今までとは全然違うことを書いていってみようと思います。


今まで(特に①ではとてもつよく)

『自己犠牲なんてしてる場合じゃないんだよ…!』

ということを書かせて頂いてきましたが、


④では全く違う、

むしろアンチテーゼ的な視点から記事を書いていってみたいと思っています…。📝


引きつづき、

(ご興味ある方のみ、どうぞ無理なく… 🙇)

お付き合い頂けますと、幸いです…。


🌸✨✨


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『自己犠牲しないなんて、

本当に当時の自分に可能だったのだろうか…?』



おそらくわたしの自己犠牲のピークは

24才〜27才くらい…。


小さい時から気疲れを起こしやすい性格だったことは間違いがないですけれど、


それでも、なんとかそれなりにバランスは取れていて、

"爆発"することもなく、生きてこれたのです…。



それが非常に難しくなったのは、

(上に書いた年齢の頃に、)

姉がうつ病になり、離婚し、小さな子供を連れて、実家に帰ってきたから──。


どうするのが適切なのか自分でもわからず、


とりあえず自分の中で、


『もう少し良くなるまでは。

せめて彼女が薬を卒業、あるいは減らす、

そこまでいけるまでは──。』


そう静かに(自分一人の)ハラの中で決め、

しっかりサポートに入ることに決めたのを、自分でもよく覚えています…。



今から思うと、

これが私の『気を遣いすぎ』を超えた、本格的な『自己犠牲』の始まりだったのかもしれません。


姉は姉で(もちろん悪気なく)

病気の症状として、昼間でもたくさん眠っていたので、(そういえば当時姉は気の毒なくらい悪夢ばかり観ていた…。)


その間もちろん、幼児である子供は誰かが見ていなければなりません…。


持ち前の『気を遣いすぎる性格』に、

上の『静かな(個人的)決意』も相まって、


そうやって

姉と子供の徹底サポートに入っているうちに、


気がついたら私には、

5分ゆっくりと椅子に座ってコーヒーを飲むような時間…

そんなものすらなくなっていました。



『ちょっと無理してるな…。』

の、自覚はあった、気づいてた。


でも、

あくまで期間限定だから──。


姉がもう少し薬に頼らなくても良くなってきたら、

ナチュラルにフェードアウトしていこう、


そう、決めてました。🤲







以前①の記事に書いたように、


わたしが自分自身を


" 家族の便利になるように "

" 家族の下敷きみたいに使う"

(まぁ主に"姉の"ですが──。)


の、姿勢が、

いよいよ本格的に

板に付き過ぎたのかも、

しれません──。


現実は

(あくまで私の予想では、)

おそらく単純で純粋な鏡ですから、


現実は

そんな "わたしの姿勢"にぴったりの現実を、

さらにそこに

繰り出してきました…。



もう既にギリッギリだったのですが──、


姉が

さらなる+αの要求、


そのようなものを、


至極ふつうの顔をして、

(君がやってくれて当然でしょう◎といった雰囲気で、)

繰り出してきたのです…。

(結構な頼み事だった…。)




そこで何かがプッツリと切れました…。


以前書かせていただいた、

大爆発に、至ったのです…。



* * *




自己犠牲を超えてきた今だから──

今の地点だから──


そんなに自分1人で背負わなくても、

もう少し母や父も頼れたじゃん。


それがよく観えるのです。


座ってコーヒー飲む時間くらい、

絶対確保できたじゃん。


それもよく観えるのです。


誰も

そこまでしてくれ

そこまで全部1人で背負ってくれ

とは、

全然頼んできてなかったじゃん。


それも想い出せるのです。



もしくはそれらができなかったとしても、


自分だけは自分の気持ちを、

もっとよく見て、

ないことにせず──

(心の)通気性だけは、

パワフルに上げておくこともできたじゃん…。


…そう想うのです。🤲



でもこれらは、

『自己犠牲』を超えてきた今の視点だからよく観えることであって、


やはり当時の私には、

とても観えなかった方法だったのです──。







もう一回人生をやり直せるとしたら、
別の選択を、
きちんととれるだろうか…?


──正直とっても難しい、そう想います。



★ ただ、工夫だけはできる◎


⚪︎ もう少し全体(人)を頼れる。


⚪︎ ちょっと無理してでも、

迷惑かけてでも、

コーヒーくらい、

座ってゆっくり飲んだら良かったんだ…。



⚪︎ ストレスが溜まっていたら、

ちゃんと(自分だけは)認めてあげて、


充分に充分に、


『よくやってるね。

今ちょっと無理するしかないから、

がんばってんだよね──。


そんなスペシャルな私に、

たまにはハーゲンダッツでも買ってやろう…!!💚✨』


とかしてあげてても、

まじで良かった訳です……。🤲




(今過去に帰れたら、)

そのぐらいだったら、

調整できるかな……◎

って感じ…。






でも、やっぱり


『姉を支えよう。』


その大元の選択は、

もう一回人生をやり直せたとしても、

きっとまたもう一度そう決めてしまうだろう──。


そう想うのです。



だってやっぱそんなの、

『そう決めない』

方が、かなり難しいじゃ、ないっすか……。


🤲 🤲




ちなみに姉のことは、1ミリも恨んでいません。


だから①の記事を淡々と書けています。💠✨✨



わたしを粗末に扱ってくれる姉は、


おそらくまぎれもなく

" 私の心の純粋な反映 " として

ただただ創り出されたものだと

(少なくとも私は)信じているからです…。🤲


(詳しくは①の記事。📝)






大爆発を起こして豹変してしまった私に耐え抜いてくれて、ありがとう。


病気だけでも大変だったのに、

一番の味方であったはずのわたしが壊れて、一番の攻撃者になってしまって、本当にごめん……。


耐えて、生きててくれてて、ありがとう…。🙏✨


限界の中、壊れずにいてくれて、

ありがとう……。🙏✨✨




それしかないのです。


(……そしてそんな姉とは、

今は最高に仲良しでありますっ。 🙇💚✨)


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その後、

姉が他の人に(非常に避けることが難しいどうすることもできない)自己犠牲をしている姿を見かけたり、


両親が、

うっすら

ず〜〜〜〜っと、

私の為に自己犠牲してくれていたことに気付いたり……


様々な経緯があって、

最近、

想うことがあるのです。




その時は、本当にそう決めるしかなかった──
それ以外の選択肢なんて、ほぼほぼなかった── 。



自己犠牲には、

そういうものが、

かなり結構あるんじゃないか…、

と…。🤲



( ◆ 子育て・介護・病気が関わってくる人は、

もしかしたら特にそうなのかもしれません…。)





★ そして、

もう一つ。





誰かの自己犠牲の上で、
『生かされる時期がある──。』


ということです。





誰かか耐えてくれているから、


なんとかその上で、

  生きることをつないでゆける──。』


そういう時期です。





わたしにも、あります。


(…というか、

振り返るとそういう時期ばっかりじゃないか…!!( ; ; ))





で、
それでいい。



と、言ってやりたいのです。




自分にも。
人にも。




だって

そうじゃないと、

"死にそう" だったから──。


"生きることをつなぐこと"すら、困難だったから──。



* * *





だから、

『自己犠牲しても大丈夫。』

『自己犠牲させてしまっても、大丈夫。』


✨✨



むっちゃくちゃなことを言っているけれど、

これもまた、

私の本心です──。




でも、できたらしない方がいい──。

だから①の記事も、
本気で書いている…。🤲



これもまた本音です…。




🙇✨






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『自己犠牲』に、正解なんてない──。


それぞれの生活、バランスの中で、


自分なりの、

今の現状における最適解──◎


それを出してもらえたなら──、 ✨


そしてその為にこれらの記事が一ミリでも役に立ってくれれば──それが私にとっては、おそらく一番嬉しいことです…。 🙇🌿✨✨



長いのに読んでくださった方、

(いらっしゃいましたら、)

本当にありがとうございます。


🌸✨✨



coco