いつもありがとうございます。
昨日たまたまつけたテレビで過去かなり話題になった作家さんが出演されていました。
そういえば…今テレビで大活躍の体の大きな女装家の人を見出した人だとどこかでも見たことがあり気になった観ていました。
✴︎愚かに生きる権利があってもいい✴︎
これは私の胸を打ちました。そして彼女は愚行権と言っていました。
ここ最近の投稿内で似たような事を書きましたが、はっきりとこういうカタチで言語化されたのはやはり言葉を扱う仕事をされていた方だなと感心しました。
私も4年前ほどのショッキングな出来事からの恐怖はこことも深く関連しています。それは
社会的に自立し認められちゃんとした人にならないと!という強迫観念みたいなもの
はい、ポイント通過です♪と現象として現れたのです。そして人生の中でここがそれを超える為の最終ポイントとして設定していたのです。
大体こういうポイントはひとつではなく何回か設定してきています。だけどこれ以上はもう機会がないよという人生のプログラムの最終ポイントがあるものです。
私は2019年に『魂で生きる』という流れが起きてしまっているのでこのポイントに向けて、それまでにいろいろ準備として様々な動きがありました。
当時はショックでしたが、逆にこれがなかったら死んでから相当後悔することになったであろうと今は思っています。
人生には、人間としては辛いなと感じることも魂としては全く違っていたりする事が多々あります。
✴︎愚かに生きるとはあえて惑星で表すなら土星以降の星✴︎
この社会的常識人とは惑星なら土星的生き方だと松村潔氏は様々な著書の中で語っています。
天王星や海王星や冥王星のカラーが強いとここから逸脱します。
いわゆるヒーラーや霊能者や聖者なら憧れの対象として見られる場合もあると思いますが、私はいわゆるマイナス面での社会不適合者の方々もこの部類になると思っています。でもこちらは避けたと思ってる方多いのではないでしょうか。
いわゆるこの方達は双方が背中合わせというか紙一重なんですよね。これはインド占星術の著書でも目にしたことがあります。
この『避けたい』『こうなったらどうしよう』という怖さがあるかどうかで自分の状態がわかります。
自分にないなと思っている方もお子さんと接する時どうでしょうか?
私は幼少期からここに恐怖してましたし自分の特性上こうなる事を異常に恐れていました。先日も書きましたがこの4年でここを溶かしていったのです。

✴︎創造意識を発揮したいなら意識下に潜む愚かな自分への恐怖を完了する事✴︎
よく古い在り方や常識から抜ける抜けると聞きますがどれほどの人がそれができるだろうか?と思っています。
私自身は、会社勤めの時は型にハマるのは嫌いだし自由人だと思っていましたが、それは会社という安定枠があってこそ出来たことだと実感しました。
その枠がなくなって初めて自分の中にあるおそろしいほどの染みつき実感させられたのです。
✴︎✴︎✴︎
最近話題の経済学者の方や松村潔氏の発言に触れる中でやっぱりぶっ飛んでるなと深々と感じた事があります。それは社会からあぶれる事に全く恐怖していないのがわかるのです。
この状態だからこその自由な発想であります。
私はヘリオセントリックホロスコープはこの意識状態でなければ見えない景色があると個人的に思っています。
太陽という創造意識から見るのですから当然ですが、ヘリオセントリックのホロスコープに触れる事で松村氏は創造意識が開拓されるとも言ってますから開発したい方はどんどん触れてワークなどにも使用するといいと思います。

✴︎好きな事をして生きるとは✴︎
その番組の締めくくりは生きるとは何なのか?でした。その方がメディアによく出ていた頃はアクが強いなあと感じていましたが、それは全くなくなっていました。
その方は若い頃から派手にお金を使いホストに入れ込み整形をし身につけるものにも散財したそうです。でもそのやりたいと思った事をやり切ったからこそ出てくる言葉のひとつひとつが本当に響きます。
その派手に生きていた時には本当に苦しかったし、男性といても孤独感を感じていたとも言っていました。これを聞いた時に本当に見た目で判断しない事だなとも実感しました。
自分がひとりの時や辛い時は、笑っていて人に囲まれていると幸せそうに見えるだけだということです。自分が堕ちている時ほど人はそう見ます。
その作家さんの話に戻りますが、本人がどういう結末であれやりたいと思ってるならやらせるしかない。やり切るからこそ悔いもなく反転するという趣旨(明確に覚えていません🙏)を話していました。
まさにですよね。
私は好きなことをやるという人生はこれだと思いますが、そこに飛び込んでいけるかどうかだけだと思います。
私達はやりたいと思った事に対して、幸いにそれが失敗になるか成功になるのかわからないですね。わからないからこそ飛び込めます。この中で起きる経験が非常に重要なんだとつくづく実感しています。
この方はちょっと極端な例だと思いますが、いわゆる社会的に知られていて、仕事では『成功』といえるかもしれませんが、様々な事に散財したのは失敗かも知れません。
だけどそれをやり切ったからこそその先に見えた
『生きるとは』『幸せとは』
そのせいかとても顔が後悔のないスッキリした顔をされていたのが印象的でした。

✴︎最後に✴︎
この方の人生で起きた事は今多くの方にに投げかけるものがあるなと感じました。
私がすごく感じたのが、人それぞれの存在が本当にピースであり、その生き方がそもそも役割を果たしている事です。
この方は、自分が人の役に立とうなんて思っていないと思います。ただ自分が思いっきり好きなことをして生死を彷徨いそして気づいた数々をオープンにして話していただけです。
それなのにその生き様や発言がまた人に気づきを与えていく、役割とはこういう事だろうと改めて感じさせられました。
そして私自身が響いたのが愚かに生きる権利であり、だからこそお題をそこにしました。
もしかしたら、同じものを見ても私同様には感じないかもしれませんね。
『好きなことをして生きるとはどういうことか?』
『幸せとは本当に身近で些細なこと』
『絶対やらないわ〜』 等
でもなにかしら響くものがあると思います。
