心の関係の動画を見てて「ハッ」としたので書いておきたい。(思いつきで書いてるので読みにくいと思う)
最近、歯医者さんへ検診に行ったら虫歯が見つかって。
なんかすごーくガッカリした。
毎日せっせと歯磨きしてたのにな…。
ガッカリって書いたけど、もっと、存在を脅かされるような恐怖。
この恐怖をなんとかしたくて、日々、潜在意識だの心のことだの散々学んでいるけど、いまだふとしたときに影から手が伸びてきて、鷲掴みにされる。
そう、心のことだって、毎日せっせとがんばっている。
なのになんか上手く進めない。
進めなさにジタバタして、あちこちの動画に「言われた通りがんばってるけど上手くいかんです…」と、被害者ぶった書き込みをしていたら、あるとき、「そこ乗り越えて来いよ」とたしなめられた。(ヘヘ…スンマセン…)
自分を観察するだに、
「がんばっているけど上手くいかない」と安心する
のだろうなって思った。
(あれ?それってシンデレラ病?)
なんで安心するかって、
わたしは自分が弱いほうがいいと思っているからだ。
強いと加害者になる。
加害者は悪だ。
悪はこの世界にいらない、いちゃいけない。
そういう極端な思考がある。
弱ければ被害者で、
被害者は善で、
善ならこの世界にいていい。
まあだいたい幼少期に培った、激しい思い込みである。
親は、私が自分の好みや主張や意志があると困るのだ、とあるとき思ったのだと思う。
自分がこの世界で生きてていいか分からない私には、強いとか、わがままとか、自分の思いがあるということが危険なのだと思ったのだと思う。
あと「弱いと助けてもらえる」とかね。
弱者なりの生きる戦略。被害者アピール弱者アピール繊細アピールして他者が自分の都合の良いように動くようにコントロールしたい気持ちとか。
ええと、それで、そう、
がんばっているけど報われない弱者なら、
もっと助けてもらえるのかなって。
思えば、昔好んで読んでたハーレクイン小説だって、そういう展開ばかりだったな。
もうひとつ、上手くいかない原因と思うのがあって。
それが、
「わたしが(わたしたちが)苦しんだ(苦しんでいる)のだから、お前も苦しめ」
っていうやつ。たぶん集合的無意識。
その集合的無意識が、家庭なり職場なり学校なり、誰かと私の間にあって、苦しんでいるなら私には居場所がある。みたいな感覚。
だから、
「ほら、上手くいかないじゃん」って言えると、
がっかりと言いつつ、居場所があって、
私の生は肯定されて(肯定された気になって)、安心する。
(それでその地獄のような集合的無意識に対しては、気づいたら立ち去る、を繰り返すようにしている最近。)
それで、うん、、
潜在意識が現実を創ってるよって話にあてはめると、
「ああ、ほら、またダメだった」って感覚が、生き延びるために必要な感覚だと思っているから、
それが現実に反映されて、
わたしは今日も、
ガッカリとする。
「わたしのなにがダメなんだろう、どこがダメで、なにに気づいてなくてどうしたら」と、自分を追いつめたりする。
教わったことを反芻し、呑み込もうとがんばる。
がんばるけど上手くいかない、をする。
ほんとうは力強く私をやりたいのに。
ほしいものに手を伸ばさずに、
やせがまんをし続けてる。
というストーリーにはまっているのに!気づきまして!!
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ここから無理やり星の話につなげると、、
2025年9月1日に、逆行中の土星が魚座に入りましたね!!
わたし太陽星座が魚座なんです。
前回の土星魚座期もたいがいだったんですけども、
今回も、
自分の魂の目的(太陽)にそぐわないものを、
ごりごりに剥がされているなって!!思ってて!!
(占星術まだまだ素人なので解釈まちがってたらアレですけど)
で、今回の気づきも、土星さんからの、
「ちゃんと自分をやりんさいよ」ってエールかなって。
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「やせがまん」って、「平気なふり」というニュアンスを含む言葉なんですね。
冒頭の虫歯の件、当初は、「まあでも仕方ないよね…」みたいな、納得のふり、平気なふりをしようとしてました。
虫歯に限らず、いろんなことで
「だって、しかたないよね、あの人にも都合があるし…」
「だって、しかたないよね、そんな都合いい世界じゃないもの…」
「だって、しかたないよね、わたしのタイミングが悪いんだもん…」
とかとか。
やせがまん、平気なふり、道理を呑み込もうとする姿勢。
そういうのを続けてきて、今までメリットもあったのだけど。
そこもう終わっていいんじゃない?って自覚したお話でした。