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人間関係

ヘリオセントリック日蝕図から

 今日は投稿するつもりはなかったのですが、ブログでの投稿を経て、


 これはアウルブックにも必要!と私の中で起きたので投稿してみました。


 ✴︎8/13日蝕図✴︎


 端的に言います。

 『人間関係』

 キーポイントは、自分が進みたい方向に向かう仲間と繋がること。

 自分の才能は自分の為ではない。

 それがわからないと奥にある才能は出ない。


 才能が表に出るトリガーが、そこにあるようなのですね。これはライオンズゲートがオープン中に再三に渡り私自身にも出てきた内容です。


 ですからテーマがそこではないという方もいるかもしれませんが、今、多くの方に共通した内容ではないかと思っています。


 ブログ用に引いたカード、考える間もなく触って即飛び出しきたカード、つまりジャンピングカードでした。

 

 今回のチャートでも重要に感じていた木星、まさに左側は木星に関わるカードです。そしてライオンズゲートと言えばシリウス。それが右です。


 もうこれ以上ないドンピシャなカード達です。


 木星は、その衛星であることもポイントだなあと私は思っていて、私たちひとりひとりが木星という何か大きなテーマに対して、まずは個人という小さな力だけど、それを必要な方々へ繋いでいく役目という事かな?なーんて思っています。


 これは私の感覚で、一例です。是非カード達からメッセージをインスパイアしてみてください。


 素敵な時をお過ごしください🌈


少しだけ自由になった私。

最近少しずつ、

『ありのままの自分でいいのだ~』

と自己受容できるようになり、

気持ちが軽やかになってきました。


もともと、自己肯定感が低い私。


気がつけば、

自分に対しては厳しくジャッジし、

『まだダメだわ・・・』

と思うのに、他人に対しては

『素敵だわ~』

『眩しいわ~』

『それに比べて私は・・・』

の思考の癖が身についています。


でも人間って、長所と短所があるから人間。

それぞれ違うのだから、個性もそれぞれ。


だから、

『あの人は素敵』 + 『私は私で、別の良さがある』

で成立する話なんですよね。


私は創作すること、表現することが大好きです。


でも同時に、

『みんなはどう思ってくれるかな?』

を、とても気にします。

承認欲求です。


悪いことではないと思うけど、

意識しすぎると創作・表現できなくなります。

周りを気にしすぎて自由さがなくなるから。


でも、私は自己満足だけど、

自分が作りたくて楽しいと思えた経験があるんです。


子どもたちが小さい頃に作った

キャラ弁です。



義妹が作った写真を見て、純粋に

『私も作ってみたい!』

と思ったのがきっかけでした。


自分でイメージしたものを形にするって本当に楽しい✨


子どもたちが小学生になり、

職場復帰した後も

時々、自分用のキャラ弁を作っていました。


こうやって自分の作品集を振り返ると、

『私・ ・ ・ すごくね?』

と自己肯定感が爆上がりします(笑)。


でも、きっと大切なのは

『上手にできたこと』だけじゃないと思うんです。


キャラ弁を作っている時の私は、

『これを作ったらどう思われるかな』

より先に、

『これ、作ってみたい!』 があった。


その 『やってみたい!』 の気持ちのまま、

ただ夢中になって形にしていた。


そうすると心が満たされ、

自分と宇宙が繋がっているように感じたんです。


宇宙から何か壮大なお告げが降りてくるわけではありません。


私の場合は、

『キャラ弁、 作りてぇ』

だったりするわけです(笑)。


もしかしたら、

『やってみたい』

『なんか好き』

『理由はわからないけど、心が動く』


そんな小さな感覚も、

自分の内側から届くサインなのかもしれません。


私はそんな感覚を、

これからも大切にしたいです。


自己犠牲。④ 『自己犠牲しちゃいけない。』っていう自分自身へのアンチテーゼ。


今までとは全然違うことを書いていってみようと思います。


今まで(特に①ではとてもつよく)

『自己犠牲なんてしてる場合じゃないんだよ…!』

ということを書かせて頂いてきましたが、


④では全く違う、

むしろアンチテーゼ的な視点から記事を書いていってみたいと思っています…。📝


引きつづき、

(ご興味ある方のみ、どうぞ無理なく… 🙇)

お付き合い頂けますと、幸いです…。


🌸✨✨


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎


『自己犠牲しないなんて、

本当に当時の自分に可能だったのだろうか…?』



おそらくわたしの自己犠牲のピークは

24才〜27才くらい…。


小さい時から気疲れを起こしやすい性格だったことは間違いがないですけれど、


それでも、なんとかそれなりにバランスは取れていて、

"爆発"することもなく、生きてこれたのです…。



それが非常に難しくなったのは、

(上に書いた年齢の頃に、)

姉がうつ病になり、離婚し、小さな子供を連れて、実家に帰ってきたから──。


どうするのが適切なのか自分でもわからず、


とりあえず自分の中で、


『もう少し良くなるまでは。

せめて彼女が薬を卒業、あるいは減らす、

そこまでいけるまでは──。』


そう静かに(自分一人の)ハラの中で決め、

しっかりサポートに入ることに決めたのを、自分でもよく覚えています…。



今から思うと、

これが私の『気を遣いすぎ』を超えた、本格的な『自己犠牲』の始まりだったのかもしれません。


姉は姉で(もちろん悪気なく)

病気の症状として、昼間でもたくさん眠っていたので、(そういえば当時姉は気の毒なくらい悪夢ばかり観ていた…。)


その間もちろん、幼児である子供は誰かが見ていなければなりません…。


持ち前の『気を遣いすぎる性格』に、

上の『静かな(個人的)決意』も相まって、


そうやって

姉と子供の徹底サポートに入っているうちに、


気がついたら私には、

5分ゆっくりと椅子に座ってコーヒーを飲むような時間…

そんなものすらなくなっていました。



『ちょっと無理してるな…。』

の、自覚はあった、気づいてた。


でも、

あくまで期間限定だから──。


姉がもう少し薬に頼らなくても良くなってきたら、

ナチュラルにフェードアウトしていこう、


そう、決めてました。🤲




*




以前①の記事に書いたように、


わたしが自分自身を


" 家族の便利になるように "

" 家族の下敷きみたいに使う"

(まぁ主に"姉の"ですが──。)


の、姿勢が、

いよいよ本格的に

板に付き過ぎたのかも、

しれません──。


現実は

(あくまで私の予想では、)

おそらく単純で純粋な鏡ですから、


現実は

そんな "わたしの姿勢"にぴったりの現実を、

さらにそこに

繰り出してきました…。



もう既にギリッギリだったのですが──、


姉が

さらなる+αの要求、


そのようなものを、


至極ふつうの顔をして、

(君がやってくれて当然でしょう◎といった雰囲気で、)

繰り出してきたのです…。

(結構な頼み事だった…。)




そこで何かがプッツリと切れました…。


以前書かせていただいた、

大爆発に、至ったのです…。



* * *




自己犠牲を超えてきた今だから──

今の地点だから──


そんなに自分1人で背負わなくても、

もう少し母や父も頼れたじゃん。


それがよく観えるのです。


座ってコーヒー飲む時間くらい、

絶対確保できたじゃん。


それもよく観えるのです。


誰も

そこまでしてくれ

そこまで全部1人で背負ってくれ

とは、

全然頼んできてなかったじゃん。


それも想い出せるのです。



もしくはそれらができなかったとしても、


自分だけは自分の気持ちを、

もっとよく見て、

ないことにせず──

(心の)通気性だけは、

パワフルに上げておくこともできたじゃん…。


…そう想うのです。🤲



でもこれらは、

『自己犠牲』を超えてきた今の視点だからよく観えることであって、


やはり当時の私には、

とても観えなかった方法だったのです──。




*




もう一回人生をやり直せるとしたら、
別の選択を、
きちんととれるだろうか…?


──正直とっても難しい、そう想います。



★ ただ、工夫だけはできる◎


⚪︎ もう少し全体(人)を頼れる。


⚪︎ ちょっと無理してでも、

迷惑かけてでも、

コーヒーくらい、

座ってゆっくり飲んだら良かったんだ…。



⚪︎ ストレスが溜まっていたら、

ちゃんと(自分だけは)認めてあげて、


充分に充分に、


『よくやってるね。

今ちょっと無理するしかないから、

がんばってんだよね──。


そんなスペシャルな私に、

たまにはハーゲンダッツでも買ってやろう…!!💚✨』


とかしてあげてても、

まじで良かった訳です……。🤲




(今過去に帰れたら、)

そのぐらいだったら、

調整できるかな……◎

って感じ…。




*



でも、やっぱり


『姉を支えよう。』


その大元の選択は、

もう一回人生をやり直せたとしても、

きっとまたもう一度そう決めてしまうだろう──。


そう想うのです。



だってやっぱそんなの、

『そう決めない』

方が、かなり難しいじゃ、ないっすか……。


🤲 🤲




ちなみに姉のことは、1ミリも恨んでいません。


だから①の記事を淡々と書けています。💠✨✨



わたしを粗末に扱ってくれる姉は、


おそらくまぎれもなく

" 私の心の純粋な反映 " として

ただただ創り出されたものだと

(少なくとも私は)信じているからです…。🤲


(詳しくは①の記事。📝)






大爆発を起こして豹変してしまった私に耐え抜いてくれて、ありがとう。


病気だけでも大変だったのに、

一番の味方であったはずのわたしが壊れて、一番の攻撃者になってしまって、本当にごめん……。


耐えて、生きててくれてて、ありがとう…。🙏✨


限界の中、壊れずにいてくれて、

ありがとう……。🙏✨✨




それしかないのです。


(……そしてそんな姉とは、

今は最高に仲良しでありますっ。 🙇💚✨)


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎





その後、

姉が他の人に(非常に避けることが難しい、どうすることもできない)自己犠牲をしている姿を見かけたり、


両親が、

うっすら

ず〜〜〜〜っと、

私の為に自己犠牲してくれていたことに気付いたり……


様々な経緯があって、

最近、

想うことがあるのです。




その時は、本当にそう決めるしかなかった──
それ以外の選択肢なんて、ほぼほぼなかった── 。



自己犠牲には、

そういうものが、

かなり結構あるんじゃないか…、

と…。🤲



( ◆ 子育て・介護・病気が関わってくる人は、

もしかしたら特にそうなのかもしれません…。)





★ そして、

もう一つ。





誰かの自己犠牲の上で、
『生かされる時期がある──。』


ということです。





誰かか耐えてくれているから、


『なんとかその上で、

  生きることをつないでゆける──。』


そういう時期です。





わたしにも、あります。


(…というか、

振り返るとそういう時期ばっかりじゃないか…!!( ; ; ))





で、
それでいい。



と、言ってやりたいのです。




自分にも。
人にも。




だって

そうじゃないと、

"死にそう" だったから──。


"生きることをつなぐこと"すら、困難だったから──。



* * *





だから、

『自己犠牲しても大丈夫。』

『自己犠牲させてしまっても、大丈夫。』


✨✨



むっちゃくちゃなことを言っているけれど、

これもまた、

私の本心です──。




でも、できたらしない方がいい──。

だから①の記事も、
本気で書いている…。🤲



これもまた本音です…。




🙇✨






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『自己犠牲』に、正解なんてない──。


それぞれの生活、バランスの中で、


自分なりの、

今の現状における最適解──◎


それを出してもらえたなら──、 ✨


そしてその為にこれらの記事が一ミリでも役に立ってくれれば──それが私にとっては、おそらく一番嬉しいことです…。 🙇🌿✨✨



長いのに読んでくださった方、

(いらっしゃいましたら、)

本当にありがとうございます。


🌸✨✨



coco 


自己犠牲。③ ささやかな余談編。


一昨日の夕方、親戚に誘われ母と私が急に花火大会に行くことになり、

(花火なんて一体何年ぶりでしょう…!)


そのかわり、

突然に

家のヨルゴハンを作れなくなってしまったのでした…。😯💫



『いいよ、いいよ

夜ごはんなんて勝手に食べるからいい。


女性の人は毎日毎日

明けても暮れても

ごはん作らなあかんから、ほんまに大変や。


勝手にたべるから、ほんまにいいで。』


と、あまりにもサラッと言ってくれた父…。🤲✨✨



このセリフがなんの疑いようもなく自然と口をついて出てくる父って、

なんというか…

ほんとうに素晴らしいな…✨


これをここまでナチュラルに言える男の人が、

一体どれだけいるでしょう…


そう思い、軽く感動しちゃったのでした…。

🤲✨✨



①②を通して『自己犠牲』についてずっと書かせていただいてきて、

父のことをまるで

"心配の対象"

かのように表現してきましたが、


『そして過ぎた自己犠牲は本当にだめよ。』というのは、

やっぱり心からの本心中の本心ですが──、


かといって、

わたしが心配して(過剰に)気を配るようなところではない──、


それこそ境界線Over、


今度は私の自己犠牲があらたにそこから(別のわかりにくいカタチで)はじまってしまうもの……。🤲



彼の人生は、

適度なところで、

やはり彼に返さなければならないのだ。



いつまでも

過去の自分を

彼に投影して心配している場合ではない──、



おそらく私は、
圧倒的に自分に集中した方がいいのだ。

🍑✨✨




* * *



そして

そんなコトバがサラサラと口をついて出てくる彼は、それだけでもう充分に素敵でもあるのだ。 🌸

(たとえ少々自己犠牲寄りではあってもだ──。)


決してカッコ良くはない、

ただの小さなおじさんだけれども、(笑)


大きいところは、やはり大きいのだ──。 🤲✨✨


父に自然と向けられたそんなポジティブな視線はそのまま私にもはね帰ってきて、


こんな未熟で自己犠牲的な私だけれども、


きっとそれはそれで、

いいところや素敵なところも(少なからず)今まであったのだろう……。✨✨


人生のどんな未熟な過程も、

人が一生懸命に生きている限りは、

そこそこに(いや、なかなかに…?)

きっと美しいはずだ──。 ✨✨



そしてこんなエモーショナルなことを書いてしまうのは、

絶対に魚座を運行中の月のせいだ…!!(笑)(8月2日現在。📝)



ということにしておきましょう。

(笑)




✨✨



coco 🌸

自己犠牲。②

前回の記事に対する追記(補足記事)です。

┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎


前回も今回も

よほど『自己犠牲』というテーマに関心のある方や、絶賛自己犠牲中だ…

という方にしか、

なかなか興味が持てない内容かとは思います…。^^;


だからこそどうぞ、本当に興味なかったら、

遠慮なくスルーしてくださね……。

(いつもいつも長いのに読んでくださる皆さん、

マーカーや記事での反応なども、

本当にありがとうございます。🙇✨✨)


*


今すぐ誰かの役に立たなくても、


いつかのだれかに役に1ミリでも立てばいい。

そんなテンションで書いています…。🤲


ではどうぞ、

今回もよろしくお願いいたします…。m(_ _)m


✨✨


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎



前回記事を書いてみて、

引っかかっていた部分がありました…。


後半の方です。


↓↓



このように少しだけ断定的に書いてしまったところです…。


((少なくとも私は)の部分に、

ちょっとだけ遠慮は出ているが……。笑 )



*



そしてそれは一つの真実ではないかなぁ…と想うのですが、 (…それは自分の経験からです。)


だけど、

少々色んな可能性があるかもしれないとも同時に思ったので、


★ 今日はその色んな可能性について。


ふわっとさせずに

できるだけちゃんと明記していってみるのが目標になります……。🤲




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『自分のことを大切にすると決める。』

また、その為に

『境界線をしっかりと引く』

を、現実で実践していった時、


私の中で、

だいたい③つの可能性、パターンが

浮かびました…。


😌✨✨





* * *





① 私が経験してきたヤツ。


自分の変化の度合いと共に、

周りも徐々に徐々に、

変わってゆくパターン。


『自分を大切にする』と決め、

意思をもって境界線を引き始め、

最初はまわりに少し驚かれたり、

怪訝な顔をされることもあるけれど、

徐々に徐々に受け入れられ、

いつしか尊重されるようになるパターン。


また、当人も、この流れの中で、

『境界線の引き方』が

徐々に徐々に成長&成熟してゆける…◎

とも、想っています。

★…というか、(それはたぶん、)大切にした方がいい。

『ワガママ』と『自分を大切にする』は、

似て非なるものだからです。

(相手だって、

自分と同じように『一つの尊重されるべき命』、

『一つの尊重されるべき人生』を持っている人だからです……。🤲)








②なんの奇跡ですか…?


というくらいに、

『自分の内的な決意』と共に、

外側(現実)も一気に変わってゆくパターン。💫✨✨



(わたしは①がとっても多いので、

②はあまり経験したことがないのですが…

ただ、よく聞くのと、身近でも見たことがあるので、記しておきます…。📝)



本気で、

『自分を大切にする──、

そして本当にこわいけれども、その為の行動を勇気を持ってとる、相手に伝える。』

そう、ハラを決めた瞬間に、


問題そのものがすっかり消えてしまったり……。


頼んでもいないのに、

急に周りが協力的になるなどの、

奇跡が起こってきたり……。✨✨


つまりは、

現実が一気に切り替わる。








③疎遠になってゆくパターン。


上の写真(前回記事)で、

人には

『敬意・尊厳を持って人と接する能力◎』が必ずある…

かのように、多少断定的な書き方をしてしまいましたが…、


これをまだ持つことができない程に相手が未熟である場合は、


(※  時間さえあれば、 

①のパターンでなだらかに変化してゆける、

一緒に共に成長してゆけるとは思うのですが、)

(自分を整える為の、

 一時別居なども含めて…◎)



ただ、

自分と、

その対象となる相手、(パートナーでも家族でもなんでも…。)


その両者間の、

▶︎  内的な成長の速度に著しく差がある場合、


(※ あるいは、向かいたい方向性に、

エネルギー的落差があり過ぎる場合なども、そうかもしれない…。)


そのような場合、

自然と、

『お別れ』や『独立』を選択してゆくことになるパターン……。



* * *



◉ なんとなく、

この3つが頭の中に上がってきたのです…。


😌🤲✨✨



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈⚪︎



実は今回のこの記事は、

ほぼこの③を書きたいがために書いたという感じです…。😌📝✨



どんな人の中にも、

『敬意・尊厳を持って人と接する能力◎』がある。

と、前回記事のように断定的に書いてしまうと、


『相手に現在その能力がないのは100%自分のせいだ…。』

とも取られかねないと想い、


で、

(必ずしも)

(すべての場合において)

そういうことを言いたかった訳ではないので、


この③という自然な一つの選択を、


一応明記しておきたかったのです…。


🤲✨✨







(そしてかくいう私も、

本当はそろそろ家から出たいのかも、

しれません……。😊


家族は本当に大好きですが…。☘️✨✨)




*



読んでくださり、

ありがとうございます。✨


(また追記に追記とかしてたら、

 その時はすいません…。🙇)



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎




〜  前回の記事を書いてから…。✨ 〜


一気に色んな気づきが押し寄せてきていて、

あたまとこころがグラグラしております…。😅


でもやっぱりこちらで書かせていただいて、

良かったのだと思います。


本当にありがとうございます。


😊🙏✨✨



そして、 先日の水瓶座満月、

やはり冥王星が関わっていたのですね…。

(なんかわかる〜!

そしてそれならばこのグラグラ感は致し方ないと思える……。🤲)




* * *





『自分を大切にする。』

のレベルを、

今まで以上に高いところに持ってゆかなければならない──、それはおそらく誰よりも今の私自身のテーマなのだと想います…。😌✨✨




丁寧に。  


でも、大胆に。

✨✨



一つ一つの選択に、

丁寧に

未来の自分を宿しながら──。

☘️✨✨




しっかりやってゆきたいと思います。

(そしてたのしみますっ。 😌✨)




coco🌸

昨日の自分より少しだけ自由な自分へ

やっと、この場所に立てた。

ありのままの自分を受け入れられなかった日々。

あの頃の私には

この場所の住人たちが

みんなキラキラして見えました。

私には、眩しすぎたんです。

でも最近、やっと分かってきたことがあります。


『ありのままの自分が、一番素敵なんだ。』


そう思えて一歩踏み出したとき

不思議と

周りの世界まで違って見えました。

世界が少し優しくなったような気がしたんです。


あぁ…

この感覚なんだね。


まだ生まれたばかりの、小さな感覚。

だから、

焦らず

ゆっくり

育てていきたい。


泥臭い自分から、軽やかな自分へ。


軽やかな自分から、創造する自分へ。


そして、

誰かと比べるのではなく


昨日の自分より少しだけ自由な自分へ。


十二国記の感想。~その2~

やっと書けた。

「風の海 迷宮の岸」 「東の海神 西の滄海」 「風の万里 黎明の空(上下)」 の三本立て。

本を読んで感じたこと、考えたことを書いていきます。


風の海 迷宮の岸。

実は誰もが麒麟のように生きてるんじゃないかと思った。


麒麟が王を選ぶのと同じような感覚を誰もが持っていて。

それは正しい・間違ってるを超えた、抗いようのない感覚。


自分でどんなに拒否しても抵抗しても、逃げられず。

「そういうものなんだな」と降参して、受け入れるしかないものと。

誰になにを言われても承服しかねるもの。

両方を持ってる。


パッと思いついた例を出すと。


Cさん:Aがいいと思ってる。

Dさん:Bがいいと思ってる。


Cさん:Aが絶対に正しい。Bがいいと感じるのはおかしい、間違ってると主張。

(A以外のものを受け入れるつもりはない)


Dさん:Bがどんなによいものか、Bについて力説する。

(Bをわかってもらおうとする)


お互いにどっちも譲らないので、話は平行線のまま。

こういう感じの言い合いって、どこでもよくあるはず。


AやBを譲れないと思う気持ちは、なにをどう言われても自分の意思で変えられるものではなく。

実はお互いに「私はこれで生きていきます!」と、目に見えないところで決めているのかなと思った。


決めているからこそ譲れないし、譲れないものこそが「自分軸」の正体でもあって。


自分が何を決めているのか知るためには他者の存在が必要。

だから、「違い」はあってOK。


CさんとDさん、どちらの立場だったとしても、どっちが正しいと正義の主張をしあうのではなく。

「そんなにもA(B)がいいと思ってるんだね」と相手の思いを受け取ってあげればいいし。

自分の「A(B)がいい」と思う気持ちも大切にする。


それだけでよかったのかもしれないと、そんなことを考えた。


東の海神 ⻄の滄海。

十二国記を読んでていつも思うのは「天意ってなんだろう?」なんだよね。


ものすごく俯瞰した視点から世界を見れば。

すべてのことは完ぺきに完全に調和していて、起こるべくして起こっているだけなのかもしれない。

人間の視点で物事を見るから「良い・悪い」になるだけで。


十二国記だとなんとなく「現状や結果 = 天意」みたいなところがあるよなぁと思ってて。


「天」はなにもかも良い方向に向かうことだけを望んでるわけじゃなさそう。


王が失道すること、国が荒廃すること、民が苦しくなることさえも肯定している……。

その部分に私は何かを感じてる。


「天」はすべての行いを全肯定してくれるけど。

自分の志次第で、(人間の視点で見たときに)良いことも悪いことも増幅する恐ろしさ。


自分で気づいて改心するもよし、しないのもよし。

それぞれがどのように生きようとも、常にすべて完ぺきに完全に調和している。

なるようにしかならない。


おそらく、私たちが生きてる「現実」でも同じで。

ひとりひとりが「どんな世界を見たいのか、創りたいのか」にかかってるのかもしれない。

(この話は「風の万里」にも続く)


風の万里 黎明の空。

余裕がなくなると大きい視点で見ることもできなくなって。

自分のことしか考えられなくなりがち。


王や麒麟だけ(政治家だけ)が国のことを考えてればいいってもんではなく。

そこで生きてる大勢の人々の思いもあってはじめて「国」になる、みたいな。


心学の講座で逆三方良し(自分のやろうとしていることが世間にとってどうよいのか?から考える)の話を聞いたり。

自分の死をリアルに想像して以来、私の中にも「どんな世界になったらいいか」は、うっすら見えてて。

その流れの一部に「四書を読んで実践してみる」とかが含まれてる。


陽子の「初勅」を見て、はじめの一歩ってそういうのでいいんだよなと思えた。


鈴(すず)編。

梨耀(りよう)のやり方は厳しそうに見えるけど。

なにかに気づかせようとする意図は感じ取れた。


ただ、鈴には表向きの言動だけしか目に入ってなくて、裏にある梨耀の「思い」には目が向いてなかったんだと思う。


同じ言葉を喋っていても、言葉が通じるとは限らない

小野不由美 『風の万里 黎明の空(上)』,新潮社,2013年,P.155


今の梨耀の立場(なぜ翠微洞にいるのか)を考えてみても、この言葉は重く聞こえた。


私が好きなのは今の采(さい)王である、黄姑(こうこ)の言葉。

生きるということは、嬉しいこと半分、辛いこと半分のものなのですよ。
人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人の心のありようが幸せだからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが真に人を幸せにするのですよ、蓬莱(ほうらい)の子……

小野不由美 『風の万里 黎明の空(上)』,新潮社,2013年,P.163、P.164


私も幸せにしてくれる場所・環境が何処かにあると思って探し歩いてた時期があった。

そんなものはどこにも存在しなくて、自分次第。


船旅における清秀(せいしゅう)の正論パンチもなかなかに効く。

私も長いこと「私は被害者なの!こんなにも不幸なのよ!」ってやってた時期があるからわかる。


文句ばっかり言っててもなにも変わらない。

変わりたいなら自分が変わるしかない。


祥瓊(しょうけい)編。

こっちはこっちで楽俊(らくしゅん)の言葉が刺さるんだよなぁ。


なぜ、そんなにも贅沢な暮らしができていたのか。

そのあたりのことを考える機会が祥瓊にあったら、と思ってしまう。


でも、そうはならなかったところに、天の意思みたいなのを感じる。

平和に生きられてることのありがたさを改めて感じるストーリーだった。


三者三様の学びがあり、どれもこれも必要なことしか起きてなかったように思う。


長い時間をかけて、それぞれの国はどうなっていくんだろう。

あちこちの大変な状況は、よりよい世界に向かうための必要な「破壊」なのか。


今は「丕緒の鳥」を読んでる最中。

次の「図南の翼」も楽しみ。

ある程度、読み切ったらまた感想を書く予定です。

自己犠牲。①

とても久々の投稿です。


なんとなく直感的に

こちらで記事を書きたくなったので、

書かせて下さい。


note📔なども一応やってはいるのですが、

なんとなく今回はこちらの感じがしたので、

(もしかしたら今回だけ…?

 今日だけ…?)

にはなるかもしれませんが、


久々にこちらで書かせて頂けると、

幸いです。🌸



『自己犠牲』

というテーマに関心がある人に

読んでいただけましたら、

本当に本当に幸せです。✨✨




(P.S.

昔の記事を手直し✍️かけたくて

一時的に『下書き』状態に下げてあります…。

もしも探してくれていた人が居たら、

本当にすいません…。

よろしくお願いいたします。✨)




(◉ 今回の記事、だいぶ長いです…。

あとで分割しようかな……?🤔)


┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎


『自己犠牲』


最近やけにこのテーマが気になってました…。

ちょっと自分自身の為にもまとめてみたいなぁ…

と、思って…。🤲


誰の為にならなくても、  一回ここに置かせて下さい。


どうぞ、よろしくお願いいたします…。✨



* * *



思えばわたしも27才ぐらいまでは徹底的に自己犠牲というものをしていて、(自己犠牲しているという自覚も持てないほどにナチュラルに…。)


あまりにもひょんな事柄をきっかけにそれが大爆発し、はじめて自分の中に溜まっていた大量の怒りと遭遇し、


少なくとも自分のことを『とても優しい』とか思っていたし、

『理性で我慢できないことなんてない、だって今まですべて理性でコントロールできてきたから…。』

ぐらいのテンションで生きていたので、


ほんのちょっとしたことをきっかけに一気にそれが崩れ、

自分でもコントロールできないほどの怒りと真正面から遭遇してしまった時には、

それはそれは驚き、絶望しました…。



最初は徹底的にその反動で家族に冷たく当たり、

(頼まれてもいないのに…  自分が勝手に家族に対して自己犠牲をしてきたのに、です…。)


『優しい私』

から、

『人としてちょっと相当ヤバいんじゃないの

人のことどんなに傷つけんの?』

っていう私に豹変して、

(でも仕方ない…

当時は本当にコントロールができなかったから…。自分を許してやりたい…、とも思う。)



そんなむちゃくちゃになってしまった家族関係の中で、

それでもなんとか自分を守る為に、


『それはやりたくない…!』

『そんなの自分でやってよ…!!』

を、初めて言えるようになり、


かなり乱暴だけれども、

ここで境界線というものが少しずつ引ける自分になっていったのでした…。


そして、

自分を粗末に扱ってきた周りが悪いと、

その時は真剣に信じていました…。




*




が、半年後、

とつぜん意識がひっくり返って──



『なんだ、

私が私のこと粗末に扱っていたから、


私が私のこと、

家族の下敷きみたいに使ってきたから、


だから、

こうなっちゃったんじゃないか。


すべて大元は、
私じゃないか。』



という突然の気づきに至り、


私のこと、

少々雑に扱ってきてくれたことはやっぱり嬉しくはなかったし──

『ちょっとは反省はしてほしい。』

その気持ちは確かにあったけど、


それ以上に、


『本当にごめんなさい…。🙏』


その気持ちが本当に本当に大きく湧いてきて、



それから、

『もう侵されないように…!

 侵されないように…!』

というヒリヒリとした意識で乱暴に引いていた境界線を、


少しずつ、

柔らかく優しく柔軟な意識で、

また新たに引き直しできるように、

成長・成熟していったのでした……。


🙇✨✨




. ݁₊ ⊹ . ݁ ⟡ ݁ . ⊹ ₊ ݁. . ݁₊ ⊹ . ݁ ⟡




で、今回書きたいメインテーマは、

実は全然そこじゃなくて、


さらにその先…。


になってくるんですけれど、



こういった流れの中で、

一応穏やかにではありますが、


『自分を大切にすること』のレベルを 

どんどんあげること🍑✨✨


に、一応は成功してきました…。



それはたくさんの大好きなスピ系リーダーさんたちのおかげでもあると想うし、

&Uさんで言えば、ともみん先生のおかげもあったと思います…。




まぁそんなこんなで、

世界と(家族と、周りと)調和しながらも、

『自分を大切にする』の濃度を、

少しずつ少しずつ上げてゆく…

(時に自分を優先しすぎたり、

周りに遠慮しすぎたり…

失敗もしながら……。)


それでもなんとか

その目盛りだけは少しずつ確かに上げていって、


なんというか、


家族関係も今が一番最上。


一応、そう思えるところまで来ました…。✨


(と、同時にもっと上、

レベルの高い領域があるとも思っているし、

家族みんなが生きている間に、そのような風景に出会えることも、全く諦めていない…。✨)




*



で、

こうなってくると、


ちょっとおかしいんだけど、


日々、

本当に自分のことを大切にして

生きさせて頂いているので、✨


な〜んというか…。


自分のことを大切にしてない家族が、

許せないっ!!!


っていう、まさかの。


27才で大爆発してしまった時とは真逆の、

(まぁありがたい)

問題意識が、

少しずつ自分の中に、

浮上するようになってきたわけです…。🤲




*




特にそれは、

父を見ていると、

はげしく発動してしまうのです。


自分のこと、


"家族の下敷き"

"家族の便利になるように"


優しいを超えて、

あまりにも献身的に使ってあげる姿勢、


それが昔の私と、

全くおんなじ傾向であるからです……。🤲




*



この人の、この

『受け取れなさ。』

『受け取りの器の小ささ』、

ヤバい…。


そう思って半分強制的に、


彼が少しでも"受け取れる人"になれるように、


彼がもっともっとナチュラルに自分のこと大切にできるように、


彼は自分が仕事の日も、休みの日も、せっせせっせとあまりにも家族の為に尽くしてくれるから──

あまりに『受け取りの器』が小さすぎるから──


「休みの日は、

いつも洗い物してくれて、ありがとう…!」


「でもあなたが仕事の日は、

わたしが洗い物担当しますからね…!!」


という半分強制で、


自分を大事にすることや、

自分を休めてあげること。🌱✨


それらを意図的に持たせるようにしたのでした…。




そのような努力の甲斐もあってか、(笑)

また、父も年齢が年齢なので、

年々やはり自然に自分に優しく、

自分を労われる人になってきました…。


前よりも自然体で自分を大切にできているし、

なかなか、ええ感じなのです……。🤲✨✨




*




ただ、

ずっと疑問だったのは、


どうしてか父のことだけは、


その他の家族を大切にするのと同じようには

大切にできない、


どうもやりにくい、


なぜだかわからないけれど、


彼を大切にするのは、

他の人にそうするのよりも、ちょっと難しい……


そんな微かな感触があって、

そこがずっと引っかかっていました…。



◉ これは一体なんなのか…?




母や姉を大切にする・丁寧に扱うのは、

こんなにもこんなにも簡単なのに、


どうして

父だけは、

そうはいかないのか…。


どうして少し難しいのか…。


油断すると、

今でも彼のことだけ、

わたしは少しだけ雑に扱ってしまう…。


そこと向き合ってきました…。



で、

一年ほど前に、

答えらしきものを、見つけました。




どんなにこちらが彼を大切にしようとも、


彼が少しずつ、

自分を大切にできる器を広げてくれようとも、


彼が彼自身のことを、


まだ小さくて見て、

まだちょっとだけ雑に扱って、

まだちょっとだけ家族の下敷きに自分からなりにゆくから、


その姿勢が彼自身の中に未だあるから、


やはりこちらはそこに対して甘えも出るし、



何よりもまず、


彼が彼のことを大切に扱ってくれないのに、


"鏡" である私たちが、

彼を充分に大切にできる訳がないのです。



だって私たちは、

どこまでいっても徹底的に、

ただの彼の鏡なのだから──。




*




そこから想うこととしては、

過去、わたしがわたしを粗末に扱ってきたこと、


わたしの "鏡" として

純粋に機能してくれていた家族が、


わたしのこと、

それで大切にできた訳がないのです。

(かなり難しかったはずなのです……。🤲)


だって大元は、

どこまでいっても、

"わたし自身がわたし自身を大切に扱っていない" 

という、

内側のところなのですから…。




*




と、同時に、

今回一番言いたかったことは、実はここからで、

(前置きが長すぎてごめんなさい…。🙏)



『献身的で、優しい』という、

この、父と私の姿勢。



この問題点がかなりハッキリと見えたのです。




人の中にはきっと、


⚫︎ 人のこと、大切にできる能力。

⚫︎ 人に甘えず、自分のこと自立的にする能力。

⚫︎ 人の境界線を、侵さない能力。


つまりは、

敬意・尊厳を持って人と接する能力◎

みたいなものですね。



そんなものが

やっぱあるのではないかと、

(少なくとも私は)

想うのです…。




◆◇◆




なのに、

『私が私を大切に扱わない』

『私が私のこと家族の下敷きみたいに使う』

ことによって、



⚫︎ 人のこと、雑に扱う能力。

⚫︎ 人に甘え、自分のこと自分でしないという姿勢。

⚫︎ 人の境界線を、悪気なくラクに侵してゆく能力。



そういったものを、

わざわざ相手の中から引っ張り出してあげている気が、

かなりしてきたのです

……。😱



これが父のことだけ大切に扱うのが

" 微かに難しい " 

 ポイントになっているのではないかな、と…。🤲



* * *





境界線を適切に引き、

自分の命を丁寧に尊重してあげる姿勢  💠✨

は、


自然と相手から、


⚫︎ 人のこと、大切にできる能力。

⚫︎ 人に甘えず、自分のこと自立的にする能力。

⚫︎ 人の境界線を、侵さない能力。


という人間としての美しい力を引き出し、✨




自分のこと大切にせず、

境界線もゆるゆるで、

自分を人の下敷きにしてゆく姿勢は、



自然と相手から、


⚫︎ 人のこと、雑に扱う能力。

⚫︎ 人に甘え、自分のこと自分でしないという姿勢。

⚫︎ 人の境界線を、悪気なくラクに侵してゆく能力。


を、引っ張り出し、

現実のものとして、

本当に

顕現させてしまう……。🤲




┈ ┈ ┈ ┈



なんだ…っ!

自分にとってのみならず、

相手にとっても

なんにもいいことねぇじゃねぇかよ…!!!


ってことに気づいちゃった時、


こりゃ、大変だ、

こりゃ責任もって、

自己犠牲、

本格的に終わりにせなあかんわ…!


って、

真剣に思っちゃった訳です……。🤲





そうしないと、

相手の変な力引き出すことに、

謎に、貢献しちゃう……。

(涙)(涙)




*



だからこそ、


表面的にいい人に見える、


『自己犠牲』とか『献身』、


たぶん、やってる場合じゃないのです。🤲



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ⚪︎




なんでこんなこと

書きたくなったのかもわからないけれど、

突然書きたくなったので、

もう体のままに…。

です…、 正直…。🤲



荒々しく長い文章で、

本当に申し訳ない限りです。



不快な気持ちになった方がいらっしゃったら、

それも本当にごめんなさい。🙇



とはいえ自分としては、

ずっと感覚的に思ってきたことを

言語にまとめあげることができて、

ちょっと安心しています…。🙇✨



*



書いているうちに、

自分の病んでいるところが

ちょっと見えてきた、


自分のことが別の視野から見えてきた気がして、軽くゾッとはしておりますが、😱

(とはいえ、これもいい気づき…っ!✨)


それはしみじみ、

これからちゃんと向き合っていこうと思います…。



*



このように

自由に表現できる場に、感謝します。😊


&Uさん、

こんなに長い記事を読んでくださった方、(もしもいらっしゃったら。)

本当に、

ありがとうございます。


🌸✨✨




* * *



そして

め〜っちゃ久々にowl bookにログインしました…。


知ってる人誰もいなくなってたらどうしよう(笑)

と不安でしたけど、

知った方がたくさん居らっしゃったので

ほっこり安心で投稿することができました…。☺️


そして

みなさんお元気そうで、

何より…!💫✨


また直感が

 『noteじゃなくてコッチ!』

と言ってる時には、

どうぞお邪魔させてください。 🙇🌸✨


本当に、

(こんなに長いのに)

さいごまでお読みいただき、

ありがとうございました。


✨✨


coco


宇宙に触れていく為に、整えて整えて整えるが今とても重要。

 私は若い時に、この7月中頃からお盆が終わる頃の間が、とにかく身体にとりもちがついてるのではないか?と思う程辛くて苦手な時でした。


 個人的に暑いのが苦手だからと思っていたのですが、古代文字の先生に出会って、それだけとも言い切れず、この時期特有の重さからだったと知ったのです。


 最近では様々な方が、スピリチュアルな発信をされていて、知識やメソッドとして様々入ってくることで、

 

 私達は何か知った気になりやすいのですが、やはり知識ではないところから整える事大事だなと感じたので、体験談として書きます。


 エネルギーリセット


 新月のタイミングでしました。自分ではどうしようもできない事があるものですが、これはエネルギー的側面からの変容は抜群です。


 何かがあったからというよりも、何かそろそろだよなあという感じで、やっておこっかと思い、申し込んだのですが、


 当初無自覚でしたが、気がつくと、どうも長年の友人への不満が止まらない(笑)気づいた時点で、世の中にあるメソッドをやったのですが、一時はいいのですが、また不満たらたら状態に…ところが


 エネルギーリセット後はどうでしょう!


 全くどこ吹く風になってしまった。


 ちょうどその後に、たまたま会う約束をしていたのですが、彼女に必要な情報からサポートから自分でも信じられない態度に驚きました。


 私達は、親しく近い人間関係程感情がむき出しになりますね。


 これだけではなく、自分の感覚がより一層鋭くなる感覚がはっきりと認識もしたのです。自分を取り戻すというのは、こういう感覚でしょうか。


 実はこういう体験談は、身近にありましたので、聞いていた体験は、これなのかと実感していますし、


 また自分ひとりでは、どうにもできない場合もあるものです。


 お水からの変容


 人間の身体は70%が水分だとも言われていますし、最近では、水が情報の媒体である事は、かなり知られています。


 フラワーエッセンスもそれですし、私が7月に入ってから始めたことも、水の情報を肉体に取り入れる事に関連しています。

 


 その水繋がりですが、出口王仁三郎さんの耀わんの会というものに参加しました。これも先月参加したイベントで隣合わせになった方とのご縁からです!


 私は、この耀わんとは知りませんでしたが、知っている方もいるかもしれないですね。


 気になる方は、詳細や体験談は調べてみてください。特に有名なのが山口さんという方で、あちこちで開催してるようですから、興味がある方は参加してみてください。


 まだ数日後ではありますが、当日は夜眠れなくなりましたが(笑)、今は、とにかく落ち着きとともに軸がしっかりし、どっしりした感覚と、何よりも、これまたさらに直観が降りてくる!


 やはり宇宙に繋がりやすくなるのだと思いますし、出口王仁三郎さんはその時代において、現在では多くの発信で見かけるひとりひとりが宇宙に繋がる目的を持ってお椀を作ったと言われてるそうです。


 ✴︎さいごに✴︎


 スピリチュアルなムーブメントでは様々言われていますが、エネルギー的には、マイナス過多でもありますので、私達は普通に生きているだけで影響を受けます。


 その世の中の情報から、そうなろうとするあまり自分の状態に疎かになってしまうケースの方、多いのではないでしょうか。


 これは、頭は先行するけれど、身体は追いつかないという状況だと思います。


 この状態で何か活動するよりも、まず整える事で実際に活動する時はエネルギー満タンで動いていけるでしょう。


 そもそも整えば、今自分が何をする時なのか?今自分が必要な行動も直観的にわかるようになるはずです。


 それが自分に繋がる、宇宙に繋がるという事ではないでしょうか。


 素敵な時をお過ごしください🌈

全惑星意識の視点から、今の自分の学びを知る

 私は、この全惑星意識というのはすごく大切だなと思っています。

 先日、たまたま自分が投稿内でちらっと上げたことで、全惑星意識に意識が向かいとある書籍を購入しました。


 それがこちらです。

  ↓

 

 著者が恋愛や結婚相談のカウンセラーであるということもあって、ベースは恋愛ですが、それ以外の人間関係にも役立つと感じました。


 何よりも全惑星意識のチェックシートがあり、今の自分の課題の惑星がわかります。


 得意な惑星を意識してればいいのでは?という方もいるかもしれません。


 その人の人生においては、学びはそれぞれですが、そう感じる方はそれでOK。ただ、統合意識を獲得したい方は、統合を惑星から自分の課題を知る事ができます。


 人生は太陽系の学びとも言いますから、今世で太陽系を超える意識を獲得したい方は、まず全惑星意識の獲得からだと思います。


 年齢域を振り返ると、その年齢域がまさにその学びだっととも理解ができる


 私は、課題として、木星がピックアップされました。


 私個人の話をしますと、現在木星期、プログレスの太陽は、ネイタルの木星とピッタリ重なっています。


 ソーラーアークでは、まさに自分自身の人間関係に対する考え方の見直しに入った頃に、木星がDSCにかかっていたというリンクぶりです。

 

 今、しかも現行の木星は、私のネイタルのピースを埋める役割をしている!


 木星期に入る前くらいに、『許し』がテーマに上がってきました。


 年齢域ごとに書かれている内容を読むと、なぜか自分の過去の状況がよみがえり、自分の人生の軽い振り返りが起きます。


 それでよかったんだ…


という肯定感を感じる事ができました。まさに木星を表す寛容さではないでしょうか。


 木星や土星を理解するとは、それまでの人生があってこそ、この著書の中でも記載がありますが、火星期まではトライアンドエラーを繰り返していくこと。


 まさに失敗すら学びなんでしょうから、その時期に挑戦して失敗を重ねることは、木星期以降は回収するものも多く、人生の豊かさにも繋がります。


 興味がある方はご覧になってみてください🌈 

相性

相性を見る時に良し悪しで考えてしまうのが一般的だと思う

あの人とは相性が悪いから合わないの

あの人とは相性が良いから好きなの


でも占いで相性が悪いはずなのに

好きだなって思える人や一緒にいると楽しい人もいる


相性ってなんだ?

そもそも今自分の周りにいる人たちは

自分と縁がある人達

できればその縁は自分を豊かに成長するためのものであってほしい

そうか、相性は自分に縁のある人達が自分の人生を彩るためにいてくれてる人をどう演出するかなのかもしれない

良い相性の人と仲間になり楽しみ

悪いと言われる相性の人から刺激をもらう

好きなんだけど、なんかそっけなく感じるあいつ

いい印象がないけど気になるあの人

その人たちとどう付き合い感情を揺さぶられ刺激をもらったり

安心感や協働したりして、、、

相性を知ってその関係性を楽しむ

良し悪しじゃなくその個性とどう絡むかを

自分で演出する(活用)するのが相性の豊かな使い方なのかも

月の安心より、土星の「ちゃんとしなきゃ」を優先してきたあなたへ


本当は疲れているのに、

「これくらい我慢しよう」と思う。

本当は断りたいのに、

「私が断ったら困るよね」と飲み込む。

本当は休みたいのに、

「私がやらなきゃ」と動いてしまう。

そんなふうに、

自分の声を後回しにしてきたことはありませんか。

安心したいなぁ

星読みで見ると、

心の奥にある安心や素の自分は「月」の領域

月は、

安心したい。

休みたい。

甘えたい。

分かってほしい。

無理をしたくない。

そんな、とても素朴で正直な声を持っている

けれど私たちは時々、

その月の声よりも先に、

土星の声を優先させてしまうことがある

ちゃんとしなきゃ。

迷惑をかけちゃいけない。

期待に応えなきゃ。

役に立たなきゃ。

大人なんだから我慢しなきゃ。

土星は、責任や役割、社会の中で生きる力を教えてくれる星

だから、土星が悪いわけではないの

責任を持てること。

誰かのために動けること。

約束を守れること。

簡単に投げ出さないこと。

それは、とても大切な力

でも、土星の役割りを優先させ続けていると、

月の小さな声が聞こえにくくなることがある

本当は疲れているのに。

本当は寂しいのに。

本当は助けてほしいのに。

本当は、少し休みたいだけなのに。

「ちゃんとしなきゃ」の声にかき消されて、

自分の本音が、後ろへ後ろへと下がっていく。

そしていつの間にか

誰かの順番が繰り上げられ

自分の番だけが来なくなってしまう。

後回しにしていたのも理由がある

自分を後回しにしてきたのは、

あなたが

自分を大事にしていないというわけではないのだと思う

誰かとつながるために。

居場所を守るために。

嫌われないために。

期待に応えるために。

そうするしかなかった時期が、

きっとあったのだと思う

でも、もし今、

心や体が少し疲れているなら。

月の声を、もう一度聞いてみてもいいのかもしれない

「本当は、今どうしたい?」

「何を我慢している?」

「私は、何を守るために自分を最後にしてきた?」

答えがすぐに出なくても大丈夫

長い間、自分の声を後回しにしてきたなら、

最初は何も聞こえないこともあると思う

それでも、問いかけることは、

自分を置き去りにしないための小さな始まりになる

月の声は、大きな声ではないかもしれない

でもそこには、

あなたが本当はどう生きたいのか、

どんな安心を求めているのか、

どんなふうに自分を大切にしたいのかが、

静かに隠れているのだと思う

ちゃんとすることだけが、人生ではない。

役に立つことだけが、あなたの価値ではない。

誰かを大切にするその優しさの中に、

あなた自身も入れてあげていい。

今日はほんの少しだけ、

土星の「ちゃんとしなきゃ」の奥で、

月が何を感じているのかを聞いてみませんか。

あなたの中の月は、

今、どんな安心を求めているでしょうか



ひとりひとりが伝えていくもの

 7月に入ってから、とあるとんでも方法にTRY中ですが、灯台下暗しとはまさにこの事か!と実感しています。


 スタートにはかなりの勇気がいる…おそらく…90%くらいの方は抵抗を示すと思うけど、結果興味が勝ってしまった笑


 スタートさせる為に、まずは知識として数冊の本を購入したのですが、その中に小林正観さん(懐かしい!)の言葉が引用されていて、はっ!っとなったのが、

 知っている事は人に伝えなければそれは知らないと同じ

 

 凄く心に響きました。


 最近思うのが、自分の言葉で表現するのも大事ですが、世の中には、いい表現やまた情報が沢山あります。


 自分がブログ等を通しても表現をするからこそ、先陣を切っているプロフェッショナルの方の凄さも痛感させられます。


 自分ではなんとも拙く、そして『これ!』というヒットした明確で素晴らしい他者の表現があるのなら、それを出した方が、また直接繋いだ方が圧倒的にいい!


 そういうのをお知らせするというのも、大切なのではないかと思います。


 これは情報や人を繋ぐ役割です。


 自分らしく生きる、自分が好きなことをしてお金がついてくるという生き方を望む方が増えていると感じていますが、それを構築するには、まずはアシスタントからと実感しています。


 既に世の中に対して発信力のある方々は、こういった直接的知り合いでない人達が、沢山発信する事によって、自分が知らないところで広がっていきます。


 どうやら、そのアシスタントから始まるみたいだ、と自分なりの実感です。


 (会社勤めと同じだな笑)


 ヒューマンデザインでは、占星術同様に惑星を扱いますが、水星は『その人が伝えていくもの』を表すそうです。


 それは、ひとりひとり伝えていく何かが必ずあるという事ですね。


 水星は送受信ですから、受信も大事な要素。


 また、このコーディネート的な役割は、実社会やコミニティでも重要な位置付けで、コミニティ内でもこのパートが優秀だと広めたい事が広がると、ビジネスにたけている方から、ちらっと聞きました。


 自分で表現する事と同じくらいに、繋ぐこと、それは情報でも人でも、意識していきたいところです。


 さいごに


 冒頭の内容は、アウルブックでの投稿は、あまりにも憚れるのでnoteで綴ろうと思います🙏実際ブログやnoteでも書いてる方がいます。


 占星術的に言うなら、

 この情報は、まさに天王星が順行した2月にアウルブック投稿を減らして、他で繋がった方からの情報がキッカケでした。


 周知の方はなんてことないでしょうが、私としては、内容も天王星的すぎる!


 常識をひっくり返すという意味なら、冥王星的とも言えて、現行冥王星は私のネイタルチャートでは6ハウスに位置していて、他のハウスとの関連を見ても情報内容に納得しますし、


 春分図と夏至図のリンクからみても、

 そうきたか〜!!!笑です。


 ジオは環境を見るのには適しているなとわかりますが、ジオやヘリオのスタンダードなチャートからまた応用的チャートまで、自分の中での新発見するのは面白いです。


 これは占星術の第一人者の松村潔さんも、いつになっても『このような出方をするのか』と発見は尽きないと書籍内で書かれていました。


 そして何よりも、様々見比べて沢山の発見をシェアすると誰かの気づきや発見に繋がるかもしれないし、それがアウルブックの循環にも繋がっていくんではないでしょうか。


 是非素敵な新発見を🌈 

星とのコンタクト体験を通して、自らの交流の意図の発信の大切さの実感

 ヘリオ講座がクローズに向かうという事で、受講者達の意識が動いているせいでしょうか。


 その影響か、星とのコンタクトをやってみようかなと、ふと思いました。


 その時に、まず星ではなく自分自身とコンタクトした時に、星は具体的に回答可能だという返答に、個人的に驚いたんです。


 それは私の先入観。今回のヘリオ講座の動きはそれを外すキッカケをくれました🙏


 アンドユーさんの講座では、スピリーディング講座もありますが、星とのそれは、コンタクトする先の違いくらいなのかなと思っていますが、そこは、自分がやりやすい方向でいいのだと思います。


 実際、

 星とコンタクトしたいなら、自分が親和性を感じる星からやるとやりやすいだろう

という回答も得たのです。


 それは、人間関係と同じで、私達は、学校での新しいクラスに入った時や、新しい職場は、気が合う方と友人関係がスタートしやすいと考えれば当然とも言えます。


 今回、まず私がコンタクトしてみようと思った時、なぜか『お金』と、頭をよぎった笑(だってさ、具体的な事に回答可能ならやってみたいじゃん)

そして、その直後に、なぜかお金について聞くなら


 冥王星


 と、ふうっと出てきて、そうなんだあ…と。最初はお金=冥王星だと思ったんですが、そうではなく、


 これはあくまで、今の私の場合。(でも該当者多いと思いますよ)


 人によって、またそのタイミングで、なにかひとつのテーマがあって聞きたい時に、必要と思える惑星は固定はされてない。


 星に聞かずとも、この事をどれかの星に聞きたいけれど、どれかな?と思った時に、私のように特定の惑星が出てきた場合、


 その惑星の持つ意味が、そもそも自分自身からのメッセージでもある。


 ちなみに、今の私は、それに関しては、常識を覆すことそのものが、メッセージです。実際に現実でもその体験が増えています。


 そして、実際メッセージというなら、冥王星から受け取ったと感じていますが、およそ、それが何と結びつくんかい!とツッコミたくなったし、そのうち、もっと具体的出てきて『そうかぁ…』という納得もありました。


 もしヒントしかないなあと感じたら、ジャーナリングや、誰かとの会話などが、もっとそれを引き出すきっかけにもなりえます。


 答えは自分の中にあると言うでしょう。だから引き出せばいいだけで、星がキッカケになるという感じでしょうか。


 私達の肉体の内臓や各器官は、惑星とエネルギーがつながっているとも言います。星とのコンタクトそのものは、体感からも得やすいコンタクトだと思います。


 そして、星とのコンタクトは、ジオだのヘリオだのも超えます。


 あれは、何かをポイントにして太陽系を見たもので、あくまで計算上のチャート。ただし、多いにヒントが探せるという実感は私自身はあります。


 その受け取ったものをヒントに、自分のチャートを見直すと、ぐうの音も出ない景色の発見に繋がった!という発見が今回のこと。


 少なくとも私の場合にはそうでした。


 コンタクト体験を起点にしてからチャートを見ていくのもまたおもしろい!


 面白そう!って感じた方で、まだ未体験の方は是非やってみてください。


 さいごに


 いつもは、わりと受信した事から書くのですが、今日は、意識的に私自身から発信して惑星とコンタクトしたことからの投稿でした。


 『発信』という意味でリンクを感じてるのが、


 先日友人と会う約束をした時に、自らタイムラインを変えようと意図して、変えてから会いました。


 まさにタイムラインを見た時に感じた感覚そのものを、友人と会った時に体験するに至りました。


 私は、友人の事も、今回の星の事も、それまで受信の方が、はるか多かったことにも気付かされましたが、意識的発信大事ですねぇ。


 受信では直近、先日夢から『ラスアルハゲ』という恒星の名前を持ち帰り、その理由が知りたかったのですが、その後の回答と思えるものがありました。


 私はジオの恒星パランでも、ヘリオでも、リンクがない恒星です。(ちなみにラスアルハゲは蛇使い座の星です)


 その理由がよくわからなかったのですが、太陽回帰図の恒星パランを見ると、今年はオチもオチだった笑


 今年のテーマの落としどころというか、最終着地ポイントのよう。


 メッセージとして不明な場合は、どんどん質問してみること、自動的に来るかもしれませんが、何らかカタチで、やっぱり投げること。


 受信して意味不明は投げる、受け取る。また聞きたい事は投げる、受け取る。


 この姿勢が、交流を深めるのかあと改めて実感しています。


 回答可能なこと、そして自分が受け取り可能な範囲でのみキャッチ可能です。だからこそ意識の拡大が重要。


 どんなカタチであっても、受け取って認識化されたものに意識を向けますので、流れが変わります。


 今、受け取りやすいのは、海王星をミッドポイントにして、天王星と冥王星が、風のエレメントにいる恩恵だと思います。


 せっかくのチャンス、こんなところから今の自分を切り替えてみると、ステージが一歩変わると思います。


 では、素敵な時をお過ごしください🌈

最短ルートを突っ切らない。頭の理解に心が追いつくまで、あえて遠回りの景色を味わうこと。

「早く目的地にたどり着きたい」 「目の前の障害や問題は、さっとスマートに解決したい」 「周りと比べて自分のスピードが遅いから、早く追いつかなきゃ」

私たちは無意識のうちにそんな「効率重視・結果重視」の選択をしてしまうことがあります。 頭の回転が速い人ほど、何かトラブルや心地悪さが起きたとき、頭の理解だけで「はい、この出来事の意味はこうね!」とサッと片付けて、次の段階へ進もうとしがちです。

でも、本当にそうやって表面的な解決をすることだけが、私たちの人生の目的なのでしょうか。

*

先日、パートナーにある出来事を話し始めたとき、こんな風に言われました。

「で?それはいいから、結論は?」

話を遮られ、結論を急かされたとき、私の胸にはとても悲しい、拒絶されたような寂しさが広がりました。 いつもなら、その場の心地悪さを早く解決したくて、自分の気持ちをギュッと抑え込むか、あるいは我慢できずに相手に感情を吐き出すか、はたまた「相手の立場になればそれも理解できるな」と頭の理解だけでサッと片付けていたと思います。

でも、今回はそれをやめました。 すっきりしない、モヤモヤとした重さの中に、あえて長いこと居続けてみたのです。悲しかった自分の気持ちを無視せず、ただ、じっとその場に踏みとどまってみました。

一晩が過ぎ、今朝目覚めたとき、私の中に広がっていたのは驚くほどのすがすがしさと、静かな落ち着きでした。 そのとき、私は「あぁ、感情の中に居続けること、それ自体が先を急がずにプロセスを味わうということだったんだ」と、深く腑に落ちたのです。

頭の理解のスピードの速さに、心はなかなかついていけない。だからこそ、無理に気持ちを切り替えるのではなく、心が追いつくまでそのプロセスをじっくり待ってあげる。それこそが、自分にしてあげられる最大の優しさなのだと気づきました。

*

この感覚を味わったとき、以前散歩をしたときの記憶が鮮やかによみがえってきました。

ある場所を歩いていたとき、古い家が撤去されて、ぽっかりと見晴らしが良くなった景色に出会いました。 「ここを真っ直ぐ突っ切っていけば、道路を回らなくても、最短距離で一番短い時間で行き着けるのにな」

一瞬そう思いながらも、私はそこを突っ切るのではなく、立ち並ぶ家々の細い脇道を、ぐるりと遠回りしながら歩いていきました。

すると、どうでしょう。 最短距離で突っ切っていたら絶対に気づかなかった、家々の隙間に咲く小さなお花や、心地よい風の音、その場所ならではの美しい景色を、たっぷりと楽しんでいる自分がいたのです。 「最短距離でいったら、この景色は見れなかったんだな」と。

*

目的地に向かっていくことは、もちろん大切です。 けれど、そこに早くたどり着くことだけを目的にしてしまうと、私たちは大切なプロセスをすべてすっ飛ばしてしまいます。

踏みとどまることも、遠回りしているかもと思うことも、これまで歩んできたすべての経験は、あなたにとって何一つ無駄ではなく、すべてに深い意味があります。 だからこそ、表面的なところでの心地よさや、目に見える満足だけを指針にして、自分を急がせないであげてください。

知識や理解の差も、成長のスピードも、今いる段階も、人それぞれでいい。 どの段階にいたとしても、あなたが今歩いているその脇道の景色には、あなたにしか気づけない大切な宝物が溢れています。

🍀1日の中で、ゆっくりする時間をほんのひと時、自分に許可してあげること。 未来へ行き急ぐ足を少しだけ緩めて、心に優しさを満たしてあげましょう。自分にあった歩幅で✨️

「進んだ先は、大丈夫!」


小骨

とあるスピリチュアルリーダーの方に言われた言葉がずっと喉につかえた小骨のように忘れられません。

その言葉は、「普通の企業で働いても上手くいかない人がスピリチュアルの仕事をしようとしても上手くいかない」といった趣旨の言葉でした。

 

正確な表現は思い出せませんし、私の被害妄想かもしれませんが、その言葉を聞いた私は、「あなたは一般企業で上手くいっていないから、スピリチュアルで稼ごうなんて思わない方が良い」という風に聞こえてしまいました。

 

馬鹿にされているのかな‥

それともいつもの私の被害妄想‥?

 

この方には、占いとかスピリチュアルを仕事にしたいって言いづらいなぁ、

そう思っていたところ、案の定このような発言。

 

結局、この方とは喧嘩別れしてしまいました。

 

何年も前から知っていた方なので、寂しい気持ちはありますが、

この別れを通して成長できて、この出会いと別れにも意味があったと感じています。

 

最後は、不満な気持ちをぶつけるような形でしたが、後悔はありません。

こんな風に人は成長していくんだろうなぁ‥なんて。

 

そしてこの方は、私との事をYouTubeとかのネタにでもしそうと思いますが、確認はしてません(笑)

 

忘れられないこの出来事を、最初の記事にしてみました。

もし少しでも共感してもらえたり、何かの参考になれば、とても嬉しいです。