「過去の私がぶり返してる」シリーズ。

いわゆる「冷笑系」の人の発言が気になっていて。

大事になる前に心を見てみよう、という話です。


「冷笑系」とは。

私は昔から工作とか、ものづくりが好きで。

好きが高じてシステムエンジニアになったし。

会社の忘年会の出し物の都合で、武器の造形やったり、衣装を手作りしたり。

仕事とは関係ないところでも「つくる」をよくやってた。


そんな私が同じ技術者として尊敬する人の中に「植松努さん」がいる。

「TEDのスピーチ(思うは招く)」は有名なので、見たことある人もいると思う。


植松さんの動画では「どーせむり」「なにそれ自慢?」「意味なくね?」みたいな言葉が出てくるけど。



自分は動かず高みの見物をしたり、斜に構えてたり……。

そんな雰囲気のことを「冷笑系」と言うのかもしれないと、私は考えてる。


冷笑的な言葉を見聞きして、悲しい思いをしてた時期のことは、植松さんの動画を見て泣くことでほぼスッキリ。

残りは「本当は相手に言いたかったこと」をノートにぶつけて終了。


今度は視点を変えて、自分が言う側になってなかったかを探ってみた。


冷めてたときの私。

最初のきっかけは「親」。

私の記憶の中で思い当たった出来事をサラッと取り上げてみる。


なにかあって母が部屋中に響き渡る大声で怒鳴っているとき。

あー、またやってるよ……。早く終わんないかな😒

そんな風に思ってた。


「どうにかしなきゃ」みたいなのもなくなって、投げやりな状態。

もう、どうにでもなれって感じ。


母の振る舞いを見て「感情を出すのはよくない」と学習しただろうし。

自分の気持ちや感情を抑えるための手段として「冷笑」を装っていたのかもしれなくて。


冷笑的な行動によって「自分を守っていたのかもしれない」と気づいたとき。

行動の奥にある大切なものに触れた気がした。


禁止と許可。

「自分がやられて不愉快になった行動 = やったらダメなこと」

そんな風に考えちゃってるから、気になったり、許せなかったりしてる。


思うことも感じることも別に悪いわけじゃない。


というわけで。

まだまだ感情を抑えてるかもしれないなと思ったから。

ひとりのときはもっと素直に盛大に感情を出そうって決めたし。


冷笑系も同じ。

冷笑的なことが頭に浮かんだのなら、私が全力で受け止めようって決めた。


変わった世界。

不思議なもので。

思ってもいいし、感じてもいいぞー!ってすると、人がやってても気にならなくなるんだよね。


やる側に起きてることをちょっとでも知ってたら、やさしいまなざしを向けられるし。

シンプルに、その場で起きてる現象をまるで風景のように眺めていられる。


これからも続く。 

長年、自分の心と向き合ってきたおかげで、外側の現象に反応する機会はかなり減ってきてる。 

だけど、「もう、大丈夫だー!」って油断してると急に来るから。


もし、また反応を見つけたら、同じように心を見つめて。

思い込みに気づいたり、自分のためにどうするか考えていくんだと思う。 


どこかに残しておかないとすぐ忘れてしまうタチなので。

備忘録のかわりとして記事を投稿してます。 


今後もなにかあればシェアするのは変わらないと思うので、 よろしくお願いします!