今日のお話しで出てきた『太陽のかくれんぼ』という話。お話ししてくれた方々には必要なメッセージであったろうな、というのはともかく、私には『陽』のエネルギーの強いこの時に、まるで真逆のようなこのワードは何を伝えてきたのだろうとふと思った。
『太陽が隠れる』で連想するのが『日蝕』確か月が太陽のエネルギーを吸収しちゃうとか。
私は1999年のあのノストラダムスの予言の時ヨーロッパにいて皆既日蝕を体験をした。
本当に真っ暗になって段々暗くなり、また少しずつ明るくなる光景はとても印象的だった。
真っ暗闇というのは本当に何があるのか見えなくなるが光のもとにさらされるとはっきりと見える。
やはり自分の中に光がより深く差し込んでくると、自分の中に何があるか見えてしまう。見えない方が幸せという事もあるだろうけど、それはその人次第。
太陽のかくれんぼのメッセージの『もう自分を出していこう』というのは、自分を白日に晒すこと。
私はそう理解をしている。
それは決して楽だなぁと感じるものばかりではない。特に最初の頃は。
晒す事でやはり自分が覚悟しなくてはならない事を深い領域では知っている。
いいわけはできない。
誰かのせいにはできない。
そして全てを受け入れる覚悟。
主体者で生きるとは、責任を別のもに押し付けられる居心地の良さから卒業しなくてはならないから。実は責任転嫁に慣れている私たちには意外にもここに覚悟がいる。
実は私自身がこの主体者ではない居心地の良さから抜け出るのに覚悟の連続の経験をした。しかも魂は退路を断たせた。ただ言えるのは、挑戦に目を輝かせ、確実に生きてる充実感に満ち、あれほど嫌っていた自分の短所に愛おしさを感じたり、自分が幸せを創り出せることがわかってくる。
そして、必要なものは与えられると徐々にだが、わかってくる。あの怖さはなんだったんだろうと思う程。これも段階があるので私自身もその途上であり決して偉そうな事は言えない。
私が引いた『太陽のかくれんぼ』ではなかったが、太陽のエネルギーは改めて、自分を出し続ける事を伝えてきたのかもしれない。