今の私には具体的に目的地を設定するよりも。

「どんな感覚を味わいたいか」を設定するほうがいいと気づいた。


理由を求める私の自我。

私の体は実働部隊でありセンサーでもある。

だけど、現実は私が動かないと何も始まらない。


「ハイ、どうぞ」と自動的に目の前に差し出されることはあまりない。

仮に目の前に差し出されても、私が受け取らなかったらずっとそのまま。


動くための理由がほしい。


分離のない世界がどんな感じか体感できるようになった、今。

なにを動機に動けばいいか、わからなくなってる。


なにをやりたい?

どうなりたい?

なにがほしい?


それらの問いから始まる答えは、頭で考えた答えにしか見えない。


「AになりたいからBをする」

「AじゃないからBがほしい。そのためにCをやろう」


前はそれで動けたけど。

今は不足(そうなってない)を理由に動くってのはしっくりこない。


じゃあどうしたらいいんだろって思ったとき。


何を味わいたい?

どんな感覚がいい?


それなら答えられるし、しっくりくるって思った。


時間軸が関係してなくて今すぐできること。

それでいて、目的地にもなりうるもの。


感覚がゴールだと認めたくなかった頃。

少し前まで私は感覚がゴールだってことに納得がいってなかった。


「感覚なんていますぐ味わえるんだから、なにもやることないじゃん!」って考えてたから。


今、幸せな感覚になれた😌

ハイ、終了!


そしたら私が存在してる意味ってなんなの?って思ったし、

こんなのがゴールなわけない!ってめっちゃ怒ってた。


違う、そうじゃない。

肉体があってはじめて味わえるものがここ(地球)にはたくさんある。

脳内だけで味わうのと、体で味わうのとでは質が違う。


その体を使って体験するために肉体はあるんだよ。


そう言われてやっと気づいた。

私(自我)の仕事はこの体を動かすこと、感覚を機能させることだって。


じゃあ、何を体感したい?

体を持ってる理由は理解できた。

そしたら、どんな感覚を味わうために私は体を動かせばいいんだ?


何を味わいたい?

どんな感覚がいい? 


そのときパッと思いついたのは「楽しい」だった。


自分の興味関心(楽しい)に従って動く。


それだけでいいんだって理解した。


自分の興味関心(楽しい)に従って動いていれば、知らない間に夢や理想は実現する。


それが今の私のやり方であり、見てる世界であり、意図してる設定。


それでいこう。

根本の部分が白紙だったから、自分でもふらつきを感じていたけど。

これでちゃんと向かいたいところに向かえるはず。


私の中でポイントになりそうなこととして。


目の前にやってくるものをいかに面白がれるか。


ってのはありそう。


どんな設定・世界観もウェルカムだけど。

「それいい!😆」って思えるものでいっぱいにしたい。


というわけで、今日も興味関心に従ってすごします😄