こんにちはー
今回もニッチ記事を狙ってみましょう。
ニッチというか、あんまりこの2つを同時にやっている人いないかなあと思って、書いてみます。(やっぱニッチじゃん)
弓道の話
太陽射手座&射手座ステリウム生まれなので、「真の射手座」を目指して弓道をやっています。
こういう形から入るところとか、じゃあホントにやっちゃうかという軽い気持ちでホントにやっちゃう思考が射手座なわけです。
古武道に見える弓道ですが、意外にも新しいですよ。近代~現代弓道は、合戦の弓術とは違い、あやめる武器から”道”や”礼”として進化させているので。
仏教としての弓は「立禅」と言われるし、神道としては御神事の弓がまさにそう。あやめもしますが、大昔から神聖なものでもありますね。
なんだけど、古い言葉等は残っているので、そこは面白いですね。「手の内を見せない」とか「かけがえのない」という弓道語は、一般化した言葉です。生まれが弓道語って知らない人のほうが多いし。
んで、
何がモロかぶるかって、やっぱりあれです。
・当たる
・的中率
などでしょうか。
”当たる”にまつわる言葉は、的を射る競技だから言われるわけなんだけど、占いもどういうわけだか使いますよねえ。
(ちなみにわたくしの弓道における的中率は55%くらいです。低っ)
なので、普段占いも弓道も会話に出てくる私なので、
「ん?どっちの話?」
ってすごく聞かれるので、主語ないと案外似ているのかもしれません。
「その当たる話、どっちのこと?」って感じで。
で、もちろん「くじびき」も似ているので、当てものってやつは主語ないと分けわからなくなりますな。
まだ続くんだけど
この弓道の話なんだけどね、(まだ続く)
「弓を引く」と言うのです。
矢を「打つ」ではないのです。
そして、弓の真ん中に自分が入る、と表現するのです。
弦と弓ががあーーって広がって極まった時って、
円のようになるんですね。

はい、このような感じですね。
ちょうどいいフリー素材がなくて、自分の写真を出したのがハズイですが。
日本の弓は世界一大きい大弓なので、引いて弦を離すまでの極限になった状態は、自分自身が弓と弦の中に入るんですね。
これを「弓と一体になる」と言うんですね。
弓は宇宙であり、
弓を引くことは、壮大な宇宙と自分が一体となることである。
って、言うんですよ。
スケールでか過ぎるでしょ?
相手がいない、人とコンタクトしない武道は弓道くらいでしょう。
相手は人ではなく的ですからね。
なので、仏教的にも、内省や内観の武道という扱いなんですね。
心の乱れが射にあらわれる、と言われるわけです。
いかに壮大な弓の世界に没頭し、精神修行をしていくか、みたいな。
的に当てたいって気持ちは、実は邪道なんですね。当てる競技でもあるのに。
で、これって何かに似てるなあと思ったんですね。
タロットの話
ウェイト版タロット、21番の世界のカード、ご存知ですね。

このカードの草の輪っか、マンドルラが元になっている輪っかですね。
マンドルラは宗教画の人物の頭や全身像を囲む模様で、
神聖さをあらわすものでもあります。
アーモンド型のもので、定番ですね。見たことあるでしょ?

アーモンド形の明確なマンドルラになると、
神聖さをあらわしているものなのですが、
そもそもこの輪っかってのは、
この世界をあらわすものであり、
永遠をあらわすものであり、
途切れないことをあらわすものであり、
その形から女性器や魚をあらわすものでもありますが、
一体化をあらわすものでもあります。
一体化
神との同化、
天との一体化、
天と地の和合、
神と自分との融合、
などなど‥‥
宗教の世界において、神聖な存在との「一体化」や「同化」は、国や時代を超えて「人々が目指すもの」とされています。宇宙との一体化を魂の成長のゴールとした思想です。
分かりやすいのが、クリスチャンの下げる十字架のネックレスでしょうか。
「首からさげる」というおこないは一体化をあらわします。十字架が心臓に近い部分にあることもその一部ですね。
魂は成長の旅に出るという「一体化」と「繰り返し」の円環で生きる思想が、西洋における一体化を含んでの思想の一つですね。
21番「世界」では、輪の中に人物がいることで、この一枚でこの世のすべてを描きあらわしているのと同時に、世界と人物との融合、そして男女の融合をもあらわしています。
弓道の話から始まっているので、東洋の思想と西洋の思想の違いはあるものの、神や神聖な存在と人間、天や宇宙といった壮大なものとミクロな自分という存在との合一を目指すという思想は、人間の根底にある共通の思想で、我々が潜在的に目指したいことなのだなあと、感嘆しました。
人が神を求めるのって、本能なんだねきっと。
東西の違いはあるよ
東洋の融合と西洋の融合は違うのか?というと、やっぱり違うと思います。
東洋はまさに「融合」という感じ。
溶け合ってひとつになって、もう意識もしなくなって、自分がそれで、それが自分になって、一体化したことも忘れてしまうような、そんな「溶け合い」が東洋の融合や一体化、ということ。仏教はこれかなと思う。
弓道はこういう感じありますよ。
弓を引く時って、体はXのような感じで、大地に足を踏ん張って、胴を中心に対角線上に腕を配置し弓と弦を持っています。
弓と弦を作る円の中にある×、という感じ。
内観するので、的に当てたいという気持ちを手放し、忘れてしまうんです。
ゾーンに入るんですね。これが忘れるということ。
なんだけど、西洋は意外とそうでもないようです。
最後まで「自分」を残していて、自分と相手がひとつになる、という、意識がある感じ。境界線をけっこう残している感じがします。
それこそ、十字架と自分、という感じね。
タロットの融合は、まさに後者じゃないかなあと思います。
ちなみにこのカード、体モロ出しのものもありますよ。(準拠のオリジナルタロットってやつ)
そうなるともしかして、東洋的な完全融合なのかもしれませんね。
文化は違えどね
ということで、なかなかオチがつかなくなってきたんだけど、
東洋極まれりな弓道という道を極めていく中で、
意外にも西洋思想であるタロットと同じような状況となったり、
同じ感覚を感じたりして、
文化の違いという点は地表のごく薄い部分であって、人間の根源的な願いは地下深くつながった部分で同じようにあって、壮大で神聖な存在と私たちはいつも一体化・融合・合一化したいのだなあ。。。
なんて思ったのでした。