夜空の下で思い出したこと
夜が深まるたびに、空は少しずつ澄んでいく。
秋の風が頬をなで、遠い空の向こうで星々がゆっくりと呼吸している。
火星は蠍座の領域で赤く瞬き、
一方で、私の心に響くのは牡羊座にいるカイロンの光だ。
その姿は見えないけれど、
確かに今、私の魂の場所を照らしている気がする。
およそ50年かけて空を一周し、再び私の生まれた位置に戻ってきた小惑星。
それは、魂が「もう一度生まれ直す」タイミング。
忘れていた痛みがふとよみがえるのも、この星の導きなのだろう。
あの頃、私は生きることに迷っていた。
なぜ生まれてきたのかが分からず、
自分という存在を消したいと思うほど、息をすることさえ重かった。
けれど、その痛みをいま思い出しても、もう同じ絶望には沈まない。
なぜなら、あの時の私を受け止めてあげられる自分が、ここにいるから。
カイロン・リターンが教えてくれること
カイロンが牡羊座にあり、
しかも1ハウスでアセンダントの近くにある人は、
この世界に“自分として立つこと”そのものに深い痛みを抱えやすい。
私は、幼いころから、人の視線から強い影響を受けていた。
「あなたはこういう子だね」と言われるたびに、
心のどこかで違和感がざわめいた。
それでも、「あぁ、私ってそういう子なんだ」と思い込んで
期待に応えようと笑顔を作り、
本当の自分の姿を奥に隠して生きてきた。
無意識的な自己防衛。
――それは、“存在の痛み”だったのだと思う。
牡羊座のカイロンは、“生まれる”というエネルギーをテーマにしている。
この世界に降り立った瞬間から、
「私はここにいていいのだろうか」という無意識の問いを抱えている。
それは理屈ではなく、魂の奥深くに刻まれた記憶。
”生きること”そのものが、すでに挑戦。
そして1ハウスのカイロンは、
その挑戦を“生き方”として体現させる。
自分の輪郭を描くこと、
行動し、選び、表に顔を出すこと。
そのすべてが「痛みを伴う自己表現」になりやすい。
カイロンがアセンダントに近い位置では、
人から見られる自分の姿そのものが癒しの課題になる。
見られることが怖くて、
それでも、見られたいと願う。
矛盾を抱えながら、
人との境界線の中で何度も立ちすくんできた。
こうやって、自分のことを記事にして書くことも、
ものすごく痛みが伴う。
痛みを抱えながら生きるということ
本当は表に出るのが怖い。
目立つのも、責任を背負うのも苦手だった。
けれど、誰かがもたついていたり、
違う方向へ進もうとしているとき、どうしても黙っていられない。
気がつくと口が動き、体が動いている。
そしてそのあと、決まって罪悪感に襲われた。
「出しゃばってしまった」「余計なことを言った」と思い返し、
もう余計なことは言わないでおとなしくしていよう、と決意する。
そうして、これまでかかわってきた人たちから距離を置き、
静かに息を潜める。
意図的に自分で自分を孤立させる。
でも、やがてまた誰かが困っていると、
その沈黙を破ってしまう――。
今思えば、それもカイロンの働きだったのだろうと思う。
“自分を出すこと”と“傷つくこと”が
いつも同じ場所にあるような感覚。
けれど、その痛みの奥には、
誰かを支えたい、方向を整えたいという純粋な願いがあった。
あの衝動こそが、私の中に宿る牡羊座の火だった。
この道を歩いていく
正直に言えば、私はまだ、痛みを受け入れきれてはいない。
過去を思い出すたびに、心の奥がざわつく。
この文章を書くことも怖い。
人の眼に晒すことが、怖くて仕方がない。
それでも、カイロン・リターンのこの時期に
心の記録を残しておこうと思った。
もう一度、自分の傷を見つめるために。
癒しの道を歩きはじめるために。
かつて、星読み師として活動していた頃、
誰かの人生に触れることが、あまりに怖くて逃げた。
誰かの未来を読むことで、
まるでその人の人生を背負わなければならないような気がして、
耐えられなかったのだと思う。
でも今は少しだけ違う。
もう一度、この星の道を歩こうと思う。
怖さの奥に、小さな希望が見えてきたから。
それは、誰かの人生の責任を負うことではなく、
自分の魂を取り戻すための旅なのだと思う。
自分の人生の責任を持つことでもある。
たとえ震えながらでも、
言葉を紡ぎ、星を読む。
痛みを抱えたまま、それでも光を探し続ける。
それが、今の私にできる
“生きる”という祈りのかたち。
結びに
私の癒しは、まだ道の途中にある。
その道の上で、星を見上げながら歩くことができるのなら、
それだけで、もう十分なのかもしれない。
あなたの毎日に柔らかな明かりが灯りますように。
星読み師・銀河