そもそも占いって、どうしてできるんでしょうね。

タロットをこう、チャッチャッチャッと切って1枚引くだけでも占えます。

丁寧にシャッフルして目的にかなうスプレッドで展開すれば、本格的に占えます。

…で、どうして

それで誰でも占えちゃうのでしょうね。


考えたこと、あります?(汗)


そこらのカードゲーム用トランプでも、タロットの小アルカナとして占いに興じることはできます。

賭博用・すごろく用を問わず、サイコロの出目でも占えるようですし

…そういうことを考えると、神秘云々の本質は人間側にあるのだと思います。

もとい神秘をテーマとした関心事に知的な営みを醸すのは人間であるといいますか

そこらにあるもの・なんでもないものからも、存在や行いや物事または現象に神秘があることを見出すのは、人の業(わざ)…ということで。


神前・仏前で、手を合わせて祈りを捧げたり

修験修行された方々によって、加持祈祷して神仏による浄化やご加護を頂いたり

神前にて、お祓いで心身と諸々の物事や場を清めたり、神札や御守り・おさがりなど授与品をお分かち頂いたり、おみくじを神様からのささやかな啓示とするのは

意識するしないにかかわらず、神秘に関するごく一般的な営みです。


また、何らかの物体…たとえば水晶片などに浄化の働きがあること・運気の向上があることなどを見出しては有効に活用しようとするのは、人間らしい営み…人間ならではなんだなと思います。

う〜ん、たとえば

ある人が愛犬のためにと、加護や幸運を願って、その寝床に水晶片を置いてやったり、首輪に御守りを着けてやったりするとします。でもワンちゃんがそれらを見つけても、ご主人の匂いがするかどうか(それで気に入ってくれる…かも知れない?)ということくらいしか、関心が無いかもしれません。

ご主人と同じ関心を共有できる賢いワンちゃんなら話は別ですが…たぶん神秘にまつわる関心の本質は、やはり人間側にあるように思います。

ワンちゃんが、御守りの意味を判っていた…それはご主人の想いや愛情であると理解したら、賢いなって思いますよね?

だから、神秘を知覚して、扱ったり与えたり求めたりする人間の営みそのものは、人間のいかなるか情や賢さの表れなのかも知れません。


神秘に対する認識の仕方・関心の持ち方がどのようなものなのか?で、人は人の情や賢さを、人間の性質を測る…という関心の持ち方も、あるやもしれません。

(だから、神秘にまつわる話題については、どんな下着を着ているのか話せるかどうかレベルだったりする?かもしれません…でも、そんなような話題は何であれ、その人やその場にいる人々のコミュ力次第かもしれませんが)

その神秘は、神秘に対する関心の持ち様は、何に基づくものなのか?(…ぶっちゃけ愛情なのか善意なのか我儘なのか悪意によるのか?どんな必要性や生き方に基づくのか?)というところに意識を向けることもある…というのは、いかにも人間のその人らしさ・知性の表れかも知れません。

(日頃は、ほとんど意識もしないんですけれども…考察なので、なにか必要かもしれないと思って掘り下げています。)


聖具も呪具も、付与する活動を介して人間がそのように作ったとか、物品の経緯や歴史などから、そのようなもの(神秘や呪詛の類のもの)として、人間が見出し見なすものではなかったかなと。

人間あっての聖具呪具…人間以外には、まぁあまり意識はされていないものだったろうかな、と。

思えば人間は、人間以外の様々な生物にも物質にも神秘を見つけたり見出したりする知性を持っていて…それに対して畏怖や敬愛を払う営みも、様々あります。

(あくまでも直感ですが、あまりこの辺のことを具体的にすると、いわゆる同担拒否(?)的な感覚を覚えてしまう人もあるかもしれませんから、この辺にしておきますが。)


なので、個人であれ集団であれ社会であれ…そこに神秘は無いものと感覚したり認識すれば、その人また人々にとって神秘は無くなります。

それでも、個人であれ、会社や学校・地域社会であれ、あんまり変なことがある・よくないことが続いたりすると、「お祓い案件」などと称して真摯に神社や仏閣でのお祓いを受けに行くことも、よくあります。

(こういう場合のお祓いって、人事尽くして天命を待つ場合の、最後の人事みたいに思います。ん?いや…人事の尽くしようのない状況が発生している?からこそ、人知人事の範疇や領域の外かなと気がついた時点で、すぐにも執り行うことですかね)


話を戻しましょう。(汗)

世には占い道具がたくさんありますが、人はどうして、それらで何をか占うことができるのでしょう?


じゃあ、それなら道具ではなく自然界の事象現象からも占う系には、どういうものがあるのか?

自然界そのものに畏れを感じてきた人間が神秘を見出し、敬愛や畏怖を覚えるという有り様が、そもそも原点だったのではなかったのかな?と。

(占いの吉凶は、人の見出した要素や種類を取り揃えて託宣を求める行為ですが…予測の難しい偶然性の部分・時には新しい発見や展開がある部分に、自然の介在する驚きや面白さがあるかもしれません。)


完全に自然界から何をか占う…もとい読み取るものには、天気がありますね。これは予測ですから、科学的関心に基づくでしょうか。

朝霧は晴れると知られているので、蜘蛛の巣に朝露がついていたら、その日は晴れる兆しであるとか

「夕焼けに鎌を砥げ」というのは、経験則として夕焼けなら明日の天気が晴れることを見通して農具の支度をする事から、何事であれ先を見通せる兆しがあったら準備を怠るな…と諭すことわざとして有名です。

自然界をくまなく観測するかのような現代の天気予報ですが、今現在の俯瞰しすぎた仕組みで予測するものよりも、現地で直接、空の雲行きを見て湿度の兆しを見つけて風向きを読むなどした昔の人のやり方や知識・経験値によるもののほうが…その場所の天気だけを求める人々にとっては、よく当たっているようです。

もっとも、現代人はその日だけでの移動時間や距離が長く遠くなっていますから…地域密着型の情報より、各地を俯瞰した天気予報の方が、立ち回る上で仕度の参考になります。

今後の時代ネットやAIも発達していくと、天気予報は(観測場所や方法も増えて、現在地と移動先など、求める場所に応じて)もっとピンポイント化していくのかな?と思ったりします。

気象現象から天気を予測するのは神秘よりも科学の範疇ですが、天気予報お構いなしに先々の天気を正確に予測できる人があるならば、その人は神秘的ですらあります。

自然界の動向を科学的に分析して正確に的確に天気を予報するには、まだまだこの時代のやり方でも大雑把というか捉えきれていない要素がまだまだあるというかザルな部分が多い気がしています。

観察力の鋭さであるとか観察する要素の多さには、まだ練度のある人間自身の方が、現代のシステムより高度なところがあるかも知れません。


自然現象と言えるのかは謎ですが、魚などの動物に占わせる…動物に札や数を選ばせて、人間が啓示を読むといった占いも、世の中あるかもしれません。

コレについては昔の水族館?縁日?での、魚の算数できるかなパフォーマンスでは、正解の答えの方にエサで引き寄せていたとかなんとかあった気がします。自然界のものとは違い、飼われた動物を扱う占いの場合は、訓練や刷り込みなどでのイカサマの可能性もあるかも…ということを考えたりします。


たとえば公園の池で、珍しい・縁起のよい鳥や動物が来ているのを見つけたり、たとえば庭先に、縁起のよい植物が思いがけず咲いていたりすれば、吉兆を感じて喜ぶのも人の情です。

自然界にみとめる様々な興味深い出来事や神秘的な有り様は、人間の心に「詩情」を与えたのかもしれません。

この詩情とは、人間の知性に気付きの作用を鍛えて言語化を進めてきたのかもしれません。科学の素養や、何らかの事実や思いの、他者との共有化…交情を発達させていったのかもしれません。

人気の占い師さんは、持ち合わせるアイテムや占術具に特化して理解や詩情が深いので、雰囲気も手伝って、より物事や自分というものの理解の扉を開いてくれる存在なんだなと思います。

占う側ばかりではなく、占われる側にも、人間として持ち合わせる神秘を担いながら紡ぎながら、託宣や気付きはあるんだと思います。


もともと占いは、自然界の事象現象から啓示を得ていたスタイルが先だったんじゃないかな、と

自然界の神秘的な姿や有り様に心を打たれながら、畏怖を覚える気象事象に心底おののきながら、予兆を感じ、その後に起きたことを古代の人々は受け止め続けてきたし、翻弄されたりもした。として

やがて知恵を磨いて知識を継承し、予兆を察知して被害を食い止めたり未然に回避したりする事も、できていった…のかなと。

科学的な捉え方と神秘的な捉え方の根源は、実は同じようなところ?なのだとしたら…理解や分析ができる・共通した傾向から対処方法を見出す姿勢を科学が担い、科学的な捉え方では担いきれないところからが、神秘介在の余地なのかな?と。

ということは、科学と神秘の境界線は、どうしても個人差や集団と環境の差、地域差・民族的差異が出てきてしまうものなのかも知れません。

言語化しない内に、そうした違いが本能や無意識のレベルで、ご当地文化などとして認められていたり楽しまれていたりするものかもしれません。


そういえば自然現象で、個人的に今でも不思議に思っている事があるのですが

もう十何年も前になるのかな…空に、変な雲が昇り立つのを、よく見ました。

なんというか…ニョロニョロした、とぐろを巻いたヘビを縦に伸ばしたみたいな形でした。

他の雲との対比というか、脈絡を感じない存在感があって、変な雲だなぁと思っていました。

単独で見かけたり、空に何本も昇っているものも見かけたことがあります。

今現在は、なんだったんだろう?というくらいに、全く見かけません。

それがなんだったのか、あまり結びつけては考えたくはないですが

当時の社会は全体的にうわっついていて、いよいよ政局が乱れたり、地震が起きたりしていた…かな、と振り返ります。

コミケ雲って有名ですが(唐突)

アレみたいなものでも人々は地上で醸していたのかな?と…(暴論)

科学的には、どんな事があって、あんな形の雲ができたのか?雲について無知な私には、さっぱりわかりませんし…そうすると目撃した偶然性から神秘にまつわる発想をしやすくなりますが、あの雲については、どうしても警告的なものとして思い返すので、もう見ないくらいがよいタイプの気象現象だったように考え置いています。

単なる珍しい気象現象であって関係ないとは思い置きつつも…また見ることがあれば、つい地上での人間の営みはどんな傾向にあるのか、なんてことに関心を持つのかも知れません。


与太話はこの辺にしまして。


えぇ、長くってスミマセン(汗)


やがて人為に対する応答としての自然現象で占うこと…古代の卜占(ぼくせん)・亀甲占いは、亀の甲や甲骨などに焼け火箸などを押し付けて出来たヒビ割れの形を見て占ったそうですが

ヒビ割れ自体は人為に応じて出てきた自然現象による所から、甲羅や骨に何が出るのかと、祀る神様にお伺いを立てる形式なのかなと。

おみくじも、何が出るかな?という点では亀甲占いと形式は変わらない気がします。

…などと思索しているところで、ちゃんと「卜占」を調べたら、GoogleAIで概要が出てきました。

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卜占(ぼくせん)とは、偶然に起きた現象や、特定の道具(亀の甲羅、獣骨、タロットカード、筮竹など)の出方から意味を読み解き、神の意志や物事の吉凶・未来を判断する占術です。主に「今、この瞬間の答え」や「刻々と変化する状況」(人の気持ち、直近の行動の吉凶など)を占うのに適しており、易やタロット、おみくじなどが代表的です。

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そもそも「卜占」の括りには、タロットも含まれるみたいですね。

ちなみに、Geminiに「占いの種類について」と聞いてみたら、主に3つに分類されると解説してくれました。

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​🔮 占いの3大分類

  1. 命占(めいせん) 🎂 生年月日や出生時間、出生地など、**「変えられない宿命」**をもとに占う方法です。
    • 特徴: 性格、才能、一生の運気の流れ、相性などを長いスパンで見るのに適しています。
    • 代表例: 西洋占星術 ♈、四柱推命 🪵、数秘術 🔢 など。

  2. 卜占(ぼくせん) 🃏 偶然現れた象徴(カードやダイスなど)から、**「変化する現状」**を読み解く方法です。
    • 特徴: 数ヶ月以内の近未来や、相手の今の気持ち、具体的な二者択一の判断などを占うのに適しています。
    • 代表例: タロット 🃏、易(えき) ☯️、ルーン占い 🪨 など。

  3. 相占(そうせん) 🖐️ ものの形や配置など、**「目に見える姿」**から運勢や影響を判断する方法です。
    • 特徴: 現在の状態や、環境を変えることで開運するアドバイスを得るのに適しています。
    • 代表例: 手相 ✋、人相 👤、風水 🏠、姓名判断 ✍️ など。

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この前提が無かったから、話が野放図に広がりすぎていました…(なんかスミマセン…)


気を取り直しまして


タロットといい人々からはよく当たるとされる卜占には、なんとなく共通点があるかもしれません。

石やカードなど占い道具の啓示することは、とにもかくにも神秘的ではありますが

客観的になると、これが当たるとされる理由なのではないか?と思うことがあります。


それは出目の内容が、人間に関する事象や全体像についてを網羅しているから、なんだと思います。


…あんだって?(爆)


別の言葉で言い直してみると(汗)

占い道具は様々ありますが、寓意やなぞらえとして、おおよその人間の有り様や営みについてが、人間にまつわる全体像が、たくさん集められた内容で編纂されているから…なのではないでしょうか。


…怒っちゃ、やーぁよっ!(爆)


何言ってるか、やっぱりわからないですよね。(自己ツッコミも、志村けんのネタだとワカラナイ人には厳しいように…)


概念って、わかりやすく説明するのは難しいものの代表だと思います。(だから大学も始めは概論だらけなのかも…)


話を進めちゃいますけれど

タロットはタロットで、易経は易経で、四柱推命は四柱推命で、占星術は占星術で、ルーンはルーンで、その他の占いもまた…ともかく様々ある人間像を、人間の背景を、くまなく星々や卦や寓意などとして象徴化しているから、なのではないかなと。

それについて、思い返すことがありまして

自分が他人にタロット占いをした経験があるのは主に十代後半の頃で

子供や若者らしく、まだ自覚が無いことを指摘されて「当たっているかも」となるパターンが多かったように振り返るので

先に人間像を網羅しているモノに触れて、自分の可能性について思いいたすことを「言い当てられた」と錯覚していた部分も、多々あるのではないのかな?と。

つまり「当たっている」というのは

言われて初めて可能性に思いいたした驚きとか新鮮さに、あてがう言葉が見つからないから、誰しもがそういう言葉で表現しているだけ…なんじゃないだろうか?と。

つまり「当たっている」のではなくて「気がついてなかった」「意識したことなかった」なのではなかったかなと。(ことさら十代など若い内は。)

これとは別の理由で卜占が当たるのならば、いよいよやっと人が人となりに持ち合わせ場と醸しあう、神秘の領域になるのかな…と。


二十代になった頃、部活の合宿の宿泊施設で居合わせた人たちに、トランプで占いをしたら思いがけず盛り上がったのですが

うろ覚えの小アルカナの知識で、分からなかったらソレはソレで読まなくても構わないところなんだと割り切って占いましたが

なんというか、占いを受けていた人たちは、だいたい誰でも、いくつか提示した要素で気になる部分に、自分から食いつくというか吸い付いてくれている感じでした。

ケルト十字しかできないので、ソレでやっていたのですが…そうすると提示される要素の種類も増えますから、その人にピンとくるものが、いくつか出やすいのかもなと。

占いを受けていた人たちは、友達とワチャワチャしながら、アナタこういうところがあーだよね?そ~だよね?えっ?オマエそんなふうに考えてたの?マジで?!…なんて、おおむね楽しんでもらえていたので、よかったなと思います。

テーマとして浮上した関心事には、同席している友達たちがワチャついた勢いで話を拾ってくれていたので、雰囲気よく終えられていました。

お悩みや浮上した関心事が、合宿という開放的な場で、彼ら自身の自然な人付き合いに活性化され消化されていくという幸せを醸すのも、人の人らしい神秘だったかもしれません。(いいこと言った風。)


どうして誰でも占いができるのか?という事を考察してみたのですが

主に、卜占(ぼくせん)系の場合は、占術具自体に、人間の生き方や有り様、出来事や背景について、たくさんのパターンが、寓意やなぞらえとして集めてあるからなのではないかな?と考えました。

啓示として妥当に感じられるものがより多いと思えるほど、占者の神秘性が高く感じられてくるかもしれません。

そもそもセッションの際の時の運とか、人間らしい交情や出来事を捉える機微にこそ、神秘の本質があるのかな…と考えたりします。


占いも、出目に対する当たりハズレを意識すると賭け事と変わらない気がします。結果が出るまではワカラナイ。

賽は投げられた。なんて格言もあるくらいのサイコロでも占われる。

元はゲームの手札だったタロットは占いに使われるようになったのなら…トレーディングカードでも札の内容次第で占い道具として扱うことは成立するのかも知れません。それがタロットなど既存の卜占の形式を踏襲するものなのか、オリジナルのスプレッド方法なのかは占者次第。(…私には出来ません(汗)よほどトレカに愛のある人とか理解のある人でないと、カードの意味を卦として読み取れないと思います。)(そもそも占ってる暇があるなら新しいデッキを揃えてバトルする方が早いって考え方のほうがトレカ社会かもしれません。)


学びや気付きを通じて人となりの観察力と判断力を養い、人や物事や存在への適切な愛情や誠意があれば…占いに限らず、万事人間の交情や営みには神秘や奇跡は宿りやすいのかな、と思います。(はい。いいこと言った風です。)


そんでもって、タロットに見つけたという「貘(ばく)」は、いつ出てくるのでしょうか(汗)

まぁちょっと、どう伝えたらよいのかという考えも、まだまとまっていませんし…どなたでも、その心に掴まえられるようにするには?という。

漫画の力でも借りられたら、まだ早いのかな…自分にはできないなソレ(汗)


あくまでもイメージですが…なんというか「貘」が、のびのびと出て来やすいよう(笑)このアウルブックの片隅に、前説という箱庭を展開していこうと思います。