1気筒目は、能力にまつわる話でした。

2気筒目は、技術にまつわる話です。


さて、ここからは…もしかすると価値観を揺さぶられて吐き気がしたり、気分を悪くしたり、頭が痛くなったりするような人が、出るかもわかりません。

もし読むのが辛くなったら、無理せず読むのを中断して下さい。


…もしかすると、もっと早くに伝えておくべきことだったかもしれません(汗)

13番の「死神」のイメージだけでも、けっこう人によっては脅迫的だったかもしれませんね。

不吉さを帯びたイメージからくる緊張感で、参ってしまう人(イメージ酔い?をする人)も、無くはないと思いました。

(なので、1気筒目ではコバトンボも本能的にセーブした話しか、それでもしていないのかもしれません。)(あまり掘り下げて話していないといった反面、シミュレーションですから事例に該当する現実に対して、不謹慎であってはならないという感覚もあります。)


また、読み方にも「心を正した読み方(あるいは「吉相的」な捉え方)」と「心やましい読み方(あるいは「凶相的」な捉え方)」で、“貘(ばく)”から読み取れる内容が違ってくるのですが(子供でも分かるような表現をしたので、もっと違った言い回しはあると思いますが、とりあえずそういう感じです。)

段が増えてくると、より読み方が広がりを持つので、頭の回転と繋がりの複雑化に、心がついてこれなかったり、心の中に起きた変化で頭が混乱するなんて人も、あるかもわかりません。


う〜んと…

時々、YouTubeで『Mr.Fuji』さんや『だいじろー』さんの動画、またはその界隈の動画を、視聴するのですけれども

そうした所でご活躍の方々も含めて、日本語を習熟している日本語ペラペラ外国人の方々が、しばしば「日」などの漢字の読み方の多様さで、悲鳴を上げていますが(汗)

たとえば「生」という文字は、基本的な意味は同じなんですが…読み方が多岐にわたりますし、それら読み方が意味にも多少の違いを与えています。(全ての読み方と意味を自由にしながらも統合した字が、その「生」という文字です。)

その読み方で繋がる文字(繋がってくる意味)が変わったりします。また、繋がるお互いの文字が同じでも、読み方次第で「生」そのものの意味も(時には文化的な背景も)変わったりします。

ソレと似たようなことが、タロット1枚1枚のカードに込められた意匠や象徴・伴ってくる意味であるとか通念にも、起きてくる感じです。(タロットカードの寓意に付けられた名前そのものも、また意味内容も、時代やデッキ・使い手によっては違ってきたりしますしね)

日本人がタロットを好む文化的な背景には、日本語に独特となっている多彩な「文字文化」も、精神面や理解力の資質に影響しているかもしれません。

(言ってしまうと、日本人が漫画やアニメを好む文化的な背景も…キャラクター1つ1つが象形文字的に物語を編んでいて、感情や冒険心など心と知性を育んだり刺激したりして、人々に愛されているのかもなぁと想像したりします。)


また話が逸れましたが(汗)

価値観が揺さぶられて、“貘(ばく)”についての理解とか話が読みづらくなる方々も、あるのかもしれませんが

まぁなんにせよ、大丈夫かどうかは試してみて、確かめてみてください。


タロットに見つけた、占い道具としてのものとはまた違う、“読み物”としての奥深い側面・ポテンシャルそのものなどとして捉えていただけたらと思います。


あと、コバトンボ自身の話し方も、ちょっと難しく思われたりしますかね(汗)

話が長すぎたり、フレーズを意識した書き方ができなかったりするようです。

(まゆちん先生の唱える、ゆるっと軽やかに♪…とゆーフインキやノリ、フィーリングとは、ちょっと乖離しているタイプかもしれませんハイ😅)

コバトンボの個性ということで、ご容赦いただけたらと思います❀

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コバトンボは太陽と水星が同じサインにあるので、いわゆる「コバトンボらしさ」みたいなのでも出てるんでしょうか?

クセ強?いやあんまり考えすぎてもな(汗)

土星が蟹座とかで、心を開くことに課題があるそうですし…読み手を信じて、考えたこと思うことなど綴っていくことにします❀

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もしかすると、時代遅れを感じる人も無くはないと考えました。

ぽっと思いついたので、何についてを時代遅れというのか?ということは、ハッキリしませんが…ただ、この営みについて、どんな意義があるのかを考えましたが

タロットの組み合わせについて、読み方によっては気分が悪くなるようなことも、向かい合ってみる・心の動きを自分で自覚して、思考訓練をしてみる…というようなことでしょうか。

心のジム、みたいな感じですかね。

AIでやると、読み込まれた内容の解析や手作業としては早いのでしょうけれども…AI任せにして、心を置いてきぼりにするみたいなことが無いように、ですかね。

気持ち悪いという気分がするのを避けて、人間の成長として必要な心の過程を省いてしまうと、人の気持ちが解らない人間になってしまうのかもしれません。

ソレで済まない場合、その人は、そのような人たちは、どうなっていくのか?

嫌悪感で、思考すること話し合うことにすら蓋をする・タブーにすることは、問題の解決を遅らせたり跋扈させたりします。


焦らずじっくり取り組む必要があるのは、基礎研究が肝要だからと考えています。

基礎研究には…たぶん後代の技術的な進歩による更新があるだけで、そうしたことが無い限りは…新しいも旧いも、あんまり無いように思います。

温故知新で、基礎的なこと・始まりのこと・旧いことを学んでおくと、おそらくこれからの何が古くて何が新しいのかが判るようになりますし…先々の発展で何か足がかりにもなるのかも知れません。

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さて、コバトンボがタロットで組んでみた“貘(ばく)”と呼んでいる、とある編纂物なんですが

プログラミング用語的に言う“エンジン”になぞらえ、

左から、仮に1気筒目、2、3、4、5気筒目…と呼んで

|08|01|09|04|05|

|21|18|03|19|06|

 --- --- --- --- ---

|13|07|20|14|12|

|11|16|15|10|02|

(自由にしている組み合わせが、00・17)


1気筒目が

08・21/13・11

能動性・力・能力の段から


2気筒目として

01・18/07・16

技(わざ)・術(すべ)・技術に移行するイメージです。

迷い、惑い、彷徨いながら…力を形にする・持ち合わせる能力に方向性を得る術を見出そうとします。たぶん。


上段 01・18

01「魔術師」を、たぶん技術力そのもの、またその研究者などとして象徴的に捉え

18「月」は、人の見せる迷い、感傷的な側面…あるいは、月や天体から理解されていった事と同様、よくよく研究すれば見えてくる法則性そのものを象徴的に捉えています。

本物の「魔術師」…つまり「技術を確立した者」は、ちっとやそっとじゃあ解らないような隠れた法則性を、一般的には不可解な物事から掴んでいるんでしょうね。

(地球上に潮の満ち欠けをもたらす「月」なので、ここでの「魔術師」のテーマは物質的・肉体的、物理的…といった現実的な追求になるようです。「月」の意味する“迷い”といった問題が、突き詰めたら実はそこら辺の物理法則的な物事・実在している物事に起因している…人々や物事の現実・現状が、その人の感情の土台となる、というわけです。)

(迷うもの・惑うものに、結果を得るための法則性をもたらすのも技術として考えると…勉強の技術を持つ塾の講師と問題をどう解いたらよいのか分からない受験生なんて関係性も見えてきますし、不妊治療の医師と妊娠を希望する女性なんて関係性も、あてはまってきます。)(両者とも、3気筒目の「09/03」の、結果に向かう過程を経て行くのかもしれません。)(「魔術師」と「月」で、探求の道を迷いながらも進み続ける…といった性質から、まずは精神的な孤独や孤立が付随しているかもしれません。)


じゃあ、なんで迷い、惑い、彷徨うようなことになってる人や物事が、あるのでしょうか?

下段 07・16

戦い方を知らない人間は、破滅に怯えます。抗う術を知らないで怯んでしまう、など。

ソレがしばしば「18」のはらむ“不安”になっているようです。


ってんで、どうですか?(笑)


07「戦車」は極めて能動的に、現状の好転のために戦うこと抗うことそのもの、それらの人や物事の象徴で

16「塔」は、(ソレはなんらか問題を抱えたビルドアップによって)訪れてしまった破滅そのものを象徴するとして

ここで、積極的に上下段の統合をしますと、戦う技や抗う術をもって破滅と不安を退ける…という積極的な流れが健全に見えます。


この段は、逆解釈…いわゆる“悪魔的な解釈”に基づいて統合をすると(いきなり何だって?)

技術や戦力(この場合は暴力)を振り回して、露頭に迷う人々の発生であるとか物事への破滅がもたらされる…というストーリーラインにもなり、単純な戒めも含みます。

(「魔術師(技術者)」と「月(迷う者・不安)」の部分でも、妄想してしまうことなどで実在していないものに怯えてしまう心理といった傾向には…それが実在しているかどうかよく考えさせたり、実際に確かめさせることで不安を解消できますが…その「確かめ方」も、物事の真偽を理解する方法とか技術になってくると、“騙しの技術(詐欺師)”という逆解釈のパターンが出てきます。)


この時期、「07」と「16」の組み合わせで思うことには

今、現実の世界各地では、目に見えている形での戦争も顕在化していますが…この段に、あるいは公開されていく“貘(ばく)”のイメージを借りでもして意見を言いたくもなるような人も、出てしまう気がしてしまいます。(まさか居ないとは思ってるんですけども)

コバトンボの“貘(ばく)”は、たぶん人間や物事に見られるありがちな流れ(いわゆる“あるある”?)を構造化しているに過ぎません。ただ物事の流れや構造を客観的に見通すツールであるに過ぎない。としています。なので、何か知った気になって批判のための材料などとして扱い(引き合いにしたりして?)アウトプットするのは、タンマです。

意見は、自分の力で現実や事実から学んで調べて(事の真偽を見分けられる素養を身につけて)自分の言葉で言うようにしましょう。

寓意は全般、思い込みの言い訳や材料にされやすいとも考えます。

(タロットの寓意は、物事の骨格は説明できても、実際や具体を引き合いにして話せるのは、ごく個人的なレベル・狭い範囲の場に限ると考えます。)(占いでやっているのと同じだと思いますが…決定事項とは定めずに可能性を読み、今後の「かもしれない」状況を検討する作用を借りてくる道具ですから…そのよう慎重に扱います。可能性を広げて、現実的に掴めることを探る・どうすればより望ましい未来を歩めるのか。といった洞察を、より現実的に落とし込むには、やはり現実そのものを各々が経験し学ばねばなりません。)

破滅や滅びをもたらすような揉め事や争いごと全般、また戦争といった問題を止めるには必要な力があります。それも、より高度で総合的な。本当に様々な立場の人々が、必要な力というものを持ち寄らなければならない。

小さな単純なこと・部分的なことは可能かもしれませんが…この段だけで、または他の段を半端に交えても、現実に起きている大きなことをどうにかしようと考える事はできません。


もとい“貘(ばく)”は、シミュレーションツールです。

本当のことは本当のことから、事実から学んで実際の人間関係を育んでいって解決を見出すことが求められます。事実は小説よりも奇なり。

現実には“貘(ばく)”の大好物な、夢のように綾なる事実があります。

(どんな夢を喰ったら、どんな“貘(ばく)”になっちまうんでしょうね?)

(どんな夢を描いたら、それを心にした人々は何のために、どんな優れた成長をするのでしょうか?)

一人ひとりが、それぞれの現実に生きて、不安や迷いを晴らし、悪夢のような現実を消化する術を身に着けたら。

コバトンボは、そっと夢見ています。


現実を調べて考えていけば、いつか同じ現実から同じ事を考えている人々に出会います。もしくは、ある現実的な問題について真面目に考えていると、同じようにその問題について真面目に考えている人々に出会います。

設えごとや作りごと、ないしは知ってか知らでか嘘についてを調べていって、それに基づいて考えていくと、そうしたことを調べてきて同じ事を考えている人々に出会います。もしくは、設えごとや作りごと、ないしは知ってか知らでか嘘について問題があることを真面目に考えていると、同じように問題があることについてを真面目に考えている人々に出会います。

同じ事を真面目に考えている中でも、それぞれの現実や知性の違いもあって、意見の違いがあります。

しばしば、現実や事実が、問題ある設えごとや作りごとないしは知ってか知らでか嘘によって、浸食をされることがあります。どう抗えば、現実や事実は滅びを退けられるのでしょうか?または逆に、滅びるべき現実や事実とは?

(本にするときは、このダルい書き方をしないで済む内容にしたいなと感じます。)

その技や術を知って確立するには、より広い視野や経験の旅を、各々の人たちが経ていく・重ねる必要が、あるように考えます。

業(ごう)を嫌っていては、戦えないまま破滅があります。

嫌うあまりに業(ごう)が何なのかすらも知ろうとせず目を瞑っている間に、廃れや滅びはやってきます。(時間には風化力があることにも、よい任せ方と悪い任せ方があるのでしょう。たぶん。)

担い手として技術によって立つからには、他気筒の何と繋がりがあるのかを(要するに、たぶん信念はどこにあるのか)忘れては、持つものに振り回されるようです。


蟻の国の話では、主だった20%の活動に導かれて残りの何十%は追随し、さらに何%かは何もしないといった話があったと思うのですが(うろ覚えなので、実際の割合%は違っていると思います。)

コバトンボは時々、思います。

人間は蟻ではなく、各々に意思があるゆえに…様々な形態をした吉相的な流れ(20%)と、様々な形態をした凶相的な流れ(20%)とで、各々に追随するものたちごと相せめぎ合いするのが人間界の現実かも知れません。(たぶんグローバリズムなるものは下手に取り合うと、この流れを多方面に分散させて、人々がまとまって発揮できる問題解決能力も散漫にさせる作用があるのかもしれません。たぶんたぶん)


2気筒目の流れを正しくしたいのならば、1気筒目の「正義」は、どう定義づけたら良いのでしょうか?

(一部の富や利権の為だけでもなく、かといって全体を意識するあまり過ぎて偏ったり、一部や階層を蔑ろにするでもなく…)

真の正義とは、なんなのでしょうね。

人間が真に目指すべき正義とは、どのようなものなのでしょうか?


真の正義についてなど私が考えるべきことでは無いのかもしれませんが…しかし、たぶんそういう大きなことも含めて「正義」がなんなのかは、誰しもが考えておきたいこと・惰性で誰かの決めつけに流されず、どこにあるのか?なんのためなのか?…と考え慣れておきたいことなのではないかな?と思います。

真に能力を発揮するには、(齟齬があっても迷わずに済む思考訓練のため…という誤魔化しより、より望ましい現実を掴み取るためにこそ現実を理解し見通して、)頭や心の方でも訓練が必要です。

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単純に、自然災害(塔に象徴される高度で大規模な人工をしても、抗えないもの)として「16・塔」を捉えると、日本において「07・戦車」は災害時に出動する警察・消防・自衛隊や有志の個人や組織についても読めます。

日本では本当に多くの災害があります。

被災により亡くなられた全ての方々のご冥福を、衷心からお祈りいたします。

被災された皆様に、どうか真の復興がかないますように。

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気が付いた事なんですが。

気が付いたというか、思い出したのですが、


ビートたけしが北野監督として、何やら簡単な因数分解か何かの数式を使って説明をしてて…要はその、先に答えを最後まで見通してから(シナリオとか脚本とか?)映画は作るんだ。って話をしていたようなのですが

コバトンボは、ただ因数分解とかに似てるかもなぁくらいにして、思いつくまま自由発想的に話をしているので、読みにくい文章だったらゴメンなさい。


たぶん“貘(ばく)”も、こんなかな?

∞(α+ω)

(a+b)(x+y)

(c+d)(v+w)

(e+f)(t+u)

(g+h)(r+s)

(i+j)(p+q)

カッコ内の加減乗除(+−×÷)は、その都度によって変わると思います。また、加減乗除ばかりでも無い気がします。

()と()の間のことも、乗算ばかりではない気がします。

あと、それぞれのアルファベットの意味には、タロットカードなので逆位置として違った意味や働きがある(または掛け合わせによって生じる別の意味もある)というのも、より内容を複雑にしている(新旧の可能性に拡がりが出ている)かもしれません。


コバトンボは高校の時に、因数分解とかのところで補習を受けたことがあります。

コバトンボ、数学で赤点取ったことがあります(汗)

そーゆー人が、後になってからソレと似たようなことをしているんだとしたら、人生わかりませんw


この通り、コバトンボは因数分解の初歩止まりで、“貘(ばく)”に関しては、ずっと物事の理解の構造を巡っています。

“貘(ばく)”もまた、“作品”として人を囚われにする感化洗脳ツールにも、なり得る部分なのではないかな?と考えます。

ですので…若い人は、多様な数学的な思考をたくさん鍛えたほうが良いです。

必要以上に囚われないよう一定の思考回路から離れる習慣・その先や別の方法手法でもって物事の理解を進めたり考えたりする素養に、なるんだと思います。

人生の効率や生き方・物事の理解力とその深度・どこまで取り組んだらよいのかといった判断力の早さには、かなり影響があると思います。

数学は人類ならではの産物だけに、人類を個人的にも社会的にも救うと思います。

何も数学を宗教化するというわけではなく、頭の使い方や柔軟性…何事においても応用力や処理能力が身につく、脳とか思考力の筋力体力瞬発力みたいなのが身につくンだと判ります。


コバトンボ本当にもう、小学校の時は公文にでも通ってればよかったと、つくづく…(爆)

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ところで、1気筒目の「11」は「正義」と呼ばれています。

コバトンボは、なんだかなんでか、その言葉を使わないで「法」「方法」「手法」「手腕」…といった感じで逸しています。

法廷の場って統合されたイメージでも表したのかな。

法・11と断罪・13の、統合的イメージが法廷の場なのかな。

ところで12吊られた男って、生きているんですよ。(法廷の場以前、捕まっている時。裁判以後は刑期にある時、釈放前や処刑以前、って感じですかね)

13に至って死神に迎えられます。

それは社会的な死かも知れないし、本当の意味での死かも知れません。釈放ってことで、刑期そのものの方の終了を意味したりもします。

話が逸れましたが、11を司って呼ばれている「正義」という言葉は、非常に内容が変動しやすい側面があります…お気付きのように、場(たとえば、国)や立場(たとえば、法廷の場で相争う互い)によって異なります。

ゆえに場を必要とし、法を必要とし…それは場を占める法として相乗的に機能します。逆に言えば、お互いが無ければ機能しない。

ある場所で決まったこと・決着したことが、その場を共有する全ての場にも影響してくる。

参加した場の代表者の勝利や敗北の共有。法廷の場で下された判決が社会の先例前例になる…など。

「正義」を言い換えると「法」なんですかね。法も正義も、括りの無い世界で機能することがあります。どちらも人間あってのことですから、道徳や倫理や風紀とか常識なんて言葉で、人間は自分と他者のために秩序(正義)を守ろうとします。

こればかりは個人と社会でのシッカリした教育養育が必要です。

その程度や内容の違いは、国や地域、社会的な集まりなどでの個性かも知れません。やはり、「法」にまつわる意識は、一定の括りによって人間を感化し観念化しているようです。

(この辺は…「観念」については「意識」の話になるので、“三区分(3品位)のエンジン”話の時にでも、またやるのかもしれません。“貘(ばく)”にも種類があるようです。たぶん)


秩序を守ろうとする人々の自由意志があり、道徳や倫理や規範や風紀や常識等として、その観念は…実は多くの人々の善意によって、何でもないようなところでも機能するくらい、細かく積み上げられている事がわかります。

でも自由意志がうまく機能していると思い込んで、必要な法律が足りていないなんてこともあります。

自由意志の善面を、問題隠しに使うこともあるかも知れません。

人間は、善意を備えながら、時には装いつつ、悪意や悪事に取り込まれないようにと…もっと賢くならないといけないみたいです。

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04と05の違いは、権力(04)と権威(05)の違いかも知れません。

ひとえに権力と言っても、その内容はそれぞれ違いますし

ひとえに権威と言っても、やはりその内容はそれぞれ違います。

現実には、複合しているものもあれば、様々な形態を取っているのかもしれません。

認識を曖昧にされている人々や場も、少なくないのかも知れません。


また01と09の違いは、研究者と学者の違いかも知れません。

研究者は実験的な段階に携わる者で、学者は結果から得たものをまとめる者…発信者も意味します。(文献や講演や電波やWebメディアと、いろいろだと思います。)

なので、09は編纂者やメディアそのものも意味してきます。

リアル5気筒エンジンの3気筒目が最後に点火する機構だと動力伝達スムーズ…なんてイメージを借りてくると、ちょっと興味深い(笑)

何を言ってるのやらw

物理は、思想と哲学の最高の足場。(なんか言ったw)

現代は、どのような立場の人も手元の端末からの発信力を持っているので…実は、それ(発信)をする前に知っておきたいことや考えておきたいことがあるとしたら、ひょっとしたら“貘(ばく)”は参考になるかもわかりません。

コバトンボは、先に知っていたら後でしなくて済んだ苦労もあったのではないか?もっとスムーズに楽しみながら発信ができたのではないか?と、自分を省みたりする事があります。

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08の能力が、01の技術力と違うのは

技術力も能力なのですが

技術力は、能力の無い人にも、飛び越して能力を与えるところに違いがあるのかも知れません。(AIロボット時代となっては、もはや能力以前に人間すら要らないと来たw…何のためのAIやロボットなのか?遅れ過ぎず行き過ぎず、開発や実用が人間と社会の実態実際と上手く噛み合えばよいのですが)(なんてコバトンボが考えるまでもないと思うのですが。)

能力は技術の下地ですね。適した能力が無ければ技術は扱えないし、磨けません。なので訓練が必要になりますね。

(身体的なことの他、心の事や知性も含めて、要する能力が無い場合、先ずは技術は持てないと考えます。)

いや、水上水中、刃物や車、サイバネティクス、医薬、諸々…心のことや知性も含めて下地となる能力なく、技術を持つのは危なっかしいですからね。

また技術力は能力を補完します。

パラリンピック選手のギアや、テレパシー(?)の代わりに電話など。車や起重機なんかも、もともと人間には無い能力を技術で人間に与えています。

ん?電話や重機といった機器や機械類は、補完ではないですね。あるいは誰かが描いた理想の有り様を補完したり完成している、ということなのかな。

能力があっても、訓練して技術を磨かないと発揮できない。

たとえば、オリンピック選手になれたかもしれない人は、もしかするとそこらじゅうにいるのかもしれない、として…環境因子的なことで縁がなくて、本人の意欲や習熟は無く、能力そのものは技術を身につける道を通ることなく開花せず、その世界には居ないだけなのかもしれません。

技術の成果は、様々な人々に恩恵をもたらします。

そして技術の怖いところは、その恩恵とは逆のものも、様々な人々にもたらすことが、あるところです。

道を間違えないように、能力を活かして技術を磨くことを、人は学ばないとならないようです。

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話を散らしながら書いているのは、発想するまま書いているからなのですが…あまり集中しすぎて気持ちが悪くなるのを避けているのかもしれません。本能的に。

書く方は日数をかけて書きますが、読む方は短時間ですから、胸焼けみたいなことでもあるかもわかりません。

現実や物語を解体して説明しているのではなく、物事の構造のエッセンスを扱っているので…たとえばバニラアイスは食べやすいですが、バニラビーンズのみを食べることはしないですし、バニラエッセンスのみを飲むことはありません。

寓意から発想する内容が個人によってはキツかったり、心が置いていかれてしまうようなこともありそうです。

ただ、料理人は食材研究が欠かせないように…それと同じように、寓意の組み合わせについてを、うまく説明できたらよいなと感じます。

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2気筒目は技術の段とも言えますが…現実の世界でハッキリとした戦争が起きている時期に扱うのは、気が引ける心持ちもあります。知った口はききたくない。(知ったようなことは言いたくない、という意味。)

ソレでも解説はしないといけないんですよね…始めたからには。


たぶんたぶん

01・18/07・16

上段は技術屋研究者の葛藤、下段は戦争そのものを意味すると、戦争が技術力を押し上げる・進歩進捗させる側面も意味します。

技術屋や研究者(01)・実行者や戦闘員(07)にも正義を信じて迷わない人はあると思います。第二次大戦では、原水爆など兵器開発や本土空襲の経緯に関してそうした逸話がたくさんあるようです。人が各々に、前もって得た知識やマインドというものについて考えさせられます。人間、後から真実を知ってどうするかが問われます。正義の定義を古したままで立場を固め反省も無く知らんぷりすると、人間の時代が遅れる・時間が止まる・真の理解は進まないのかも知れません。(以後にどうあるか立場を正して交渉のカード化するソレも、やはり技術なのですが…)

やっぱりこうしたことを考えるのはいいですが、とても伝えるのが難しくなってしまいますね。

読み手によって、立場や正義が違う(考えたことも無い人も少なくない。イメージしたことも無い人々も少なくない…その場合、脅迫的に受け止められることがある)と考えるからです。


技術開発(01「魔術師」)に関して、人間の肉体的な存在そのものや感情(18「月」)を飛び越したスピード(07「戦車」)で進んでいる場合、破滅(16「塔」)なんてこともサラッと読めます。

人間の困った所というかエグいところは、破滅をどこにもたらすのか?を考えて計算して実行できるところです。

その辺の流れは、4気筒目の権力の段とも複合します。(たぶん、1段の能力と2段の技術の関係のように…5段の権威は4段の権力の下地になってくる関係と読めます。)

この場合、3気筒目(発信力)は司令室的な構造を示してきます。軍事も立派な学術を持ち合わせた世界…というわけです。

今後の日本人も、国という概念には独立性をもって発想の柔軟性をつけていく必要があると考えます。スタンスの自覚とともに悪い方へは取り込まれない為に。


“貘(ばく)”は、決して誰かの心の“自分だけの国”とか“自分のための国”あるいは“仲間たちとだけのための国”…などの為だけにある訳でも、無さそうです。

タロットの寓意が現実から抽出された象徴群であるからこそなのか…そのくらいのリアリズムを、持っているかもしれません。たぶん

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“貘(ばく)”が、なんでこんな“読み物”なのかというと

「いろんな考え方の人がある」という事を、動力にしてしまおうという

寓意が回転してくると、繋がりや波及が起きたり、その逆に分裂や鎮静?などの影響があるとして

そうすると、全体として見た時に、ある部分ではうまくいっていても、ある部分ではうまく機能しないなんてことも見えてくるかなと

アッチではプラスでもコッチではマイナスとか?そんな単純ではないかもしれませんが

機能させたいのなら、協力関係とか理解とか…調整するわけですよね。回り方とか回し方とか


…………。

たた並べただけの寓意群は石板や版画のように、本当に、とても静かです。

でも読み手によって動きが生じ、その内容は千差万別です。

いったいこれは、誰のための『千夜一夜物語』なのでしょうか。

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もしかすると“貘(ばく)”は、洗脳解除ツールになるのではないかな?と考えたりしますが

逆に、洗脳ツールとして扱う方法・人間に必要なリミッター…必要な観念や秩序に要する常識を外してしまう・その逆に堅く固定化させてしまう作用の乱用や悪用など、技術として人の手に渡れば、ありはしないかとも疑ってもいます。

“悪魔的な解釈”とか“凶相的な読み方”というやつを、実際の人間関係や社会の営みに、持ち込んだ場合などですかね。(良かれと思って、良い事と決めて、ソレをしてしまうことも、人間には社会には、あるかも知れません。)

あるいは(タロットの寓意自体が、実際の人間模様や現実の社会からトレースされても来たからには)現実でもあてはまるとか、あるように…仕組みを組む側の意図を知ってか知らでか、人々は自動的に参加させられてしまう社会の有り様などですかね。たとえば税制みたいに。

どうしたら改善や改正が、できるんでしょうね。

ソレもたぶん、これまでの人々が何かに賛同して良かれと思って理想をもって戦ってきた結果なのだと思いますから…変えたいのならば、よりたくさんの人が大局を見極めて現実に敷かれた仕組みのことを学び、その仕組み自体を変えていけるように対処能力や解決能力を養い、各々で意見を盛んに出し合って行使していくしかありません。

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ところで…

いくら考えてもなんですけれども

コバトンボは、なんでこんな“貘(ばく)”なんてものを思いついたのか、未だに判りません。(汗)


強いて考えると…

まだ幼稚園の頃に、もう『パタリロ!』を読んでいたから?(爆)

ひょっとしたら知らないうちに、夢の中でマリネラ大学に留学していたのではないかと…(誤爆)

大好きな漫画でそんなふうに考えると、ちょっと気分がアガります(笑)

「誰も考えつかないことをするのが大好き」校訓からの、“貘(ばく)”マリネラ大学由来論❀(もうえぇわw)


『パタリロ!』単行本に収録されていた、タロットを扱った短編も読みました。

ってことは、思い出すに…コバトンボが人生でタロットの存在を知ったのは、どうやらその作品からですね。たぶん。

うろ覚えですが、死神フィーチャーな内容の物語でした。

その作品の紹介では、タロットをタロウとも呼んでいた気がします。

…ウルトラマ〜ン、タロ〜ウ♪(爆)

外国でも、日本人として覚えてもらいやすい名前の代表だそうですね。今後はどうかわかりませんが(イチローかな…?)(いや、著名な芸術家も政治家もあるから、タロウは不動でしょうね。)


小さい頃は『横須賀ロビン』が好きで、何度も読み返してましたw

魔夜峰央先生の作品は絵が綺麗なので…美的で、1コマ1コマがカードデザインみたいにキマっていると言いますか…子供心にも、怖いよりも先に魅了されてしまって、描かれている物語世界を読んじゃってたのかも知れません❀


自分も、なにか面白いカラクリなどとして、世に“貘(ばく)”を紹介できたら幸いなことです♪

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C言語、アセンブラ…といったプログラミング用語の種類で言うと、“貘(ばく)”を組んだタロットは、BASICかも知れません。

なんだっけ。インタプリタ式?上から順番に読んでいく。

コンパイル式と違って、視界に入った順に読み取る人間らしい形式というか。


でも、“貘(ばく)”になると、平面に展開されている上、読み取られる内容が状況に応じて相互的に変化もするんですよね。たぶん

本当に、妙な読み物だと思います。

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技術の段には「月」があることを、また象徴的に感じています。

技術は、目に見えない。

私たちは、結果だけ・外側や表面の姿を享受します。

技術を磨く事に昼夜は無く、夜にも及び

研究もまた昼夜を問わず悩み試行錯誤し、何か法則性を見通すまで観察すること・視野を変えることも、かつてガリレオが落下の法則に実際の観察を重視したり、夜な夜な惑星の動きを観察し続けてきた姿に象徴されると思います。無理解や時代に拒まれるといった不遇も、時には研究者の葛藤には含まれるかもしれません。

月の動きを解明しても、それを人々がすっかり理解できるかどうか…というのも、研究者の悩みになります。その解決は、論文として共有化したり、人々に教育啓蒙する行為であったり、メディア媒体での発信に繋がるのかも知れません。(ソレを、2気筒目「01魔術師」から、3気筒目「09隠者」への流れとしてイメージしています。)(「月」に象徴化される“謎”や“不明性”は、その伝え方についても研究精度や面白さでもって、人々に理解を誘いもたらすといった構造でしょうか。)


日本国の神話では、「月」といえば「月読尊(ツクヨミノミコト)」があります。

月の神様で、夜(夜之食国:よるのおすくに)を支配するよう伊弉諾命(イザナギノミコト)に命じられたそうです。

月齢(陰暦)に基づく暦の神様、月の満ち欠けに連動した潮の満干から海の神様、暦と併せ保食神(ウケモチノカミ)を殺めた経緯で種を得てか農耕の神様…しかし、伊弉諾命から生まれ出た神々の内の三貴子として並ぶ天照大御神(アマテラスオオミカミ)や素戔嗚命(スサノオノミコト)と比べて神話上の記述(エピソード)が少なく、日本記紀神話の研究でも謎の多い神様のようです。

保食神を殺めた経緯では天照大御神は深く怒り、この事から昼と夜とが分かれるようになったそうです。


コバトンボは、ふと夜の帳が降りる頃から空に浮かぶ鋭い三日月に、日本の刀剣をイメージします。

刀工、刀鍛冶、鍛冶職人…日本刀に代表されるような日本の歴史に様々ある刀剣のみならず、日常の道具として包丁などの台所用品、鉋やノミなどの大工道具、鋤や鍬や鎌などの農耕具も生み出されます。

鍛冶職によって昼夜を問わず精錬されるその業(わざ)は、きっと日本の技術を象徴しています。

(HONDA、本田技研工業の本田宗一郎さんのご実家は、鍛冶屋さんだったという話もありますね。エンジン繋がりw)

「月読命」は、日本国の夜も頑張る技術人を見守っているのかもしれません。

(その当時、日本には資源が無いことを踏まえた発言もした本田宗一郎さんも、今後は喜ばしいことに自前資源とも向き合っていく、これからの日本国の技術人の夜を、きっと厳しくも温かく見守っていると思います。)

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コバトンボは悩んでいます。

このまんまでは、皆が読める内容ではありません。(汗)

アウルブック的では無い…という自覚があります。


ともかく、ともあれ…いつかきっと本にするにあたって(その際は、別に“貘(ばく)”という名称にもこだわりませんし)なんかこう、ひたすら発想したことについてをまとめている感覚のままで、書き続けています。

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技術の段で、ちょっとオカルト性のある話にも、触れておきたいと思いました。

タロットの「魔術師」に見る技術や研究には、いわゆるかつての西洋の「錬金術」とも繋がりがあるあたり…科学の前身的な所から様々な発見と洗練がされていった今があるのだなと考えたりします。


錬金術からオカルト性が取れたら科学になった…的な感じでもあるのですが(汗)

でも、どんなに科学技術が進んでも、説明のつかない現象が起きたりすることも、あるようです。

あるいは、どんな成功でも、それくらい奇跡的なこととして捉えては、自他の行いを顧みては、今は亡き誰かの・神々の加護あっての事と確信する。といったことでしょうか。

誰かのおかげ・何かのおかげを、人間模様や人間関係・実社会での営みにでも日頃から意識するためなのか…特に日本人は、それでも説明の尽くせないこと・大きな出来事などがあれば、折に触れて「魂」「神様」を身近に感覚する文化的な習俗や感性があるようです。


そんな文化的・精神的な背景があるためなのか


なんかこう、“貘(ばく)”の2気筒目・技術の段でコレを説明できそうな気がして、触れてみようと思ったのですが…


日本社会でのオカルト性として、個人や人々に悩みや迷いを誘う“呪い”ってものが、あったりします。(汗)

あと、自覚の程度は様々ながら…いわゆる霊障に悩まされる、“祟り”に逢う…といった人々があったりするようですね。


コバトンボは思うのですけれども

“イメージの共有”にも、いろいろとワザがあるように感覚します。


たとえばその、“呪い”といった行為についてですが

する方も、される方も…たぶんイメージ悪くなりますよね(汗)

そんな“呪い”なんかする人のことなんて知りたくもないですし

されている人のことを知れば「アイツ何したの?w」って話になって

そう、笑い話で済めば、まだ良いのですが…少なくとも真面目に受け取る人々を介した評判には、障るかもしれません。


たぶん“呪い”いわゆる“呪詛行為”の厄介なのは、(そんなヒマなことをするヤツが実在性をもって感じられた時に)不明瞭・確証なし・不明確なところで、人々に“思い悩まされる影響”があるところではないでしょうか。


そんなヒマなことをするヤツは居ない(笑)そんなバカなことしても効果があるワケない…と言い切れる強さ・確信力も、社会や場を仕切る(その社会や場の人々を信用する・自己に問題が無いことを確信する)能力として、克己心や信頼関係を強くします。


問題は、そのような場と人間関係からは離れたところでの、個人的な事になるでしょうか。

あるいは、そうした(場や参加の原理・精神的な強さや確証とは縁がなくて)薫陶を受けられない生活を送る人のことでもあるのかもしれませんが


身近なところで起きる現象や問題について悩まされたり、やがてストレスなどで身体的・精神的に現れた疲労や症状について、現代医療をもってしても解決しない…

疑いや不信感などで不安に苛まれると、人は感覚することにも影響が出て、あらぬことを確信してしまうようにも、なってくるようです。

誰かに呪われているのではないか…

悪い霊魂に祟られているのではないか…

これを一人で解決するには、とりあえず生活を整えて自身の亡き家族をお弔いしてみるとか、神社や仏閣でのご祈祷お祓いを受けるといった行為や判断があります。


でも、よくわからないですよね。

やってみて、安心したとかスッキリしたとか、何か本人にとっての実感があればよいのですが…

実感が無い場合とか、実感していたとしても

お祓いも、どこまでやったらいいの?とか(汗)

祟ったり呪ったりしている人が、本当にいるとは思えませんが…疑うときりが無いんだと思いますけど

ずっと祟ったり呪っていられるような、そんなヤツいないと思うんですけど(汗)

でも、相手がわからないものを考えるようになってしまうと、わからなくなってしまう心理とか、不安感とか、あったりするんだと考えます。


そこで、この時代に…「その道の技術」としても興味深いなと思ったのですが

いわゆる祝詞などを配信する、お祓い動画の存在なんですよね。

スピリチュアル系、ヒーリング系の動画になりますが

トランスセラピーを仕事にしていた方が個人でやってらっしやる、毎日無料配信されているものがあるのですが…朗々と祝詞を読み上げる様子や印を結ぶ手さばきであるとかですね、ちゃんと修行もされているそうで…見てますと、本当になんとも効きそうなンですけれどもw


その中でも“呪詛返し”っていう内容の動画が、あるんですよ。

いわゆる祟りや呪いを、施した本人へ跳ね返すというものなんだそうですが


“呪い”って、そうしたオカルト性を信じる人しか、しないと思うんですよ。“祟り”もそうだと思います。

だから、動画で“呪い返し”や“お祓い”を配信する方々は、他者を呪うような“(する方もされる方も)嫌われるようなこと”をする人を、諦めさせる社会的な効果も、あるのではないかな?と。

本当にあるのかどうだか私にはわかりませんが、呪ったり呪われたりなんてイメージダウンな営み・オカルト的な不安や妄想で悩んだり苦しんでいる人々を、実社会から無くしていく効果が、あるのではないかなと。

その“目に見えない世界での営み・その道での戦い”なんてものを垣間見た気になってしまうのですが…そうした期待を、そこはかとなくしてみる次第です。


動画配信時代に活躍する「スピリチュアルな方面での技術人」の存在を、興味深く思いました。


無いとは思うんですけれども

漫画で、『呪術廻戦』とか『青の祓魔師』だとか、オカルトがメインテーマの作品がたくさんあったりしますから…まかり間違ってソッチ(呪詛ること)に興味を持っちゃった子供や若い子・気の若い人や外国人なんてのが、あったりしたとしても

「世の中、お祓いや呪い返しの動画があるから、効かなかったり返ってきたりするから止めときなw」とか言ってやれば、そういう悪戯は、しなくなってくれそうですかね?(笑)


たとえば、ともすれば流行るような絵画や漫画やアニメを描けるくらいのイメージ能力を持つ人が、それを表現として出す技術を持つことなく、ごく普通の生活を送っていたとしたら…

(いわゆるオリンピックだったかもしれない人?ですかね)(そこまでいかなくても、持ってるものがある人っていう感じですかね)

何か外からの情報や刺激で、湧き出るイメージに悩まされてしまっている人なんてのも、あるかもしれないなって(汗)

そうすると、外からの情報や刺激の質を変えていくことで、悩まされるようなイメージを解消していけるのかもしれません。(もしも、何者かに・周辺に…外からの刺激として、呪いや祟りを思わされるものや現象、募る思いがあるならば…それを祓い清めたり送り返したりしてくれるイメージに、外からの情報や刺激の内容を置き換えることで、悩みや不安感を払拭したり和らげたりする…といったところでしょうか。)


スピリチュアルやヒーリングにまつわる動画でも、トランスセラピーといった心や精神面への影響について、ちゃんと研究してきている方の(龍の癒し人さんの『神霊祈祷』というタイトルで始まる、潜在意識に作用して自己治癒を高めるといった手法が下地になっている、お祓いや解呪のご祈祷などの)ものは、見てますと…やはり生半可な技術じゃない・修行と研究が徹底しているから、なんかすごい…大したものだなぁと思ったりしています。

(龍って、実在はしないイメージ上の存在ですよね。古代人にとっての実在性は、恐竜の化石から説。なのでそのまま、それ(龍)を見ようとする人間の感受性とか、人の心とか精神とか魂そのものを意味しているのかもしれません。あるいは、何かに関心を寄せる人々の、その集合的な有意識や無意識全体・集合する意識の流れを“龍(=流)”とするのか…動画で拝見した“龍癒人”さんとは、視聴されるクライアントの規模(“龍”の大きさ)を鑑みつつ、その各々の人たちの心や精神や魂の癒しを担おうとする人のことなんだなって考えたりします❀)


お彼岸ですので、コバトンボは世に配信されている般若心経など読経系の動画に、お世話になっておりますw

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コバトンボは、書く技術についてどーにかならんのかな(汗)と自己反省しつつ(水星逆行の時期を避けてみても、なんかどーしょーもないモノを感じます…)、今回はここら辺にしておこうと思います。


残りの春のお彼岸の日を、皆様がどうか穏やかに幸せに過ごされますように❀