前回、

冥王星のアウトオブバウンズについて書きましたが、

その期間中に上演されたアニメ映画

「果てしなきスカーレット」にも、

イザナミ&イザナギ神話を感じました。


ただ今回は、人生の縮図と言われる

カバラ(生命の樹)を使って考察していきたいと思います🙏




人生の縮図カバラ(生命の樹)には、

人が目指すような【勝利】や【栄光】



そして、


その奥の深い世界も描かれていて、



映画「国宝」は、


「実写」という現実世界だからこそ描ける

【美】の手前に出会うかもしれない【悪魔】【死神】について美しく描かれていました。


※考察はこちら↓

人生の縮図カバラで紐解く映画「国宝」〜『美』の手前で出会う死神/悪魔(⚠️ネタバレありです) | Owlbook(アウルブック)


一方、

映画「果てしなきスカーレット」は、


「アニメ」という架空の世界だからこそ描ける

この世とあの世の「間」や【美】の「成り立ち」が美しく描かれていました。


同じ時代、同じ年に上映される映画には、何かしらつながりがあるのかも。


そして、



映画からの問い



【生きる意味とは?】


【人間とは?】


【愛とは?】



わたしなりの答えは、

細田守監督の企てに、この投稿を通して、仲間として【参加すること】🤩


さっそくネタバレ全開で参ります!






ではまず、



悪役が目指すような【勝利】や【栄光】は


叔父がその役を担ってくれている。



映画「国宝」でも語った通り、


【勝利】や【栄光】、【美】の手前で


【死神】と出会うことがある。

叔父の場合は、


雷の裁きがくだり【崩壊】をむかえる。

この審判は、


まさしく崩壊を表すタロットカード


【塔】に重なりました。



そして、スカーレットも
同じく【死神】に出会う

ただ、スカーレットの場合、


雷の裁きはくだらなかった。



2人の審判を分けたものとは何か?



人生の縮図カバラ(生命の樹)では、


【美】が基準となって審判がくだる

と解釈していきます。



映画「国宝」では、


【美】=景色と解釈しましたが、



映画「果てしなきスカーレット」の


【美】とは何か?



まず、叔父は何を目指したのか。



叔父自身の言葉

「やられる前に支配しろ」

「私は国王だ。大軍を統べる英雄だ。」


「見果てぬ場所は私ひとりのもの


誰にも渡してたまるものか」

(原作小説から引用)


この言葉に象徴される

争いのある支配的な世界」を目指した。



一方、



スカーレットは何を目指したのか。



父の言葉

「憎しみに囚われ、誰かを恨み続けるよりも

君の人生を、大切に生きてほしい


君らしくのびのびと輝いてほしい」

(原作小説から引用)


スカーレット自身の言葉

「あなたを許せたわけじゃない。だけど

もう止める。争いが終わるように今まで願った全ての人々のために」


「それで、未来の人たちが、仲良く平和に暮らせるかもしれないのなら」

(原作小説から引用)


国の人々の言葉

「ほんとうに、争いがなくなる世界がやってきますか?」

「それなら私たちも、あなたを信じて、諦めずに努力します」

(原作小説から引用)


この言葉に象徴される

争いのない平和な世界」を目指した。

以上、



スカーレットには雷の裁きがくだらないことから

【美】=争いのない平和な世界

と、解釈しておく。






では続いて、


この【美】の

成り立ちについて語りたい。

スカーレットは、


当初復讐の為の争いをしていたので、


どのような過程でこの【美】に至ったのか。


人生の縮図カバラ(生命の樹)では、

行:【美(太陽)】→【冥王星】→【海王星】


帰:【海王星】→【冥王星】→【美(太陽)】


という過程で解釈していく。




また、

【男性性】と【女性性】のような


闇と光、過去と未来、陰と陽、etc...


相反する2つのものが1つに調和する過程でもある。







まず、

相反する2つのものが


1つに調和する過程について。



スカーレットという「女性」キャラクターは、


男性性強めから女性性を取り込んでいく

「陽」の領域を象徴している存在だと思っている。



「復讐」の為に争うという男性性強めから


聖の女性性を取り込み変化していき


自分を許すことで復讐を止め、「生きる」を選ぶ。


(印象的なシーンは、聖の看護中に女性としての恥ずかしさや聖への気持ちを意識する変化)




一方、


聖という「男性」キャラクターは、
女性性強めから男性性を取り込んでいく

「陰」の領域を象徴している存在だと思っている。



「救済」の為に争わないという女性性強めから


スカーレットの男性性を取り込み変化していき


救済の為に戦い、「死ぬ」を受け入れる。


(印象的なシーンは、聖が楽器を武器に交換し、子どもを守る為に戦う変化)




他のキャラクター含め、様々なところで、

闇と光、過去と未来、女と男、etc...


相反する2つのものが1つに調和していく







では、最後に、

巷で不評なシーンの解釈へ。

Youtube動画はこちら↓

https://youtu.be/vOPY3hEYM4Y


いわゆる「渋谷ダンス」の謎について語りたい。


結論から先に言うと、

【渋谷=海王星】という解釈をしました。


人生の縮図カバラ(生命の樹)では、

行:【美(太陽)】→【冥王星】→【海王星】


帰:【海王星】→【冥王星】→【美(太陽)】


という過程で解釈しますが、


【太陽】からまず【冥王星】で「時空をこえる


動画の冒頭とラストに、わたしは、時空をこえていく感覚を受け取りました。

ここは映画館でこそ、その真価を発揮する!?


そして【海王星】は、海、意識の深淵


海王星は、

すべての記憶があるところ

時代としては「過去」のスカーレットと「未来」の聖という


相反する2つのものが


1つに調和する世界「祝祭」


スカーレットは、この「祝祭」をみた

自分とはまるで別の人生を生きている自分がいる。

泥まみれでも血まみれでもない。


これまで追い求めてきた復讐の旅とは、完全に無縁な自分。


かつては想像もしなかった、自分とは別の自分の可能性を、目の当たりにした。


もう一人の自分を見ながら、さまざまな感情が渦巻いた。羨望、驚き、哀しみ。復讐しか考えない冷たい顔ではなく、純粋な喜びに満ちた顔。重荷を背負った姿ではなく、伸びやかで軽やかなダンス。


それはスカーレットがこれまで

自分には許されないと思っていた姿だった。

(原作小説から引用)


調和する世界を「みた」からこそ

【美】に変化がおきていく


この過程がなければ、

スカーレットは復讐を果たしたとて


その後は死を選んでいただろう。


巷で不評なシーンこそが

実写では描けない


アニメというファンタジーだからこそなせる


神業なのではないかと

わたしは思いました🙏


ただ、ここまで語ってきたが、

わたしを含め、


この映画に多くの人が抱いた「違和感」

結局そこに向き合うかどうかなのかと。


心の問題も、

たいていは「違和感」から始まると思っている。


モヤモヤっとした違和感

そこを無視し続けると葛藤になり


現実的な事件となって警告してくる


だからこそ

最初の「違和感」と向き合えるかが


この映画の最初のメッセージなのかもしれない。




改めて、

映画からの問い



【生きる意味とは?】


【人間とは?】


【愛とは?】



わたしなりの答えは、


細田守監督の企てに、この投稿を通して、仲間として【参加すること】🤩


わたしにとって、

この映画も【国宝】でした✨


ここまでお付き合い頂き誠にありがとうございました🙏