こちらの記事は、自分のホロスコープを実感と共に掘り下げていく記事です。
占星術でこんなふうに学んだけど、実際のところはどうなの?
みたいな、疑問の参考にしてらえると嬉しい。そんな思いで書いています。
月から始まって、太陽、水星、金星と自分のホロスコープ上を旅してきました。
獅子座の月は、子どもっぽいが楽しむことが上手。山羊座の太陽は、同じく山羊座の水星と金星を引き連れて、「日常で役に立てることを楽しむ自分」を目標に、日々邁進している。
と、ここまできて、私にはどうしても気になる惑星がいる。
土星だ。
山羊座の支配性は土星。サターンと呼ばれ、時間と農耕を司るといわれる。
サターンと聞くと「悪魔」を連想するが、サターンはクロノスの英語名で「悪魔」を意味するものではない。しかし、徹底的に頂点を目指す孤高の山羊座は、少々とっつきにくい性質も持つ星座。その星座の支配星というだけでも、なにやら手ごわそうな雰囲気のある惑星だ。
そして、山羊はキリスト教では悪魔の象徴。山羊座と対応するタロットカードも「悪魔」のカード。手ごわさ倍増な感覚があるが、それもそのはず、土星はその人の乗り越えるべき「課題と試練」を示す惑星だと、占星術では考えられているのだ。
課題と試練。嬉しくない響きの言葉だ。
しかし、嬉しくなくても掘り下げてみるのが、この記事の趣旨。ひとまず、私の土星を掘り下げてみようと思う。
私の土星は蟹座に位置し、12ハウスに入っている。
蟹座は家族思いで共感上手な優しい星座。そこに試練の土星がいる。つまり、私は蟹座的な感覚感性の使い方に苦手意識を持っていると読める。
また、その場所が12ハウスとなると、目に見えないものに対しても苦手意識があるとも読める。
土星が位置するサインは、子どもの頃から苦手な事柄であることが多く、出来れば、思い出したくない記憶になっていることもあるらしい。また、強いコンプレックスにもなっていて、大人になってからも、そのことについて避ける傾向にあるようだ。
確かに、大いに実感がある。
私は人との距離の取り方が苦手で、初対面で友達になるなんて、絶対にできない。それは身近な関係にもおよび、武家でもないのに、親には敬語を使う子ども時代だった。敬語を使っていることすら無意識で、高校時代に友達に指摘されて、初めて気がついたほどだ。
家族ですら、距離の取り方に戸惑う。それは今でも続いていて、実家に電話一本かけるのですら、私には決死の覚悟がいる。
また、私は目に見えないものよりも、現実に目が向きがちだ。なぜなら、目に見えないものは、仮にそこにあったとしても、あると証明できないからだ。
目に見えないものも、確かにあるとは思っている。けれど、不確かなものに思いをはせても、腹の足しにはならない。そう思ってしまう私もいる。
私の課題と試練は、身近な人たちとの関係性や共感能力。また、五感を使う日常以外の場所にある物、目に見えない何かに対して、もっと意識を向ける事だと思う。
なるほど。
どちらも、これまでの人生での躓きポイントではある。課題が分かったのなら、それに取り組めばいいのだが、取り組むと何が起こるのかも、気になるところだ。
土星が位置する場所は、課題と試練を示すだけではなく、本来の素質がある場所だともいわれる。
占星術や四柱推命に代表される命術は、その人の素質を知り、どのように生きるのが最適なのかを知る手掛かりとなるもの。
ということは、土星のある場所に向き合うことで、本来の自分らしい生き方に近づけるとも考えられそうだ。
実際、占いやスピリチュアルに懐疑的な私が、占いをしていること自体、土星に向き合あっている状態だと思うし、対人関係においては、とりあえずは投げ出さずにいようという覚悟は決めている。
土星の発達年齢域は、人生の終わり頃にあたる。しかし、そこにある課題は、子どものころから突き付けられる。一生をかけて向き合うからこそ磨かれる素質。それがつまり、「本質」というものなかもしれない。
あなたの土星は、どこにあるだろう?
辛い記憶と向き合うには、時間が必要。もしも、向き合えると思う時が来たら、探ってみると思わぬ宝物を発見するかもしれない。
自分の中に埋もれている、本物の自分。
一筋縄ではいかないが、土星は、それを自分に教えてくれるような気がする。
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最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
心から、感謝です。
また、遊びに来てくれると、とても嬉しいです。