自分の中に答えはあると強く信じているからこそ。

「絶対にあるはずだ!」と考えて執拗に自分の内に潜ってしまう私。


「悩んでるときの視点で考えても答えは出ない」ってのもわかる。

それは私もたくさん経験してきてる。


それでもやりたがるのはなんでだろう、と考えたとき。

ふと、いいたとえを思いついた。


私がやってるのは「謎解きゲーム」だ。

謎解きゲームをやってるのと同じ感覚を味わってるからかもしれない。

ノーヒントでクリアしたときの達成感が好きなのかも。


解けそうで解けない問題とかだと余計に自力でクリアしたくなるやつ。

私という名の「謎」に時間制限なんてないから、いくらでも挑戦可能だし。


答えだってひとつじゃない。

あのときは「A」と回答したけど、今は「B」だとかもよくある。


あきらめないのは解けるようにできてると知ってるから。


そんなのやってどうすんの?

遠回りしてる。ムダなことやってる。

もうやめたほうがいい。

考えても仕方ない。


よく言われる。


でも、私は私という存在が面白いからやってる。


もうしょうがない。


わかりそうでわからないところが自分の中に大量にある。

自分の知らない自分がたくさんいる。


なにより「私」は常に変化しているから。

「謎」は無限に湧いてくるという仕様。


それを面白いと思っちゃってるんだから。


謎解きの楽しみ方を完全に知らなかった時代。

太陽期の終盤頃までは、かなり病んでたと思う。


どれだけ「私という謎」に八つ当たりしたかわからない。



少し前に気づいたように。

私はクリアするまでの過程をまったく楽しめてなかったんだよね。


早くヒントくれよ!

クリアさせてくれよ!


謎を解いてその場所から「いかに早く出るか」しか頭になかった。

セルフタイムアタックしてた。


そのときに私が恐れてたのは、謎が解けないまま同じ場所にいること。


ほとんどの人は謎があってもスルーして前に進んでいるのに。


私だけどんどん取り残されていくような感覚があって。

それがなによりも恐ろしかった。


このまま窓もないような小さい部屋に閉じ込められたまま。

出られないままだったらどうしよう……。


時間制限なしの謎に挑んでいるからこその恐怖。


いつ終わるのかわからないから私は怖かった。


まだ楽しみ方をわかってないとき。

今は火星域に入ってちょっとしか経ってないけど。


謎解きも数をこなすとメタ推理できる(パターンで解ける)のと一緒で。

気づけば自分の謎にメタ推理を適用できるようになった。


これはあれだ……あの時の考え方を使えばすぐ解けるぞ!


早ければ数時間、どんなに遅くても1週間ぐらいで解ける謎が増えてくると。

また新しい問題が発生。


今度は短時間で解けるようになったせいで、退屈になってきた。


あー、はいはい。そのパターンね。


好きでやってるはずなのに、作業みたい。


それで油断してると、いきなり解き明かしがいのある謎が現れて。


急にそんなの来るなよ! って逆ギレ。


太陽期の「病み」と今の「慣れ」が混ざり合ってカオスな感じ。


そして、今。

やっとこさ謎解き中に起こるすべての過程を味わい、楽しむところに来れた。


悩んでる、怒ってる、立ち止まってる。

どの時間もどの行為も。


試行錯誤してる時間にこそ「人」は出るし、それこそが一番の醍醐味なんだと気付いた。

(たとえば「名探偵津田」。あれが面白いのは一連の過程にこそあると思う)


「いかに早く謎を解くか」を目的にしてるせいで、私は忘れてしまってた。


すべてOKになった。

他人なんか気にせずに謎を好きなだけ解いていい。

考え続けていい。

思考のログを好きなだけ残していい。


そう決めた瞬間、子供のように楽しめるようになった。


もう「謎を解くこと」は目的じゃない。


謎解きのすべてが純粋に楽しくてやってる。

それだけになった。

それでいいと思えるようになった。


私はこれからも新しい謎を自分で見つけては解いていくことでしょう。