自分のチャートを振り返っていたとき、以前から思っていたことですが、私は振り幅が小さいタイプだなぁと感じて改めてこの事について考えてみました。

友人たちからは、私はいつも落ち着いていて安定しているように見られやすい。

いやいや、そんなことはなくて落ち込んだり、明るかったりの波はあるしストレスにも弱いし・・・

けれどアップダウンのある人を見ていると、確かにそこまでの激しいアップダウンはないなぁと思ってはいました。ガーっと上がることもないけど、ガクーンと落ちることもないんです。幸福感はあるけれどハイテンションは無いし、ドン底体験をしても底が浅いというか。

もともとそんなタイプでしたが、若い頃よりも振り幅はさらに小さくなってきているような・・・


振り子のように、どこかに傾いたら反動で反対側にも同じだけ動く、これがアップダウン。その幅が小さいということはニュートラル寄りなのかしらと考えていら、生命の樹と結びついたので、今回は樹の左右のバランスついて取り上げてみます⭐️


《生命の樹から見る偏り》

生命の樹では、両極に大きく揺れるという体験を通じニュートラルに至るという考え方があります。

陰陽どちらも通って中庸に至るというイメージですね。

生命の樹の中央の柱の下から上へ上がることが魂の成長、悟りのプロセスだとされていますが、それを支えるのが左右のそれぞれの柱になります。

向かって左は陰のエネルギー(峻厳の柱)、右は陽のエネルギー(慈悲の柱)。真ん中は中庸の柱と呼ばれています。

動きがないと人間としての経験が出来ないから、陰陽の動きがあるのですが、どこかだけに留まり続けると魂の成長が進まない。行ったり来たりを繰り返し中庸を学ぶことが魂の成長になります。


魂の成長とは頂上のケテルのワンネス(無条件の愛・至福の状態)の意識へと向かっていくプロセスですが、ケテルは二極を超越したエネルギーなので、そこに至るためには二極とも経験する必要があります。

私たちは二極の世界で生きているので、知らず知らずむっちゃくちゃ二極を経験している・・・というか、二極に振り回されて生きています。

良い悪いとか、好き嫌いとか、快不快とか、正しい間違っているとか。ギクっとしますよね(笑)

そこに光を当てる=意識的になることがニュートラルになっていくことだと思っています。

インド哲学にも二極を超えていくための学びがありますし、ブッダの中道の教えもそうだし、真理って対立要素を超えることが必須なのだなぁと思えます。

このように二極を超えるために、私たちは二極を体験していくことになります。超えなくてもいいんだけど、幸せを求めるなら、ここはおさえておいて損はないと言うか(笑)そういうポイントです⭐️

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樹の左右どちらかに偏りすぎていると、中央の柱を上がることはできないので、対になっているエネルギーどちらも体験しながら極を身につけて、ニュートラル(中庸)になっていく。図の3つの矢印のところです。


ニュートラルとは動きがないわけではなく、左右どちらもきちんと機能している状態と言えます。

※ケテルはが全く動きのない静のエネルギーですが、それ以外のセフィラは動きがあるエネルギーになります。


どちらかの偏りが大きいほど、振り子が動いたときは振れ幅が大きくなり、反対側でインパクトのある出来事・心理状態になる可能性はあります。

理性的すぎる人があるとき本能に抗えずに問題を起こしてしまう例がよくあるように、特に偏りが強いほど反対側のエネルギーも無意識に強まっていきます。ダイエットのリバウンドなんかもそうですよね🍭

人によっては、これがアップダウンになっているとのだと思います。ポジティブに行きすぎるとネガティブに振れるように。


偏り自体は大事な要素で、生命の樹では中央の柱へとバランスをとっていくために、対極どちらも活性化させ通っていく道だととらえます。

どっちも経験しないと中庸は分からないんですよね。

ということで、まずはご自身のバランスがどんなかんじかをチェックして、知ることが大事! 

※分かりやすいように惑星寄りの解釈にしています。セフィラの説明の一例だと思ってください。

《知性と感性》

水星(ホド)知性←→金星(ネツァック)感性・本能

知性と感性・本能どちらかだけを主に使っていませんか?どちらも使っていきましょうという対です。

感じていることを無視して思考中心になっていないか。知性を使わず本能的にばかりなっていないか。(欲求をコントロールする力は、次の火星の働きになります)

知性とはぐるぐる思考ではなく、必要なことをするためにしっかり考えて判断出来る能力のことですね。

知性と感性は相反するものではなく、芸術も科学も私たちの生活を豊かにしてくれるように、豊かに生きるためには大切な対になります。

《厳しさと寛容さ》

火星(ゲブラー)厳しさ←→木星(ケセド)寛容さ 

厳しさと寛容さどちらかだけを主に使っていませんか?目的を達成するためには不要なものを排除する厳しさが必要。受容し許し認め慈しむ心は人間の器を広げる大切な力。厳しすぎ、寛容になりすぎは自分にも他人にもプラスにはなりませんよね。どちらも使ってバランスをとっていきましょうという対になります。

《陰と陽》

土星(ビナー)陰←→天王星(コクマー)陽

これは2つセットで生み出すエネルギーとなるのものですが、陰陽=女性性と男性性の対となります。あらゆるエネルギーの原型となるもの。収縮するエネルギーと拡大するエネルギー。

女性性と男性性のバランスは今どんなかんじですか?能動性と受容性どちらもそろって生み出す力となります。受け取ることと、行動すること、どちらもしていますか?


私の個人的解釈としてもうひとつ、元々備わっている素質(特徴や才能)とインスピレーションどちらも使っていきましょうという意味もありそうです。才能だけを使うのではなく、ビビっとやってきた直感も受け入れ行動してみる。直感まかせではなく自分の能力もきちんと使っていく、といったように。 

《偏りもまた大事だということ》

持って生まれた星の配置により、どれかが秀でていて、どれかはあまり使えていないというエネルギーもあるかもしれませんが、生命の樹でみるとすべて潜在的に持っている力。だからすべて活性化させて使っていき、ニュートラルの力を高めていく。その状態で潜在的な才能を発揮していくことが理想だと思います⭐️

理想論で終わらないために、現在地を知ることが大事になりますね!

金星的な喜びは条件付き、木星的な幸福感も広がりすぎると問題になることもあります。知性や厳しさが行き過ぎるのも幸せではない。中庸の柱にあるケテルやティファレットのエネルギーは静寂、至福、無条件の愛、調和、本質的な美しさなどを表し、ニュートラルになるってこういった安定した幸福感のようなエネルギーを得ていくことだと思っています。

といってもニュートラルを目指さないといけないものでもないし、偏りすぎてバランスを崩してしまっている人は、全体性からニュートラルな視点を持つ意識をしてみるとよいと思います⭐️


私もいろいろと偏りを経験してきました。蠍座パワーは強いし、新月生まれで客観視出来ないタイプだしで、何かにどっぷり偏って、それが良いと思い込んで、他の可能性もチラついて、違うところへまた偏って・・・を繰り返し、偏りって不健康って思えるようになったんです。20代30代ってそんなんでした。

特定の健康法がいい!とそれだけを盲信するようなかんじですね😅 

偏りから得た気づきや成長があったから、広く見ようと思えるようになったし、偏りから中庸を学ぶってのは大事だなぁ〜と心から思えました。こういうプロセスを踏むことが成長だとしたら偏りは悪くはない。

偏りは魅力や個性になる要素なので、偏りがよくないのではなく、その状態を偏りだと気づかず、無意識にこれが正しいと思ってしまうと全体性を見失ってしまい、自分が正義になってしまいます。

偏っていてもオッケーだけど、全体性とか両極があるという意識を持つことがやはり大切ということですね⭐️

ここで言う全体性とは生命の樹そのものだったり、ホロスコープの円そのものだったりを私はイメージしています。

ここに載せたこと以外でも二極、対極のあるもののどちらかに偏っていないかを確認してみると何か気づきがあるのではないでしょうか⭐️

もちろん全体を見て、パッと真ん中へ行けるわけではないので、偏りや二極の体験を通じて自分にとってのバランスを探求していくことが人生そのものだとも言えます。


冒頭の話につなげていくと、偏りを自覚しニュートラルな生き方を意識するようになったことで、私はちよっとづつ振れ幅が小さくなってきているのかもしれませんね。(振れ幅は個人差があるから、ニュートラルだから小さくなるとは言いきれませんが)


ニュートラルが良いとか、占星術や生命の樹が良いとかいうのも、そう思い込みすぎると偏りになっちゃいますよね〜

いや、もうかなり偏っている・・・(笑)

そういう偏りを意図して選択しているという意味では、一応ニュートラルな目線かな?

全体性は忘れがちになるので、この視点とバランス力を持ちつつ偏っている人でありたいと思ったのでした⭐️