今回のテーマ:平安時代の女君たちは、
自分らしさの太陽を輝かせることで男性にアピールした。
太陽期をどう生きたか。
※『源氏物語』をもとに、私の想像が入っています。
平安時代の姫君は、まさに深窓の令嬢。
御簾の奥は、身を隠す場所なんかではなく。
自分の「個」を極限にまで磨き上げるクリエイティブ・スタジオでした!
その熱量は、並大抵の「自分オリジナルな太陽の輝き」ではなかったはず。
自分オリジナルとして太陽を輝かせる女君たち。
なにしろ、御簾の奥にいたままで、男性にアピールしていくのだから、よほど太陽を輝かせないと男性が近寄ってこないわけで。
そういう意味では、平安時代の女性は、現代の女性よりはるかに太陽を生きていた🌟
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平安時代の女性は、自分オリジナルの太陽を徹底してブランディング。
焚き染めるお香。
教養と豊かな感情溢れる和歌。
見惚れさせる筆跡。
和歌を届ける紙や折り方の雅な工夫。
オリジナルな調度や十二単。
強烈な太陽の輝きを、御簾の外に放ち、男性たちを引き寄せたわけですね🌟
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ただ、平安時代の女性の結婚適齢期は、金星期。
金星期: 15~24歳
太陽期: 24~34歳
まだまだ、太陽の輝き全開とはいきません。
そこで登場するのが、母君🌟
母君というプロデューサーの存在が欠かせなかったわけです。
当時は、母方の実家がすべての実権を握っていました。
結婚しても、娘は母方の実家に住まい、婿に関する経済的負担も、子育ての場も、母方の実家でした。
結婚適齢期である、金星期の娘をプロデュースするのも母君の役目。
母娘の連携プレーで、金星期の娘の太陽を輝かせ、「家」を存続させていったのです。
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平安時代の女君 《太陽の輝かせ方》:金星期=結婚適齢期の娘⇒母が太陽を演出
太陽期=結婚後の娘、自分らしさの太陽を体現・確立⇒母は後援
娘の太陽を母親プロデュースで輝かせる、最強の成功例の一つが、
娘彰子と、母倫子でしょう。
源氏物語は、道長の娘:彰子のために書かれたもの。
彰子のサロンに、紫式部をマッチングさせた母倫子のバックアップあってこそ。
無口で控えめな彰子の太陽を、母倫子はじっくりと育てていったのでした🌟
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源氏物語を読んでみると、
なんとまあ、個性豊かな女君たちですこと🌟
目いっぱい太陽を輝かせている証拠!!
ただ。
結婚適齢期だった金星期で、太陽を輝かすことができなかった女君は、その後の人生が乏しいものになっていったように見えます。
たとえば、夕顔。
太陽をプロデュースしてくれる後ろ盾の母親がいませんでした。
👆私の空想上、夕顔は蟹座だった、と書いたのがこちらの記事。
夕顔の、儚さ、ほっておけない感じ、高い共感力。
そのあたりから蟹座だと感じたのですが、蟹座のポジティブな面が発揮されていないようにも感じて。
蟹座のお母さん的な懐の大きさ、愛する人を守る力、不要なものをハサミで切る行動力。
夕顔は、こうした、活動宮としての蟹座の強さ、自らの信念のために凄まじいパワーで突進する力が発揮されていなかったようです。
金星期で、太陽を輝かせることが難しかった夕顔は、太陽期を待たずして、19歳頃に亡くなっています。
平安時代の女性にとって、「私はこう生きる」という太陽を輝かせることが、現代よりもはるかに大事だった。
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夕顔。
まるで、太陽を待たずして、消えてしまう象徴としての名前のよう。
太陽の意図を持たなかった、
太陽という未来を持てなかった女性として。
太陽期を生きることができなかった女性として。
紫式部は、夕顔を描いたのではないか、と思います。