子どもの頃、
「大人」はもっと完璧で、揺るぎなくて、
いつも正しい存在だと思っていた。
けれど50歳を過ぎた今でも、私はどこか
“大人になりきれていない自分”を抱えている。
小さなことで心がざわついたり、本音をうまく言葉にできなかったり。
そういう不完全さは昔からあまり変わっていない。
でも、四柱推命と西洋占星術の両方を学んできた今は、
この“揺らぎ”は自然なんだってわかる。
四柱推命的には、誰もがそれぞれに
「五行の偏り」や「通変星の癖」を持ち、
生まれたときから“完璧にはなれない設計”で生きている。
だから、中庸を目指すということ。
たとえば、思考がぐるぐるしやすい人、
受け取り方が繊細すぎる人、感情が先に立つ人。
どれも欠点ではなく、その人が個性として持っている“心の反応パターン”。
そして大人になるほど、このパターンはむしろ深まる気がする。
若い頃よりも強く出たり、逆に弱くなったり、
年齢とともに変化しながら「自分らしさの芯」を作っていくってことかも。
一方で、西洋占星術では、水星が 「言葉・思考・受け取り方」 を司る。
水星は年齢に関係なく、ずっと“内側の声”を映し出す星。
どれだけ年を重ねても、子どもの頃と同じ反応をするときがあるのは、
水星が変わらず動いている証。
水星は、私たちがふと立ち止まったときに、
「あなたはまだ未完成でいいよ」とささやいてくれている気がする。
完璧な大人になるより、
揺れながら考えるプロセスそのものを大切にしてくれる。
大人は“雲の上の存在”ではない。
不完全で迷いながら、それでも進んでいく、
“山の中腹にいる人”だなと、私は思っている。
頂上に立つ必要はなくて、
立ち止まっても、寄り道しても、途中で座り込んでもいい。
むしろ、四柱推命の命式でも天体の動きでも、
私たちは“完全体”にはならないのが自然なんだから。
だから、大人になりきれない自分を責める必要はない。
未完成なままの自分でいいし、
そのほうが他の誰かの痛みにも寄り添える。
たいしたことない大人でいい。
完璧じゃない大人のままで、生きていける。
不完全なまま揺れ動く自分こそが、“本来の私”なのだから。
星や宇宙がそう教えてくれているように感じます。