ふと気づく。

「今日はどうしようかな」って考えるとき、

頭に浮かぶのが自分の気持ちじゃなくて、

「あの人だったらどう思うかな」「みんなが喜ぶかな」。

予定を決めるときも、服を選ぶときも、

言葉を選ぶときも、

基準が、いつの間にか「人」になってる。

自分の「好き」「嫌い」「やりたい」が、

薄い霧みたいにぼやけて、

「これで大丈夫かな」って、

他人の顔色を伺う自分がいる。

それは、もしかしたら

月と金星が、

少し過剰に「調和」を求めすぎているのかもしれない。

月は感情の基盤。

安心を求めて、

周りの空気に溶け込もうとする。

金星は愛と美の星。

心地よさを優先して、摩擦を避け、

「みんなが幸せなら、私も幸せ」って、

自然に合わせていく。

この二つが強く結びつくと、

「人に好かれること=自分の安心」

「みんなに合わせること=自分の心地よさ」

という等式ができあがってしまう。

でも、合わせすぎると、

主語が「私」から「人」へ、

静かに移ってしまう。

「私がどうしたいか」じゃなくて、

「人がどう思うか」が先に来る。

自分の欲求や直感が、

他人の影に隠れて、

声を出せなくなってしまう。

運が止まる瞬間に起きているのは、

不運じゃなく、

「人生の主語が、私じゃなくなっている」だけ。

本当の運は、

「私が私でいる」ことからしか、

生まれない。

月と金星の過剰適応が、

「私」という主語をぼやけさせて、

自分の流れを、

他人の流れに委ねてしまうから。

結果、流れが止まる。

自分の運命の川が、

他人の川に合流して、

方向を見失う。

もし、そんな「合わせすぎ」の霧を感じたら、

今日はこんな風に、

主語をそっと戻してみるのはどうだろう。

今日1回だけ、

「私は〜したい」って、

小さくてもいいから声に出してみる。

(「私はこの服が着たい」「私はここに行きたい」)

誰かに言わなくていい。

自分にだけ、聞こえるくらいで。

誰かの意見を聞いたら、

一瞬止まって、

「それに対して、私はどう思う?」って、

心の中で問いかけてみる。

答えが出なくても、

問いかけたこと自体が、

主語を戻す一歩。

鏡の前で、

「今日は、私基準で決めていいよ」って、

自分に許す言葉をかけてみる。

優しく、でもはっきり。

これが

「正しい自己主張の方法」ってわけじゃない。

ただ、霧の中でぼやけていた

「私」という主語を、

少しずつ、温かく、

取り戻す練習。

人に合わせすぎて

運が止まる瞬間は、

もしかしたら、

自分の月と金星に、

「もう少し、私を愛してくれてもいいよ」って

耳打ちされてる瞬間なのかもしれない。

主語が「私」に戻ったとき、

流れが、再び動き出す。

自分の運が、

静かに、でも確かに、

流れ始める。