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肩の力を抜いて、自分らしい未来を育てる新月

8月13日はしし座新月ですね。

今回は日食を伴う新月でもあり、 これから半年ほどかけて育っていくテーマが 示されているタイミングともいわれています。

今回もタロットカードを展開してみました。


今回の新月のテーマは、

「力を入れすぎないこと」

になりそうです。

夏は予定も増え、 「あれもやりたい」 「これも終わらせたい」 と気持ちが前に向きやすい季節。

でも今回の新月では、 頑張りすぎるよりも

今の自分に合ったペースを大切にすること

が、これから半年を心地よく過ごす鍵になりそうです。


理想を高く掲げることも素敵ですが、

少し背伸びをしすぎていたり、 完璧を求めすぎていたりすると、

いつの間にか 疲れや焦りにつながってしまうこともあります。

だからこそ、

今の自分にできること。

今だから選べる方法。

そんな現実的で続けられる計画を立ててみましょう。


また今回の新月では、

「バランスを整えること」

も大切なテーマです。

仕事も。 趣味も。 家族との時間も。 自分自身を大切にする時間も。

どれか一つだけではなく、

全部を少しずつ大切にする。

そんな意識が、 心にも生活にもゆとりを運んできそうです。


一人ですべて抱え込まなくても大丈夫。

必要なときは周りを頼りながら、

そして自分自身も大切にしながら、

無理のない歩幅で進んでいきましょう。

その積み重ねが、 半年後のあなたを 思っている以上に大きく成長させてくれそうです。


今回展開されたカードは

・星(逆位置) 

・節制

でした。


読んでいただきありがとうございます。

穏やかな新月をお過ごしください☕

少しだけ自由になった私。

最近少しずつ、

『ありのままの自分でいいのだ~』

と自己受容できるようになり、

気持ちが軽やかになってきました。


もともと、自己肯定感が低い私。


気がつけば、

自分に対しては厳しくジャッジし、

『まだダメだわ・・・』

と思うのに、他人に対しては

『素敵だわ~』

『眩しいわ~』

『それに比べて私は・・・』

の思考の癖が身についています。


でも人間って、長所と短所があるから人間。

それぞれ違うのだから、個性もそれぞれ。


だから、

『あの人は素敵』 + 『私は私で、別の良さがある』

で成立する話なんですよね。


私は創作すること、表現することが大好きです。


でも同時に、

『みんなはどう思ってくれるかな?』

を、とても気にします。

承認欲求です。


悪いことではないと思うけど、

意識しすぎると創作・表現できなくなります。

周りを気にしすぎて自由さがなくなるから。


でも、私は自己満足だけど、

自分が作りたくて楽しいと思えた経験があるんです。


子どもたちが小さい頃に作った

キャラ弁です。



義妹が作った写真を見て、純粋に

『私も作ってみたい!』

と思ったのがきっかけでした。


自分でイメージしたものを形にするって本当に楽しい✨


子どもたちが小学生になり、

職場復帰した後も

時々、自分用のキャラ弁を作っていました。


こうやって自分の作品集を振り返ると、

『私・ ・ ・ すごくね?』

と自己肯定感が爆上がりします(笑)。


でも、きっと大切なのは

『上手にできたこと』だけじゃないと思うんです。


キャラ弁を作っている時の私は、

『これを作ったらどう思われるかな』

より先に、

『これ、作ってみたい!』 があった。


その 『やってみたい!』 の気持ちのまま、

ただ夢中になって形にしていた。


そうすると心が満たされ、

自分と宇宙が繋がっているように感じたんです。


宇宙から何か壮大なお告げが降りてくるわけではありません。


私の場合は、

『キャラ弁、 作りてぇ』

だったりするわけです(笑)。


もしかしたら、

『やってみたい』

『なんか好き』

『理由はわからないけど、心が動く』


そんな小さな感覚も、

自分の内側から届くサインなのかもしれません。


私はそんな感覚を、

これからも大切にしたいです。


自己犠牲。④ 『自己犠牲しちゃいけない。』っていう自分自身へのアンチテーゼ。


今までとは全然違うことを書いていってみようと思います。


今まで(特に①ではとてもつよく)

『自己犠牲なんてしてる場合じゃないんだよ…!』

ということを書かせて頂いてきましたが、


④では全く違う、

むしろアンチテーゼ的な視点から記事を書いていってみたいと思っています…。📝


引きつづき、

(ご興味ある方のみ、どうぞ無理なく… 🙇)

お付き合い頂けますと、幸いです…。


🌸✨✨


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎


『自己犠牲しないなんて、

本当に当時の自分に可能だったのだろうか…?』



おそらくわたしの自己犠牲のピークは

24才〜27才くらい…。


小さい時から気疲れを起こしやすい性格だったことは間違いがないですけれど、


それでも、なんとかそれなりにバランスは取れていて、

"爆発"することもなく、生きてこれたのです…。



それが非常に難しくなったのは、

(上に書いた年齢の頃に、)

姉がうつ病になり、離婚し、小さな子供を連れて、実家に帰ってきたから──。


どうするのが適切なのか自分でもわからず、


とりあえず自分の中で、


『もう少し良くなるまでは。

せめて彼女が薬を卒業、あるいは減らす、

そこまでいけるまでは──。』


そう静かに(自分一人の)ハラの中で決め、

しっかりサポートに入ることに決めたのを、自分でもよく覚えています…。



今から思うと、

これが私の『気を遣いすぎ』を超えた、本格的な『自己犠牲』の始まりだったのかもしれません。


姉は姉で(もちろん悪気なく)

病気の症状として、昼間でもたくさん眠っていたので、(そういえば当時姉は気の毒なくらい悪夢ばかり観ていた…。)


その間もちろん、幼児である子供は誰かが見ていなければなりません…。


持ち前の『気を遣いすぎる性格』に、

上の『静かな(個人的)決意』も相まって、


そうやって

姉と子供の徹底サポートに入っているうちに、


気がついたら私には、

5分ゆっくりと椅子に座ってコーヒーを飲むような時間…

そんなものすらなくなっていました。



『ちょっと無理してるな…。』

の、自覚はあった、気づいてた。


でも、

あくまで期間限定だから──。


姉がもう少し薬に頼らなくても良くなってきたら、

ナチュラルにフェードアウトしていこう、


そう、決めてました。🤲







以前①の記事に書いたように、


わたしが自分自身を


" 家族の便利になるように "

" 家族の下敷きみたいに使う"

(まぁ主に"姉の"ですが──。)


の、姿勢が、

いよいよ本格的に

板に付き過ぎたのかも、

しれません──。


現実は

(あくまで私の予想では、)

おそらく単純で純粋な鏡ですから、


現実は

そんな "わたしの姿勢"にぴったりの現実を、

さらにそこに

繰り出してきました…。



もう既にギリッギリだったのですが──、


姉が

さらなる+αの要求、


そのようなものを、


至極ふつうの顔をして、

(君がやってくれて当然でしょう◎といった雰囲気で、)

繰り出してきたのです…。

(結構な頼み事だった…。)




そこで何かがプッツリと切れました…。


以前書かせていただいた、

大爆発に、至ったのです…。



* * *




自己犠牲を超えてきた今だから──

今の地点だから──


そんなに自分1人で背負わなくても、

もう少し母や父も頼れたじゃん。


それがよく観えるのです。


座ってコーヒー飲む時間くらい、

絶対確保できたじゃん。


それもよく観えるのです。


誰も

そこまでしてくれ

そこまで全部1人で背負ってくれ

とは、

全然頼んできてなかったじゃん。


それも想い出せるのです。



もしくはそれらができなかったとしても、


自分だけは自分の気持ちを、

もっとよく見て、

ないことにせず──

(心の)通気性だけは、

パワフルに上げておくこともできたじゃん…。


…そう想うのです。🤲



でもこれらは、

『自己犠牲』を超えてきた今の視点だからよく観えることであって、


やはり当時の私には、

とても観えなかった方法だったのです──。







もう一回人生をやり直せるとしたら、
別の選択を、
きちんととれるだろうか…?


──正直とっても難しい、そう想います。



★ ただ、工夫だけはできる◎


⚪︎ もう少し全体(人)を頼れる。


⚪︎ ちょっと無理してでも、

迷惑かけてでも、

コーヒーくらい、

座ってゆっくり飲んだら良かったんだ…。



⚪︎ ストレスが溜まっていたら、

ちゃんと(自分だけは)認めてあげて、


充分に充分に、


『よくやってるね。

今ちょっと無理するしかないから、

がんばってんだよね──。


そんなスペシャルな私に、

たまにはハーゲンダッツでも買ってやろう…!!💚✨』


とかしてあげてても、

まじで良かった訳です……。🤲




(今過去に帰れたら、)

そのぐらいだったら、

調整できるかな……◎

って感じ…。






でも、やっぱり


『姉を支えよう。』


その大元の選択は、

もう一回人生をやり直せたとしても、

きっとまたもう一度そう決めてしまうだろう──。


そう想うのです。



だってやっぱそんなの、

『そう決めない』

方が、かなり難しいじゃ、ないっすか……。


🤲 🤲




ちなみに姉のことは、1ミリも恨んでいません。


だから①の記事を淡々と書けています。💠✨✨



わたしを粗末に扱ってくれる姉は、


おそらくまぎれもなく

" 私の心の純粋な反映 " として

ただただ創り出されたものだと

(少なくとも私は)信じているからです…。🤲


(詳しくは①の記事。📝)






大爆発を起こして豹変してしまった私に耐え抜いてくれて、ありがとう。


病気だけでも大変だったのに、

一番の味方であったはずのわたしが壊れて、一番の攻撃者になってしまって、本当にごめん……。


耐えて、生きててくれてて、ありがとう…。🙏✨


限界の中、壊れずにいてくれて、

ありがとう……。🙏✨✨




それしかないのです。


(……そしてそんな姉とは、

今は最高に仲良しでありますっ。 🙇💚✨)


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎





その後、

姉が他の人に(非常に避けることが難しいどうすることもできない)自己犠牲をしている姿を見かけたり、


両親が、

うっすら

ず〜〜〜〜っと、

私の為に自己犠牲してくれていたことに気付いたり……


様々な経緯があって、

最近、

想うことがあるのです。




その時は、本当にそう決めるしかなかった──
それ以外の選択肢なんて、ほぼほぼなかった── 。



自己犠牲には、

そういうものが、

かなり結構あるんじゃないか…、

と…。🤲



( ◆ 子育て・介護・病気が関わってくる人は、

もしかしたら特にそうなのかもしれません…。)





★ そして、

もう一つ。





誰かの自己犠牲の上で、
『生かされる時期がある──。』


ということです。





誰かか耐えてくれているから、


なんとかその上で、

  生きることをつないでゆける──。』


そういう時期です。





わたしにも、あります。


(…というか、

振り返るとそういう時期ばっかりじゃないか…!!( ; ; ))





で、
それでいい。



と、言ってやりたいのです。




自分にも。
人にも。




だって

そうじゃないと、

"死にそう" だったから──。


"生きることをつなぐこと"すら、困難だったから──。



* * *





だから、

『自己犠牲しても大丈夫。』

『自己犠牲させてしまっても、大丈夫。』


✨✨



むっちゃくちゃなことを言っているけれど、

これもまた、

私の本心です──。




でも、できたらしない方がいい──。

だから①の記事も、
本気で書いている…。🤲



これもまた本音です…。




🙇✨






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『自己犠牲』に、正解なんてない──。


それぞれの生活、バランスの中で、


自分なりの、

今の現状における最適解──◎


それを出してもらえたなら──、 ✨


そしてその為にこれらの記事が一ミリでも役に立ってくれれば──それが私にとっては、おそらく一番嬉しいことです…。 🙇🌿✨✨



長いのに読んでくださった方、

(いらっしゃいましたら、)

本当にありがとうございます。


🌸✨✨



coco 


『自分らしく』は自分のカラダに聞く

 8月に入りました。

様々な方が、8月のメッセージ等の発信を見かけますが、私は、


 何かが切り替わった


という感覚がしています。メッセージも個々で違うものですから、ご自身が自分でキャッチしてみるという意識が、いっそう自分らしさを育むのだと思います。


 


 先日、数ヶ月ほど前に、ふらっと立ち寄った書店でなんとなく購入し、そのまま読まずに置いてあった書籍に、ふと手が止まりました。その本を読んで蘇ってきたのが、


 カラダに聞く


ということ。数年前に通っていたセラピストさんからも

 『カラダはしゃべっているよ』


と言われたこと、すっかり忘れていました。


 カラダに意識を向けながら質問すると見事にわかります。自分の頭では『こうしたい』とか『きっとこれがいいだろう』と思っていてもNOを示したりします。


 直観と同様に、自分が受け入れ難い答えの場合もあります。


 自分らしさとは、まさにひとりひとり違うものですから、改めて自分のカラダとコミニケーションしてみること、大事ですね。


 上記はフラワーエッセンス効果?


 先日、満月時にご紹介したブッシュフラワーエッセンスのレッドヘルメットオーキッドのエッセンスを購入しちょうど1日から飲用しています。


 その最中での気付きでした。


 レッドヘルメットオーキッドエッセンスは父と子の関係に関するものです。ご存知のように私達は父母、またが育ててくれた方々から無意識的に大きな影響を受けています。


 全てではありませんが、経済に関する事は父親からの影響を受けやすいと私は学びました。


 私達は、生まれた時に一番最初に接する男性が父親の場合が多く、それが社会や経済への認識に反映しやすいからだそうです。


 今回、私としては随分父親の事は取り組んだのになあ…と思っていましたが、奥深くに潜んでいたものに気付かされる結果に至っています。


 父親は、特に経済と関わりやすいので、自分らしく生きたいと願う方で、なんとなく気になる〜と思った方は試されてもいいかもしれません。


 水はカラダにダイレクトに作用します。今、キロンは牡牛座、そして次は牡牛座下弦の月。


 私達の中にあるなんらかの固定概念を土星とみなした時、その枠から抜けようとする時には、キロンの痛みを超える必要があると私は思っています。


 牡牛座と言えば、肉体や経済の象徴でもあります。


 肉体からアプローチしたい方には、水から取り入れてみるというのは、とてもオススメです。

 

 ✴︎さいごに✴︎


 数日ですが、久しぶりのアウルブック。直観的に今日はアウルブックがいいという感覚でしたので、それに従ってみました。


 今後はどのような頻度になるかは不明ですが、今後も自己表現の場として、アウルブックを複数の手段のひとつとしてさせてください!


 素敵な時をお過ごしください🌈

自己犠牲。③ ささやかな余談編。


一昨日の夕方、親戚に誘われ母と私が急に花火大会に行くことになり、

(花火なんて一体何年ぶりでしょう…!)


そのかわり、

突然に

家のヨルゴハンを作れなくなってしまったのでした…。😯💫



『いいよ、いいよ

夜ごはんなんて勝手に食べるからいい。


女性の人は毎日毎日

明けても暮れても

ごはん作らなあかんから、ほんまに大変や。


勝手にたべるから、ほんまにいいで。』


と、あまりにもサラッと言ってくれた父…。🤲✨✨



このセリフがなんの疑いようもなく自然と口をついて出てくる父って、

なんというか…

ほんとうに素晴らしいな…✨


これをここまでナチュラルに言える男の人が、

一体どれだけいるでしょう…


そう思い、軽く感動しちゃったのでした…。

🤲✨✨



①②を通して『自己犠牲』についてずっと書かせていただいてきて、

父のことをまるで

"心配の対象"

かのように表現してきましたが、


『そして過ぎた自己犠牲は本当にだめよ。』というのは、

やっぱり心からの本心中の本心ですが──、


かといって、

わたしが心配して(過剰に)気を配るようなところではない──、


それこそ境界線Over、


今度は私の自己犠牲があらたにそこから(別のわかりにくいカタチで)はじまってしまうもの……。🤲



彼の人生は、

適度なところで、

やはり彼に返さなければならないのだ。



いつまでも

過去の自分を

彼に投影して心配している場合ではない──、



おそらく私は、
圧倒的に自分に集中した方がいいのだ。

🍑✨✨




* * *



そして

そんなコトバがサラサラと口をついて出てくる彼は、それだけでもう充分に素敵でもあるのだ。 🌸

(たとえ少々自己犠牲寄りではあってもだ──。)


決してカッコ良くはない、

ただの小さなおじさんだけれども、(笑)


大きいところは、やはり大きいのだ──。 🤲✨✨


父に自然と向けられたそんなポジティブな視線はそのまま私にもはね帰ってきて、


こんな未熟で自己犠牲的な私だけれども、


きっとそれはそれで、

いいところや素敵なところも(少なからず)今まであったのだろう……。✨✨


人生のどんな未熟な過程も、

人が一生懸命に生きている限りは、

そこそこに(いや、なかなかに…?)

きっと美しいはずだ──。 ✨✨



そしてこんなエモーショナルなことを書いてしまうのは、

絶対に魚座を運行中の月のせいだ…!!(笑)(8月2日現在。📝)



ということにしておきましょう。

(笑)




✨✨



coco 🌸

自己犠牲。②

前回の記事に対する追記(補足記事)です。

┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎


前回も今回も

よほど『自己犠牲』というテーマに関心のある方や、絶賛自己犠牲中だ…

という方にしか、

なかなか興味が持てない内容かとは思います…。^^;


だからこそどうぞ、本当に興味なかったら、

遠慮なくスルーしてくださね……。

(いつもいつも長いのに読んでくださる皆さん、

マーカーや記事での反応なども、

本当にありがとうございます。🙇✨✨)



今すぐ誰かの役に立たなくても、


いつかのだれかに役に1ミリでも立てばいい。

そんなテンションで書いています…。🤲


ではどうぞ、

今回もよろしくお願いいたします…。m(_ _)m


✨✨


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎



前回記事を書いてみて、

引っかかっていた部分がありました…。


後半の方です。


↓↓



このように少しだけ断定的に書いてしまったところです…。


((少なくとも私は)の部分に、

ちょっとだけ遠慮は出ているが……。笑 )





そしてそれは一つの真実ではないかなぁ…と想うのですが、 (…それは自分の経験からです。)


だけど、

少々色んな可能性があるかもしれないとも同時に思ったので、


★ 今日はその色んな可能性について。


ふわっとさせずに

できるだけちゃんと明記していってみるのが目標になります……。🤲




. ݁₊ ⊹ - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -. ݁𖥔 ݁




『自分のことを大切にすると決める。』

また、その為に

『境界線をしっかりと引く』

を、現実で実践していった時、


私の中で、

だいたい③つの可能性、パターンが

浮かびました…。


😌✨✨





* * *





① 私が経験してきたヤツ。


自分の変化の度合いと共に、

周りも徐々に徐々に、

変わってゆくパターン。


『自分を大切にする』と決め、

意思をもって境界線を引き始め、

最初はまわりに少し驚かれたり、

怪訝な顔をされることもあるけれど、

徐々に徐々に受け入れられ、

いつしか尊重されるようになるパターン。


また、当人も、この流れの中で、

『境界線の引き方』が

徐々に徐々に成長&成熟してゆける…◎

とも、想っています。

★…というか、(それはたぶん、)大切にした方がいい。

『ワガママ』と『自分を大切にする』は、

似て非なるものだからです。

(相手だって、

自分と同じように『一つの尊重されるべき命』、

『一つの尊重されるべき人生』を持っている人だからです……。🤲)








②なんの奇跡ですか…?


というくらいに、

『自分の内的な決意』と共に、

外側(現実)も一気に変わってゆくパターン。💫✨✨



(わたしは①がとっても多いので、

②はあまり経験したことがないのですが…

ただ、よく聞くのと、身近でも見たことがあるので、記しておきます…。📝)



本気で、

『自分を大切にする──、

そして本当にこわいけれども、その為の行動を勇気を持ってとる、相手に伝える。』

そう、ハラを決めた瞬間に、


問題そのものがすっかり消えてしまったり……。


頼んでもいないのに、

急に周りが協力的になるなどの、

奇跡が起こってきたり……。✨✨


つまりは、

現実が一気に切り替わる。








③疎遠になってゆくパターン。


上の写真(前回記事)で、

人には

『敬意・尊厳を持って人と接する能力◎』が必ずある…

かのように、多少断定的な書き方をしてしまいましたが…、


これをまだ持つことができない程に相手が未熟である場合は、


(※  時間さえあれば、 

①のパターンでなだらかに変化してゆける、

一緒に共に成長してゆけるとは思うのですが、)

(自分を整える為の、

 一時別居なども含めて…◎)



ただ、

自分と、

その対象となる相手、(パートナーでも家族でもなんでも…。)


その両者間の、

▶︎  内的な成長の速度に著しく差がある場合、


(※ あるいは、向かいたい方向性に、

エネルギー的落差があり過ぎる場合なども、そうかもしれない…。)


そのような場合、

自然と、

『お別れ』や『独立』を選択してゆくことになるパターン……。



* * *



◉ なんとなく、

この3つが頭の中に上がってきたのです…。


😌🤲✨✨



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈⚪︎



実は今回のこの記事は、

ほぼこの③を書きたいがために書いたという感じです…。😌📝✨



どんな人の中にも、

『敬意・尊厳を持って人と接する能力◎』がある。

と、前回記事のように断定的に書いてしまうと、


『相手に現在その能力がないのは100%自分のせいだ…。』

とも取られかねないと想い、


で、

(必ずしも)

(すべての場合において)

そういうことを言いたかった訳ではないので、


この③という自然な一つの選択を、


一応明記しておきたかったのです…。


🤲✨✨







(そしてかくいう私も、

本当はそろそろ家から出たいのかも、

しれません……。😊


家族は本当に大好きですが…。☘️✨✨)






読んでくださり、

ありがとうございます。✨


(また追記に追記とかしてたら、

 その時はすいません…。🙇)



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎




〜  前回の記事を書いてから…。✨ 〜


一気に色んな気づきが押し寄せてきていて、

あたまとこころがグラグラしております…。😅


でもやっぱりこちらで書かせていただいて、

良かったのだと思います。


本当にありがとうございます。


😊🙏✨✨



そして、 先日の水瓶座満月、

やはり冥王星が関わっていたのですね…。

(なんかわかる〜!

そしてそれならばこのグラグラ感は致し方ないと思える……。🤲)




* * *





『自分を大切にする。』

のレベルを、

今まで以上に高いところに持ってゆかなければならない──、それはおそらく誰よりも今の私自身のテーマなのだと想います…。😌✨✨




丁寧に。  


でも、大胆に。

✨✨



一つ一つの選択に、

丁寧に

未来の自分を宿しながら──。

☘️✨✨




しっかりやってゆきたいと思います。

(そしてたのしみますっ。 😌✨)




coco🌸

昨日の自分より少しだけ自由な自分へ

やっと、この場所に立てた。

ありのままの自分を受け入れられなかった日々。

あの頃の私には

この場所の住人たちが

みんなキラキラして見えました。

私には、眩しすぎたんです。

でも最近、やっと分かってきたことがあります。


『ありのままの自分が、一番素敵なんだ。』


そう思えて一歩踏み出したとき

不思議と

周りの世界まで違って見えました。

世界が少し優しくなったような気がしたんです。


あぁ…

この感覚なんだね。


まだ生まれたばかりの、小さな感覚。

だから、

焦らず

ゆっくり

育てていきたい。


泥臭い自分から、軽やかな自分へ。


軽やかな自分から、創造する自分へ。


そして、

誰かと比べるのではなく


昨日の自分より少しだけ自由な自分へ。


十二国記の感想。~その2~

やっと書けた。

「風の海 迷宮の岸」 「東の海神 西の滄海」 「風の万里 黎明の空(上下)」 の三本立て。

本を読んで感じたこと、考えたことを書いていきます。


風の海 迷宮の岸。

実は誰もが麒麟のように生きてるんじゃないかと思った。


麒麟が王を選ぶのと同じような感覚を誰もが持っていて。

それは正しい・間違ってるを超えた、抗いようのない感覚。


自分でどんなに拒否しても抵抗しても、逃げられず。

「そういうものなんだな」と降参して、受け入れるしかないものと。

誰になにを言われても承服しかねるもの。

両方を持ってる。


パッと思いついた例を出すと。


Cさん:Aがいいと思ってる。

Dさん:Bがいいと思ってる。


Cさん:Aが絶対に正しい。Bがいいと感じるのはおかしい、間違ってると主張。

(A以外のものを受け入れるつもりはない)


Dさん:Bがどんなによいものか、Bについて力説する。

(Bをわかってもらおうとする)


お互いにどっちも譲らないので、話は平行線のまま。

こういう感じの言い合いって、どこでもよくあるはず。


AやBを譲れないと思う気持ちは、なにをどう言われても自分の意思で変えられるものではなく。

実はお互いに「私はこれで生きていきます!」と、目に見えないところで決めているのかなと思った。


決めているからこそ譲れないし、譲れないものこそが「自分軸」の正体でもあって。


自分が何を決めているのか知るためには他者の存在が必要。

だから、「違い」はあってOK。


CさんとDさん、どちらの立場だったとしても、どっちが正しいと正義の主張をしあうのではなく。

「そんなにもA(B)がいいと思ってるんだね」と相手の思いを受け取ってあげればいいし。

自分の「A(B)がいい」と思う気持ちも大切にする。


それだけでよかったのかもしれないと、そんなことを考えた。


東の海神 ⻄の滄海。

十二国記を読んでていつも思うのは「天意ってなんだろう?」なんだよね。


ものすごく俯瞰した視点から世界を見れば。

すべてのことは完ぺきに完全に調和していて、起こるべくして起こっているだけなのかもしれない。

人間の視点で物事を見るから「良い・悪い」になるだけで。


十二国記だとなんとなく「現状や結果 = 天意」みたいなところがあるよなぁと思ってて。


「天」はなにもかも良い方向に向かうことだけを望んでるわけじゃなさそう。


王が失道すること、国が荒廃すること、民が苦しくなることさえも肯定している……。

その部分に私は何かを感じてる。


「天」はすべての行いを全肯定してくれるけど。

自分の志次第で、(人間の視点で見たときに)良いことも悪いことも増幅する恐ろしさ。


自分で気づいて改心するもよし、しないのもよし。

それぞれがどのように生きようとも、常にすべて完ぺきに完全に調和している。

なるようにしかならない。


おそらく、私たちが生きてる「現実」でも同じで。

ひとりひとりが「どんな世界を見たいのか、創りたいのか」にかかってるのかもしれない。

(この話は「風の万里」にも続く)


風の万里 黎明の空。

余裕がなくなると大きい視点で見ることもできなくなって。

自分のことしか考えられなくなりがち。


王や麒麟だけ(政治家だけ)が国のことを考えてればいいってもんではなく。

そこで生きてる大勢の人々の思いもあってはじめて「国」になる、みたいな。


心学の講座で逆三方良し(自分のやろうとしていることが世間にとってどうよいのか?から考える)の話を聞いたり。

自分の死をリアルに想像して以来、私の中にも「どんな世界になったらいいか」は、うっすら見えてて。

その流れの一部に「四書を読んで実践してみる」とかが含まれてる。


陽子の「初勅」を見て、はじめの一歩ってそういうのでいいんだよなと思えた。


鈴(すず)編。

梨耀(りよう)のやり方は厳しそうに見えるけど。

なにかに気づかせようとする意図は感じ取れた。


ただ、鈴には表向きの言動だけしか目に入ってなくて、裏にある梨耀の「思い」には目が向いてなかったんだと思う。


同じ言葉を喋っていても、言葉が通じるとは限らない

小野不由美 『風の万里 黎明の空(上)』,新潮社,2013年,P.155


今の梨耀の立場(なぜ翠微洞にいるのか)を考えてみても、この言葉は重く聞こえた。


私が好きなのは今の采(さい)王である、黄姑(こうこ)の言葉。

生きるということは、嬉しいこと半分、辛いこと半分のものなのですよ。
人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人の心のありようが幸せだからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが真に人を幸せにするのですよ、蓬莱(ほうらい)の子……

小野不由美 『風の万里 黎明の空(上)』,新潮社,2013年,P.163、P.164


私も幸せにしてくれる場所・環境が何処かにあると思って探し歩いてた時期があった。

そんなものはどこにも存在しなくて、自分次第。


船旅における清秀(せいしゅう)の正論パンチもなかなかに効く。

私も長いこと「私は被害者なの!こんなにも不幸なのよ!」ってやってた時期があるからわかる。


文句ばっかり言っててもなにも変わらない。

変わりたいなら自分が変わるしかない。


祥瓊(しょうけい)編。

こっちはこっちで楽俊(らくしゅん)の言葉が刺さるんだよなぁ。


なぜ、そんなにも贅沢な暮らしができていたのか。

そのあたりのことを考える機会が祥瓊にあったら、と思ってしまう。


でも、そうはならなかったところに、天の意思みたいなのを感じる。

平和に生きられてることのありがたさを改めて感じるストーリーだった。


三者三様の学びがあり、どれもこれも必要なことしか起きてなかったように思う。


長い時間をかけて、それぞれの国はどうなっていくんだろう。

あちこちの大変な状況は、よりよい世界に向かうための必要な「破壊」なのか。


今は「丕緒の鳥」を読んでる最中。

次の「図南の翼」も楽しみ。

ある程度、読み切ったらまた感想を書く予定です。

受け取るタイミング、手放すタイミング ~みずがめ座満月に感じたこと~

最近、自分の星を読んでもらう機会がありました。

星を学び始めたころには、伝えてもらっても

ピンとこなかったことがあります。

「そういえば、以前にも聞いたことがあったな…」「本当かな?」とは

思っていたけれど、そのときは受け取りきれていなかった星読み。



でも、今になって「そういうことだったのか」と感じることが増えてきました。

自分のことは、自分では意外と気づきにくいものです。

身体も、赤くなっていたり腫れていたりする場所は見えますが、

背中や身体の内側は自分では見ることができません。

誰かに「こんな状態だよ」と伝えてもらって、初めて気づくことがあります。


心も同じなのかもしれません。
一度伝えてもらっても、すぐには受け止められなかったり、
理解できなかったりすることがあります。
でも、何度か伝えてもらったり、自分自身の体験を通して「そうかもしれない」と
感じられたとき、ようやく自分の中にあるものとして受け取れるようになります。

やっぱり人は、自分で感じたり経験したりすることで、
少しずつ受け入れていくものなのだと感じました。

以前、家族から「私は星読みは信じないから」と言われて、
少し残念な気持ちになったことがあります。
でも、その子の盤面を見ていると、自分で経験し、自分で探求し、
自分のタイミングで納得したいタイプ。
だから、その言葉は星読みを否定していたというより、
「私は自分で確かめたい」という、その子らしい在り方だったのだと
思えるようになりました。
相手が受け入れるかどうかは、私が決められることではありません。
「理解してほしい」と頑張りすぎていた自分を少し手放して、
相手のタイミングを信じて待つことも、大切なのかもしれない。

みずがめ座満月の「手放し」のタイミングで、そんなことをふと感じた一日でした

自分の思いに素直になる

「どうなるか」はコントロールできない。

「どう在るか」は、私次第。

これまではどこかで

「傷つかないように」

「失敗しないように」と、

過去のデータや思考でブレーキをかけて、

自分を守る安全運転をしてきたのかも。

でも、外側の結果や相手の反応は

自分にはコントロールできないもの。

だからこそ、

結果(陽)だけを求めるのではなく、

ワクワクやトキメキ、

自分の「本音」に従って動くプロセス(陰)そのものを

大切に味わっていきたい。

恐怖を超えて自分の心の声を聴き、

素直に動いてあげること。

人生の手綱を、自分の手に握り直す。

どんな選択も、私らしく軽やかに楽しんで進んでいきます✨

気になる他人の言動は、自分を映す鏡だった。

「過去の私がぶり返してる」シリーズ。

いわゆる「冷笑系」の人の発言が気になっていて。

大事になる前に心を見てみよう、という話です。


「冷笑系」とは。

私は昔から工作とか、ものづくりが好きで。

好きが高じてシステムエンジニアになったし。

会社の忘年会の出し物の都合で、武器の造形やったり、衣装を手作りしたり。

仕事とは関係ないところでも「つくる」をよくやってた。


そんな私が同じ技術者として尊敬する人の中に「植松努さん」がいる。

「TEDのスピーチ(思うは招く)」は有名なので、見たことある人もいると思う。


植松さんの動画では「どーせむり」「なにそれ自慢?」「意味なくね?」みたいな言葉が出てくるけど。



自分は動かず高みの見物をしたり、斜に構えてたり……。

そんな雰囲気のことを「冷笑系」と言うのかもしれないと、私は考えてる。


冷笑的な言葉を見聞きして、悲しい思いをしてた時期のことは、植松さんの動画を見て泣くことでほぼスッキリ。

残りは「本当は相手に言いたかったこと」をノートにぶつけて終了。


今度は視点を変えて、自分が言う側になってなかったかを探ってみた。


冷めてたときの私。

最初のきっかけは「親」。

私の記憶の中で思い当たった出来事をサラッと取り上げてみる。


なにかあって母が部屋中に響き渡る大声で怒鳴っているとき。

あー、またやってるよ……。早く終わんないかな😒

そんな風に思ってた。


「どうにかしなきゃ」みたいなのもなくなって、投げやりな状態。

もう、どうにでもなれって感じ。


母の振る舞いを見て「感情を出すのはよくない」と学習しただろうし。

自分の気持ちや感情を抑えるための手段として「冷笑」を装っていたのかもしれなくて。


冷笑的な行動によって「自分を守っていたのかもしれない」と気づいたとき。

行動の奥にある大切なものに触れた気がした。


禁止と許可。

「自分がやられて不愉快になった行動 = やったらダメなこと」

そんな風に考えちゃってるから、気になったり、許せなかったりしてる。


思うことも感じることも別に悪いわけじゃない。


というわけで。

まだまだ感情を抑えてるかもしれないなと思ったから。

ひとりのときはもっと素直に盛大に感情を出そうって決めたし。


冷笑系も同じ。

冷笑的なことが頭に浮かんだのなら、私が全力で受け止めようって決めた。


変わった世界。

不思議なもので。

思ってもいいし、感じてもいいぞー!ってすると、人がやってても気にならなくなるんだよね。


やる側に起きてることをちょっとでも知ってたら、やさしいまなざしを向けられるし。

シンプルに、その場で起きてる現象をまるで風景のように眺めていられる。


これからも続く。 

長年、自分の心と向き合ってきたおかげで、外側の現象に反応する機会はかなり減ってきてる。 

だけど、「もう、大丈夫だー!」って油断してると急に来るから。


もし、また反応を見つけたら、同じように心を見つめて。

思い込みに気づいたり、自分のためにどうするか考えていくんだと思う。 


どこかに残しておかないとすぐ忘れてしまうタチなので。

備忘録のかわりとして記事を投稿してます。 


今後もなにかあればシェアするのは変わらないと思うので、 よろしくお願いします!

「私、悪くないじゃん!」

これは、小惑星をほじくっていた私のセリフです(笑)


私がずっと心に引っかかっていたこと、自分を責めていたことに対して、「これ私のせいじゃなくない?」という構造を見つけたのです。


個人的な詳しい事実は割愛しますが、私の金星は抑圧されていました。

金星を守るために火星が我慢を強いられていました(もしくは盾になって守っていたのかもしれません)。


そんな金星に小惑星オシリスが、ナウシカアが関わっていました。

そして私のバースカード「女教皇」のイシスも。


オシリス(小惑星No.1923):死と再生、解体、変容

ナウシカア(小惑星No.192):救済、介抱、受容

イシス(小惑星No.42):統合、修復、再構築


「一度壊れたものを受け入れ保護し、壊れた断片を集め繋ぎ合わせる」


つまり、私の金星は最初から輝ける仕様にはなっていなかったのです。

自分で気づき、癒し、再生させなくてはいけなかったんです。

金星を再生させること、それはもともと持って生まれた筋書きだったのです!

ね?私、悪くないでしょ?(笑)


これ、前に書いた記事の「バースカード女教皇」「潜在意識は知っていた」とも繋がっています。

私はただ、ホロスコープ通りに生きてきただけだったんです(笑)


出生図の金星は、ドラゴンテイルとドラゴンヘッドのオポジションの調停の位置にあり、金星と土星はバイクインタイルです。

でも出生図の天体だけでは理解できませんでした。


出生図の金星と龍頭図の土星はオポジションで、その調停の位置にあるのが、出生図の水星(と龍頭図の木星)です。

やっとこれらが繋がった気がしています。


小惑星ほじくり、龍頭図、やるべくしてやっていたんですよね。

私が構造にこだわる理由、ここにあったんです。



もがいてた頃の私が、まだそこにいた。

いろんな人の話を聞く内に、悩んでた時代の私が声を上げてたことに気づいて、自分自身との対話を重ねてました。

あの頃は大変だったよね……と、自分で自分をハグする感じ。


これまでの道のり。

※アンドユーさん関連とはまったく無関係なチャンネルと動画の話です。


半年以上前? 時系列はあやふや。

もういいなと思って1年以上見てないチャンネルがあって。

いまどうなってるんだろう? と興味本位で見に行ってみたら。


プレミア公開設定の動画がいくつか上がっていて。

見た動画のチャット欄で

「◯◯さんのとおりにしてる私たちはラッキー♪ それ以外のことをやってる人って✕✕✕だよね」

なかなかに火力高めな発言が🤣


発言が気になったときから、実は始まっていたんだと思う。

「なんとかしたい」ともがいてた頃の自分が顔を出してることに気づかず。

「バカにされて悔しい!ムカツク!」みたいな思いを残したまま。


怒りが生じるたびに、ジャーナリングはしてたけど。

ずっと「その発信者に遺恨があるから怒ってるんだ」と思い込んでたせいもあって。

書いても書いても真相にたどり着けず……。

深堀りしても進展がなさそうで。

そのままにしておいてました。


ところが最近になって、知人(私よりも長く学んでる人)がまだジプシーしてる姿を見て、さまざまな思いが急浮上。

ジャーナリングはしたものの、まだつかめない……。


アウルブックに投稿したのがきっかけ(?)でヒントをもらえて、無事に完了。

見守ってる人からしても、ハラハラさせたと思います。

ごめんなさい。

そして、ありがとうございます🙇


なんでなのかは、わからないけど。

私にとってアウルブックは、必要な気づきが起きる場所になってます。

(集まってる人たちの意識がそうさせてくれるのかなぁ……)


頭をぶつけてやっと気づくような経験ができるのは、良く言えば私がこの場をそれだけ信頼してる証拠だけど。

悪く言えば「甘え」。


もっと自分を理解したいと思うし。

せっかく四書について学んでいるんだから、現実で活かしていきたいと考えてます。


四書をどう読むか。

論語はちょくちょく読み続けて、やっと先進編。

AIと相談して実際に本を確認してみた。


先進編の次の顔淵編から「『仁』とはなにか?」とか。

本番が始まるっぽい。


中庸は論語の顔淵編以降の後半部分に出てくる概念を知ってたほうがよさそうだと聞いたし。

もうちょっとだけ、あとになりそう。


大学は今からでも読めると聞いたので、読んでみたら。

刺さるワードありまくり。

耳の痛い話がいっぱい😂


心学の講座をはじめて受講したときもそうだったけど。

やたら身に染みる。

反省点がいっぱい思い浮かぶ。


孟子も一部、現代語訳されたものを読んでみると。

孟子が生きてた時代の歴史的な背景や登場人物たちの事情を知ってたほうが読めそうだった。

入門書や解説書でおおまかな全体図を頭に入れてから挑戦しようと考え中。


四書を通して自分を振り返りながら、これからも自分との対話を大事にしていきたい。

自己犠牲。①

とても久々の投稿です。


なんとなく直感的に

こちらで記事を書きたくなったので、

書かせて下さい。


note📔なども一応やってはいるのですが、

なんとなく今回はこちらの感じがしたので、

(もしかしたら今回だけ…?

 今日だけ…?)

にはなるかもしれませんが、


久々にこちらで書かせて頂けると、

幸いです。🌸



『自己犠牲』

というテーマに関心がある人に

読んでいただけましたら、

本当に本当に幸せです。✨✨




(P.S.

昔の記事を手直し✍️かけたくて

一時的に『下書き』状態に下げてあります…。

もしも探してくれていた人が居たら、

本当にすいません…。

よろしくお願いいたします。✨)




(◉ 今回の記事、だいぶ長いです…。

あとで分割しようかな……?🤔)


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎


『自己犠牲』


最近やけにこのテーマが気になってました…。

ちょっと自分自身の為にもまとめてみたいなぁ…

と、思って…。🤲


誰の為にならなくても、  一回ここに置かせて下さい。


どうぞ、よろしくお願いいたします…。✨



* * *



思えばわたしも27才ぐらいまでは徹底的に自己犠牲というものをしていて、(自己犠牲しているという自覚も持てないほどにナチュラルに…。)


あまりにもひょんな事柄をきっかけにそれが大爆発し、はじめて自分の中に溜まっていた大量の怒りと遭遇し、


少なくとも自分のことを『とても優しい』とか思っていたし、

『理性で我慢できないことなんてない、だって今まですべて理性でコントロールできてきたから…。』

ぐらいのテンションで生きていたので、


ほんのちょっとしたことをきっかけに一気にそれが崩れ、

自分でもコントロールできないほどの怒りと真正面から遭遇してしまった時には、

それはそれは驚き、絶望しました…。



最初は徹底的にその反動で家族に冷たく当たり、

(頼まれてもいないのに…  自分が勝手に家族に対して自己犠牲をしてきたのに、です…。)


『優しい私』

から、

『人としてちょっと相当ヤバいんじゃないの

人のことどんなに傷つけんの?』

っていう私に豹変して、

(でも仕方ない…

当時は本当にコントロールができなかったから…。自分を許してやりたい…、とも思う。)



そんなむちゃくちゃになってしまった家族関係の中で、

それでもなんとか自分を守る為に、


『それはやりたくない…!』

『そんなの自分でやってよ…!!』

を、初めて言えるようになり、


かなり乱暴だけれども、

ここで境界線というものが少しずつ引ける自分になっていったのでした…。


そして、

自分を粗末に扱ってきた周りが悪いと、

その時は真剣に信じていました…。







が、半年後、

とつぜん意識がひっくり返って──



『なんだ、

私が私のこと粗末に扱っていたから、


私が私のこと、

家族の下敷きみたいに使ってきたから、


だから、

こうなっちゃったんじゃないか。


すべて大元は、
私じゃないか。』



という突然の気づきに至り、


私のこと、

少々雑に扱ってきてくれたことはやっぱり嬉しくはなかったし──

『ちょっとは反省はしてほしい。』

その気持ちは確かにあったけど、


それ以上に、


『本当にごめんなさい…。🙏』


その気持ちが本当に本当に大きく湧いてきて、



それから、

『もう侵されないように…!

 侵されないように…!』

というヒリヒリとした意識で乱暴に引いていた境界線を、


少しずつ、

柔らかく優しく柔軟な意識で、

また新たに引き直しできるように、

成長・成熟していったのでした……。


🙇✨✨




. ݁₊ ⊹ . ݁ ⟡ ݁ . ⊹ ₊ ݁. . ݁₊ ⊹ . ݁ ⟡




で、今回書きたいメインテーマは、

実は全然そこじゃなくて、


さらにその先…。


になってくるんですけれど、



こういった流れの中で、

一応穏やかにではありますが、


『自分を大切にすること』のレベルを 

どんどんあげること🍑✨✨


に、一応は成功してきました…。



それはたくさんの大好きなスピ系リーダーさんたちのおかげでもあると想うし、

&Uさんで言えば、ともみん先生のおかげもあったと思います…。




まぁそんなこんなで、

世界と(家族と、周りと)調和しながらも、

『自分を大切にする』の濃度を、

少しずつ少しずつ上げてゆく…

(時に自分を優先しすぎたり、

周りに遠慮しすぎたり…

失敗もしながら……。)


それでもなんとか

その目盛りだけは少しずつ確かに上げていって、


なんというか、


家族関係も今が一番最上。


一応、そう思えるところまで来ました…。✨


(と、同時にもっと上、

レベルの高い領域があるとも思っているし、

家族みんなが生きている間に、そのような風景に出会えることも、全く諦めていない…。✨)






で、

こうなってくると、


ちょっとおかしいんだけど、


日々、

本当に自分のことを大切にして

生きさせて頂いているので、✨


な〜んというか…。


自分のことを大切にしてない家族が、

許せないっ!!!


っていう、まさかの。


27才で大爆発してしまった時とは真逆の、

(まぁありがたい)

問題意識が、

少しずつ自分の中に、

浮上するようになってきたわけです…。🤲







特にそれは、

父を見ていると、

はげしく発動してしまうのです。


自分のこと、


"家族の下敷き"

"家族の便利になるように"


優しいを超えて、

あまりにも献身的に使ってあげる姿勢、


それが昔の私と、

全くおんなじ傾向であるからです……。🤲






この人の、この

『受け取れなさ。』

『受け取りの器の小ささ』、

ヤバい…。


そう思って半分強制的に、


彼が少しでも"受け取れる人"になれるように、


彼がもっともっとナチュラルに自分のこと大切にできるように、


彼は自分が仕事の日も、休みの日も、せっせせっせとあまりにも家族の為に尽くしてくれるから──

あまりに『受け取りの器』が小さすぎるから──


「休みの日は、

いつも洗い物してくれて、ありがとう…!」


「でもあなたが仕事の日は、

わたしが洗い物担当しますからね…!!」


という半分強制で、


自分を大事にすることや、

自分を休めてあげること。🌱✨


それらを意図的に持たせるようにしたのでした…。




そのような努力の甲斐もあってか、(笑)

また、父も年齢が年齢なので、

年々やはり自然に自分に優しく、

自分を労われる人になってきました…。


前よりも自然体で自分を大切にできているし、

なかなか、ええ感じなのです……。🤲✨✨







ただ、

ずっと疑問だったのは、


どうしてか父のことだけは、


その他の家族を大切にするのと同じようには

大切にできない、


どうもやりにくい、


なぜだかわからないけれど、


彼を大切にするのは、

他の人にそうするのよりも、ちょっと難しい……


そんな微かな感触があって、

そこがずっと引っかかっていました…。



◉ これは一体なんなのか…?




母や姉を大切にする・丁寧に扱うのは、

こんなにもこんなにも簡単なのに、


どうして

父だけは、

そうはいかないのか…。


どうして少し難しいのか…。


油断すると、

今でも彼のことだけ、

わたしは少しだけ雑に扱ってしまう…。


そこと向き合ってきました…。



で、

一年ほど前に、

答えらしきものを、見つけました。




どんなにこちらが彼を大切にしようとも、


彼が少しずつ、

自分を大切にできる器を広げてくれようとも、


彼が彼自身のことを、


まだ小さくて見て、

まだちょっとだけ雑に扱って、

まだちょっとだけ家族の下敷きに自分からなりにゆくから、


その姿勢が彼自身の中に未だあるから、


やはりこちらはそこに対して甘えも出るし、



何よりもまず、


彼が彼のことを大切に扱ってくれないのに、


"鏡" である私たちが、

彼を充分に大切にできる訳がないのです。



だって私たちは、

どこまでいっても徹底的に、

ただの彼の鏡なのだから──。







そこから想うこととしては、

過去、わたしがわたしを粗末に扱ってきたこと、


わたしの "鏡" として

純粋に機能してくれていた家族が、


わたしのこと、

それで大切にできた訳がないのです。

(かなり難しかったはずなのです……。🤲)


だって大元は、

どこまでいっても、

"わたし自身がわたし自身を大切に扱っていない" 

という、

内側のところなのですから…。







と、同時に、

今回一番言いたかったことは、実はここからで、

(前置きが長すぎてごめんなさい…。🙏)



『献身的で、優しい』という、

この、父と私の姿勢。



この問題点がかなりハッキリと見えたのです。




人の中にはきっと、


⚫︎ 人のこと、大切にできる能力。

⚫︎ 人に甘えず、自分のこと自立的にする能力。

⚫︎ 人の境界線を、侵さない能力。


つまりは、

敬意・尊厳を持って人と接する能力◎

みたいなものですね。



そんなものが

やっぱあるのではないかと、

(少なくとも私は)

想うのです…。




◆◇◆




なのに、

『私が私を大切に扱わない』

『私が私のこと家族の下敷きみたいに使う』

ことによって、



⚫︎ 人のこと、雑に扱う能力。

⚫︎ 人に甘え、自分のこと自分でしないという姿勢。

⚫︎ 人の境界線を、悪気なくラクに侵してゆく能力。



そういったものを、

わざわざ相手の中から引っ張り出してあげている気が、

かなりしてきたのです

……。😱



これが父のことだけ大切に扱うのが

" 微かに難しい " 

 ポイントになっているのではないかな、と…。🤲



* * *





境界線を適切に引き、

自分の命を丁寧に尊重してあげる姿勢  💠✨

は、


自然と相手から、


⚫︎ 人のこと、大切にできる能力。

⚫︎ 人に甘えず、自分のこと自立的にする能力。

⚫︎ 人の境界線を、侵さない能力。


という人間としての美しい力を引き出し、✨




自分のこと大切にせず、

境界線もゆるゆるで、

自分を人の下敷きにしてゆく姿勢は、



自然と相手から、


⚫︎ 人のこと、雑に扱う能力。

⚫︎ 人に甘え、自分のこと自分でしないという姿勢。

⚫︎ 人の境界線を、悪気なくラクに侵してゆく能力。


を、引っ張り出し、

現実のものとして、

本当に

顕現させてしまう……。🤲




┈ ┈ ┈ ┈



なんだ…っ!

自分にとってのみならず、

相手にとっても

なんにもいいことねぇじゃねぇかよ…!!!


ってことに気づいちゃった時、


こりゃ、大変だ、

こりゃ責任もって、

自己犠牲、

本格的に終わりにせなあかんわ…!


って、

真剣に思っちゃった訳です……。🤲





そうしないと、

相手の変な力引き出すことに、

謎に、貢献しちゃう……。

(涙)(涙)






だからこそ、


表面的にいい人に見える、


『自己犠牲』とか『献身』、


たぶん、やってる場合じゃないのです。🤲



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎




なんでこんなこと

書きたくなったのかもわからないけれど、

突然書きたくなったので、

もう体のままに…。

です…、 正直…。🤲



荒々しく長い文章で、

本当に申し訳ない限りです。



不快な気持ちになった方がいらっしゃったら、

それも本当にごめんなさい。🙇



とはいえ自分としては、

ずっと感覚的に思ってきたことを

言語にまとめあげることができて、

ちょっと安心しています…。🙇✨





書いているうちに、

自分の病んでいるところが

ちょっと見えてきた、


自分のことが別の視野から見えてきた気がして、軽くゾッとはしておりますが、😱

(とはいえ、これもいい気づき…っ!✨)


それはしみじみ、

これからちゃんと向き合っていこうと思います…。





このように

自由に表現できる場に、感謝します。😊


&Uさん、

こんなに長い記事を読んでくださった方、(もしもいらっしゃったら。)

本当に、

ありがとうございます。


🌸✨✨




* * *



そして

め〜っちゃ久々にowl bookにログインしました…。


知ってる人誰もいなくなってたらどうしよう(笑)

と不安でしたけど、

知った方がたくさん居らっしゃったので

ほっこり安心で投稿することができました…。☺️


そして

みなさんお元気そうで、

何より…!💫✨


また直感が

 『noteじゃなくてコッチ!』

と言ってる時には、

どうぞお邪魔させてください。 🙇🌸✨


本当に、

(こんなに長いのに)

さいごまでお読みいただき、

ありがとうございました。


✨✨


coco


水星と繋がる

7月26から


3つの外惑星が水星と繋がっています


何か停滞しているものがあるなら今までのやり方や在り方を変える時

これが軸です

水星は、太陽に1番近く

1番早く太陽の周りを回っている情報屋さん


ふと感じること

小さな違和感何度となく言われることたまたま目にして心惹かれるものに意識を向けてみて


ゆっくりじんわり感じてみましょう。厳しさの中での変化ではなくて、見守られているような優しさに包まれています☆⭐︎     


行動する前に自分の心を知る。※加筆・修正済み

アウルブックとはまったく無関係な場所で見たものに反応して。

なんやかんやで実は自分の問題だったと気づくオチ付き。

※あまりにも言葉選びがヘタすぎ&説明不足すぎと思ったので、大幅に加筆・修正しました。

雑多な気づきの話です。


「なんでもアリ」が一番ラク。

人間の視点で◯✕を付けるから、◯や✕の結果を味わってるだけ。

自分の捉え方次第で変わるのなら。

「なにをしててもうまくいく」と考えてたほうがいいんじゃない!?


そんな前提を持ち始めてから世界は変わったような気がする。


自分がやりたがってることをやらせてあげるだけでいい。

理由なんかなくてもいい。


やりたいからやってる。

それだけでよかったんだ。


やるときの「心」が変わった。

私の中で一番変わったのはなんだろう?と考えてみると。

やろうとするときの姿勢、心持ちの部分。


以前の私。

ジャーナリングをやらないと。(~~~)

瞑想をやらないと。(~~~)


「やらないと」のうしろに隠れてるのは、「うまくいかない」「叶わない」とか。

「やってないから私はダメなんだ」と自分を攻める言葉がくっついてた。


「やればうまくいく」と考えてるせいで、義務化しちゃってるから。

やっても苦しいし、やらなくても苦しい。

よかれと思って採用したことが自分を苦しめてるなんて。


やることを増やせば増やすほど、自分が求める現実から遠のいてた。


今の私。

やってもやらなくてもどっちでもいい。


瞑想すると自分の体の状態や感覚をじっくり味わえるからやる。

瞑想したときのさわやかさが好きだからやる。


ジャーナリングをやるのも、生々しい感情をじっくりと味わいながら、奥にある本当の思いに手が届くあの感覚が好きだから。


「自分がいい感じになれると知ってるから、やる」に変わってる。


習慣として続くのは、やったあとの「気分のよさ」を知ってるから。

そこに必死さも、義務感も、使命感もない。

トイレに行くのと同じ感覚。


成功法則は人の数だけあるようだ。

「面白そう! 」と思ったらとりあえず試して、よかったなら取り入れる。

やっててなんか違うなぁと思ったらやめる。


自分に合ってるなと思ったものをその都度、カスタムして運用する。


そんなスタイルに落ち着いたのは、たぶん。

誰か1人の言うことを盲信して身動きが取れなくなってしまったり。

自分に合わないとわかってるのに、それでもやり続けて不満をためてみたり。


自分で自分につらい思いをさせてるだけだって、自覚したタイミングがあったから。


こっそり採用してるもの、やってることはあるんだけど。

今の私にとってホットな話題が「心学」とか「論語」だから。

表向きは、その文脈で何かを伝えることが多くなってる。


「自己流は事故流」って言われるけど、それはそのとおり。

その人はそれでよかったかもしれないけど、私にはどうなのか。

検証したくなるのが私という人間。


失敗だってやり尽くせば、どっかで「あたり」は引ける。

エジソンが試行錯誤を重ねて「竹」にたどりついたのと同じようなものだと、私は勝手に考えてる。


失敗に失敗を重ねて、いろんな感情・感覚を味わってこれたことは、財産。

悪いことばっかりってわけでもない。


できなくて困ってる人の気持ちを理解できる側にいると私は思ってるんだけど……。

こんな私でも他の人からしたら、強者に見えてしまうんだろうか。


私が私を信じなくてどうする。

なんかわかんないけど、これ、やらないとダメなんだよな……!

やりきってからじゃないと前に進めねぇっ……!


やりきった先になにかがあると思う「なにか」があったから。

ほかの人が私を見て「不毛なことをやってる」「やめたほうがいい」と思ったり指摘してくるとがあっても、私は自分を信じてやり続けてみた。


たしかに時間はものすごくかかったけど。

やってよかったと思ってる。


◯◯難民になりがちだった私。

「私以外の誰かが正解を誰かが持ってる」って世界観で生きてたとき。

情報を取捨選択する精度が低すぎて。

手当たり次第に、なんでもかんでもやっちゃう時代があった。


やってみなきゃわからないんだから、とりあえずやろう!

って方針で。


自分なりの判断軸を持たずに正解探しをしてる状態……。

どれがいいのー!?😭

いつになったら、私も同じ体験ができるの!?😭


なにがいいのかわからなくて、さまよってばかり。


そうやって負のループにハマってた時代があるからこそ。

私には大切にしてることがあって。


自分で正解にしていく。

きっと、世の中にあふれるノウハウは「カケラ」のようなもので。

手にした「カケラ」が合うかどうかは、やってみてのお楽しみ。


「カケラ」を試すことに疲れていた私。

「カケラ」の多さにまいってた私。


なにも知らずにまっさらで、外に正解があると信じて疑わなかった自分のことを思うと……。


数日前、かつて同じ場所で学んでいた知人が、今もあちこちで正解探しをしてる様子を目にしたとき。(※1)


発信者側として正解らしきものを先に与えるよりも。

「自分で正解にするコツ」を知ることのほうが大切なのでは?と思った。


最初は難民を量産してる発信者への思いが強かったけど。

そっちは核心じゃなかった。


※1 知人の件はアウルブックやアンドユーさんなどは、まったく関係しない場所での出来事です。

おすすめに出てきた登録者少なめなYouTubeのライブ配信(アーカイブ)のコメント欄で知ってる人が「鳩行為」をしてるのを見てしまったのが発端。

もちろん、かげしたさんの記事はチェック済み。


もしかして、投影?

私よりも何年も先に学んでた人が今も抜け出せずにいるのを見て。

気持ちがあふれてきて言葉にしたくなったわけだけど。


正解探しにハマるのは、本人の問題⋯⋯?

あれ、ちょっと待てよ⋯⋯?


いま起きてることの本質って。

もっと正確に言うなら、知人に過去の自分を投影して、反応しちゃってる私の問題なのでは……?


最初、記事を書いたときは気づけなかった。

そんなとこで!?って感じ。

それだもん、発信者に焦点をあててジャーナリングしてたって根本的な解決に至れないわけだ。


「過去の私」のためにどんな工夫をしてあげる?

やり方は山ほどあるし、今はAIからやり方を提案してもらえる時代。


「毎回チェックしてます!」みたいな熱心な人じゃないと、書いてある手順をやることもないんだろうし……。

体験談や変化を伝えるほうが興味を持ってもらえると思うから、私はそうしてみてる。


デメリットや対象外な人、不都合な情報だって人は知りたいもの。

あんまりよろしくないことだとしても、その人のためになる要素がちょっとでもあるなら、伝えてみたりして。


本当にやってきてるなら、体験が積み重なってるはずだから。

伝えられることは伝えるようにしてるし⋯⋯。


私の場合「やり方」や「考え方」なら別な場所で、検索需要に応えられる文章を書いているけど。

ここで「いかにも」な文章構成にしてないのは、アウルブックという場所ならでは。

私が勝手にやってる「読みやすさ調整」みたいなもの。


AIと共同作業で文章の推敲も出来る環境が整ってるからこそ。

私は「人間らしさ」を重視していて。

どこで人間らしさを出すかとなったら、「体験」以外に思いつかなかった。


体験もさえも捏造可能な時代ではあるけれども。

リアルに会ったり、話をすればすぐバレてしまうんだし。

信用を失うことにつながるので、気をつけたい。


パッと思いついたのはこれぐらい。


いろいろ言ったけど、心の状態が大事。

精神的な平和を維持しやすくなったのは、自分の気持ちをジャッジをしなくなってから。

自分のすべてを肯定しようと思ったとき。

私には「NVCの考え方の一部」が役に立ってくれた。


正しい・間違ってるの世界を抜けて。

自分が本当に大切にしたいものに触れられるようになり、どんな感情も大切にできるようになった。

自分の心の声をこれでもかってぐらい聞いたから今がある。

なんなら体感の鈍さまで改善されたりもしてるし。


こればっかりは継続あるのみ。


しんどいのは続かないから、やっぱり心が大事。

動く前の心境チェック、私は心がけてます。