あなたは長女として生まれているけど、長男の役割なんだよね……。

11/17のセッションにて。

女性でありながら男性的であること。

そのことが母との関係において悩みになりやすかったのを思い出したので、記事にしてみました。

私の男性的な部分は母によって引き出された?

前回の記事(私が必要以上に人に干渉せず黙って見守る理由。)で書いたスタンスになったのは、母の影響があります。


母は会話によって感情的な結びつきを強く求める人でした。

(太陽星座は、うお座)

私が受け止めるには母の会話量が多すぎて、私のほうが悩んでしまうぐらい。


そんな母との会話を通じて、NVCの「他人のニーズは満たせない」のをトコトン味わいました。


どれだけ私が母の話を聞いたって、感情を受け止めたって、母のニーズが満たされないのがわかってきたから。

いつのまにか私も否定も肯定もせずに「ただ聞く」をやるようになったんです。


私のこの行動の変化が母には受け入れられないものだったのか、なんなのか……。


母からの衝撃発言。

5年ぐらい前のことです。

なにをきっかけにそんな話になったのかは覚えていないけど。


あんたは男だから人の気持ちがわからないんだ!


そんなことを母から面と向かって言われたんです。


母が私という人間を受け止めるには、納得のできる理由が必要だったんでしょう。

それにしたって言われたときはめちゃくちゃショックでした。


母の発言がきっかけでLGBTQ+について調べたけど、自分の性別に違和感を感じたことなんて一度もなかったから。

(母に言われてそうなの!? ってなったぐらいだし)

そこまでじゃないんだよなぁって感じで、私にはしっくりこなくて。


男か女かの二極で考えてるとしんどかったので、性別の枠を外して「私」という「個」を通して考えるようになりました。


できるだけ枠を通さずに人を見る。

自分の価値観だけ判断せずに、その人の選択や行動をできるかぎり尊重したい。

なんらかの違和感を覚えながら生きてる人のことも受け止められる私でありたい。


※権利を主張するのはまた別の話だから。そこは分けて考えるべき。


こんな視点を持てたのは母がびっくり発言をしてくれたおかげです。


世代が上になるほど「女(男)はこうあるべきだ」みたいなのはある気がしてて。


たとえば、SNSで話題になった「子供がランドセルの色を選ぶ動画」。

これなんかは親の価値観がバッチリ現れてると思うんです。

動画はこちら↓

【セイバン公式】ランドセル選びドキュメンタリー篇


母の場合も「女とはこういうもの。女なら普通はこういう風に接するもの」といった固定観念があったからこそ、あまり女性らしく見えない私の思考や行動が母には理解できなかったのかもしれません。


個人の価値観の違いでしかないし誰が悪いとかっていう話でもないから。


お互いの価値観を尊重して、付き合うしかなかったように思います。

親子だったとしても理解できないことはある。

母が私をどう思うかなんて私にはどうしようもなかったし、私も駄々をこねるような年齢じゃなかったから。

母に何か言われても、思いたいように言いたいようにさせていました。


「わからせよう」「変えさせよう」なんて、ホントにムリ。

親子であってもそれはできない。


私にできたのは母の行動の裏にある「愛情」を、私なりに感じて理解して受け止めることぐらいでした。


誰に何を言われても、それが「私」だから。

というわけで、過去の悩みのひとつを表に出してみました。

海王星の影響でこういう話がしたくなるのかな?


母が強烈なキャラクターだったおかげで、今回のように得たものってたくさんあるんです。

そのことには感謝しつつも、私は私として。


男女のくくりでは簡単に割り切れない、グレーであいまいな部分を「個性」として私が愛して大切にする。

性別ではなく「ひとりの人間」として見る。


そうすることで私は性別に重さを感じなくなり、そのままの私でいられるようになったのでした。