やっと書けた。

「風の海 迷宮の岸」 「東の海神 西の滄海」 「風の万里 黎明の空(上下)」 の三本立て。

本を読んで感じたこと、考えたことを書いていきます。


風の海 迷宮の岸。

実は誰もが麒麟のように生きてるんじゃないかと思った。


麒麟が王を選ぶのと同じような感覚を誰もが持っていて。

それは正しい・間違ってるを超えた、抗いようのない感覚。


自分でどんなに拒否しても抵抗しても、逃げられず。

「そういうものなんだな」と降参して、受け入れるしかないものと。

誰になにを言われても承服しかねるもの。

両方を持ってる。


パッと思いついた例を出すと。


Cさん:Aがいいと思ってる。

Dさん:Bがいいと思ってる。


Cさん:Aが絶対に正しい。Bがいいと感じるのはおかしい、間違ってると主張。

(A以外のものを受け入れるつもりはない)


Dさん:Bがどんなによいものか、Bについて力説する。

(Bをわかってもらおうとする)


お互いにどっちも譲らないので、話は平行線のまま。

こういう感じの言い合いって、どこでもよくあるはず。


AやBを譲れないと思う気持ちは、なにをどう言われても自分の意思で変えられるものではなく。

実はお互いに「私はこれで生きていきます!」と、目に見えないところで決めているのかなと思った。


決めているからこそ譲れないし、譲れないものこそが「自分軸」の正体でもあって。


自分が何を決めているのか知るためには他者の存在が必要。

だから、「違い」はあってOK。


CさんとDさん、どちらの立場だったとしても、どっちが正しいと正義の主張をしあうのではなく。

「そんなにもA(B)がいいと思ってるんだね」と相手の思いを受け取ってあげればいいし。

自分の「A(B)がいい」と思う気持ちも大切にする。


それだけでよかったのかもしれないと、そんなことを考えた。


東の海神 ⻄の滄海。

十二国記を読んでていつも思うのは「天意ってなんだろう?」なんだよね。


ものすごく俯瞰した視点から世界を見れば。

すべてのことは完ぺきに完全に調和していて、起こるべくして起こっているだけなのかもしれない。

人間の視点で物事を見るから「良い・悪い」になるだけで。


十二国記だとなんとなく「現状や結果 = 天意」みたいなところがあるよなぁと思ってて。


「天」はなにもかも良い方向に向かうことだけを望んでるわけじゃなさそう。


王が失道すること、国が荒廃すること、民が苦しくなることさえも肯定している……。

その部分に私は何かを感じてる。


「天」はすべての行いを全肯定してくれるけど。

自分の志次第で、(人間の視点で見たときに)良いことも悪いことも増幅する恐ろしさ。


自分で気づいて改心するもよし、しないのもよし。

それぞれがどのように生きようとも、常にすべて完ぺきに完全に調和している。

なるようにしかならない。


おそらく、私たちが生きてる「現実」でも同じで。

ひとりひとりが「どんな世界を見たいのか、創りたいのか」にかかってるのかもしれない。

(この話は「風の万里」にも続く)


風の万里 黎明の空。

余裕がなくなると大きい視点で見ることもできなくなって。

自分のことしか考えられなくなりがち。


王や麒麟だけ(政治家だけ)が国のことを考えてればいいってもんではなく。

そこで生きてる大勢の人々の思いもあってはじめて「国」になる、みたいな。


心学の講座で逆三方良し(自分のやろうとしていることが世間にとってどうよいのか?から考える)の話を聞いたり。

自分の死をリアルに想像して以来、私の中にも「どんな世界になったらいいか」は、うっすら見えてて。

その流れの一部に「四書を読んで実践してみる」とかが含まれてる。


陽子の「初勅」を見て、はじめの一歩ってそういうのでいいんだよなと思えた。


鈴(すず)編。

梨耀(りよう)のやり方は厳しそうに見えるけど。

なにかに気づかせようとする意図は感じ取れた。


ただ、鈴には表向きの言動だけしか目に入ってなくて、裏にある梨耀の「思い」には目が向いてなかったんだと思う。


同じ言葉を喋っていても、言葉が通じるとは限らない

小野不由美 『風の万里 黎明の空(上)』,新潮社,2013年,P.155


今の梨耀の立場(なぜ翠微洞にいるのか)を考えてみても、この言葉は重く聞こえた。


私が好きなのは今の采(さい)王である、黄姑(こうこ)の言葉。

生きるということは、嬉しいこと半分、辛いこと半分のものなのですよ。
人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人の心のありようが幸せだからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが真に人を幸せにするのですよ、蓬莱(ほうらい)の子……

小野不由美 『風の万里 黎明の空(上)』,新潮社,2013年,P.163、P.164


私も幸せにしてくれる場所・環境が何処かにあると思って探し歩いてた時期があった。

そんなものはどこにも存在しなくて、自分次第。


船旅における清秀(せいしゅう)の正論パンチもなかなかに効く。

私も長いこと「私は被害者なの!こんなにも不幸なのよ!」ってやってた時期があるからわかる。


文句ばっかり言っててもなにも変わらない。

変わりたいなら自分が変わるしかない。


祥瓊(しょうけい)編。

こっちはこっちで楽俊(らくしゅん)の言葉が刺さるんだよなぁ。


なぜ、そんなにも贅沢な暮らしができていたのか。

そのあたりのことを考える機会が祥瓊にあったら、と思ってしまう。


でも、そうはならなかったところに、天の意思みたいなのを感じる。

平和に生きられてることのありがたさを改めて感じるストーリーだった。


三者三様の学びがあり、どれもこれも必要なことしか起きてなかったように思う。


長い時間をかけて、それぞれの国はどうなっていくんだろう。

あちこちの大変な状況は、よりよい世界に向かうための必要な「破壊」なのか。


今は「丕緒の鳥」を読んでる最中。

次の「図南の翼」も楽しみ。

ある程度、読み切ったらまた感想を書く予定です。