こんばんは、うしです。
前回、前々回の投稿を経て「次はカイロンだな」と思ったので、今回はネイタル小惑星カイロンについてのお話をしたいなあと思っています。
カイロンが表すのは魂の傷や癒し。
今世のこの命の傷やトラウマというよりは、過去世から引き継いでいる傷やトラウマ、という感じでしょうか。「何故かは分からないけれど、昔から〇〇に対する苦手意識が強い」とか「何故かは分からないけれど、〇〇が怖い」とか、そういうものとして持っているものかなと思います。
私のネイタル小惑星カイロンは獅子座11室。
獅子座は自己表現のサイン、11室はコミュニティやサークルなどの集団を表す部屋。そこに傷があるということは、自己表現することが怖かったり自信がなかったり、集団に馴染めない感覚を強く感じやすいという解釈が出来るわけですが、私は昔からこの感覚がめちゃくちゃに強いです。
Owlbookではこれ以上ないくらい自分自身の話をしているし、寧ろこれ以上ないくらい自分自身の話をすると決めているので、「自己表現に魂の傷があるだあ!?!??」と思われるかもしれないのですが、世を忍ぶ現実世界の私は自分の話をするのが物凄~~~~~~~~~~~~~~く苦手です。この人生の中で「喋らない」「喋れ」「何考えてるのか分からない」「つかみどころがない」とはよく言われたものです。まあ前回の記事を読んでくださった方なら察していただけると思うのですが、ああいうことを感じたり考えているうしですから。
”集団に馴染めない”という点においては、そんな私だからこその必然な感じもしますが、約7年の不登校ひきこもり生活というのが分かりやすく物語っていると思います。周りの女の子達がNE〇SやKAT〇TUNにキャーキャー言ってる中、小学生の頃から一人PIERR〇Tのボーカリストであるキ〇ト様を \神様/ と崇め、NIGH〇MAREのギタリストである咲〇様を \先生/ と敬愛し、歌詞を考察するブログを書いたり内観に勤しんでいた異端児ですからね。馴染めなくて当然というか、寧ろ自然な流れという感じもしますが。
さて、ここからカイロンについて掘り下げていきたいのですが。
私のカイロンは獅子座4°にあります。
サビアンシンボルは獅子座5°『絶壁の端にある岩の塊』。現実に直面し、我慢強さや忍耐力、耐久力を身に付ける度数。
同じく獅子座4°には真実、正直さ、現実に直面する勇気、明らかにするという意味を持つ小惑星トゥルースがあり、0°でコンジャンクション。
対立の角度と言われる180°先には、歴史に名を遺すような才能、芸術、名誉を表す小惑星クリオが水瓶座1°、悲劇、裏切りや不正に対する深い怒りを表す小惑星メデアが同じく水瓶座1°、物事の本質や真実を追求し、それを最も重要視する態度、透明性、誠実さを表す小惑星ヴェリタスが水瓶座6°でいずれも5室に。オーブ5°圏内からは外れていますが、枠や制限を表す土星と、「幸運位」とも呼ばれる天賦の才や幸運の鍵を表すパート・オブ・フォーチュン、宿命や他者から求められている役割を表すバーテックス、隠された欲求や抑圧された女性性を表すブラックムーン・リリスも水瓶座にあります(この4つはタイトにコンジャンクション)。
葛藤の角度と言われる90°先には、真実の愛、見返りを求めない愛、偏見のない愛を表す小惑星アムールが牡牛座4°、チャートルーラーでもある言語やコミュニケーションを司る水星が牡牛座5°でいずれも8室に、パフォーマンス、役割を演じ分ける能力、表現を表す小惑星アクター(逆行)が蠍座6°で2室に。こちらもオーブ5°圏内からは外れていますが、魂の目的を表す太陽、愛や喜びを表す金星も牡牛座に、破壊と再生や徹底的な拘りを表す冥王星、超越的な創造エネルギーの在り処や見えざる力、物質世界の呪縛を表すダークムーン・リリスも蠍座にあります。
そう、『”登録していただけ”だったOwlbook、ついに初投稿。』でも取り上げた、私のチャートルーラーでもある水星がカイロンに対してタイトにスクエアのアスペクトを組んでいるのです。
言葉による自己表現
ここに傷と葛藤を持ちながらも同時に癒しがあると捉えているし、思い返せば昔からずっと私は私のことを文章にしてきました。今はなき某ブログサイトとか今はなき某掲示板のエッセイ板とか日記板とか、その時々で場所や内容は違うけれど、私は私の文章を書き続けてきたしそれに癒されてきました。
少し離れているけれど、人生の目標や今世地球でやりたいことを表すアンチバーテックスも獅子座にあり、「魂のチャート」と呼ばれているドラコニックチャート(龍頭図)では太陽・金星・水星が獅子座でグランドコンジャンクションしていますから。結局私は自己表現をしたくて堪らない人であり魂なのだろうなあと思う。
Owlbookでの投稿は、そんな魂の傷を癒すために書いていると言っても過言ではなく、それをさせてもらえる場所を提供していただいていることに感謝でいっぱいです。そして、木星が獅子座に移動するこの2026年にこの流れが起きているということが凄く面白いし、1月17日に突然駆り立てられるようにしてOwlbookへ初投稿をして、その2日後に山羊座新月が訪れたわけですが、私のネイタルチャートで山羊座が担当しているカスプは獅子座と紐付いている自己表現の5室。更にこの山羊座の月が満ちるのは6月30日、この日は山羊座満月であると同時に木星が獅子座にイングレスする日なんですよね。何だか凄く星の流れに乗っているというか導かれているというか誘われているというか、そんな感覚を感じずにはいられないのです。
ちなみに、調和の角度と言われる120°(水星にとっては協力の角度と言われる30°)先には主張や行動力を司る火星が牡羊座6°にあるので、「俺がリードするから大丈夫☆やっちまおうぜ☆」って感じで、グイグイ引っ張って行ってくれている感覚もあって、有り難いなあ~~~とも思っている。ちょっとキャラはおかしいが。キャラをおかしくしているのは私だが。
最近はリアルでも漸く自分の火星力を発揮するということを徐々に許せるようになってきて、本当に本当に少しずつだけれど「NO」を言えるようにもなってきました。
改めて形式を変えて書くけれど、自分を表現すること(獅子座)と集団に馴染めないこと(11室)に魂の傷(カイロン)を持ち、個性的であることや自由(水瓶座)に表現すること(5室)への制限(土星)と、欲求を抑圧する力(ブラックムーン・リリス)と対立(オポジション)し、今の世の中ではタブーと思ってしまうような、秘めておかねばならないと思ってしまうような(8室)思考や言葉(水星)と葛藤(スクエア)している私がこの文章を書き、公開しています。しかもこの傷は我慢や忍耐といったキーワードを持っている。
最後のほうにも書いたけれど、この記事を投稿することは私にとって凄く怖かった。その怖さには、自分の”まんなか”にある、自分の核となっている本音だからというだけではないものがあったのかなとも思っています。
しかし、”書く”というところで終わるのではなく、実際に他人様の目に触れるようにするという行動に移すことができたのは自分自身と向き合い続けたからでもあると思うけれど、やはり星の存在がそこにあると知っていたからというのが凄く大きくて。きっとこの配置と意味を知らなかったら、星読みというものが私の世界になかったとしたら、今も私は自分の”まんなか”にある光を内に秘めて生きていたと思うし、占いについての深い話や自分の中にあるスピリチュアル的な感覚を文章に書いて人目に曝すなんて、「ツインレイ」や「ソウルファミリー」などという言葉を自分の文章に用いるなんて、許せていなかったと思うのです。昔から自分の中にあったものは書いてきたけれど、もっともっと現実的な視点だけを持って文章を書いていたので。スピリチュアル的な感覚が拓いていなかった、とも言えますが。
けれど、実際にカイロンがあるのは11室なのだけれど、獅子座が担当しているカスプは12室なので、きっと私が本当に表現したかったのはこういう世界観で、でもそれを表現することで傷付いてきたのかもしれないなあとも思っています。
そこに魂の傷と癒しがあると気付いたからこそ、そこに制限を持ってきたと気付いたからこそ、それを秘めておかなければならないと思ってきたと気付いたからこそ解放することができた。
スピリチュアルな界隈や宇宙理論を扱っている界隈では「手放す」とよく言いますが、手放すにはまず認知する必要があるんですよね。もしもそれが自分の中に全くないものなのであればきっと反応すらしないし、本当に全くないものをわざわざ「全然そんなことないけどそうなのかも???」って採用する必要はないと思うのだけど、何かが引っ掛かる感覚だったり、ざわっとする感覚だったり、もやっとする感覚があれば、影響の大小や重い軽い、深い浅いは様々だろうけれど、きっと”何か”はあるはずで。
前回の記事で書いていた「占いは信じてはいけない」という話題に関する庚的切り口(?)を書くとしたら今なのかもしれないと思ったのでちょっと書いてみようかなあと思うのですが。
私の記事を選択して読んでくださる方々は漏れなく全員大丈夫だと思ってはいるのですが、人によっては負の感覚を引き出されるということもあるかもしれないので、読まれるかどうかは自己判断にてお願いいたします。
愛は存分にあります🫶🏻寧ろ愛の塊でございます🫶🏻
これは”外側(現実)は内側の投影”という視点を採用した意見なのですが、「占いは信じてはいけない」という批判的な声にネガティブな感覚で反応するというのは、自分の中にも少なからずそういう感覚があるからで、そこに抵抗しているからなのだろうなと思ったのです。
これはあくまでも想像ですが、占いを仕事にしていて(仕事にしようとしていて)、且つその意見に強く反応を示した人ほど”占いが好きなのに、対価をもらって提供しているのに、その反対にある感覚が自分の中にあること”に罪悪感や後ろめたさみたいなものを感じてざわざわしたり、そのざわざわした感覚を感じたくない、認めたくないが故に反発する感覚が浮き出てしまう人が居たりもするのかなあと。
私としては「そういう意見がある」というのを知った時も「こういう意見があって、それに対して5000いいねがついていて」というお話を聞いた時も「まあそういう人もいるよね~」「まだまだそういう感覚の人も多いよね~」みたいな感じで、どちらかと言うとそれ自体がどうこうと言うよりは「この話題の落としどころはどこに設置されていてどう着地するんだろう?」というところに興味を持っていたのですが、そんな私でも「この人になら言ってもいいな」と思う人にしか自分が占いをやっていることは言っていないし、でもそれって結局「占いをやっていると言うと”怪しい”とか”胡散臭い”とか”そんなの信じてるの?”みたいに思われるんじゃないか」とか「怪しいと思われたくない」「変な人だと思われたくない」「引かれたくない」みたいな感覚が少なからずあったり、裏を返せば「マトモだと思われたい」とか「信頼されたい」とか「立派な人だと思われたい」みたいな感覚があるからだなあと思っていて(冒頭にも少し書いたけれど、キ〇ト様ことを「神様」と呼んでいるくせに「良い人だと思われたい」「嫌われたくない」って思ってきたよなあ私、って気付いた瞬間があって、その時に「我、庚持ちのキ〇ターぞ???」と我に返り、自分の日干を好きになることができたということがありました。今は前回の記事に書いたことを経たので最早愛している)(ちなみに、若かりし頃は相当~~~な暴れん坊将軍だったキ〇ト様、漢字で書くと切人であり、ご本人のキャラクター性を見ても庚を象徴しているような人ですが、日干は庚ではなく乙。まさかの草花な上に、太陽星座も『大きな愛で包む女神』と言われている魚座です。オモロ過ぎるだろうが。しかし、実際めちゃくちゃお茶目で深い深い愛の人だなあとも思っていて、それを感じられる動画がこちらにあるので是非見てみてほしい。私はこの動画が大好きだし、「この人の素晴らしさを9歳の時に分かっていた私、凄すぎん???」と思っています)(相変わらず余談が長い)(読みにくくてごめんなさい)。でも、「占いってそうじゃないはずだ!」と思う自分も居るし、「それでも私は占いの可能性を信じたい!」と思っているし、「もっともっと占いが一般的に日常のものとして浸透してほしい!」という願いがあるからこそ葛藤があったりもして。
そういう感覚って、きっと私だけではないんじゃないかなあと思うんですけど。
ただ、もっと掘り下げて言うならば、最早”占い”というのはただのラベルに過ぎなくて、それぞれがそれぞれに持っている罪悪感や後ろめたさや批判されることへの恐怖や不安、それに対する抵抗といった周波数(波動と言ったりもしますが)そのものを現実世界に投影した結果、こういう外側の声として目や耳にすることになったり、「認めてほしい」とか「愛してほしい」という欲求が声を上げている人が多いからこそ、多くの人達がこの事象を見せられるということが起こったんじゃないかなとも思うのです。
だからこそ、「占いを学びたいと思ったきっかけや理由に光の欠片があって、それが違う世界線に連れて行ってくれるヒントになってくれると思うから初心に立ち返ってみよう」という視点も勿論素敵だし、その光の欠片を”まんなか”に置くというのもと~~~~~っても大切だと思うのだけど、それ以前に、罪悪感や後ろめたさや恐怖や不安や抵抗や「認めてほしい」「愛してほしい」といった欲求が少しでも自分の中にあると感じるのだとしたら、それが自分の中にあるということを許して認めるということも、この一連の出来事は促していたのではないかなと。
私自身、上記で書いてきたようにカイロンが獅子座にあるので「認めてほしい」「愛してほしい」という欲求が特に強くて。でも”その欲求に気付けていなかった”というか、”気付けていなかった”はちょっとニュアンスが違うかな、”何年も何十年も「私にはそんな価値はない」と抑え込んで生きてきたからこそ、いつの間にかその声すら発することがなくなった”と言ったほうが合っているかもしれない。私がインナーチャイルドに根気強く語り掛けていた時に初めて返してくれた言葉は、たった一言「認めてほしかった」という言葉だったので。その欲求が自分の中にあったことに気付くことができた時、「認めてほしい」「愛してほしい」という欲求を持っていることそのものにOKを出し、「私はもっと認められていいし、もっと愛されていいし、もっと大事にされていいんだよ」と自分自身に許可を出したのですが、それによって凄く楽になったんですよね。私は他の誰よりも私に認めてほしかったんです。
その他の感覚も玉ねぎの皮を剥くように、手放したと思ってもまだ出てくるなあと思ったりもするけれど、その感覚を否定したり蓋をして見ないようにしたり抵抗するのって結局解決にはならなくて。その感覚を今自分の中に感じるのであれば、まずは「今自分はその感覚を使っている」と認知すること。そして、その感覚に共感・受容した上で「大丈夫、感じたいだけ感じ切ればいいよ(SELF HUG🫶🏻)」と許すこと。ここまでがセットだと私は思っています。ネガティブな感情って「嫌だな、感じたくないな」と思ってしまう感覚だとは思うのだけど、その感覚が今自分の中にあるということを全受容して「感じたいだけ感じ切ればいいよ」と言っている時の体感覚って、温かくて、じんわりしてて、安心できる愛の感覚だと思うんです。で、もし、その時点で「まだ感じたいんだ!」と内側が言っているならば(モヤモヤする感覚やざわざわする感覚が消えないならば)とことんその感覚に浸ることを許せばいいし、「あ、もう充分ッス✋🏻」ってなるのなら勝手にスッと消えていくのでそれをそのまま受け入れれば良くて。その過程の中で「本当はこうだった」っていう本音がポロポロと出てきたりもするし、複合的に組み合わさった色んな感覚が紐解かれていったりもするなあというのが私の経験談なのだけど、それもそれとしてぜ~~~~~んぶ丸ごと受け入れます。外側と戦わないことも大事だけれど、それ以上に自分の中にある二元を否定しないこと、負の感覚を持っていることやそれを感じることを悪にしないことが”力みなく”できるようになること(「そうならなきゃいけない!」って思うのはまた違うので、あくまでも”力みなく”というのが重要)で、自然と二元を超えた視座から物事を見れるようになるのかなと思っています。
以上、「占いは信じてはいけない」という投稿が話題に上った時に私が感じていたことでした。
人によってはこの文章で抵抗が生まれたりすることもあるのかもしれないなと思ったので、先に注意書きをさせていただきました。
けれど、私がこのことに触れる記事を書く流れの中に居るのは、きっと何かしらの感覚を手放すタイミングの方がいらっしゃるからなのだろうなあとも思うし、私自身が庚の力を表に出していくことを許すタイミングでもあるのだろうなと思っています。内容的に結構切り込んでいる感覚もあるのですが、どうか優しい時間となることを祈っています😌
カイロンからは離れたようで直結しているような話でしたが、癒すことも手放すこともやることは変わらないのではないかなと思っています。認めることで癒され、認めることで手放されていく。私も、これを読んでくださっている方も、一緒に身軽になっていくことができたら嬉しいです。
さて。
カイロンの元となっているのは、ギリシア神話に登場するケンタウロスの一人であるケイローン。
ケイローンについての神話や資料は色々と見られ、射手座になった話は有名かと思いますが、個人的にはケイローンの妻であるカリクロとの話に興味があって。二人が如何にして出逢い、夫婦になり、どのような関係を築いていたのか。すご~~~~~く興味深いのですが、特にカリクロについての神話が殆ど残っていなくて私のサーチ力ではほぼ何も分かっていないんですよね。
というのも、小惑星カイロンと小惑星カリクローが0°でコンジャンクションしている人間関係というのは何らかの意味があるように感じていて。カイロンは魂の傷や癒しや医療、カリクローは傷の手当てやスピリチュアルな目覚めや慈愛を表すので、何となく優しい、柔らかい愛の感覚は感じ取れるのですが。
もし、この本に書いてあるよ~!みたいなのをご存知のギリシア神話に明るい方がいらっしゃったらマシュマロから教えていただけるととっても嬉しいです🥺ご自身の記事にして思う存分語っていただくのも大歓迎ですが。何卒よろしくお願いいたします🥺
🐄🐄🐄
酒田さつきさんが『見えない世界の話。』で、うしの記事を取り上げてくださいました🫶🏻
あんなに長くて読みづらいであろう記事を読んでいただけたことも勿論嬉しいのですが、うし以外の方の記事が新たに生まれ、この世に放たれるきっかけになれたということがと~~~っても嬉しい。
私は私自身の光のビジョンに対して「るろうに剣心とか銀魂のワンシーンにありそうな景色だなあ~」なんて思っていたので、「BLEACH的な」と書かれているのを見て「ンア~~~~~~!!!あなたはそういう世界観なのね!!!」と思いながら読ませていただいていました(奇声を上げてすみません)。私の場合は刀と対話するという感覚はなくて、何と言うか、剣を呑み込むマジックってあると思うんですけど、あんなニュアンスをイメージしていただきたくて。”物理的に私の体内にある”みたいな感覚なのです。刀そのものが人格(?)を持っているという感じでもなく、あくまでも無機物だと思っているので、こちらから語り掛けることはなく、あちらから何か語り掛けてくるでもなく、”ただただ静かにここにある”という感覚。そこにチューニングを合わせると静寂に包まれます。勿論実際体内にはないし(うしは実際に刀を呑み込むどころかマジックもできないので)、刀だからといって体内が傷付いてる感覚も勿論ないし、身体という空洞(筒?)(器?)の中心に浮いている、みたいな感じ。
ちなみにBLEACHでは涅マユリ様が好きです。超余談です( ◜◡◝ )
そして、今回のように記事にならずとも誰かの内観のきっかけになれているのだとしたら嬉しいなあとも思っています。
うしは占いの人ではなく内観の人であると自負しているので、”占いが軸にある”というよりは”内観が軸にあってそこに占いがくっついてる”みたいな感覚を持っているのですが、占いの有無を問わず内観についての記事もいずれは書いていけたらいいなあと思っているし、昨年からずっと「内観パートナー」というワードが私の中に届いているので、ゆくゆくは内観に付き添う人というところに行けたらいいなあとも思っていたりします。現実的な悩み相談に乗るというよりは、私が感じ取ったその方が気付いていないであろう思い込みをお伝えして内観を深めるための鍵をお渡しするみたいな感覚。&Uだとクリアランスメゾットが近いのかな???と勝手に思っていますが。
金星→太陽→水星→火星と次々に個人へ影響する天体達が水瓶座へ移動し、その影響をモロに受けているのか何なのか、うしの未来ビジョンも語ったところで今回は終わろうと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました🌟