未来の心配(記事が公開されたあとのこと)を気にしすぎて、今を大事にできてないと気づいた。


人にわかるように、伝わるようにしなきゃ……

こんなのじゃダメだ……


そういう声が自分の中から聞えてきて。


そのときその瞬間の情熱を逃しまくってる感じ。


ここ最近、感情・感覚優位になってきて。


「ぱっと思いつく」が増えてるのに。


そのひらめきを元に記事を書こうとしたときに、「やっぱ、やーめた」になるのが続いてて。



大事なものがどんどん手のひらからこぼれ落ちてるような感覚になったから。


どんなに短い文章でも「外に出す」ことを意識してみることにした。



タロットを学び始めた頃を思い出す。

急に過去に学んだことを振り返りたくなって、過去のノートを見返すとかしてたら。


何もわからない状態で学び始めたころよりも。

目見えない領域の話も抽象的な話も、具体的な話として聞けてる私がいた。



「世界の仕組み」で思うこと。

エイブラハムの教えを学んだことがきっかけで、「現実は自分の思考が作り出している」ってのは体感してきたわけだけど。


どうも、それだけじゃないってことがわかってきた。


生命の木で言うと。

ケテルから流れてくる第一動因(神とか宇宙、原点らしきもの)由来の力と、自分の意志とが混ざり合って現実(10番のマルクト)はできている気がする。


マルクトから発するものと、ケテル(より上から)発するもの。

相互に影響を与え合ってできてるっていう感じ。


「マルクトとケテルはつながってる説」もあるそうだけど。

なんだかそんな感じ。



世界は「自分だけ」で創ってるわけじゃない。

自分の意志で変えられないものがある時点で、「自分の思考だけがすべて」っていう前提は崩れてる。


自分の「世界への見方」を変えて、いままでと違う反応を周囲から引き出すことは可能だろうけど。


重力や時間といった、この世界で標準装備になってる物理法則そのものを捻じ曲げるだけの力はないわけで。


「自分の思考を変えれば、なんでも思い通りになるんだ!」ってのはあまりにも飛躍しすぎてる。


だけど、過去の私はそう考えてるフシがあった。


「思考(ホド)を変え、感情(ネツァク)をできるだけ良きものに調整し、自分の当たり前(イェソド)を変更すれば、現実(マルクト)は何もかもよいものに変わるんだ! 」みたいな感じ。


個人の意識レベルの現実創造って意味では間違ってないんだけど。


生命の木を見ればわかるように。

世界は7~10だけではできてない。


1~6(目に見えない自分以外の影響)をも含んだ状態で世界を見てはじめて、世界と調和した状態になれるんだと改めて思った。



未来は決まってるのか決まってないのか。

ケテルからの流れを考えると(第一動因からナゾのパワーが流れてきてるとするなら)未来は流動的で変化のあるものだと私は思う。

ナゾのパワーが源泉なんだから、自分の予想をはるかに超える可能性が含まれてないとおかしい。


だけど、789の状態によっては「自分で」未来を確定させてしまってる場合がある。


どれだけ1~6を通って流れてくるもの(アイデア、ひらめき、その他の方法など)があったとしても。


「私はこれじゃないと絶対にダメです」と決め込んでると受け取れない。


だから、同じ現実が続く。


789のどこかを1ミリでも変えるのは10(現実)の変化に直結するから。

関係はあるし、意味もあるんだけど……。


もっと別な可能性を受け取りたいと考えたとき。

自分の意識だけを変えて受け取ろうとするのは限界があると感じた。


可能性恐怖症。

宇宙でも魂でもなんでもいいけど。

目に見えない上からの流れも許容する余裕が必要と思う。


そして、上からくるものってヤツは私の経験だと自分の予想を超えたものが多い。


タロットを学びなおして気づいたのは、私は上からやってくる「予想外の可能性」を拒否してるってことだった。


※これは別途、「嘆き」としてNVC的アプローチもしてみる予定。


私の場合、上からの流れをホド(思考)ではじき返してると思う。


順番的にホドよりネツァク(感情や感覚)が先で純度も高いはず。

だから、最近は思考よりも感情・感覚を優先にしてて。


そうすることでイェソドの「当たり前」もちょっとずつ変えていってる。


そのほうが6より上からの流れも受け取りやすい気がするから。



私の生き方、軸の話。

頭と心の一致を心がけて、予想外の可能性を受け取る余裕を持ちつつ、自分を含めた世界全体を見る目線を持って生きる。


っていうのが私の生き方かなぁと思ったりした。


感情・感覚レベルの目的地を設定しておいて。

あとは思いついたことをやっていく。


そうすることで予想外の可能性を受け取る余白を作る。


これまで全体意識を持ちたくても持てないなぁって気持ちが強かったけど。

(自分が世界の一部だと思えない。自分だけが取り残されてる感じがする。存在する意味がないように思ってた)


蟲師のおかげで「世界全体から見てどうなのか? って考える感覚ってそういう感じなのかも! 」と思えたし。


生きてる以上は私もこの世界の一部なんだなぁと感じたし。


人間で地球を生きてる状態こそが「今の」私のあるべき姿だし。


「そこに居ていいんだよ」と、静かな肯定ができた。


理屈抜きで「そうだなぁ……」と、じわじわ感じるタイプの肯定。


特に蟲師9巻の「草の茵(くさのしとね)」とか、蟲師10巻の「鈴の雫(すずのしずく)」を読んでそう思った。


自分と世界のすり合わせが必要。

何事もバランスが大事で。


自分のことだけ(7~10だけ)見ててもよくないし。

全体(1~6の目に見えない何か)からの流れに任せるだけなのもよくない。


そうなったときに「自分の意識と世界の意識(?)とのすり合わせ」をやったほうがいいなと思った。


ありがたいことにタロットというツールは、見えない領域を視覚化・言語化するのに役立ってくれるから。


あとはNVCと併用することで、うまく全体と調和した状態が作れるのでは?とか考えた。



今の私は可能性恐怖症で。


今の世界(魂でも宇宙でもいい)は始めたがってる。


私たち(私を含む世界)は感情感覚レベルでどんな世界を創っていきたいのか?

を考えたとき。


私が選んだタロットは「太陽」で、陽だまりのイメージがあった。

ギラギラと輝く太陽じゃなくて、木々や花々にほんわりと陽の光が当たる感じ。


この記事に設定してるアイキャッチ画像みたいなイメージだった。


画像を見たときに感じるものが私たちの目的地。


目的地を感じながら、あとは目の前のことをやっていくだけ。