を見つけられない、感じられないのは私が心を閉ざしていたから。
心から愛を感じられるのはステキなことだけど。
それよりも愛を見つけよう、感じようとする心のほうが大切。
その心さえ持っていれば、どんなに合わない・理解できない部分がお互いにあったとしてもまったく気にならないし、深いところでつながった状態での会話は可能。
NVCの本のタイトルにある 「わかりあえないを超える」 を体験した瞬間だったのかなと思ってます。
愛はあたたかい。
最近、あたたかい気持ちは一瞬で悩みを吹き飛ばすことを体験しました。
(詳細は 「あたたかい気持ちに着地。」 にて)
あるがままを受け止める。
これはある意味、あきらめの境地に達しているとも言えるんだけど。
私の場合は違います。
それがあなた(私)なんだね☺️✨
と、やさしくあたたかく包み込むような安心感があったうえでの 「存在の受容」 です。
この人が私の母でよかった。
しなやかで強い心を育てられたのは母だったから。
母じゃなければこんな愛のある物の見方なんか、きっと身につかなかった。
大変な思いはしたけど、母のもとに生まれてきてよかったなと心から思います。
「生まれる前に自分の意志で親を選んで来た」 みたいな話を受け入れられるようになったのも、母から与えてもらったものの多さに気づけてからのことです。
人と違う目で見る役割。
愛を見出そうとする心を持ったときから、私には人と違う世界が見えやすくなりました。
自分の心しだいで新しい景色は見れると知っているから。
「それは本当に悪なのだろうか?」 と考えることが増えました。
あたたかい感覚を伴った愛のある物の見方は運よく与えてもらったもの。
そんな簡単に実践できることじゃないのは私も経験済みです。
私のようにあることだけが正しいとは思わないし、押しつけるつもりもないけれど。
私はできるかぎり、愛のある目線で物事を見ると自分で決めました。
決めたから今があります。
人と違う視点で何かを見る、読み解く。
このことに意味はあると信じて、占いのほうも精進していくつもりです。