傷ついた君も含めて好きだ。
今回のハイライトはコレ↑
命の声(?)、イケメンすぎるって😳
前回の記事(私がこの世の理を変えたかった理由。 )を書いてもまだ何かありそうだと思って深掘りしたら。
……ありました。
現実を認めたくない。
アニメやマンガみたいな世界が現実だったらいいのに。
子供みたいなことを考えてる私がいる。
日常系アニメみたいに平和でほっこりできることだけが起こる世界がいい。
ポジティブな感情だけで世界を埋め尽くしたいと、まだ願ってる。
この世界は表と裏があって成立してるのに。
片方だけしか認めたくないって、まだ考えてる。
傷つきたくない……。
これが私の本心。
私の本当の行動原理は「できるだけ傷つかない人間でいるために」だ。
「自分の心ひとつでどうとでもなる」って考えてるけど意図がズレてる。
「痛みや傷つきをごまかすための手段」としてエイブラハムの教えもNVCも利用しちゃってる。
そこまでわかってても痛いものは痛い。
感じたくない。味わいたくない。経験したくない。
なんとかして無くしたい。
そう思ってる。
もう、イヤなんだよっ……!
と、心の中で叫びながら泣いてたら。
脳内で「???」の声がした。
傷ついた君も含めて好きだ。
その声を聴いた瞬間に全部がチャラになった気がした。
一瞬、すべてが真っ白になったような。
いきなり好きな人にぎゅっと抱きしめられたと思ったらそんなことまで言われちゃった、みたいな感じ。
(もしかして「ラボり月間(12/8)」の終盤に出てきた「ふわっと感」ってこういうの???)
あの夜(「この世界を楽しむ方法を伝えるために。 」を参照)以来の「命の声」 ?
急に全部が無になって、悲しい気持ちもなくなって。
たった一言で、痛みを感じたり傷ついたりする自分をまるごと受容できた……らしい。
傷ついてもいい。
痛みを感じてもいい。
そうと分かった瞬間、一気にゆるんだ。
今の私のほうが痛みにも傷にも耐性がありそう。
何本もの鋭い剣が私に向かって飛んできたとしても。
今ならあたたかくて、やさしくて、やわらかいクッションですべて受け止められる。
痛みをなかったことにしてないし、ごまかしてもいない。
ちゃんと受け止めてるのに痛くない。
そんな私がいるように思った。
傷も痛みも私の一部なんだね。
ネガティブな感情たちの反撃、だったのかな。
私に理解されたくて受け止めてもらいたくて。
伝わってほしいから痛みも強くなってたのかな。
今は私がちゃんと受け止め態勢に入れる状態になってるからなのか。
「もっと痛くしてわからせてやろう! 」みたいなのは感じない。
私は私をもっと好きになった。
傷も痛みもやさしく包んで生きていける。
そのままの自分でいられるのが嬉しい。
3部作、完。
この感じならアクセルを踏みながらブレーキを踏んでる状態だったはず😓
NVCのニーズという概念を知ったおかげで、いままでとは違う深堀りができました。
これで長年、中途半端になってた「嘆き」をやり切れたかな😌
私が私にいちばん理解されたがってるってのは、かなり前から気づいてて。
何かあるたびにちゃんと聞いていたつもりだったけど、抑圧気味だったんでしょうね。
エイブラハムは別にネガティブになっちゃいけないとは言ってなくて。
「内なる自分とズレてるサインですよ」としか言ってないんだけど。
いつのまにか「ネガティブはよくない! 切り替えよう! 」って発想になってしまってたんだな……。
ちゃんと自分の「嘆き」を聞いてニーズや感覚に気づいてから行動する。
改めてこの流れを大切にしたいなと思いました😊