世の中では、コンピューターといいロボットといい、AIなるものもタケナワですが
占いも、ネットでお手軽♪お手持ちの端末でチョチョイのチョイ!という時代です。
それなのに、カードや呪具でアナログに占いを興じること・真剣に助言を求めることも、人間は忘れません。
なぜなんでしょう?
わざわざ道具を使うこと・出会いした人やカードを介しての心の動きや知的なやり取り、また雰囲気というものは、占いなら、こうでなくっちゃな!っていう、人間らしい感情や感性・想いや本能に応えてくれるから…なのかも知れません。
(人間には占いに限らず、いずれどうしても必要な、そういう他者とのやり取りというものが、あるんだと思います。)
もう何年前になるのかわかりませんが、タロットをいじっていたら、奇妙な発見をしました。
すでに世の中では、ハイテクなロボットが次々と開発されていく時代ですが
私は、まるで木札をパタパタ繰り出してコミュニケーションを図ろうとする、木製のからくり人形とでも向かい合っているようなレトロな気分で、今も奇妙な発見と向かい合っています。
困ったことに、この事がどうしても頭にあって…コレを、どう他者が理解可能なものにすることができるのか?ということを(なんの必要性があってかもわからないまま)考えてしまっているせいか
世にある様々な興味深い本を読むことや学びのある動画を閲覧すること、物事への取り組みが、どういうわけか疎かになったりしています。
(そのクセ、何故か消費行動的な割合は、増してきているようです。)
コレには、すごく困っています…
気がつくと、脳内とか心の容量や、行動のタスクが削られている?圧迫されている・奪われたりしている…みたいな感じで居ます。
説明したい、伝えたい…というアウトプットを持て余し、うやむやにしたり抑え続けているために、必要なことや、何かを新たに学ぶということが、なんだか困難になってしまっている、というような感覚です。
生活面の質(QOLって言うんでしたっけ?)の低下や、家族・知人といった他者とのコミュニケーションにも、かなり支障が出ているんだと思います。
それでとうとう、この奇妙な発想と考え事をまとめて、いずれは本にしたいなと思うようになりました。
でも、まずはどこに考えたことを書き留めていったらよいのか?が、わかりませんでした。
タロットを扱っての考察なので、占いに関心を寄せる皆さんの場で読んでもらうのがよいのだろうな、と考えていました。
そこで学びが止まったままでいる星読み講座の事務局にメールで相談をしました。
そうして、アウルブックという場所があることを教えてもらいました。
以前、そのアウルブックというものの存在を知ったことはありましたが、すっかり忘れていましたので…
教えて頂いたことを心からありがたく思い、新たな気持ちで、考えたことを綴っていこうと思います。
私は、タロットから見つけたものを、ひとまず“貘(ばく)”と呼ぶことにしました。
道具ではあるものの心を通わせて接した人の、何かお悩みのある人たちの悪夢を食べてくれる…という願いを込めています。
また、本当に犬や猫などの生き物みたいなものだったとしたら…友達や家族のように親しまれたり愛されてほしいとも願うからです。
さて、タロットは寓意画が集まってできています。
寓意を動かすためには…ある程度その絵の物語を知っていると、各々のカードの意味や並びの示す意味は、スムーズに読み取れるようになります。
寓意に込められた物語…その意味や意図が読み手の心に無ければ、タロットカードは、ただの絵の描かれた札です。
(タロット発祥の時代のように、カードゲームとして遊びにも興じる道具にもなるのでしょう。でも今の時代に、特に日本ではそれをしないのは、占いを介し、心を通わせる道具として実際の社会では認知や交流がそれなりにあるからなのだと考えます。)
どんな物であれ道具とは、人の心を介して意味や機能を持ち、人の心や物事を動かす触媒や具体的なモノとして機能しているようです。
ですので“貘”も、その寓意を動かすためには、ある程度の豆知識というか、物語的なイメージ?が必要なのではないだろうか…と思いましたので
“貘”を紹介するまでには、いくつか前説をしておいたほうがよいのかな、と考えています。
ところで、ちょっと懸念することなのですが
“貘”というからには、悪夢を食べてくれる存在をイメージしていますが…時には夢なら何でも食べてしまう恐れもあるのではないか?とも、考え至ります。
寓意は、話を喰ってしまう側面があります。
スタンスに用いた場合、ともすれば別の話ものべつまくなし取り込んで、自分のものにしてしまう…という傾向もあります。
事実を取り込んで、その真心と熱量・人の情などを歪めてしまうことや奪ってしまうことも、ありはしないか?
おそらく、依存させることにもなる要素という点で、占いをするとき・寓意を用いて話をするときには、誰しも気を付けたいところなんだと思います。
寓意は、パペットに似ています。
私が、寓意の集まりであるタロットを用いて“貘”と呼ぶものも、話が大きくなったり小さくなったりすると思いますが…それはパペットが演じられるテーマの柔軟性によるものだからだと考えます。
0、1、2、3…という数字だけでは無味乾燥なように、寓意を与えられて…人形として姿を与えられて後に操り手がいなければ、人の心を満たすもの(心とか感情、想いなど)を汲み取り、また汲み分ける器としては、まだ空っぽなんだと思います。
その人形らしい名前や立ち居振る舞いや言葉があって、物語を演じて、はじめて人の心に届いたり受け入れられたりするのだと思います。
タロットは、多くの人々の心を映すことができる・無尽蔵に物語を表現できるツールなので、本当にポテンシャルは高そうです。
私が見つけた“貘”が、どうか人を世を本当の意味で幸せにするものとなりますように…と、心から願っています。