セレニティグロースのライブ配信(三部作のラスト→リンクはこちら)を見て感じ取ったものがあったので。

せっかくだから書き残しておこうかなと。


長めの前置き。

そんなに重たい話をするつもりはないけど。

「死」がテーマとしてあることだから、気になる人は読むのを避けてもらって。

(そろそろ、メルマガとかクローズドな場所で伝えることも検討中……)


たぶん、今後も講師陣の内側を掘るようなライブ配信が続くのかな?

興味のある人はセレニティグロースのメルマガに登録するといいかもです。

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「もう終わってもいい」という感覚。

母方が何代にも渡って続けてきた負の連鎖を私の代で克服できたんだから、もういいでしょ?

そんな風に考えてるところは今もある。

だけど、別にネガティブな感じではなくて。

道半ばなことはあるけど、終わるならいつ終わってくれてもいいぞっていう感じ。

「自分から死に立ち向かっていく」っていうニュアンスが近いかもしれない。

「来るなら来い」みたいな。


どこかの記事でも書いたように。

私は自分から積極的に死を迎え入れることでイキイキするタイプ。

「死」を意識するから「生」がハッキリすると思ってる。


「なぜ、生きてるのか?」への私なりの答え。

去年の12月だったかな?

蟲師を全巻読んで(特に「草の茵(しとね)」を読んで)、自分なりに答えを得たことがあって。


「生きてる=世界がここに居てもいいと言ってる(世界が私の存在を全肯定してる)」

それ以上でもそれ以下でもない。

それでいいじゃないか。


……っていう感覚なんだよね。


すでに亡くなった人たちについては「なんらかの理由でここではない場所に行く必要があったから、ここを離れた」みたいな解釈になるのかも。


子供が生まれることも死が訪れることも、どっちも不思議すぎるし。

考えれば考えるほど、「どこからが始まりで、どこまでが終わりなの?」みたいな話になってくるから。


わからなすぎて、私はさっき言ったような解釈で留めてる。


今も生きてる理由。

母方が受け継いできたもの、母との葛藤を乗り越えてもまだ私は健康に生きてる。

今も世界から存在を肯定されて、この肉体で生きてていいよと言われてる。


いますぐどこかに連れて行かれる(死を迎える)気配はなさそうだとなると。

この命にはまだやれること(やりたいこと?)があるらしい。


「なにかによって生かされている」

「やるべきことが終わるまで命は尽きないだろう」

という感覚は父親も持ってるみたいで。


命に対するこの感覚は父親譲りなんだなと思ったりもした。


いろいろあって、命の終わりについては世界の判断に委ねてる。


命の終わりを世界に委ねてるせいなのか、これからの世界のことが気になってて……。


私のこれから。

最近になってまた、ベーシックインカムやグレートリセットの話題が再燃しているように思う。

もし、本当にいろんな「当たり前」が崩れ去ったとして。

どれだけの人が希望を持って生きられるんだろう?と考えるようになってきた。


四書五経の勉強は相変わらず続けてるけど。

最近は近江商人の成り立ちや精神性について学ぶ機会があった。


不安定な時代を生き抜くための知恵として。

かつての日本人が持っていた精神性みたいなものは、知っておいてもいいんじゃないかって私は思う。


本当の意味で人間力が試される時代が来るような……。

自分の持ってる資質をどこまで引き出して生きられるのか?

そんなことが問われる時代になるのかなぁとかぼんやり考えてる、今日このごろ。


別に不安だから「備える」ってわけでもなく。

今の私(命)にとってホットなテーマが「日本人の精神性」とか、そういう系だから勉強してるって感じ。


私の感覚だと「10年後のスタンダードを今からやってる」みたいなのはいつもあるから。

そのときになればまた、「やっててよかったぁ」とか思うのかも。

……わかんないけど。


というわけで、ライブ配信を見て感じ取ったものや今の気持ちを書いてみました。