3日目のワークをやる前に考えた、あれこれ。
自然への干渉は人によって可能かも。
私の知人に一時的かつ局所的に天候を操作できる人がいるのを思い出した。
そう何度もやってるわけじゃないだろうけど、やれる人は実際にいるわけで。
できる・できないの差は何か。
たぶん、「安全ロック」があるか・ないか。
最初はだれでもロックがかかっていて、必要な人は手順を踏んでロックを解除すれば操作可能になる。
「必要な人」ってのがカギで。
どういう人にそういった権限が与えられるのか、そこはちょっと気になるけど。
「魂の設定」とかで片付いてしまいそうな気もする。
……まぁ、どれもこれも私の想像でしかないけど。
安全装置としての「制限」。
たとえば引き寄せなら。
いっぺんに全部かなったら大変だから時間は存在してるんだよ。
と言われることもあるし。
この場合、時間は人間を守るために存在してるってことになる。
仮に嫌いな人がいたとして、いなくなってほしいと思った瞬間、消えてしまうんだとしたら。
「考えたことが即、実現する世界」ってことだから。
そんなの今の人間にはとても耐えられないと思う。
そう考えると「時間」の存在にありがたさすら感じる。
簡単に実現しないからいいんだと思える。
利己的な力の使用について。
「使命を思い出すワーク1.5&2日目」で書いたことの補足。
私は自分の利益だけを考えて何かを操作するってことに拒否感がある。
自分さえよければ他はどうでもいいっていう考えは好きじゃない。
現象A→現象Bの間でなにかを操作するとしても、それは利益を前提としたものじゃない。
記事では「ホテルの予約」を例に出したけど。
あれは部屋のグレードアップ目的でやることじゃないんだよね。
「確実に予約したのに部屋が確保できてない」のは、どこかで流れがおかしくなってる証拠。
だから、元の自然な状態(部屋は確保されてる)に戻すことだけをやればよくて。
元の状態に戻したときに「部屋のグレードアップ」が生じるのはオマケ・棚ぼた的なもの。
もらえたならありがたく受け取っておけばいいんだけど、それを目的にするのは違う。
地球ってすごい。
私がすごいなと思うのは、人間が利己的に動いたところでそれすらも「自然の流れの一部」として扱われるし。
誰かが不利益を被ったとしても「必要なことしか起きてない」とされるところ。
なにをやってもやらなくても常に調和は取れてるってのがすごすぎる。
いまのままでも完成してると思うからこそ、そのままにできるものはそのままにしておきたいと私は思ってしまう。
必要最小限の干渉で済ませたい。
私のところに降りてきてる情報は、そんな私の気持ちをくみ取ってくれてる気がする。
私のためにカスタムしてくれてると思う。
人と理(ことわり)の共存。
自分の傷や痛みから逃れたい一心で理を変えたいと願っていた私が、今ではその理を肯定してるなんて……。
蟲師が「人と蟲の共存」をテーマにしてるなら、私の場合は「人と理の共存」がテーマなのかも。
原理・原則が制限(または安全ロック)として機能してる世界で、いかに流れにそって生きるか。
決められた仕組みがある中で、どう心地よく調和して生きるか。
流れを調整し調和に導く技術が「情報空間の書き換え」という技。
で、私はその技をすでに使って地球の理と共存して生きてると。
他の方法……たとえばスターシードとかの設定で生きることも「地球の理」と共存するためのライフハックに見えてくる。
いい悪い、正しい間違ってるの話ではなく。
単純にそのやり方が自分に合ってるかどうかで判断して、自由に取り込んだらいいんだろうな。
以上、使命を思い出すワーク3日目に入る前の「思考整理」でした。