自分の存在が「無」に感じるほど落ち込んで嘆いたおかげで、その裏にある「祝福」が見えてきた。
本来の感覚につながりたいだけ。
NVCの文脈だと、あらゆる行動の裏に人類共通の普遍的なニーズは存在してる。
すべてが無意味に感じられるぐらい、絶望を味わったんだとしたら。
「究極の光」というか。
圧倒的な希望とか、安心とか。
本来、誰もが持ってる大切な感覚を「思い出したいよー!! 」って叫んでただけなのかもしれない。
「考える」は伏線。
なんというか、「自分という名の謎解き」のプロセスをもうちょっと丁寧に味わえるようになった感じ。
あーでもない、こーでもないと考えてる時間は全部、伏線。
裏にある「祝福」を取りに行くまでの演出装置でしかない。
演出装置が複雑で難解で壮大であればあるほど。
祝福にたどり着いたときのカタルシスも強いわけで。
祝福がある前提で悩めばいい。
悩んでる時間を楽しめないのは祝福が待ってることを忘れてるから。
謎は解けるから謎なのに。
こんなの解けるわけない!
祝福なんてないんだ!
そう思った瞬間に迷宮入り。
いや、この先で 「祝福」が待ってるんだ。
ふと、思った。
自分のニーズが満たされるなら、人って相手が人間でもAIでも細かいこと気にしなさそう……。
悩むまでもなかった。
自分で好きなの選べばいいじゃんって話だ。
なんで◯◯しないの?
◯◯してください!
◯◯がいいです!
そういう風に誰かに言われた、言われたように感じたなら。
そこで誰かの意見を採用して自分を折る必要なんてなくて。
もっと突き進んで、突き抜けてしまえばいいんだな。
……あれ?
身もフタもないオチになってきた。
私の信じてるものが揺さぶられたように感じて。
でも、視点を引き上げたらどうでもよくなって。
なにも関係ないのがわかってきて。
一体、なんだったんだ!?
急に気が抜けた感覚。
……まぁ、いいか。