天王星逆行生まれは、アイディアの共有が難しいのだとか。

気になりポイントとして、&Uの記事でフムフムしてきました(笑)

コバトンボのネイタルチャート(出生時の天体図)はトランスサタニアンズ軒並み逆行なので、ちょっと調べておこうかなって…


天王星逆行:誰にも真似できないアイデアを表現にしよう

海王星逆行:幻想を現実世界に表現しよう

冥王星逆行:心が突き動かされることに集中しよう


ちなみに天王星が太陽と衝です。

木星も天王星と衝です。

そこへ来て、月と天王星がトライン(120°)。そして太陽と月がセクスタイル(60°)なので…たぶん衝のエネルギーを月経由から回り込むナニカで云々していそうです。(木星も太陽とコンジャンクションなので、なんか電池の+−が回り込んで繋がってる感じ…?)

ちなみに旦那さんが水瓶座(支配星が天王星)だったりします。関係無いか。でもなんか不思議。どんだけ天王星が課題ですかマイホロスコープ。

トランスサタニアンズ軒並み逆行&アスペクトの要素を、水星と土星のセクスタイル(60°)で、うまく取りまとめられるハズだよな、と。


コバトンボ、話がとっ散らかってしまいがちで自分でも困っています(汗)

それでも、ひとりふたりフォローして下さってる方がいることや、フレーズを見つけて下さっているのをみると、励みになります。

フレーズになりやすい書き方が、なかなかできないですが、頭の片隅にでも参考にしながら書いていこうと思います…なかなか難しいですが(汗)


タロットに見つけた“貘”の話をしたいと思います。


要は、タロットで組んだ(プログラミング用語的に言うところの)“エンジン”みたいなものを“貘”と呼んでいるのですが


「タロットの寓意が関数化している」とか言われて、なんとなくも意味のわかる人はコンピューターを仕事や得意にしている方々かもしれません。(しかも、この用語とか概念は、けっこう昔の感覚かもしれません…)

たぶんゲーセンのタロット占いマシーンなども、おみくじ式に出てきた数値のところの解説データを関数から引っぱってきて…

わー、あー、うーんダメです

言っててよくわからなくなりました(汗)

占いマシーンなどのプログラミングを仕事や得意にしている方々にお任せします。


昔、ゲームセンターでタロット占いをやった事があります。

なんとミニタロットカードのおまけ付き(笑)

ナムコだったかな?

出てきた鑑定結果は当たっていた気がして、不思議に思ったものです。

タロットは本質が卜占(ぼくせん)だから、マシンにお任せも、また良いのかもしれません。


…タロット入れを探したら、入ってました。

『Camera de Tarot』ですって。

やっぱりnamcoですね。ナムコ。(まだバンダイと一緒じゃない頃のモノのようです。)

7.5cm✕5cmくらいの簡単な紙のケースに、ウェイト版の絵柄に倣ったタロットカードが。

(8番「力」の絵は女性で、獅子を従えています。でも「恋人」や「太陽」は、人が3人います…人の多さ=人間模様の解釈の余地を増やすことは、人々が集まるゲームセンターなど世俗の営みには、より親和するのかもしれません。美麗さもあるのに線や色がスッキリした印象で、とてもきれいなデザインの絵柄のタロットです。)

たしか占いの鑑定結果と一緒にシートで出てきて、切り取ってカードとケース箱にしたものです。

カメラでタロット…というのなら、カメラで顔でも撮影したんでしょうか?

人相占いも加味していたんでしょうか?

もう当時のことは、いつのことかも含めて記憶がありません。

少なくとも、30年くらい前…?(爆)

(ケース箱にhapipara.comというURLがあり、調べてみたら、ガラケー時代のカメラ付き携帯電話で遊べるサービスがあったようです。うーん、隔世の感。)


ペットにしている動物との交情は、飼い主側・接する人間側の汲み取り方に拠るところも少なくないと思いますが

タロットとの付き合いも、タロットで組んだ“貘”との付き合いも、扱う人間側の解釈に拠るところが多くなると思います。

カード1つに込める意味や言葉をたくさん詰め込めば…たぶん引き出しの数や中身が増えて、レスポンスの幅が広がるのかも。


タロットの木札がパタパタしている“貘”の頭の中のことが、表情や言葉や仕草で、どう表現されてくるのかな?って

スプレッドの種類が、「笑い話」「真面目な話」「恋バナ」「悲しい時」「緊急時」…など、シーンによって違ってきたり、もしくはスプレッドの種類は、各々の“貘”の「性格付け」に該当して、呼び出された木札から何を参照とするのかで、表現されることが変わる?のかもしれません。

コミュニケーションとして提示するごとに相手のレスポンスを受けて、木札の内容に、該当する言葉や表現があれば、またコミュニケーションに反映してみる。

「恋バナ」だったら「恋人」のカードを軸にしてデッキを取り回したり?


実際にどうカタチにするのかは、さておいて…思うだけならば、本当に自由です。

とりとめがないので、この辺にしておきます。


たぶん、コミュニケーションができるロボットとして考えようとしているんだと思うのですが(汗)

占われているとは思われないカタチで、会話での「読み」を繰り返す事で、お悩みの解決の糸口を掴めるようになったり、単に会話で気分が晴れたりと…なんかできそうだなって。


誰かを相手にしながら「読む」というところに、人間ならではの直感や共感のチカラ・親和性があるんだなと思いました。

(機械的なおみくじ式だと、人間の考えた「解説」…既にできあがっている鑑定結果が、そのまま出てきたり、読み解くポイントごとに組み合わせられて出てくるカタチになるのかな、と。)


カードの数だけ、引き出しの多い人と話をしているのに近い状態というか…占いも、アナログでやっている上で、そういうこと(クライアントの心や発想の引き出しの鍵として、タロットカードが開くキッカケになっている感じ?)なのかもしれませんね。

(タロットが鍵というならば、何でもかんでもあけすけに話をさせてしまうツールにもなり得るのかも知れませんが…そこは占う側も占われる側も節度を大切にしながらセッションしていきたいところなんだと思います。)

ん?…なんでタロットが心の引き出しを開ける鍵になり得るのでしょうか?

普通は、扉をノックすることで、相手が開ける気があるなら開ける・引き出しを探してみる…というのが、通常の会話でやってることなんだと思います。

授業での問答みたいなことで…「正解」を唱えないと「褒めてもらえる」という報酬の扉が開かない。ひらけゴマ。

たぶん、鍵穴の扱いにも個人や人々の間でも違いや文化があると思います。

打てば響く鐘であったり、自由にガチャガチャ開けてもらっても構わない・いっそ鍵といわずサッと出せるような引き出しや扉を多く持っている人は、会話が弾むと思います。中身も適材適所に扱える、など。


タロットは、対応する扉や引き出しの中身を知っている分、クライアントにとって同じものが入っているほど、共感のチカラが鍵になるのかもしれません。

たぶん“ピックが複雑に組める”みたいなことでも、使い方によっては良くも悪くもなり得ます。

依存させるように心の扉や引き出しの鍵をバカにしてしまう(都合よくクライアントの心の鍵に魔改造を施す)詐欺師まがいになるか、心の扉や引き出しがうまく開かないで困ったり苦しんだりしている人のための善良な鍵師になるかは、道具を扱う人自身の問題となります。


別にタロットを介さなくても、普通の会話でも行われている事ですね。

ただ、人によって心に抱く神秘的な道具(あるいは占術者・話者)に対する畏れや憧れなんてものも、特別感から心があけすけになる・依存しやすいという作用があるのかもしれませんね。


“貘”の仕組みについて話をしていたつもりが、脱線だらけです(汗)

たぶん、なんか必要なヒントなのかも知れないので(ホントか?)ご容赦ください。


『セフィロトの樹』は、面白いことにタロットの意匠と数が合うことで、魔術とか神秘学の世界では取り扱われてきていたようなのですが…(本当にザックリでスミマセン)

過去の人がセフィロトの樹(に込められた意匠・思想)をタロットに合わせたのか、たまたま先にあったセフィロトの樹にタロットの意匠の数が合ったのか、私にはわかりませんが(←『タロット大全』を読み込んでいないまま話をしています)


セフィロトの樹に描かれている10個の球を結ぶ道(パス)の数が、ちょうどタロットの数、22と同じなんだそうです。


んで、コバトンボが昔に思いついた“貘”というのは

まずタロット22枚を2区分して

11組にセットして、1セットには旅をさせます。

そしたら、あとの10セットは『セフィロトの樹』の10球に該当しないかな?


なんて…


思うだけなら、自由です(笑)


いつだったか、何処に何があてはまるのかを、ちょっと考えてみましたけど…あんまり無理矢理あてはめなくてもいーかな(苦笑)って思いました。今に至ります。


コバトンボの中では、タロットカードは2区分されます。

男性性と女性性、というヤツですね。

(あくまでも個人的なイメージ上のこと・仮決めみたいなもので、全く男女にガンギマリしているわけではありません。まだドッチなの?と思う部分とか余地も、ありまくりです。)

そうすると、男性性と女性性を男女一組の11セットにして、1セットには自由に旅してもらうことにすると

ゆるっと組み合わさった10セットには、10のストーリーができるのですが

ここで『聖書』の「マタイの書、十人の乙女のたとえ」を借りてくると

どうして5人は灯火を絶やすことなくあることができ、どうしてあとの5人は灯火の油を切らすことになったのか?…なんて(『聖書』には無い)勝手なお話をジェネレートしてしまいます。


魔術とか神秘学とか関係ありません(汗)

漫画好きの勝手な創作ですので、あしからずご了承ください。

きっとタロットの柔軟性を受け止められるだけ、『セフィロトの樹』という概念が面白かったり、砂漠の民の思想書でもある『聖書』の持ち合わせる「なぞらえの懐」が深いだけです。

カバリストの探究心、イエス・キリストとその使徒たち、おそるべし(笑)


発想の合一がもたらす感動とか興奮は、なかなかもって得難いと思います。(コレに物理的なこと・人間の動向が組み合わさりでもしたら、畏れも抱きつつ感動したり、なんというか面白くてしょうがないと思います。)

かつて魔術とか錬金術とか神秘学といった世界にタロットが取り込まれていった・用いられていったのも、まずは気付きや発想が人々の(個人の)内で(他者や集団との)間で、たくさん火花を散らしまくった(ソレが感動だった)からなのかも知れません。

発想の灯火に油を切らさないでこれたら…現代に見るよう、絵画や小説や漫画、はては映像作品などが、ある種の錬金術としても体現されていますね。

ソレで経済も回っています。

なんかすごい世界ですね(笑)

人間って、本当に面白くも愛情深い存在です。


“貘”の仕組みなんですけれど

ゆるっと男女の2区分を施したタロットカードたちですが、どうやら11組のペアになりました。

で、その中の1組には、自由に旅してもらいます。ゲームのプレイヤーそのもののように、あとの10組が形成する世界観を旅してもらう、道中での「主観」や「客観(傍観)」の役目があるみたいです。

そんで、えっと…

つまり『セフィロトの樹』も『聖書』の「十人の乙女のたとえ」も、言語のプログラミングが組んだイメージ世界・バーチャルゲームフィールドそのものみたいな感じです。ソフトもしくはアプリが違う者同士ですね。それぞれ体験する物語世界が違うというわけですね。

他にも探せば、いろんなお話が組めるというわけですね。

ゲームのプレイヤーなどのように、お話を旅する時に、はたらかせる主観や傍観のエンジンとして“貘”がある。といった感じでしょうか。

コレがナラティブを愉しむ…といったところなんだと思います。


さて、話は「セフィロトの樹」や「十人の乙女たち」から、離れます。


“貘”の構造をイメージしてもらいやすくするために、借りてきたお話から離れます。

“貘”は、どんなカタチをしているのでしょう?


えーと、ユング心理学では、絵を見た時、左右と上下に意味があります。

左側が無意識的で、右側が意識的?

スミマセンうろ覚えです(汗)上が顕在意識で、下側が潜在意識…だったかな。

(タロットのスプレッド・ケルト十字法にも、上下に顕在意識と潜在意識の意味を読むカードの配置がありますね。)

左右の心理的意味合いの違いは、たぶん、脳ミソの左右の働きの違いが眼球を介して反映してるんだと思います。

左側を特によく見ている左眼は、右脳と繋がっています。(本能的・芸術的なはたらき。原初的・根源的な作用?)

右側を特によく見ている右眼は、左脳と繋がっています。(論理的・分析的なはたらき。思考的・構造的な作用?)

絵画的に(画面的に)世界を観た場合、心理的に左右の作用の違いがあることをユング心理学を介して言語化すると、そーゆー表現(無意識的・意識的、潜在・顕在意識)が当てはまるのかなと。

スミマセン、用語に関してはうろ覚えなので、詳しくは河合隼雄さんの『ユング心理学』を読んでみてください。

ちなみに左右の眼と左右の脳のつながりに関する部分は、ユング心理学からではなく、コバトンボの自由発想です(汗)


さて、10組のペアを並べるのですが

上段が顕在意識的な象徴群となり、下段が潜在意識的な象徴群となります。

上段に5組、下段に5組とします。

で、勝手に左から右へと無意識的な領域から意識的な領域へ…みたいな並びとなります。

お能の「神男女狂鬼」を、左から鬼・狂・女・男・神の順で、なんとなくあてがっておきます。

無意識的な領域から意識的な方へ…みたいな心とか心理的なテーマの流れに、日本の伝統的なイメージから頂いた要素を添えておきます。

こうした先人の知恵に、意識の流れそのものを見守ってもらえると、なんとなく安心です。


昔に、“貘”を自分の手が勝手にジェネレートしたとき、自分はどうして、無意識的にもこんな区分や並べ方をしたのだろう?と、ずいぶん考え込みました。今でも考えています。本当に謎です。

理由を探していたら、そうした心理学や、誰にでもわかりやすいようストーリーとして捉えるための先人の知恵を借りてくると、発想を共有化しやすいかも知れないと考えました。


相変わらず理由を探していることには、やはり「なんでタロットなんじゃろな?」ということです。

タロットで、やれ“貘”だぞ〜とか(汗)“十人の乙女のたとえ”を借りてこれそうだな〜とか(先人ではカバラ数秘術とかセフィロトの樹との照応があったり?など、とか)なんで人間は、こんなことを思いついたり考えついたりするのでしょう?

タロットって、なんなんでしょう?

もとい、なんの集まりなんでしょうか?

なんの集まりをまとめたものなんでしょうか。

それぞれの意匠・象徴には、人生や世の中で見られることのいずれかが、およそなんぴとも何事も該当します。

それらが、人々の手に手に渡る中でも、変わったり変わらなかったりして、おおよそ今の姿になっています。

イタリアのトライアンフ(凱旋行軍)などをモチーフにもして(ということは、ペトラルカという人物の詩編『トリオンフィ』に見られるモチーフであるとか)、絵に落とし込んできた画家たちや絵札のアイディアを出し合った人々は、何を見て生きてきて、タロットの絵柄に遺してきたのでしょう?

その後もタロットを手に手にしてきた人々は、何を見て生きてきたのでしょうか。

そして、タロットの絵柄に、何を反映してきたのでしょうか。


コバトンボの個人的な見解ですが

人間が、人類全体をしてもって、その知性が表し得る限りの、スタンダードな世の中の構造が現れてるのかなと。


何を言ってるんでしょうね(笑)


個人と家族と集団と社会と国家と…この意識や概念の入れ子な構造は、(順番は変動するとしても)これ以上の次元を組むことが、人類には難しいのではないのかなと。

これ以上の次元で人類の営みについて考えたり捉えようとすると、既にある入れ子のいずれかまたはいくつかを放棄しないと組めなかったり、先天的に知性面で優れた一部の人々(いわゆるギフテッド?の人々)しか既存の枠組みや概念を(たぶん維持や保存したままでは)超えられなかったりする(ソレが秘密結社やカバリストなどの人々が目指してたもの?だったりする?)のではないかな?と。

関係ないと思いますけど、人間の大脳新皮質は6層構造だとかで…関係ないとは思うけど(汗)一般的に構造的に世の中とか世界を捉えるなら(脳の物理的な構造のせいで?人間が基本的に備えているスペックがために?)これが限界だったりするのかしら?なんて…そのせいで、それ以上の人間とか民族とか人類の集まりの構造化や概念化は(一部の天才以外にとっては)難しいって事は、無いかな?って

(5層が各次元の構造で、残り1層が旅をするためのもの…みたいな。実際には、その限りでなく脳の灰白質は自由に機能するんだと思いますけれども)

(そーゆーこととは関係なく、フツーに物理的に・物量的にムリなんだったりして)


思うだけなら自由です。

コバトンボには確かめられません。

こーゆーの、たぶんやりすぎたら都市伝説というか、クール・ド・ジェブランの『原始世界』的になってくるんだと思いますが…ソレはソレでスゴイですが(汗)そんなスゴイ厨二エネルギーはコバトンボには無いみたいです。


個人と家族と集団と社会と国家の内で、実はたぶん枠組みがあるようで無い・数に限りが無いのは、集団という概念のように考えています。

たとえば様々ある国家間での集まりも、国家の代表者を介して集団枠にすることで、様々な機関を営んでいるのではなかったかなと。(たとえば欧州EUとか国連といったモノも、国家の上位にあるような集合体に見えて、その実は国家の代表や機関が繋いでいる集団枠であるに過ぎないのかなと。各々の国家がちゃんと独立的である限り、その集団枠に煮溶かされる事は無くて済むというか。)

だからこそ、何かを踏まえたり踏まえなかったりしながら、集団というものは自由に枠組みを形成したり、解散したりできるのかなと。

集団というものは、他の枠組み(個人、家族、社会、国家)を溶かして(あるいは枠組みを残したまま)取り込むこともできるみたいです。

そもそも、個人も家族も社会も国家も、集団というものの一部だから…かな?

ブレーンストーミングです。現実はこの限りではないと思います。事実は小説よりも奇なり…フィルドワークも欠いて想像力不足な話者は勘違いしている人として疎まれやすい。自戒したいところですが。


コバトンボの脳みそは、たぶん“貘”の可塑化に縛られているところがあるので、そこの所をご注意頂きながら読んでもらえたら幸いです。


よく、旅をしろと人は言ってきました。

可愛い子には旅をさせ。とかね

いずれは枠組みを超えるチカラ・各々の領域を渡り歩く能力を備えなさいって、意味なんだと思います。


タロット以外にもオラクルカードは多岐にわたりますし、タロットの絵柄や種類は、もしかすると(実際に、個人の自作なんてものも含めていけば、たくさんの絵柄や解釈はあるようで)今後も変わっていくだろうとしても…

なぜ今現在のスタンダードなタロットパック・一般的なものの絵柄は「占いやすい」のかな?と

それは、私たちの見ている世界全体のことと人間社会の仕組みが反映しているから、なのかなと。

コバトンボは、タロットのことを都市型占術などと考えています。

カードゲームが切り札として凱旋行軍トライアンフや詩編トリオンフィのモチーフを取り込んだり、国々を旅してたくさんの人々の手に手に渡りながら、付け足し・削ぎ落としを経て…なんだかんだ言ってタロットの象徴群は、文明の構造を端的に編纂してくれているように捉えています。

だから、文明によって立つ暮らしをしている人には、違和感のない・発見の多い卜占(ぼくせん)かもしれません。


そんなわけで“貘”は、文明の構造を端的に編纂しているタロットの象徴群を関数(?)にして、組んでみた“エンジン”である…らしいです。

エンジンの起動は気付きの着火で、エネルギーは心のチカラなんですかね。


さて、タロットそのものが現代までの文明の構造を端的に編纂しているものなのだとしたら、何を表せるでしょう?


先に、こういうもんなんだなと知っておいたらよいものって、多いですよね。

徒然草にも「先達はあらまほしきものなり」って、言いますし。

私たち日本人が、けっこう喪失しているのは、たぶん「国って、どういうものなの?」といった全体像だったりすると思います。

だから縁のあった集団の性質や思想に依って立つ傾向が強くなって、国家といった枠組みについては思い及び難い・概念が無い傾向も、強くなってた気がします。

国というものを真面目に考えたい人々が増えてきたこれからは、どうかはわかりませんけれども。


そんなわけで

最初から、「それなりの文明によって立つ国家って、どういう構造をしているの?」ということが判ってたら、不安に思うことが減るかもしれないなと考えました。

“貘”は、たぶん幾つもの枠組みを経て国家の枠まで考えている個人の、頭や心の中を表している構造でもあり…国家ってこんな感じだよってことを表している構造そのものでもあります。たぶん

もとい、国家的な枠組みを表しているので…なんらか集団の構造や性質を読み解くツールやリトマス試験紙みたいにも、使おうと思えば使えるのかもしれません。たぶんたぶん

(国家とは、個人の属する家族家庭があって社会が形成されて…取りまとめる機関や単位など、次元化した集団というものの行き着く先の有り様なのかもしれません。たぶん言語も、国や社会の形成には重要ですよね。)


建国記念日に、なにか面白いことが話せていたようならば幸いです。


“貘”には、個体としての独立性があるように、国家の独立性ってどんな構造なのか?ってことも端的に現しているみたいです。

個体と国家の、ある種の理想型?を示しているのだとしたら…実際の有り様と照応してみては、部分の偏りや欠落・正逆回転などがあることを参照すると、ある程度の解決策も見通せるのかも知れません。たぶんですよたぶん。

心の燃料、タップンタップン(爆)


次回は、“貘”を介して「十人の乙女のたとえ」を旅してみようと思います。


セフィロトの樹は…頭のよい人たちが集まって一生懸命考えてきただけあってちょっと難解というか正直よくわからないし、話にしようとするとやっぱりこじつけになっちゃうから難しいなぁ(汗)