夏至以降、とにかく『太陽』というキーワードが日常でも出てきてアウルブックでもこの『太陽』について書く事を後押しされている気がします。(これは太陽星座そのものを指してはいません)

 さっき『魂には目がない』というお題が降ってきたんですが、このまま書くと、いわゆる好きすぎる『お菓子には目がない』みたいな勘違いが起きるなぁっと思ったんです。

 だけど、ちょっとまてまてと…その表現ってズバリそのものじゃないのか?って思いました。

 日本語って凄いなあと時々感心するのですが、まさにそのままなんだと思います。

どういう事かと言うと、魂の道、魂を生きるとは

目がない、つまりは

 『魂で起きた反応で動いてみる、見える世界での判断を一旦置いてみて』という趣旨ではないかと思います。(魂で動く=うまく行くではない事もあります。とにかく私達はうまく行かせたがります)

 短い表現なら

 見える基準から感じる基準とでも言いましょうか。

 2年前にずっと行きたかった長野にあるとある場所。ここは宇宙のエネルギーの交差してる場所なんですが(有名な峠ではございません)、ここで一泊した時に、朝目覚める前に『考えるから感じる』という言葉がはっきりと残っていました。

 こちらは敷地にストーンサークルが2つもあります。その経緯もHPに記載がありますし、検索すればすぐに出てくるはずです。

 気になった方是非訪れてみてください。お宿では講座なども開催していますし、オーナーの方や働いてる方々とても素敵で、魂の純度が高いとはこう言うことかと肌で感じました。

 ちょうど水星で書きたいなあという繋がりでせっかくなのでヘリオセントリックホロスコープで今見ました。

 自分が言葉として表現したいと思っていた事や閃きを思い切って出す時かもしれません。ただ、これは結果としては周囲が受け入れ難いという結果を招くかも知れないですが、どこに目的があるんでしょうか?周囲に認められる事ですか?表現をする事で何かを掴む事が出来るかは自分次第ですね。

 水星のアスペクトがやはり目立ちました。アスペクトとサビアンからのインスピレーションで書いています。人によっては突破的な発言が思わぬ火種になってしまうかもしれませんが、それはそこを出す事によって気づきとして必要だったかもしれないですね。