今のアンドユーさんは「セレニティグロース」がブームなのかな?
あのやさしい感覚を大勢の人が持ち、広めていったらどうなるか。
想像するだけでもほっこりする。
アンドユーさんが提唱する「あたたかい世界」を大切にしたいと思うかどうかは人それぞれだけど。
少なくとも私は大切にしたいと思える世界観でした。
「◯◯を読んでください」はさびしい。
「みらいテラス」だと、えつこ先生やしまゆかさんなどが、ジオ・ヘリオ・四柱推命をメインに解説してくれてる。
もし、ある日突然、
「この星のアスペクトは〇〇って本に書いてあるから、読んでください☺️」
「木星がしし座に入ったときの詳細は星読みテラスの〇〇に書いてあるので、読んでください😀」
本人の解説や経験則、体感などの話は特に語られないまま終了。
みたいなことをやり始めたら、「えっっ!?👀」ってなるはず。
なんで一番大事なところを省いちゃうんですか!? と。
「えつこ先生やしまゆかさんの解説が聞きたくて来たのに🥺」って、残念に思う人はたくさんいるだろうし。
もし、そんな放送をずっと続けてたとしたら。
「どうせ『◯◯読んで』で終わりなんでしょ? それしか聞けないならもういいわ」と、飽きられて。
あったはずの流れがなくなり、「セレニティグロース」的な世界観からも遠ざかってゆく……。
みたいなことになりかねない。
星読みは特に「先人」が多くいる分野だと個人的に思ってて。
アラン・レオ。リズ・グリーン。
ユングも入るのかな?
鏡リュウジさんや松村繁さん、伊泉龍一さん。
その道に詳しい人なんて探せばいくらでもいる。
だからといって、「私よりも先にその人たちが言ってるんで、私から伝えられることはありません」みたいに考えてしまうのって。
なんだかさびしい。
目の前の1人でいいんだよ。
何百、何千、何万という人に伝えよう!みたいにがんばらなくても。
目の前のたった1人伝われば、それで充分なんだよね。
世の中の大半のことは「過去に記されたなにか」で説明できるのかもしれないけど。
「聖書」読んでください。
「ダンマパダ」に書いてあります。
「論語」読めばわかりますよ。
それで終わるのってやっぱり、さびしい。
自分が知ってること、体験したことをどう伝えるか。
「どう伝えるか」の部分に「その人らしさ」は詰まってるはずで。
私は諦めたくないなと思ってしまう。
自分の心が世界をつくってる。
やさしい言葉が飛び交い、誰もが助け合う精神を持ってる。
喜びや幸せに包まれた人がたくさんいる。
そんな世界にいるのが当たり前になれば、自然と同じ行動を取りたくもなる。
やさしい世界をつくりたければ、自分にかける言葉をやさしくするところから。
私の体験としては、醜くて汚らわしい見たくない自分も含めて受け止めた先に「心からの優しさ」は発揮されるんじゃないかって考えてる。
義務感(やるべき)や使命感(やらなきゃ)でやるんじゃなくて。
ほんとに自然と心からそうしたいと思ったからやる、みたいな感じ。
目の前に大きな荷物をかかえたおばあさんがいて、荷物の上げ下げに苦労してるのを見て、自然と手伝ってあげたくなる感覚に近いかも。
そういう感じの、ふわっとしたやさしい雰囲気の「したい」の連続で、今の私は生きてる(生かされてる)。
この辺の言語化がふわっとしてるのは、体感し始めたばっかりだからってのもあるし。
伝え慣れてないせいもある。
それで伝えることをあきらめて、自分の感覚を他人の成果物の引用で済ませるとかしちゃったら。
自分の中に生じてる大切なものをなかったことにしてるみたいで……。
私にはできない。
とにかく、ふわっとした「したい」をベースに、私もできることをやっていくだけだなーって思ってます。