アウルブック、1周年ですか。

お祝いムード(?)の流れがあるのに、「死」をテーマに生きてる私は完全に逆行してるなと思いつつ。


1か月の期限(※1)を思えば、まわりを気にしてる場合でもなく……。

マイペースにいきます。


※1 現在、ワーク実践中。詳細は 「余命1ヶ月だったら何をする?」を参照。


ゆうやさんのライブを振り返って。

「 The Source 〜源に還る日〜 ver.2.0 」のアンケート期限が今日(6/10)いっぱいまで。

昨日、時間を作って配信のアーカイブを見て、アンケートの回答まで終わらせました。


「ピカソの自画像」のとき、いつものように「お絵かきタイム」が用意されてて。

5分ぐらいで描いたにしては、ずいぶんと覚悟が決まってる絵だと思った。


タイトルは「繰り返し 繰り返し」

手元にあるニーズリストから「真価の承認」を選んだ。


絵を描いてみてと言われたとき、パッと頭に思い浮かんだのがモダンな和柄。


最近の浴衣にありそうな柄のイメージ。

「矢絣」と「麻の葉」の模様に、牡丹の花。

布地は白と黒。


「繰り返すパターン」としての模様。


この絵だけは何度見ても惹きつけられる。

それだけ自分の「源」に近い部分を表現できたってことなのかもしれない。


かなり昔のCM。

ACのやつで、1人だけ黒い紙を量産しまくる男の子のCMを思い出した。

(AC 公共広告機構「IMAGINATION/WHALE」「黒い絵」だそうです 

それに近いものを感じてる。


他の人のようにキラキラしてないし、明るくもない。

ほんわかする要素はひとつもない。

怖いと思う人もいるだろうし、びっくりする人もいるはず。

なんなら「大丈夫?」って心配されてもおかしくない。

でも、絵から感じる、伝わってくる雰囲気こそが「私」なのでは?

実は隠してる、抑え込んでるものがあるんじゃないの?


見ないふりをしてた部分にスポットライトが当たった。


自分の「影」にOKを出す。

どれだけ繰り返してきただろう。

なにかあるたびに、どうして人と違うのかを考えてきたけど。


1か月しかない(※ワーク実践中のため)って考えたら、人との違いを気にしてる場合じゃなくなった。


「死」をどう取り扱ったらいいのか。

「死」という現象に振り回されてるところがあったけども。


死を遠ざけるんじゃなくて。

すぐそばに「死」を置いて生きればいいんだ、と。

自分から「死」さえも抱え込んで一緒に生きていこう。

そういう境地に至りました。


自分にまとわりつく「黒い影」のような、なんとも言えない気配をできるだけなくさなくてはいけないとか。

明るい人間であるように見せないと……とか。


自分の「味」を消すような思考は終わり。


「死」でも「闇」でも「影」でも、なんでもいいけど。

人間が「ネガティブだ」「見たくない」とジャッジしたくなる要素もまるっと含めて、私として生きてやろう。

そんな気概が生まれた。


暗い、怖い、近寄りがたい。

どれも全部、褒め言葉ってことにしようじゃないか。

ちゃんと「裏」も含めて「表に出てる」って証拠なんだから。


「この私」で生きていく。

ウソをついてもしょうがない。

隠したところできっと、バレバレ。


私が好きになる2次元のキャラもだいたい独特な雰囲気を持ってる。

でも、「その雰囲気がいいんだよ! 」という人はたくさんいるわけで。


同じ理屈で「私がそうであったとしても、もういいんじゃないの? 」と。

(だからといって、自分勝手に振る舞うとか、わがままになるってのは違うから。

そこは気をつけたいところだけども)


こんな私に残せることはなんだろうなぁ……と、今も考えてる。


一般的な情報はAIが好きなだけ生成してくれる世の中になってしまったし。

私は自分の体験や思い(生きた人間だから出力できること)を表現していこうってことだけは決めてます。