アウルブックとはまったく無関係な場所で見たものに反応して。
なんやかんやで実は自分の問題だったと気づくオチ付き。
※あまりにも言葉選びがヘタすぎ&説明不足すぎと思ったので、大幅に加筆・修正しました。
雑多な気づきの話です。
「なんでもアリ」が一番ラク。
人間の視点で◯✕を付けるから、◯や✕の結果を味わってるだけ。
自分の捉え方次第で変わるのなら。
「なにをしててもうまくいく」と考えてたほうがいいんじゃない!?
そんな前提を持ち始めてから世界は変わったような気がする。
自分がやりたがってることをやらせてあげるだけでいい。
理由なんかなくてもいい。
やりたいからやってる。
それだけでよかったんだ。
やるときの「心」が変わった。
私の中で一番変わったのはなんだろう?と考えてみると。
やろうとするときの姿勢、心持ちの部分。
以前の私。
ジャーナリングをやらないと。(~~~)
瞑想をやらないと。(~~~)
「やらないと」のうしろに隠れてるのは、「うまくいかない」「叶わない」とか。
「やってないから私はダメなんだ」と自分を攻める言葉がくっついてた。
「やればうまくいく」と考えてるせいで、義務化しちゃってるから。
やっても苦しいし、やらなくても苦しい。
よかれと思って採用したことが自分を苦しめてるなんて。
やることを増やせば増やすほど、自分が求める現実から遠のいてた。
今の私。
やってもやらなくてもどっちでもいい。
瞑想すると自分の体の状態や感覚をじっくり味わえるからやる。
瞑想したときのさわやかさが好きだからやる。
ジャーナリングをやるのも、生々しい感情をじっくりと味わいながら、奥にある本当の思いに手が届くあの感覚が好きだから。
「自分がいい感じになれると知ってるから、やる」に変わってる。
習慣として続くのは、やったあとの「気分のよさ」を知ってるから。
そこに必死さも、義務感も、使命感もない。
トイレに行くのと同じ感覚。
成功法則は人の数だけあるようだ。
「面白そう! 」と思ったらとりあえず試して、よかったなら取り入れる。
やっててなんか違うなぁと思ったらやめる。
自分に合ってるなと思ったものをその都度、カスタムして運用する。
そんなスタイルに落ち着いたのは、たぶん。
誰か1人の言うことを盲信して身動きが取れなくなってしまったり。
自分に合わないとわかってるのに、それでもやり続けて不満をためてみたり。
自分で自分につらい思いをさせてるだけだって、自覚したタイミングがあったから。
こっそり採用してるもの、やってることはあるんだけど。
今の私にとってホットな話題が「心学」とか「論語」だから。
表向きは、その文脈で何かを伝えることが多くなってる。
「自己流は事故流」って言われるけど、それはそのとおり。
その人はそれでよかったかもしれないけど、私にはどうなのか。
検証したくなるのが私という人間。
失敗だってやり尽くせば、どっかで「あたり」は引ける。
エジソンが試行錯誤を重ねて「竹」にたどりついたのと同じようなものだと、私は勝手に考えてる。
失敗に失敗を重ねて、いろんな感情・感覚を味わってこれたことは、財産。
悪いことばっかりってわけでもない。
できなくて困ってる人の気持ちを理解できる側にいると私は思ってるんだけど……。
こんな私でも他の人からしたら、強者に見えてしまうんだろうか。
私が私を信じなくてどうする。
なんかわかんないけど、これ、やらないとダメなんだよな……!
やりきってからじゃないと前に進めねぇっ……!
やりきった先になにかがあると思う「なにか」があったから。
ほかの人が私を見て「不毛なことをやってる」「やめたほうがいい」と思ったり指摘してくるとがあっても、私は自分を信じてやり続けてみた。
たしかに時間はものすごくかかったけど。
やってよかったと思ってる。
◯◯難民になりがちだった私。
「私以外の誰かが正解を誰かが持ってる」って世界観で生きてたとき。
情報を取捨選択する精度が低すぎて。
手当たり次第に、なんでもかんでもやっちゃう時代があった。
やってみなきゃわからないんだから、とりあえずやろう!
って方針で。
自分なりの判断軸を持たずに正解探しをしてる状態……。
どれがいいのー!?😭
いつになったら、私も同じ体験ができるの!?😭
なにがいいのかわからなくて、さまよってばかり。
そうやって負のループにハマってた時代があるからこそ。
私には大切にしてることがあって。
自分で正解にしていく。
きっと、世の中にあふれるノウハウは「カケラ」のようなもので。
手にした「カケラ」が合うかどうかは、やってみてのお楽しみ。
「カケラ」を試すことに疲れていた私。
「カケラ」の多さにまいってた私。
なにも知らずにまっさらで、外に正解があると信じて疑わなかった自分のことを思うと……。
数日前、かつて同じ場所で学んでいた知人が、今もあちこちで正解探しをしてる様子を目にしたとき。(※1)
発信者側として正解らしきものを先に与えるよりも。
「自分で正解にするコツ」を知ることのほうが大切なのでは?と思った。
最初は難民を量産してる発信者への思いが強かったけど。
そっちは核心じゃなかった。
※1 知人の件はアウルブックやアンドユーさんなどは、まったく関係しない場所での出来事です。
おすすめに出てきた登録者少なめなYouTubeのライブ配信(アーカイブ)のコメント欄で知ってる人が「鳩行為」をしてるのを見てしまったのが発端。
もちろん、かげしたさんの記事はチェック済み。
もしかして、投影?
私よりも何年も先に学んでた人が今も抜け出せずにいるのを見て。
気持ちがあふれてきて言葉にしたくなったわけだけど。
正解探しにハマるのは、本人の問題⋯⋯?
あれ、ちょっと待てよ⋯⋯?
いま起きてることの本質って。
もっと正確に言うなら、知人に過去の自分を投影して、反応しちゃってる私の問題なのでは……?
最初、記事を書いたときは気づけなかった。
そんなとこで!?って感じ。
それだもん、発信者に焦点をあててジャーナリングしてたって根本的な解決に至れないわけだ。
「過去の私」のためにどんな工夫をしてあげる?
やり方は山ほどあるし、今はAIからやり方を提案してもらえる時代。
「毎回チェックしてます!」みたいな熱心な人じゃないと、書いてある手順をやることもないんだろうし……。
体験談や変化を伝えるほうが興味を持ってもらえると思うから、私はそうしてみてる。
デメリットや対象外な人、不都合な情報だって人は知りたいもの。
あんまりよろしくないことだとしても、その人のためになる要素がちょっとでもあるなら、伝えてみたりして。
本当にやってきてるなら、体験が積み重なってるはずだから。
伝えられることは伝えるようにしてるし⋯⋯。
私の場合「やり方」や「考え方」なら別な場所で、検索需要に応えられる文章を書いているけど。
ここで「いかにも」な文章構成にしてないのは、アウルブックという場所ならでは。
私が勝手にやってる「読みやすさ調整」みたいなもの。
AIと共同作業で文章の推敲も出来る環境が整ってるからこそ。
私は「人間らしさ」を重視していて。
どこで人間らしさを出すかとなったら、「体験」以外に思いつかなかった。
体験もさえも捏造可能な時代ではあるけれども。
リアルに会ったり、話をすればすぐバレてしまうんだし。
信用を失うことにつながるので、気をつけたい。
パッと思いついたのはこれぐらい。
いろいろ言ったけど、心の状態が大事。
精神的な平和を維持しやすくなったのは、自分の気持ちをジャッジをしなくなってから。
自分のすべてを肯定しようと思ったとき。
私には「NVCの考え方の一部」が役に立ってくれた。
正しい・間違ってるの世界を抜けて。
自分が本当に大切にしたいものに触れられるようになり、どんな感情も大切にできるようになった。
自分の心の声をこれでもかってぐらい聞いたから今がある。
なんなら体感の鈍さまで改善されたりもしてるし。
こればっかりは継続あるのみ。
しんどいのは続かないから、やっぱり心が大事。
動く前の心境チェック、私は心がけてます。