♪あ~らら、こ~らら~、い~けないんだ、いけないんだ♪

幼少期。

友達の中の誰かが、やってはいけないことをしてしまったり


何かを失敗したときに


周囲の子たちが無邪気に大合唱していた。

勿論、わたし自身も歌ったことがある。

その時は全く気付いていなかったけれど

この歌は、罪悪感を植え付けて、対象となる相手を責め立てて追い詰める。

とても強く攻撃的な歌だ。

その歌を、喜寿を迎えた母が口ずさんだ。

それは、わたしが朝ルーティンの中で1つ、やり忘れたことがあって

「あ、これやるの忘れてた」


と独り言をつぶやいたときのことだった。

その瞬間、心のどこかにチクリと針が刺さった。

小さいけれど、確実な刺激があった。

母は無意識的に、反射的に歌ったのだと思う。

それだけ習慣として染みついているということ。

わたしが自分に課している朝ルーティン。

やらなかったからといって、誰にも迷惑をかけることはない。

忘れてしまうのならば、忘れないように仕組化すればよい。

或いは、自分のキャパオーバーなら朝ルーティンの見直しをすればよい。

それを朝ルーティンには全く関係のない母に

何故、責め立てられなければならないのか。

以前のわたしであったのならば

「お母さんに関係ないでしょ、なんでそんな歌うたうの?」


と反抗心を燃やしたり


イラつきに蓋をして完全無視をしていたと思う。

でも今日は、イラつくこともなく

この歌をうたう母に対して


「なんでこの人はこの歌を歌っているんだろう?」


という疑問だけが浮かび上がった。

よくよく自分の言動を振り返ってみると

わたし自身が母を責め立てているということに気づいた。

日常会話の中で

生活の態度で


わたしは母を責め立てて、傷つけ続けている。

そのことに気づいた。

この歌を通してわたしは

わたしと母の中に


どこかに置き去りのままになっている


やり残してきた過去の感情を見たのかもしれない

抽斗の奥に押し込められて

買ったことさえ忘れていた何かを見つけたような瞬間だった。

ごめんね、お母さん。

ずっとずっと、あなたに甘えていたし

ずっとずっと、あなたを責め続けていた。

それがわたしに還ってきているだけなんだね。

母の日に、誕生日に


感謝の気持ちを伝えてきていたつもりだったけど


それは表面的な言葉だった。

本当は

心の奥底の深い場所では


ずっとずっと憎んで、恨んで、責め続けていた。

わたし自身がそこに蓋をして鍵をかけて

見ないふりをして来ていた。

ごめんね、お母さん。

この牡羊座の満月で

わたしはこれを手放すね。

まだ本心から感謝の言葉は言えないかもしれないけれど

小さな一歩から踏み出して行くから。


月の光で優しく溶かすから。

わたしがわたしを許せるようになるまで

長生きしてね。