今年、私は母に手紙を書いた。

母は感情の起伏が激しい人で、

数年前、喧嘩の末に

「絶交」と言われたことがある。

そのとき正直、

「絶交してくれた方が楽だ」

と思った自分もいた。

ただ、絶交するならするで、

そのままでいてほしかった、

という気持ちも残った。

それでも、生きているうちに

関係が少しでも和らぐならありがたい。

そう思いながら、

自分の心を整える時間を過ごしていた。

信頼している人から

「お母さんに手紙を書いたらいい」

と言われたのは、

もうずいぶん前のことだった。

それでも、手紙は書けないまま、

時間だけが過ぎていった。

喧嘩の引き金になった、

自分にとっての辛い過去。

いま置かれている、

困難だと感じている世界。

そのどちらにも向き合おうとして、

私は星を読み続けていた。

ジオセントリックの星。

ヘリオセントリックの星。

星と現実と、自分の心。

それをひたすら、つなぎ続けていた。

星とともに歩いてきた、

そんな感覚だけが残っていた。

私の住む街では、

年に数回、町内の草取りがある。

普段はあまり話さない近所の人と、

そのときだけ言葉を交わす。

ある日、年配の女性が、

息子さんへの接し方を後悔している、

という話をしてくれた。

忙しい時期に、

息子さんが強く嫌がっていたことを、

「仕方がない」と流してしまった、と。

生活の大変さを思えば、

どうにもならなかったのだろうと、

私にも想像がついた。

話を聞いているうちに、

私は思わず、

「年末年始に会えるなら、

今の気持ちを伝えてみたらどうでしょう」

と口にしていた。

その場にいた人たちも、

それぞれ親や子との話を始め、

私はただ、聞いていた。

家に帰ってから、ふと思った。

人には勧めておいて、

自分は何もしていない。

それなら、

私も母に手紙を書いてみようか。

ずっと星を読み続けながら、

書けるようになる時を

待っていたのかもしれない。

春休みの頃、

その気持ちが、ようやく追いついた。

実家に行く息子に、

手紙を託した。

母がどう感じたのかは、わからない。

ただ、関係は少し変わった。

少なくとも、

「絶交状態」ではなくなった。

長い間、距離を取り、

学びや言葉に向き合ってきたけれど、

現実が動くときは、

誰かが実際にそこに立つこともある。

そんなことを、

あとから思い出す出来事だった