息を吐くことすら窮屈な
厳しすぎるルール
何を話すのも怖くて
心臓はいつも早鐘をうっていた
どうしてわたしはわたしなの?
思うように動かない身体と心を
いつだって責めていた
でもこの鎖は
わたしがわたしに課したもの
誰も強制していない
なんて滑稽なひとりマリオネット
いいんだよ断ち切って
これは命綱なんかじゃない
わたしはもう
ひとりで立てる
理性であやつらなくたって大丈夫
わたしじゃないものにならなくても
ここにちゃんと存在していられる
***
2026年2月2日は獅子座で迎える満月。
表現したい想いはすでに満ちているから、表現の場を見つけにいこう
星読みテラスさんからはこんなメッセージが寄せられていて、うるっときてしまいました。なにせここ1週間のわたしは、「表現したい、わたしは表現のために生まれてきたんだ!」という思いが全開なのです。
でも、「表現したい」モードをまだうまく発揮できていないのも事実。
朝からお昼間にかけてのわたしは、「きちんとタスクをこなさなければ。そこに全力を注がなければ」と考えながらも、隙があればそこまで興味があるわけでもないSNSや動画を延々と見てしまいがち。
色とりどりの情報や、やるべきことをやっていない自己嫌悪で頭をいっぱいにして、それ以外の感覚を遮断している感じ。わたしが詩を書く理由に挙げた「身体からわきあがる声なき声」なんて、全く聞こえてきません。
夕方になるころ、やっと「身体からわきあがる声」の感覚を少し思い出して泣きそうになります。このままじゃなんにも形にできない、という焦りが斜陽に照らされます。
わたしの中で、「表現したい想い」は満ちているのかもしれません。
でも、それに気づくのは、さんざんその想いを無視し続けて心身のバランスが崩れ、「いい加減にしてよ!」って身体が叫ぶとき。
自己表現だけをして、生きていけるわけではありません。
この世界で生活していくために、仕事や家事のタスクをこなすことだって大切。
それらへの取り組み方すべてを、見直すときが来ているのだと感じます。
わたしが「きちんとタスクをこなさなければ。そこに全力を注がなければ」と考える理由は、一言で言えば不安だからです。関わっている誰かに「この場所にいてもいいよ」と束の間の承認をもらいたくて、いつだって必死でした。
だけど、最近気づいたのです。
わたしが心から安心を感じるのは、自分の感情や感覚を、自分でちゃんと感じきることができたとき。どんな感情や考えを持っても大丈夫だと、体感覚レベルで受け入れることができたとき、なのだと。
わたしは感情や感覚を理性でフタしたり、逃げたりするのが長年の習慣になっています。SNSや動画の刺激をたくさん求めるのは、タスクを抱えている状態による緊張感や不安を感じないようにする無意識の行動。
でも、これをつづけているかぎり、本当に安心できる日はこないでしょう。ほしいものとそれを実現するための行動がかみ合っていないからです。
表現したい想いが満ちる、獅子座満月。
それを活かすにはまず、自分の感情や感覚を感じる習慣を育むこと。
それも日常のタスクが盛りだくさんで、言葉にするほどでもない小さな不快感がつのる月曜日の朝から。
生活を回していく時間にも感覚を閉じないことが当たり前になったなら、「表現したい」モードに封をすることなく、1日を過ごせるようになるのかもしれません。