今回のテーマ:

平安時代の女君たちは、

牡羊座火星を存分に活用して恋をしていたのでは。

少なくとも、源氏物語の中では。

激しい恋の葛藤やドラマチックなエネルギーは、牡羊座火星の熱量そのもの🌟


牡羊座火星の性質:

未知の領域への挑戦、切り拓く力、あふれる情熱、自己主張。


火星は、牡羊座の支配星。

火星は、外へ向かって自分を表現する時のエネルギー。

牡羊座で最もそれを発揮します🌟



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紫式部は、火星期に源氏物語を執筆した。

火星期:34歳~45歳


紫式部の生年の有力な説は、973年または978年。

源氏物語を執筆したのは、1008年~1021年ごろと言われる。

なので

紫式部が源氏物語を書いたのは、30代前半~40代前半。


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さらに。

紫式部の出生図を作ってみたのがこちらの記事👇

源氏物語の女君と星座 ③紫式部


あくまで私が独断でつくった出生図ですが、偶然にも!

紫式部の出生図、MCが牡羊座なのです✨


MCがあらわすのは、人生の目標。

人生で、最終的にたどり着く場所。


MCが牡羊座の人:世の中に、新しい自分ならではのものを生み出す。

                         ※参照:星読みテラス


人生の山頂ともいえるMCに、火星がのっかってくる。

しかも、紫式部の場合は、MCが牡羊座(私の妄想!)。

2年間で12星座を1周する火星は、牡羊座に戻ってくるたびに、紫式部のMCを刺激した。

その時期を活用して、源氏物語を書いていったのかも。


紫式部は、牡羊座火星のエネルギーの後押しを受けて、誰にもできなかったことを成し遂げたのかもしれません🌟


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それで、

今回のテーマ『平安時代の女君たちは、牡羊座火星を存分に活用して恋をしていたのでは。』に戻るのですが。


平安時代の女性は、太陽を生きていた。

少なくとも、太陽を生きようと必死だった。


これも私の想像ですが、自分の生命の源である太陽を存分に輝かせて生きることで、男性を惹きつけていたのだと思うのです。

そうすることでしか、男性を引き寄せられないというか。

そもそも、平安時代の女君たちは、動けないのですから、太陽を生きて自分だけの光を放つことは、それこそ必死、人生に直接かかわってくることなわけです。


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太陽を輝かせていた女君たちだからこそ、次にくる火星期でも、思いっきり火星を生きることができるのです。

ただ、男性をひたすら待ち、男性にその身と人生を委ねて、庇護されるだけの弱い存在ではなく。

『この私』というブランディングを徹底して、工夫を凝らして、存在感をアピールした女君たち。

そして、火星期では、さらに、外向きのエネルギーを手紙や美意識に込めて、男性を惹きつけ、自分のペースに引き込む。

当時は、老いの始まりでもある火星期だからこそ、サバイバルとしても火星を発揮していたことでしょう。


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女君たちは、牡羊座火星のもつ、とても積極的で前向きな、『この私』を表現する力を、存分に活用していたと思われます🌟


アグレッシブな火星の熱量を感じさせる、まさに牡羊座火星を活用していたはずの、源氏物語の女君たちです。