数日前から「あと1ヶ月で人生が終わってしまう」という「設定」を大真面目に生きてます。

なぜか定期的に「死」と直面させられる私。

今回は「自分が死ぬ瞬間」をリアルに想像したら、新しい世界が開けてきました。


意外な発見。

ある人が「一旦、自分の人生を終わらせてみたらいいよ」と言っていて。

素直に聞いたことをやってみることにしたのがはじまり。


命が尽きる直前であるとか、お葬式の場面とか……。

私がどんなことを想像したのかは、私が文章にしようとすると生々しくなりすぎるので割愛。


ちゃんと想像してみると、自分の願いと思いが出てきて。

申し訳ないけど自分の親族のことは全然、出てこなかった。


それよりも「私が作り上げた場に集まってきた人たち」のことが頭に浮かんだ。

その人たちのために何ができるか、何を残せるのかってことばっかり。


いま書いてる文章もすべて終わったあとで、誰かが読むのかもしれないと考えると。

伝えたいことは山ほどありそうなものなのに、意外と出てこない。


限られた時間の中で何をやるのか、毎日考えさせられてます。


アウルブックでは書きづらい。

やってることがやってることだし。

センシティブすぎる気がしてアウルブックでの投稿を避けてました。


私にとって自分にいちばんしっくり来る形で「死」に関する表現をしようと思うと。

ちょっとアウルブックのガイドライン(規約)的にアウトな気がして😂


どのような死に様を思い描いたか? は書けなさそうだけど。

「こんなことやってます」って話ならできると思ったので投稿してみました。


あと1か月だとしたらと考えると、どんな文章(発信)を残したいのか。

そんなことも真剣に考えていて。



自分の死を想像した直後だからなのか。

すごく重く考えてしまってるのは自分でもわかる。


今この瞬間も命を削りながら書いていると思ったら、どんな些細なことも自然と大切にしたくなってて。


死を想像した直後の心境として、さまざまなことを「惜しい」と感じてる。


1ヶ月と決めたからこそ。

やることの取捨選択がとにかく早い。

それでいて「時間がない」を理由にやる前から見切りをつけがち。


やる前に諦めてると気づいてからは「1ヶ月」という締切は頭に入れつつも。

「できるかぎりやってみる」の精神で動くことにした。


一つも逃したくない。

すべてを味わいきりたい。


そう思っているのに、ギュッと握りしめる感じではない、さわやかな執着。


ほしいけどほしがりすぎない、みたいな?

妙な感覚のせいで、かえって毎日が充実してる。


なんでもないことにいちいち感動するし、喜びも嬉しさも倍増してるような……。


死を意識したワークと出会ったこと自体もそうだけれども。

外からやってくる「ギフト」もすごくて。

精神的にも物質的にもスゴイのが来てるなと感じる。


個人的には上り調子。

なぜか、いままでになく充実しちゃってるような……。


いままでの時間の使い方がどれだけずさんだったのかを思い知らされてる。

1ヶ月の締切ができただけでこんなに変わるのかってぐらい。


さっきも書いたように。

1秒たりとも無駄にしたくないという気持ちがありながら、まったく焦ってなくて。

なんだか不思議な感覚のままに、私はいまも生きてます。