今回は私にとってチャレンジングな投稿です!理想論にならないよう着地させようと試みてますので、興味のある方はお付き合いくださると嬉しいです。
ずっと温めていた内容でしたが、月蝕の乙女座満月期間に「今書かなくちゃ!」と思いました!
海王星や土星が魚座に戻っていた頃からなんとなく書いてはいたけど、まとめられず下書きのまま放置してましたが💦このタイミングたと感じたのは、半年前の日蝕からの流れかもしれません~
魚座月間なこともあり乙女座ー魚座軸として、完璧主義♍️と自己犠牲♓️のトリセツについて考えていきます⭐️
《 聖典からひも解いてみる》
インドにはバガヴァット・ギーターという聖典があります。日本でもたくさんの方が翻訳されているので、読んだことがある人や名前は聞いたことあるという人も多いかもですね。
5000年も昔からインドに伝わるヒンドゥー教の聖典とされていますが、今も世界中で何億人もに読まれていて、信仰を問わず人気のある読み物です。
インド人が旅行に一冊だけ持っていくのならこの本(聖典)が選ばれるとも聞いたことがあます。
現代も生き方を学ぶための教科書としてインドでは広く読まれているようです。
ですが、内容が難解で、すぐに理解できる世界観でもありません。
私もヨガの学びの一環として初めて読んだのは20代の頃だったか。内容は好き!しかし分かるようで理解にまで落とし込むのが難しい😅
書いている言葉をそのまま鵜呑みに受け取って実践したらちょっと危ない面もあって、しっかり探求してその精神性を理解していくようなものだと感じています。(聖典というのは何でもそういうものだとは思いますが)
最近では好きな思想研究家さんがこの翻訳本を出されたので、それを読み進めていますが(まだ途中)、昔と比べて共感、納得できるようになっているなぁ~と感じたので、今の私なりの理解を言語化していこうと思います⭐️
アウルブックでも話題に(?)なっていましたが、自己の本質は肉体でも心でもなく魂であること。魂は死ぬことはなく普遍的なものであるという宗教観をベースとして、いくつかの主軸となる思想が展開されていますが、そのうちの一部分を切り取って見ていきます。
私がバガヴァット・ギーターのことを取り上げたいと思っていたのは、これを学ぶときいつも感じていた自己犠牲という発想がないこと。
「自己犠牲を止めよう〜」って日本ではよく聞く言葉です。占い界隈でも言われていますよね。自己犠牲を止めて自分らしく生きることをみんなが求めるような時代になっています。
けれどバガヴァット・ギーターでは『ただ行為しましょう』と逆の意味にもとれるようなことを言っている。昔の聖典だから考え方が古いというわけではなく、こっちのほうが核心的だと思えるけれど、自己犠牲はやめたほうがいいのも確か。
どっちも分かるから、さて、どう落とし込んでいけばいいのかとずっと自分の中のテーマとしてありますが、この聖典に沿って考えると、その人の考え方次第で無くなってしまう自己犠牲というのはたくさんあるなと思えるんです。実際に私にもそれをたくさん経験してきました。
《どうやって止めるのか?》
自己犠牲してる、完璧主義なのは分かっているし止めたい、けれど止められない。
分かってはいるけど出来ないんだよという人も多いと思います!
バガヴァット・ギーターでは行為の結果への執着を手放して『ただ行為せよ』と言っています。(これを実践することをカルマヨガと言います)
そう!手放すのは自己犠牲や完璧主義という性質ではなくて・・・結果へのこだわり!
そのためにすべきことが、自分に与えられている役目や仕事などを自分の役割だと受け入れて、その行為に意識を向けること。無心に淡々と行動することにだけ集中していくこと。
今を生きるということそのものですが、結果や見返りのために行動するのではなく、今の自分の役割を無私で行っていく、そんな生き方です。
自己犠牲も完璧主義も結果的にそうなってしまうもの。プロセス自体には犠牲も完璧もないですもんね?
そんな理想的に生きられたら困らないんだよ〜って話になりますが、これを日常で出来ることから出来る範囲で取り組んでいく。結果を求めたらいけないのではなく、結果はいったんおいておいて、自分の役割を果たすことだけに専念してみる⭐️
これが魂が成長するめの手段となっていきます。
目の前に山のような家事が溜まっているなら、家事を終えることに必死になるよりは、その家事1つ1つが今の自分の仕事だと無心で行っていく。
すべきこと、役割というのは仕事や家事、子育てや介護、地域活動、学生なら勉強することなど。
やりたいやりたくないに関わらず、今の自分の役割として引き受けます。「◯◯だから××すべき」「◯◯◯のためだから」っていうのは、実は結果を見てますよね?それを、結果ではなく、ただこういう役割だからそれをするという自覚のみで行動するわけです😘
試験勉強している人がいます。試験に合格するために勉強するので、もちろん合格という結果を求めていますが、今すべきことは合否にこだわることではなくて試験勉強を毎日淡々と行うことです。試験の結果は、自分の行為の結果として受けとります。合格したら嬉しいし不合格ならショックですが、浮かれすぎたり落ち込みすぎたりせず(←これが結果の手放し)、その結果からまた次にすべきことを淡々と行っていく。
結果がでたら、それを結果として受け止めて、そこからは次の行為へとつなげていきます。
このサイクルで生きると、自分を責めている暇もなく、結果にこだわりすぎず、そのときに出来ることをただ行動している状態になるので、自然と自己肯定感も高くなると思います。(実際にこの生き方をしている人がそう言っておられました)
決して合否にこだわらないというのではなく、合格するためにがんばるけれど、ベースは今すべきことを受け入れてあれこれ考えずに行動するということです♪
普段は役割じゃないことでも、状況によっては役割になります。
たとえばお皿洗いが大嫌いな人がいて普段は家族が皿洗い担当だけれど、今日は自分しか家にいない。キッチンのシンクには汚れた食器が山積みに・・・
この場合は皿洗いは自分の仕事になります。たとえそれが嫌いなことだとしても、それを自分の役割だと自覚する。仕方なしに嫌々すると自己犠牲だけれど、淡々とすればただの役割です~。
《役割も結果も宇宙からもたらされる》
自分が与えられている役割というのは、宇宙から与えられているものです。ということは、会社のためとか家族のためとかではなく、宇宙のためにその役割を果たすという視点で行えばいいわけです♪
行動の結果というのも宇宙からもたらされたもの。成功も失敗も宇宙によって与えられたもの、として受け入れます。努力が報われなくっても、それは努力が足りなかったからではなく、宇宙からもたらされた結果なだけです。
嫌いな仕事も嫌な結果も宇宙から与えられたと思えば、魂の成長のためとストレス少なめで行えるかもしれません(笑)
宇宙の中での自分の役割として引き受けることで、嫌々したり自分に言い聞かせたりして無理してするようなことがなくなります。(とはいえ嫌なものは嫌なので、淡々と行う修行をしているというスタンスですね~)
このように、役割も結果も宇宙からもたらされたととらえると、自己犠牲や完璧主義という傾向にはなりにくいように感じます。
とはいえ、役割と受け止めて行動するがゆえの自己犠牲はあります。仕事をたくさん引き受けてしまうとかね。
勘違いしてしまいやすいのが、与えられたもの、頼まれごとすべてを自分の役割として引き受けるというもの。
これはそういう教えではなく、断るところは断るということも大事です。ここがつまずきポイント!次回はそこをつっこんでいきます〜!!
《~べきも大切》
すべきことと言っても、趣味でしていることや何かを目指して行っているものも、その行為は自分の役割(義務)だととらえることもできます。病気になれば療養することもすべきことですよね。
今なにをすべきかをみていくことが大切です。
「~べき」より「~したい」のほうが大事でしょ?という声が聞こえてきそうですが、したいことをするためにも、何をすべきかって考えないとけないこともありますよね?
私たちが普段考える義務感ではなく、我慢や無理がない状態でのニュートラルで見た「〜何をすべきか」です。
自分の役割を果たすことにただ務めるというのは、地エレメントさんにとっては「そんなの当たり前じゃないですか?」ということかもしれません。
これに関しては出来ないけれど、こっちはやっているということだってあるはずです~!
そう、何も特別なことではないし、普通にやっている人はとても多くいるのですよね。
反面、行動や結果に意味を強く求めてしまう場合には、こういった教えが生きてくるのだと思います⭐️
※今回のポイント※
🌙あなたの役割・今すべきことを自覚して、その行為だけを丁寧に淡々と無心で行う🌙
結果は宇宙に委ね(成功しても宇宙の意志、失敗しても宇宙の意志)、宇宙から与えられたものと受け止める