いつもありがとうございます。

 自分の悩み、問題の解決、使命を知るのには、様々な方法がありますが、やはり張本人が実感しない限り、例えそれが的を得た内容であっても発動しない気がします。

 私は、ある意味ステージ替えが数年前から起きているのですが、今思い返すと伝えられた事は、表現は違えどほぼ同じ趣旨のもの。

 私自身の判断で事態が全く見えていなかっただけで、それを上から見える存在は『何を問題視してるの?意味がわからない』になるんでしょう。

 私の場合、この判断自体は、今世だけではない、長きに渡るもので染み付いたものでした。その分消化、統合、精算、なんでも表現はいいですが、そこに至るまで時間がかかるものでした。

 それがわからないのは、私の場合は、自分があまりにも心配や不安の中にいたからです。人によっては、自分のこだわりの場合もあります。

 それらの周波数によって、見えないし、実感できないのです。

 そういう時は、誰に聞いても自分が実感しない限りは現実がというよりも自分自身が膠着状態になります。膠着状態とは、自分の状態が留まる事を意味します。そういう風に感じる時は、まず自分自身を見直す事が先決です。

 その状態に居たいなら話は別です。ただその状態を代謝させるには、自分の中でエネルギーの動きが必要です。何か気づく必要な事やエネルギーを変える必要があるのです。

 人間のからだの仕組みを考えれば同じことだとわかります。

 食事の摂取から消化、吸収と排泄。

 留まるとは、どこかで止まっている状態です。その循環がスムーズだと体が健康なように、人生も健全になっていきます。