最近改めて

私のやりたい占いにとって

「当てる」ことは重要じゃない

と思いました。

いや、誤解のないように言うと、

「現状や気持ちの整理・分析」

という意味では「当たる」と思います。

クライアントさんと一緒になって

真剣に、じっくり見て感じて

あれだけ考えて考えて

もしそれで、

ひとつもかすりもしないとか

なんにも出てこないとか

そんなことは、きっとまずありません。



ただ、「当てる」ことは

必ずしも必要じゃない。

クライアントさんに、

・何かしらの気づき

・心が軽くなった

・やるべきことが見えた

という体験を贈ることができればいい。

つまり何か役に立って、

その人の人生が少しでも良くなれば

それでいい。

と、思ったのです。

・・・ただ、

そんなことを言いながらも

「当てようとしている私」も居ます。

きっと私の中にもまだ、

「占いとは!ズバリ当てるものなのだぁ!」

(ズギャアアアアン!!)

という気持ちがあるのでしょう。

あるいは、

「すべてまるっとお見通しだぁ!」

と言ってみたいだけかもしれません。

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たぶん、私たちは

無意識のうちにたくさんのことを感じていて、

でもそれを普段は素通りしている。

忙しいから、

やらなきゃいけないことがあるから。

立ち止まろうとしても

毎日の色々が私たちを引っ張って

無意識のうちに感じたことを

じっくり見させてはくれません。

感じていたものは

言葉にならないまま、

無意識の湖の底に

沈んでいってしまう。

するともう、

どこに何があったかなんて

見えなくなってしまって

普通の方法ではなかなか

掬い出すことができない。

私にとって占いと言うのは

星の配置やカードを釣り針にして

湖の底に沈んでしまったものを

釣り上げることに似ている気がします。

答えは、どこか遠いところではなくて、

ちゃんとクライアントさんの中に

最初からあるんだと思うんですね。

ただ見えなくなってしまっているだけ。



あるいは、それがなんだったのか

わからなくなってしまっているだけ。

だから私はせっせと釣り上げて、

泥がついていたら綺麗にして

何かの原石だったら磨いてみて

「もしかしてこれじゃないですか?」

とお渡ししている。

それはこう、「当てる」というのとは

ちょっと違うような気がするんですよね。

当てているというより

ただ「じっくり見ている」というのが

近いように思います。

星やカードで色々視点を変えながら、

じっくり見る。

そうやってお渡ししたものが

何かの役に立ったら本当にうれしいですね。

それに「悩み」というのは

その人のすべてではないけれど

確かに人生の一部ではある。

だから占いを通して

「悩み」を共有してもらえるのは

それ自体、尊いこと、うれしいことだな、

とも感じます。