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自己探求

タロットいじってたら「貘(ばく)」が出てきた件。前説02

「前説」という言葉には、以下の意味があるそうですね。

GoogleAIによる概要

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前説(まえせつ)とは、ライブやテレビ収録の本番前に、観客への諸注意やマナー説明、会場を盛り上げるためのトーク、簡単なネタ披露などを行うことです。主に若手芸人やADなどのスタッフが担当し、出演者の登場前に観客のテンションを上げ、本番への期待感を高める役割を持ち、芸人にとっては平場のトーク力や対応力を鍛える重要な場でもあります。

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単なる前置き的な説明の機会…という程度にしか思っていませんでした(汗)前説って言葉には、こんな実際的な意味があったんですね。

こんな面白くない内容、前説ナメんなとか思われそうですね…(汗)

知らなかったとはいえ、言葉を使ってしまったからには、面白くなるよう頑張ってみましょう。自信ないですけれど。

(前説じゃなくて、考察とか導入とかいった言葉だったら、よかったのかな?…でも、ソレもなんかしっくりこないんですよね。難しいものです)

ともあれ何事か制約の無い世界なので、自由にやってみようと思います。


改めまして、

昔から、タロットをテーマに考えていることがあり…その考えをまとめて、本を書きたいと思うようになりました。

(ちゃんと売れるものにしたいという願望があります。)


西洋から日本に輸入されてきたタロットは大変、魅力的で…本当に多くの方々を魅了してやまないものと思います。


占いのツールとしてばかりではなく、これまでタロットに見いだされてきた人や物事へのナラティブとしての作用や展開…

自分の考えていることは、タロットに込められているという0から21の旅路物語に、ちょっとならず違う視点をもたらすものとなりそうです。


その視点から見つめるタロットは、読み手によっては、たとえば

古く神秘学に謂われてきた『セフィロトの樹』をなぞらえたり

聖書を紐解けば、マタイの書にある『十人の乙女のたとえ』というくだりをなぞらえることもできそうで

段組みを眺めると、お能で聞いた『神男女狂鬼』として捉える事も出来たりと

今、思いつくのはコレくらいですが、特に10(人類らしく、手とか足の指の数)で、まとめられた話は様々、取り込んで考える事が出来そうです。


なので私は仮に、“貘(ばく)”と呼んでいます。

悪夢を食べてくれるという幻獣ですね。


ただしマイナスの扱い方もある気もします…

占いのツール・タロットを扱うからには、やはり読み手の心根・心がけ次第ということで。


この“貘”とは、どう付き合ったらよいのでしょう?

占いをしているときは大概の場合、全く現れません。

けど、この“貘”の性質を知っていると、読み解きの参考になるかもしれませんし

逆に、あまりにも“貘”に傾倒してしまうと…柔軟な読み解きができず発想力が縛られてしまうかもしれません。

そこは読み手を信じてみようかなと。


さて、“貘”とは何のことを話しているのでしょう?

それは、前説が終わった頃にでも。

(いっそタロットそのものが、占いそのものが、本来的には“貘”の一種なんじゃないかって気付きでも、よいと思います。)


前説が必要な理由は…「概念」というものが話の骨になるので、まずは血の通う肉体や顔…表情・感情、動きなどが見えるものとしてイメージしやすくするためです。

いきなり骸骨を見せられると、怖くなったりしますよね?

概念の世界でも、同じことがあるように思うんです。(それで失敗したことが、あった気がするので…)


動物のバクのされこうべだけ見せられても、不気味だし意味がわからないですよね。素人にはバクともわからず単に動物の頭蓋骨だとしか思わないし、そんなものいったいなんなんだって話で。

現実の動物・バクを犬猫みたいに飼うことは難しいでしょう。でかい。というか調べると、どのバクも絶滅危惧種として個人が飼うことを禁じられてます。夜行性だし、悪夢を払う験担ぎにしても、よほどの数奇者でなければ飼う気にもならないかもしれません。


そんなリアルのバクではなく、心に見る“貘”なので…コレについてを、どう書き表したらよいのかわからないままですが、不定期で、アウルブックに書いていこうと思います。

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実際の動物で言うバクでは、私はマレーバクが好きです。

身体の模様は独特の白黒で、もしかするとパンダロストの方々には、より印象的かもしれません。(全くの別物ですが…)

仔バクの模様など、とても瓜坊(イノシシの仔)っぽくて、でも足の爪が大きくて、不思議な存在感があります。

身体つきは、毛足が短く意外とスラッとした印象で、もっちりした感じがあり…ガラス越しに目の前で泳いでいる姿を見たことがありますが、動きはとてもダイナミックです。

普通(?)の茶色いバク…アメリカバク、ベアードバク、ヤマバクなどですね。も、バクに共通する独特の愛嬌があって、かわいいと思います。

特にバクは、鼻と耳に愛嬌を感じます(笑)


日本には野生のバクが存在せず、中国からの仏教伝来とともに、邪気払いがあるとする貘の伝説や毛皮などがもたらされたとのこと。

貘は夢を喰う…という言い伝えは、日本で発展したものなのだそうです。

きっと漫画や小説・アニメなどにも見てきたように、日本国は物語の分野でも伝統を重んじながらも施される魔改造大国たる片鱗を感じます(笑)

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タロットを、詩的解釈や修辞学的な捉え方をする試みとして、様々なスプレッド方法は楽しめるかもしれません。

もしかすると、様々なスプレッドの読み解きは、時の運で並ぶ絵札に占われる人にも、その詩的解釈や修辞学的な知的作用というものを刺激することで、行き詰まっている日常や関心事に対し、新たな視点や新鮮味をもたらすのかも知れません。

つまりスプレッド法の多様性は、そのまま展開される心の旅路の多様性といったところでしょうか。


動画占い師さんのオリジナルスプレッドの見事さたるや、各々方の心の旅路の豊かさ・言わば添乗員としての行き届いている様子など、さすがだなぁと思って視聴したりしますが

旅物語を辿ることで、占われる側は新たな発見や気分転換があると思います。


ナラティブとして、タロットを捉える。

としたら、タロットの持つ占いとしての神秘は、どこへ行くのでしょう?

占術ツールを触媒として、そのままセッションする占い手と占われる側の双方に、人間そのものから神秘は醸されるのではなかったかな、と。

それも一つの命の輝きだと思います。

人は、自分なりの命の輝きを求めているところもあり、占いもまたソレを人にもたらしたり指し示したりする営みだったかもしれません。


タロットそのものに感じる神秘の正体は、なんなのでしょう?

もとい、なぜ人はタロットを扱って神秘を発揮してきたのか?(シェルレェル…超現実主義での営みも、その一つだったかなと)(コバトンボは衒学者…にも満たないヘタレなので、詳しく知りたい人はイロイロ調べてみてください。『魔術的芸術』とか、アンドレ・ブルトンとか、その辺だったと思います。)

昔から、人々の手に手に渡り、道具として使われる用途に応じて姿を変え品を変えて、それなりの遍歴・歴史を持っているから…人間は各々が持ち合わせる・人となりの神秘で応えてきたのでしょうか。

始まりの頃、画家たちに見出された絵柄、数・札の意味内容なども、どうしてこうなった?という謎…長年をかけて手に手に渡らい、人々の醸してきた文化的営為そのものも、本当にミスティックです。


もはや人間、というだけで神秘なんでしょう。

神秘そのものであり、神秘を担うもの。

(けど、たぶん人間が神秘の領域たり得るには機微に満ちているからこそと思い込んでいるためか野暮はいけないと畏れている。平拍子が常の環境で裏拍を取り逃しがちなのを悔しく思う。みたいなこと?とか。関係ないと思うんですけれども、この世に生まれてきたこと・生きているだけで十分、神秘なのですから。)

もうちっと視野を広げると、生き物という神秘的な現象が、広い広い宇宙のなかで、今のところ地球上(と、地球由来のもの)でしか人類は知り得ていません。

宇宙探査には、何があるのかということそのもの、純粋な興味・知的本能…いずれ実用性や資源としての関心のほかに、生命の痕跡を探る・生命の可能性を探す、というものがあります。

宇宙探査の科学者たちが求めてやまないように、生命現象そのものが宇宙では神秘です。


そもそも宇宙そのものからして神秘です。

その宇宙という神秘のなかに、生命現象の一部として生きている私たち人類もまた、れっきとした神秘の一部だろう…という気付きを辿れます。


じゃあなぜ心臓は奇跡を識ったときめきにビートを奏でず平たい日常を襲う諸問題に心疲れて生きている…みたいなことになってる人々が、行き詰まりに悩む人々が、現実では尽きないのでしょう?

自他の醸す奇跡に慣れっことなり、神秘の只中たるはずの日常に想像力なく生きていれば、ワクワクする気持ちも忘れてしまいます。いずれ悩みに囚われてしまうかもしれません。

想像力を疚しく喰われた悪夢を常とし、いっそ悪事に荷担して生きているならば、絵空事の貘を知ったとて、あまり意味はないのでしょう。


…違うなぁ。

こういうことを書きたいわけじゃない。

話はどこでしたっけ?

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あ。そういえば、たぶん

大事なことを考察していません。


「ナラティブ」って、なぁに?(爆)


コレ、なんにも調べないで流してたらダメな気がしました。


端的に「物語」と訳されますが…ではストーリーとナラティブの違いは、なんでしょう?

人生で各々が経験してきた物語は、同じ国や地域に生まれても、同じ学校や家庭にあっても、違ってきます。

「体験してきた物語」を、ナラティブって言うらしいです。

ゲーム用語としてのナラティブから、私は言葉を知りました。

ゲームでのナラティブに関する研究は、とても進んでいるようです。

参考サイト:

「ペルソナ」「キャサリン」「メタファー」に実は共通点? 橋野 桂氏×副島成記氏が語る,記憶の設計論とは[G-STAR 2025]

https://share.google/v3eajGpWLjG3jnlYt

[CEDEC 2013]海外で盛り上がる「ナラティブ」とは何だ? 明確に定義されてこなかった“ナラティブなゲーム”の正体を探るセッションをレポート

https://share.google/6d5NMwsziCGmPEUt7


タロットをモチーフにしたRPGゲームといえば『ペルソナ』シリーズが有名なようです。初期作をプレイしてきましたが、もうシリーズとして世界を跨いでいるんですね。(ちなみに私は4が好きです。)

かつて発祥の頃はカードゲームだった占いツールとして知られるタロットは、現代になってコンピューターの中で“先祖返り”して、またゲームになっちゃった!?…みたいですね(笑)

そういう視点で見ると、また面白い・興味深いところです。


スミマセンうろ覚えや読みかじり(理解に確信がないまま)でラフに説明しているので、本来的な意味でのナラティブとは厳密にはかなり違ってきてしまうと思うのですが…

たとえばRPGゲームがあるとします。

たくさんの人が、そのゲームをプレイします。

そのプレイヤー各々についてですが

たくさん予備知識を仕入れてからプレイする人と

全くの予備知識なしでプレイする人とでは

なんだかプレイ内容…体験していく物語に違いが出るもんなんだと思います。


そーゆーのの各々を、ざっくりナラティブと。

ナラティブ・フィールドを展開するゲーム製作者たちは、ユーザーに向けて三者三様・十人十色・千差万別で皆、思い想いに楽しんでくれと。


そーしますと

操作方法や、たとえば剣と魔法の世界観についてなど、そこから?という基本的な知識と経験の有無は、ゲーム世界にスンナリ馴染めるかどうか、という違いも出てきます。

(逆に、プレイすることで基本的な知識や世界観を楽しく覚えさせたり、操作方法もスンナリ身につけさせるゲームは、素晴らしいゲームだなって思います。)

タロットで言えば、たとえば

0番のカード名称は愚者で、その意味内容は云々…1番は魔術師で云々…2番は…

と、この0番から21番までの名前から意味内容を知っているかどうか、が基本的な知識にあたるのでしょう。

(剣と魔法の世界では、ドワーフがいたりエルフがいたり…各々がどんな種族でどんな生活をしているのか。戦闘ユニットとして考えると、どんな特性があるのか?…といったような)

ただしゲームに関しては、プレイする本人が楽しく遊べるのかどうか…という部分が重要なので、その為には、ありったけ予備知識が必要な人もいれば、予備知識ゼロどころか取説すら読まないでゲームスタートする方が楽しい、という人もいるでしょう。

占いをする時も、占いができるかどうかという事と、絵札や卦の意味内容の理解度は、あまり関係がない…という事と、たぶん共通します。(※ちゃんと読み解きたいなら、よっぽど天才肌じゃない限り、参考になる読本は要ると思います。)


そこでタロットに見つけた“貘”のことですが

つまり、これはゲームでは無いのですが…占いでも無いんです。

なんというか、読み物なんですね。

読み手によって読み解き方・プレイ内容が変化するナラティブ・フィールドそのもの、みたいなもの?なので

ちょっと予備知識があった方が遊びやすい…もとい読みやすいのではないかなと。

それで、きっと前説が長くなるのですが

読み手によって、予備知識に興味の浅さ深さに違いが出るのも、その後の物語体験には違いが出るのだと思います。

(前説など必要ない人も、少なくはない気がしています。)

なお、今後もここで述べていく前説なる長話についての把握は、本当に、ざっくばらんで良いと思います。

その方が、細部にとらわれて矛盾が気になるといったことには陥らず、読む上での自由度は高いかも知れません。


ナラティブって結局なに?ちょっと何言ってるのかワカラナイ…という人には、どう言ったらよいのかな(汗)

タロットを、占い道具ではなく

物語を編んだ物として見てみると、人によって読み取るものが違ってくるよ、と。

いわゆる『千夜一夜』と言えるかわかりませんが…どう説明したらよいのかをどことなく考えあぐねていた日々は、少なくとも数年間くらい忘れながら十数年くらい経ってる感じです(汗)


どうしてタロットは物語が編めるのでしょう?

もしかすると、卜占(ぼくせん)ならではの特徴かもしれません。

なかでもタロットは、多彩なスプレッドを展開して多くの人々を魅了してきただけあって、浪漫タップリです。

タロットは、そもそもどんな物語(歴史と環境)によって編まれたのでしょうか?

0から21まで描かれている個人個人の辿るという数ある旅路は、いったいどんな物語を持ち合わせていたのでしょうか?

“貘”は、いたずらっぽく笑っています。

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私がタロットに見つけた“貘”は、たぶんプログラミング用語的に言うところの“エンジン”です。

占いツールに組み込まれてみて機能するタイプのものだとして…タロットは恐ろしく相性が良かっただけかもわかりません。

というか、タロットからしか、私には“そのようなもの”は見つけられませんでした。

(というか、他の占いツールをじっくり検証したわけではないので、本当のところはわかりません。)

エンジンというからには、タロットという窓を介して、人生というナラティブ(旅物語)を経る際に有効な推進力…に、なるはずです。

行き場のないエネルギーには適切なリズムとパイプラインを与え、夢や目的に対して、より有効な活動が保てるよう…に、なったらいいな(笑)


“貘”で何をしたいのかというと、私は『パロ』みたいなものを目指したいと考えています。

メンタルコミットロボット「PARO-パロ-」 | NDソフトウェア https://share.google/neevW55RhIZyo6PJA


イーロン・マスクが、日本のロボット産業を評価した時、技術は(効率の鬼に支配させるのではなく・支配のために技術を扱うのではなく)人々の笑顔や幸せのためにある。といった主旨のことを話したそうです。

その違いがわからないなら、価値あるものはつくれない、と。

(ショート動画の拾い読みなので、実際の言葉とは、ちょっと違うかもしれませんが…)


「何を目的としてつくるのか?」が重要なのかなと。

パーパスを問う。とでも言うのでしょうか。

…パンパースじゃありませんよ(爆)

パーパスとは、たぶん志(こころざし)とか目的とかいった意味だったと思います。

ナラティブ(物語)は、あるペルソナ(人格)によるパーパス(志、目的)の容れ物あるいはジム(鍛錬の場、道場)、でもあるんだと思います。

(ナラティブには、居場所に近い心理的な作用があるかもしれません。人格の揺らぎ・目的設定の甘さといった要因次第では、程度も様々な依存に陥る可能性を考えるので、注意点だと思います。)


『パロ』は、接した人を笑顔にするロボットです。

でも、私の見つけた“貘”は、愛嬌はありますが、『パロ』のように、可愛いねぇ〜ってナデナデできる感じではありません(汗)


見た目や感触の問題でカバーできるにしても、中身に向いている容れ物になるものだとすると…

解像度高めのガチリアルな容姿をしたロボットが、どうやったら人間を笑顔にできるでしょうか?(汗)

『鉄腕アトム』みたいに、人々と笑顔で交流しながら、彼にしかできない仕事をする。

ロボットとの会話や交流で、かけあい漫才やコントみたいなことにもなる(爆)

もしかしたら“貘”は、そこまで応用ができる発見かも知れません。盛り過ぎですけれども。

私たちは、ひょっとしたら“貘”を搭載したロボットを相手に人間と変わらない交流をしながら、人間として大事なことも必要に応じて教えてもらったりできる・間違ったことをしたら適切にツッコまれて諭してもらえる…なんて未来が、あるかもしれません。

“貘”なんて関係なく、まずは手元の端末を介したAIで人間との交流を重ねて、その内にそうなっていく…んでしょうね。(人類は様々なプログラミング・エンジンなりインターフェイスなりデバイスなりなんなりを目的に応じて考案して開発して…すでにやってきていることと思います。ただロボット開発をする目的によって、その優先順位には高い低いがあると思います。)


そんなわけで、ここではタロットをかたどった木札をパタパタ繰り出して人間と交流を図るカラクリ人形みたいなイメージで、“貘”の仕組みについて考えながら肉付けをしていこうと思います。

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昔、いわゆる手塚治虫の黒本(黒いカバーをしたシリーズの漫画単行本)で『鉄腕アトム』の表紙に、アトムの顔の中身を描いたものがありました。

アトムはロボットだから、あの顔は“殻(仮面)”なんだな・漫画やアニメでも研究所でのアトムの様子を見てきたように、中身は機械なんだな…って、子供なりに端的にわかりました。

人間も、トルソーなどで見ても筋肉だけの顔になると、まぁあんな感じの印象を受けると思います…たぶん一般的には不気味です。

でも、子供の頃から手塚治虫の『ブラック・ジャック』とか読んでたので、私は(もちろん、絵的な表現での)中身を見ることには慣れっこだったみたいです。不意に中身を見ても、あぁそういうものなんだなって、(人間の骨格や表情筋がどうなっているのか?といった)事実や(空想科学上だけどもロボットなるものの)実際的なものとして受け入れることができていたと思います。

あの頃、誰でも深いことは考えず、そんな感じだったように振り返ります。今の時代でも同じようなんだと考えます。

生体でも機械でも、脈絡なく中身が見えている状態は、たぶん非日常性とか異常性を覚えます。人によって、このことの感じ方の差は大きいと思います。

概念を伝える上で語られる概論や概要も、もしかしたら老若男女や立場を問わず、むき出しの筋肉や骸骨のような印象をもってソレを気持ち悪く思い、受け止めがたく感じる人も、あるのかもしれません。

(また、あまりにも単純化された概念に生きることは、暮らしをシンプルにする反面、同じ概念を共有できない人々とは、人間らしい交情を紡ぐに足りないものも出てくるかもしれません。)


かつて西洋で魔女が気味悪がられたのは、キリスト教とその教会が取り仕切る社会では、本質の扱い方が異質・非日常だったから…かもしれません。

そうしたこととは関係なく、西洋の精緻な静物画には、果物の他に、時には髑髏や狩猟の獲物が描かれたりしていますので、ちょっと驚いたりします。

タロットは、ちょっとそんな古典的な雰囲気が、絵札の象徴には、あったかもしれません。


まずは“貘”としても、いずれは可愛いねぇと言ってもらえる・愛される方向で、なんか面白い・興味深い話になればな、と思いながら下手っぴな前説を綴っています。

海王星から受けとるもの

海王星が牡羊座入りしました。

165年の新しいサイクルのスタートです。

魚座のワンネスの状態から新しい命が生まれ、その命が12サインを一周してワンネスへと返っていくサイクルで、まさに生まれた瞬間が牡羊座の初期度数です。

新しい命が宿った海王星がもたらすものは新たな直感やビジョンかもしれません。

集合的無意識、魂意識が真新しくなったのだとすれば、これまでとは全く異なる直感や延長線上にはない何かが表れてもおかしくない。

去年3月からの牡羊座プレ期以降、新たなヴィジョンや理想を持って実現化していくという時代(占星術界隈)の流れが生まれていましたが、行動することがフォーカスされがちだった印象です。私も動いていかなきゃってなっていました。

けれどここに来て動きたい欲が湧いてこなくなっていて、その具現化しようとしているものは海王星のヴィジョン?と疑問を持つようになってきました。

「何を行動するか」の、『何』の部分が予想していなかった、想いもしていなかったことになっていくかもしれないぞ!

っと、今日そんな予感がしました。


夢や理想が思いもよらなかった方向へむかうかもしれないし、ピンときたもの、浮かんでくるもの、湧いてくるものがこれまでとちょっと質が違うものを受けとるかもしれません。

土星が牡羊座入りする2月14日までは海王星の生まれたばかりの純粋なエネルギーが降り注ぎます。

頭で考えず、やってくるものを素直にそのままを受けとってみる期間として過ごしてみるとよさそうです⭐️

その受けとったものを土星とのチームプレイで実現させていきましょう~😊✨

自分にあった仕事

みなさんは、自分にあった仕事ができていると感じますか?


多くの人が

・自分に合う仕事はなんだろう?

・自分が楽しくできる仕事はなんだろう?


・自分は何がしたいんだろう?

と、考えたことがあるのではないでしょうか。


もちろん、わたしも長年悩み続けています。

中高生の頃から考えつづけて、いまでもこの答えは出ていません。


ただ、最近になって、こうやって探していることは

「外に何かを求めているから」かもしれないと気づきました。


・自分には何かが足りていないから幸せになれないんだ

・自分にあった仕事なら自分らしくいられるはず

・自分が好きな仕事に出会えたら幸せになれるんだ


こんな思い込みがあったように思います。


自分では、ただ自分にあった仕事を探しているだけ、に感じるけど

環境のせい、まだ出会っていないせい、と

現実から目を逸らしていたように思います。


でも、「じゃあ、今の仕事でできることをがんばろう!」ってならないのは

何かをあきらめきれない自分がいるから。


だから、自分があきらめられないもの

そこを見つめていってみました。


そうすると、中高生のころから興味のある仕事があったことを思い出し、

それは今も気持ちが変わっていないことにも気づきました。


だから、今やりたいなぁって、ぼんやりと思っていることは

軽い気持ちからきているのではなく、

自分の深いところと繋がっているものでもあると思うのです。


と、ここまでは普通の深掘りという感じだけど

その「やりたいこと」を、もっと感じてみると

今の自分には力が足りない、やりたいけど自分を保てなくなるかもしれない

と、怖さもちゃんとありました。


でも、怖いってことや「自分には力が足りない」と感じられることは

自己否定じゃなくて、それだけその仕事を真剣に捉えている

ということでもあると思うんです。


実際に、力が足りない状態で踏み出したら、自分がおぼれてしまうかもしれない。

真剣に捉えているからこそ、中途半端に踏み出せない。


その、足りないと感じる「力」は

スキルとかじゃなくて、「在り方」のようなものかもしれません。


真剣だからこそ、心の安定を大切にして

ちゃんと成し遂げていきたい、という想いがあるんだと思います。


本当は、ここまで真剣にやりたいって思っていることを大事にしたいし

これ以外はないんだ!って気持ちもあるんだけど

ここで、一歩引いて考えてみました。


なぜ「仕事」にこだわっているのだろう?


趣味としてやったら?とか、

妥協案を考えることがあると思うけど、それでは納得できない自分。

しがみついているとさえ言えるくらい、諦めることに抵抗がある。


こんなに握ってしまうのはなぜだろう…?

ここをほどいてみるために、人生という尺度で見てみました。


これまでの人生、私は、常に自分探しをしてきて

ここ数年で「自分の人生」の感覚が戻ってきたところです。


家庭などの日常では自分を生きられている感覚になっている。

その中で、仕事だけが、自分を生きていないような

諦めの中でもがいているような感覚が残っている


そこに違和感を感じているのかも、と気づきました。

「自分の人生」

「自分の在り方」

その中で、少しだけズレている「仕事」


その仕事を自分の人生に組み込みたい=心から望む仕事をしたい

だから、やりたいことにしがみついてしまうのかもしれない、と

こんな構造が見えてきました。


これにすごく納得


だから、次はこれをすこし緩めていって、

どんな変化があるかなぁ…と見てみようと思います。

過去の決意を終わらせた。

「なるべく早く感情を抑え込まなくてはいけない」

「感情を飲み込むためには、なんとかして自分を納得させる必要がある」


そんな感じで自分で決めた瞬間がある。


感情が大暴れする理由がわかった。」に書いたような感じで早く解決しようとするのは……。


私が何十年も昔にした決意によるものだった。


なぜそんな決意をしたかと言えば。

母と「あたたかさ」や「思いやり」などでつながれる関係性を築きたかったから。


それならもっと他のやり方だってあっただろうけど。

当時の私にはそれが精いっぱいだったんだよね。


思春期の決意。

そんなことを考え始めたのは思春期の頃。

中学生から高校生あたり。


母の癇癪がひどくて、感情と感情でぶつかるとお互いに消耗戦になりがちだった。


父はどう対処してるかと言えば、母が何を言おうと黙って収まるのを待つタイプ。


「じゃあ、私も同じことをやればいいのでは?」と、気づいたのはいいけれども。


私が父と似たようなことをやろうと思ったとき。

あふれてくる感情をどうにかする必要があって。


思いついたのが記事冒頭に書いたことだった。


事実をうまく脚色して自分が納得できる形に変えて。

自分に「感情を抑えることは正しいことなんだよ」と暗に言い聞かせるやり方。


聖人になろうとするのをやめた。

思春期の決意は形を変えて、すごいことになってると気づいたのは数日前。


母のことでさえ仏のような心ですべてを優しく包み込むように受け止められるようになれれば。

その領域に到達できれば私は一生、何をされてもどんな目に合ってもつらいと感じることなく、幸せに生きられるのでは!?

と。


そんな考えを持ってたらしく。


だから私は、何をされても許せる人間になるために。

人格を磨かなくていけないし、精神性も高めなくてはいけない。


という自分の思い込みを終わりにした。


すでに限界を感じていたし、もともとは母と「あたたかさ」や「思いやり」などでつながれる関係性を築くために始めたこと。


そんな修行みたいなことをしなくたって、人とあたたかさや思いやりでつながる方法を今の私は知ってる。

だから、やめようと思った。


終わりにするのはすごく簡単で。


もう、自分以外の何かになろうとしなくていいよ。

自分に「あれしろ!」「これしろ!」って強制しなくていいよ。

他人のアドバイスだって、やる・やらないは自分で決めていいんだよ。


そう伝えただけ。


努力不要、所要時間ゼロで視点の切り替えが可能になった。

いままでなら「あたたかい感覚」とか「光の感覚」(高次の自分の視点)で物事を見たくても、すぐには見れなかったのに。


自分への強制をやめた途端、見えないメガネをかけるみたいな感じで、即切り替え可能になった。


時間をかけて思考を積み重ねて極まった先で到達するっていう過程が不要になった。


私の内側にある「光」に焦点を合わせるだけでいいなんて。


ここまでこれたのは「下準備」があったから。

視点の切り替えが可能になったのは「水色のエネルギーに触れたあとの話。」で書いたように。


自分のハイヤーセルフ的な存在とのつながりや世界観(私にとっての「まんなかの光」)をはっきりと認識していたおかげだと思う。


私の内面世界において「いつでも会える人」になったおかげ。

だから、「現実でも再現可能なものになった」っていうのはありそう。


意図して起こそうとしなくていい。

ものすごく自然な流れでいらなくなった思考を手放せてる気がします。


昔の私はエゴと気合で「変化しよう!」って頑張りすぎてたし、焦りすぎてました。


そんなことしなくたって、必要なタイミングで変わるときは来るっていうのに。


自分に対して課してるものがあるのなら。

一旦、やめるのはアリですね。

海王星のベル???

 いつも有難うございます。

 自分の目に見える世界が自分の延長ならば、今朝ちょっと面白い事が起きました。

 ✴︎なんかすごいぞ、現実に起きた海王星のベル?✴︎

 私は、本はフォトリーディングという方法を知ってからは、基本的にはこの方法で読んでいます。

 昨日、たまたまふらっと出会った本をフォトリーディングを済ませて、今朝最後のパートの活性化をしていました。

 (後から、この本が海王星の動くタイミングでの時限チャイムだったと知る…)

 この本がすごくって!

 エネルギーが動き回り、自分の中の鎖という鎖が弾けまくる!まくる!

 なんなんだーーー!海王星の牡羊座のスタートの日に!って思っていました。

 それと同じタイミングで、近所のどっかの家の防犯ベルが鳴り止まず、

 うるさいなあ💢って思っていましたが、全く止まる気配がない!

 本自体も、そうそう後ひとワードよ!って思って、終わるタイミングと共に消防車が来てフィニッシュ!

 なんだこのタイミングは!

 と朝から驚き〜!のことでありました…

 やっと終わったよ🍵はあ…

 しかもこ今朝は、この本の活性化と共にアウルブックのテーマを出すと意図したんですが、想像以上のことになりましたが、改めて

 人生ミラクルだわ!

 と改めて思いました。

 まだまだ衝撃の余韻が残っていいますので、今日はこのあたりで!

 海王星が新らしいスタートを切る時、自分の周囲で何が起きるのかを注視するのも面白いかもしれません!

 仮にネガティブな事が起きたとしても、変えられる自分がいます。

 出来事は過去でも、今という自分が出した感情の周波数を変えられるのが私達。

 そしてその今が未来を変えます。

 もし今の感情や感覚を転換できたらいいスタートがきれます!

 よい一日をお過ごし下さい!

それは、どこから来た光だろう

人はたぶん、

同じ宇宙を見ているようで

それぞれ違う軌道を回っている。

誰かの声が胸に残った夜、

その震えは

本当に私の中心に触れていたのだろうか。

相手の世界に浮かんだ私の像と、

私がまだ言葉にしていない輪郭。

ネプチューンの靄が

境目を曖昧にしたとき、

感情は事実の顔をして現れる。

けれど、土星は境界を描き直す。

静かに、しかし確かに。

「ここから先は、君の空だ」と。

他人の星図から視線を外すことは、

拒絶でも断絶でもなく、

潮が引くように

自分の深さへ戻ること。

音の消えた場所で、

呼吸だけが続いている。

そこにはもう

映し返された誰かではなく、

名も急がない、

ひとつの光がある。

海王星魚座期、最後の夜。

こんばんは、うしです。

海王星魚座期最後の夜です。ジオの配信を見終えての今、です。


魚座期の最後ということで、2012年2月から始まった約14年の人生を振り返ってみようかなあと思っているのですが。

その前に、まずは魚座29°。「涙の度数」「浄化の度数」と呼ばれるサインの最終度数、ここにはネイタル小惑星カーリがあります。破壊と再生のサイクル内面の強さを見出す機会を表すと言われておりますが、配信内で共有していただいたワークで私の”まんなか”にある強い強い光に触れ、見事に泣いておりました( ◜◡◝ )


さて、2012年は「この仕事と結婚する!!!」と意気込んでその技術を取得するために田舎から上京した翌年でした。上京した2011年の4月は震災の影響もあり、入学式が行われるのか、そもそも今の状況で上京して大丈夫なのか、みたいな空気感もあったのですが、本当に「私にはこれしかない」と思っていたので単身で上京、7年間不登校をしてきたのが嘘だったかのように毎日通い、2012年は現場デビューを果たし、卒業後に4年勤めた会社と繋がった年でもありました。

そして、4年勤めた会社を辞めた後はフリーランスとして今も細々と続けているのですが、2023年11月13日の『もう戦うのをやめる新月』と言われていた蠍座新月の前々日~前日にかけての2日間で「あ、もう本当に違うんだ」と思わされる出来事がありました。「私にはこれしかない」と思ってきたからこそ不登校を抜け出し、沢山の経験を得てきました。けれど、「私にはこれしかない」と思ってきたからこそ、沢山沢山我慢したり自分自身を押し込めたり、無茶も無理もやってきました。でも、「そうしなきゃ生きれない」「そうしなきゃここに居れない」「役に立てなければ、ここに居る価値はない」そういう生き方からやっと手を引く決心がついたのです。

その決心がついたのは、私の”まんなか”にある光に触れていたからだと思っています。私が本当に求めていたことに気付かされたから。

今回のワークでピックアップしたニーズは希望乗り越えること自己受容ゆるすことの5つでした。希望に関しては、ニーズリストを見る前から「希望!!!」と画面の前で言っていて、我ながら前のめり感が凄かったんですけど。私の”まんなか”にある光に触れてくださった方(記事を読んでくださった方)には分かっていただけるのかなと思うのですが、しんどいなと思うことが多かった私だけど、人生を諦めようかとも思った私だけど、だからこそ世界に希望を与えたいのですよ。そして、自己受容やゆるすことを促したいし、自然と乗り越えていけるパワーを与えたいのです(その人の中から引き出したい、と言ったほうが合っているかもしれない)。全身全霊の愛をもって。そんな感じです( ◜◡◝ )

今は仕事に関してはタイミングさえ来ればいつ辞めることになってもいいぞという心持ちで居つつ、次の波が来るのを待っているような状況で、魚座期が始まった頃の私からしたら信じられないというか、「ありえない!!!」くらいの変化を遂げていて本当に面白いのですが。だってこの頃はまだ「自分の人生に恋愛はない!結婚はしない!寧ろこの仕事と結婚する!」って本気で思ってましたから。自分の性別を否定して「生まれてくる性別を間違えた!」って本気で思ってましたから。人間ってこうも180°変わるものなのかって思いますけど。でも本気でそう思う必要があったんだとも思う。

誕生日は5月半ばなので火星期突入まで3ヶ月半程ありますが、私の太陽期がすっぽりと入った魚座期でもあったんだなと思っていて、これは1つのサイクルの終わりだったのかと、新たな場所へ向かおうとしているのは必然なのかと感じています。


更に今日はお昼に牡牛座の上弦の月を迎えましたが🐄

他者との違いを受け入れるという意味のサビアンシンボルを持つ度数で11室だったこともあり、上弦の月自体が満月へ向けた軌道修正の時ではあるのだけど、より一層”これから”に向けた節目の日であったのではないかなと思っています。

色んな方の光について読ませていただいたけれど、やっぱり私の光は「強ぇな」とも思ったし、でも、そんな私の”まんなか”にある強ぇ光を放って生きたい。

改めてそんな風に思った1日でした😌

星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.1.26

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからは

① 今日起きたこと、感じたことを書く

② ネイタルとトランジット、その他をホロスコープで確認する

③ 星の何が影響してたのか?を考える

と、もっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

月のアスペクトだけでもヒイヒイ言いながらやってたので、この新しい方法が毎日実行できるか、非常に心配で不安でもあるのですが、せっかくなのでチャレンジしようと思いました

無理なくできる範囲でもいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

久しぶりに母と電話で話しました

互いに近況報告をしているときに出た話が「女性が我慢することで家庭が成り立ってた時代だった」ということ

とあることで父が「家族だからどんなことがあっても支えあって暮らしていける」としれっと(笑)言ったことで、母がモヤモヤしたそうで

母は父の両親と長い間同居していたので、本当に苦労やしんどい思いをしてきました

「私が我慢して頑張ったから、わがままおばあちゃんがいても、同居生活が何とかできたんだ」と母は言いますが、その苦労を父は何も気づいてないと思ったらしいです

一般的にネイタルホロスコープの4ハウスのルーラーで出生時の父親のイメージが

10ハウスのルーラーで同じく母親のイメージがわかるそうです

(専業主婦の場合は10ハウスで判断するのは難しいみたいです)

私のネイタル4ハウスのカスプは蟹座なので、ルーラーは月で天秤座

父はどんな時でもどんな状況でも常に平等を重んじる人です

娘だから、息子だからと身びいきはありません

わがままおばあちゃんが母に意地悪をしていたけど、どちらの味方もしませんでした

そして感情的になることもなく、いつも穏やかで波風たたない、といえば聞こえはいいですが、どちらかといえば常に冷静沈着

母からしたら父が自分の味方をしてくれないことが、つらいことでもあったし、でも家庭の中でバランスをとって生活をするためには、その方法しかなかった、ということも理解するしかなかったようです

なので「家族だからどんなことがあっても支えあって暮らしていける」という発言も、父としては当たり前の価値観なんだろうな、と思います

母からしたらずっと我慢して自分の感情を抑え込んでやってきたのに、となるんですけどね

母親を表す私のネイタルの10ハウスカスプは山羊座でルーラーが土星で魚座です

まさに「家族の犠牲になる」イメージぴったりです

でも私が星よみを始め母のネイタルを読んであげたことで「自分で自分のことを甘やかしてもいいんだ」と気が付いて、最近は「自分で自分を癒す」を優先して過ごすことを心掛けるようになってきた、と言っていました

星よみが母の役に立てて私もうれしいです

冥王星山羊座時代なら「そんな星占いなんていい加減でばからしいこと、やめなさい」と厳しく言いそうな母でしたが、今は冥王星水瓶座時代

社会全体が個性を優先することに価値を置くようになり、どんどん流動的に進化していく

そんな時代の後押しもあって、母もずいぶんマイルドになれたのかもしれないです

そして私にも「我慢することなく自由に生きなさいね」と言っています

自分ができなかったこと、しんどかったことは、もう私の時代にはしてもらいたくない

そんな母からの愛情をたくさん感じることができた時間でした

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

本日もお読みいただきありがとうございました

最近、なぜか心に残っている言葉はありますか?

■言葉と出会う時間のお知らせ

Owlbook Liveのお知らせメールが届きました。
今回のライブは、「今のあなたに必要なメッセージを、言葉を使って一緒に紐解いていきましょう♪」というもの。
皆で一緒に、ビブリオマンシー(書物占い)を行うそうです。

言葉を介して、今の自分に必要なメッセージを受け取る時間。
想像しただけで、心がはずみますね。


■ビブリオマンシーとは?

ビブリオマンシーは、古くから行われてきた占いの一つで、本を開いたときに目に飛び込んできた言葉や文章を、今の自分へのメッセージとして受け取るものです。

オラクルカードのルーツとも言われていて、カードの代わりに「書物」を用いるところが特徴です。 ※書物占い/ビブリオマンシー(wikipedia)


■映画の中の、何気ない一言

このメールを読んでいて、ふと思い出すことがあります。

映画を観ているとき、特別に重要そうでもない何気ないセリフが、なぜか心に残ることがあります。 昨年からこの1月にかけても、何度かありました。

ストーリーの核とは直接関係がないのに、そのセリフだけ切り取られたように感じたり、スッと心に入ってきたり。 大抵は、短いフレーズです。

映画を見終わったあとも、そのセリフだけは不思議と覚えていて、「あれは、今の私に必要な言葉だったのかもしれない」と感じることがあるのです。

意図して選んだ映画でもなく、もちろん占おうと思って観ていたわけでもないのに。
それでも確かに、“受け取ってしまった言葉”があるのです。


■日常にひそむ、メッセージ

ビブリオマンシーやオラクルカードのように、明確な意図を持って始めるわけではないですが、こうした体験は、普段は見過ごしている「ひらめき」や「心の反応」に気づく感覚を、少しずつ研ぎ澄ましてくれるのかもしれません。

直感力に磨きをかけてくれる、小さな贈り物のように。

日常で触れる、映画のセリフや本の一節、ふと目にした言葉。 そんな偶然を、「今の私へのメッセージかも」と軽やかに受け取ってみる。 それは、思いもよらぬ言葉と出会うことを楽しむ、ひとつの方法なのだと思います。


■終わりに|1/29(木)12:00〜のOwlbookライブ

言葉を通して、今の自分と向き合う時間。
どんな言葉が、どんなふうに心に触れてくるのか。 

皆さんと一緒に行うビブリオマンシーが、今からとても楽しみです。

それでは、また☆


165年に一度~私その夢叶えます~海王星おひつじ座期~

「私、その夢 叶えます」

2026年1月27日 

海王星は実に165年ぶりに

牡羊座にお引越しをするんです🐏


わたしたちが生きている間では

この期間でしか体験

できないかもしれないですね~✨

昨年、2025年3月30日~10月22日までプレ期間として

海王星はお羊座へ約半年ほどお邪魔していました🏠️


牡羊座は、火の星🔥

何と言っても早い!

考える前に足が出る🏃‍♀️

「とりあえず」で動きだせる

カッコいい行動力を持ち合わせています

いわゆる失敗を恐れず前に突き進むことができるパイオニアさん

でも、2025年10月22日~本日2026年1月27日まで

海王星は、前の星座であるうお座に戻っていたんですね🐡

そして、そして

ここから2038年まで

約12年ほど海王星は牡羊座に鎮座します🗿

ということで、

ついに海王星牡羊座期の本番がやってきます🎬️

みなさん、準備はいいでしょうか?👍

ではでは、一体どのような展開が起きるのでしょうか?


【自ら手を挙げていく】

「わたし、その夢 叶えます」と

実際に手足を動かし

自分で掲げたビジョンを叶えていく

シーズンとなっていきます

「できる」「出来ない」の二元論ではなく

「やってみます!」

その精神が内から湧き出てくる

そんなカラーになっていきます🎨


【輝く自分へ】

2026年 6/30~ 木星がしし座へ🐯

この木星をどう活かせられるかで

自己実現が叶えられるのかどうか

分かれ道となっていきます🛣️


そして、今月1月後半に水瓶座へと

どんどん引っ越しをしてきた太陽・水星・金星・火星

この天体たちとの結びつきは今後に影響を及ぼします🌍️

水瓶座は

「全体性」「平等性」「社会」を表しますが

そのこころは

「自分だけ美味しい思いするのは違うよね」

周りとの協調性を重んじる側面があります。

周りの人、全体性を見て捉えていく

そのスキルも磨く必要があります💎


【でも、何よりも大事なことが・・】

周りも大切、全体性も大切だけど

自分のしし座を磨いていく

【自分の主張】をしていく

【自分の個性】を発揮していく

味ある個性を放っていく📢

2026年6/30~ 木星は、しし座期開幕!

ここで個性をぶっ放していきましょう

個性を放っていくなか

同志達と出会い、一緒に水瓶座力を磨いていく

“一人がみんなに“


しし座の星と水瓶座の星

対局にある星達が熱烈にタッグを組んで🤼

みんなで一緒に叶えていきます


【意識していきたいこと】

①まずは「始めてみる」

継続しなくてもOK

「とりあえず」精神で動きだす

➁自分の個性を磨きながら発揮していく

あなたの“強み“ “存在感“のあるものは何ですか?

そこにヒントが隠れています

③みんなのためには″結果的な話″

まずは個人技を磨いていきましょう

----✤----✴------~✩~*----✤----✴------~✩~*----✤----✴------~✩

🌜最後までお読みいただきありがとうございます🌜

海王星おうし座エネルギーが渦巻き

「やってみる!」をモットーに

生き始める12年となります

自分のしし座力が何にあるのか?

自己探求をしていくなかで見つけていく🗺

“個性“を磨き

同志達と「私たち、その夢 叶えます」

となっていけるよう

星々のエネルギーを調律し

自己実現していきましょう🔥

prisming 私の中の光

プリズミングの世界観に触れたことで、自分の光を感じるようになっています。

光って抽象的だしスピリチュアルっぽくもあるし、とても曖昧な言葉でもある。

だったのだけど、自分の中にある光は、本当に目に見える光の感覚だと気がつきました✨


プリズミングのライブで、光の感覚、自分の真ん中の世界観を講師のみなさまがそれぞれお話されていて、自分にはそういう光とか天界の感覚みたいなのは何も無いよな・・・?っと、そのときは感じたのだけれど。

それから私の中にある光について思い巡らし、先日のライブでの光を感じるワークをやってみて「これは光の感覚だったのか!」っと、ずっと追い求めていたものが光の感覚だったことに気がついたのです。


私の光の体験✨

その体験が私に初めて起こったのは17歳のとき。

ある朝目覚めたら、多幸感に包まれていて、自分の中にあったネガティブなものがすべて無くなっていた。目にうつるものがキラキラして見えて、通学途中の青空や景色が鮮明に輝いて見えて、これは一体何なのだろう?という気持ちでその日を過ごした。いつも通り高校での生活を送っていたのだろうけれど、ふわふわした感じとクリアな感じとがあって、おしゃべりな頭の中がいつもより静かになっていた。その状態は2~3日後には完全に無くなって、以前と全く同じ日常に戻ってしまった。

きれいさっぱり流れたように感じたネガティブな感情も戻ってきたし、ぐるぐる思考も戻っていたし、景色がキラキラ見えることもなくなった。勉強も部活もがんばってはいたし、学生生活の楽しさみたいなのもあったけれど、思春期特有のもやもやもあって、あの頃は幸福感とうものはそんなに感じたことがなかったかもしれない。だから忘れられない体験となった。


それから、1年に1度ほどこのような体験が起こるようになった。何の前触れもなく突然やってくるそれは、毎回1~2日ほどで消えていった。

そのたびに私は「これがずっと続けばいいのに」と思った。

理由もないのにただ幸福感に包まれるその体験をどうすれば再現できるのかわからなかった。まだ若かった私は、その体験が何なのかもよくわからなかったし上手く言語化もできなかった。


20代の中頃になって、それがちょっとした悟り体験のようなものだと理解した。一瞥体験とか神秘体験というには、自分のそれは強烈なものではなかったし、同じものとしてあつかうのは違うかと思ってもいたけれど・・・

今ではこういう情報もあちこちから集めることができるけれど、当時SNSは今ほど一般的でなくて、本とか人から直接話を聞くとかで集めていった情報の中で共通点があることに気がついた。

そういう体験をした人が口を揃えて世界(自然)と溶け合うような感覚や安心感があって、見えるものすべてが輝いて見えるという表現をされていて、自分に起こったのはこれだ!と確信するようになった。悟ってもないし私のはワンネスというかんじでもなかったけれど、目に映るものが輝いて見えるというのが、まさに自分のそれと同じ!!

精神性を高めたら、あの状態をキープできるんじゃないの?(今で言う波動を高めたらいいんじゃないの、というニュアンスですね)と思うようになり、幸福感の基準が外側に求めるものではなく内側からやってくるものになっていた。

きらきらして見える✨

気がつけば、いつの間にかそれが急にやってくることが無くなってしまったけれど、ヒーリングを受けたり瞑想をすると、それと似たような軽めのバーションのものが起こるということが分かるようになった。幸福感があるときもあれば、静けさだけを感じることもあるけど、視界のきらきらはなぜかよく起こっていた。

好きな神社に行くときも似たような体験はよく起こって、神殿や木々がやたら眩しく輝いて見える。ここ数年は自然のものを見てるだけでそうなる。太陽の光が眩しくてキラキラして見えてるんだといまだに思うこともあるけど、曇っている日でも起こることもあるし、自然しかそう見えない日もあるし、生命エネルギーの高いものに反応が起こるのだろうという自分なりの答えを持っている。

最近では外を歩いているときそれが日常化してきて、それとともに急に思考が静まって自分という感覚が薄くなってふわっとした何かに包まれるような感覚になる。地に足ついてないかんじもあるので、安全のためボーっと歩かないようには気をつけているけど、これが起こったらそれに身を任せている。

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ちなみに世の中キラキラした人という表現があるけれど、人間に対してキラキラして見えることはあっても頻繁ではない。実際にきらきらして見えた人は瞑想家だったりが多かった気がする。これは私の見え方の質で、実際はすべての人がきらきらを持っていてそれを発しているとも感じている。


私のプリズミング✨

プリズミングというものをイメージしたとき、最初は真ん中の感覚?内側にある光というものがわからなかったけれど、外側がきらきら輝いて見える。

これって光だよね?と思い・・・

外側にあるものではなく自分の内にある光・・・?

内にあるから外に見えるわけだもんね?←投影

もしやこれが私のプリズミングか!?と徐々に確信へと変わっていった。

そんな中、プリズミングライブの光を感じるワークをしてみて、私の中から湧いてきた感覚が、自分の例の体験でいつも感じていたあの幸福感と重なった⭐️

全く同じというわけではないけど、そこそこ近い質があった!!

その体感ワークでのあかりさんの詩に『光のつぶ』という表現があって、きらきらと見える世界はひかりの粒で構成されていたんだと直感した。

私の経験してきたあれこれは、光の感覚だったのかぁ~と妙に納得してしまった。


これ・・・実はずっと自分の中にあった?


私にとっての光の感覚は、急にやってきてすぐに去ってしまうというスタートだったから追い求めるものになっていたし、私の真ん中にあるものとは思ってもいなかった。

そこに行ってチューニングするという方法も、ここ数年でどうにか身につけられたもので、デフォルトのものという認識がなかった。

けれど、プリズミングの世界観と結びつけることで、無自覚なままだったけれど本当は真ん中の感覚としてずっとあったものだったのかも?と思えるようにさえなってきた。


プリズミングという新しい試みの案内を受けたときは「何それ!面白そう〜✨」とワクワクしたけど、こんな思いもよらなかった展開が身に起こってきて、私どうなっていくんだろうか?!との思いで、今の地点でのプリズミング体験をアウトプットしてみました。

プリズミングというものすごいものを創造されたなぁという驚きと感謝とでいっぱいです⭐️

そして、今これを書いているのは、自分の光を活かそうと思っているからにも違いない、とも。

光とつながってアウルブックを発信することもできるとライブでもお話されていて、それで何を書くのだ?と思ったけど、今、実際に自分の光を感じた状態でこの投稿を書いています。

光の循環の中で、受けとってつながって流して循環の輪を広げる一員になりたいと願わずにはいられません。

まゆちん先生は内なる光が星を読ませるとおっしゃっていたので、まずは光の感覚で星を読むことにフォーカスしてみよう♪

これまでと何ら変わらないような発信をしてるかもですが〜(光の感覚とつながってると書きたい欲が湧いてこないんだな😅)

光の感覚で、真ん中の状態で出てくるものがあれば書いていこうと思います😊

自分らしさの先に自由がある~おうし座下弦の月

星NAVI🌠星の流れを掴み幸せを受け取るナビゲーション💎💎

1月26日 13:47頃

おうし座にて上弦月を迎えます🌕️

おうし座の持つエネルギー

「確かさ」「所有」「感覚」

留まらない

縮こまらないエネルギー

自分らしさと自由、どちらも手にしたい

そんなムードを醸し出すおうし座の上弦月


今回の新月のテーマは

♉自分らしさの自由

専門性を深めて裁量権を得る

がポイントとなります


🌠舞台となるのは

真の自由とは?

学びを深めながら自己探求していく

9ハウス

これらの星たちが織りなすムードとは…


【マイペースに】

わたしたちの心を表す月は

自由と平等性を愛する11ハウスに

専門性を磨きたい

自由性、裁量の幅を持って

自分のペースで変わっていきたい

でも何かに急かされてるようで

早く変わりたいと感じる

そんな思いと葛藤が巡ってきます😣


【では。。どうしたらよいのか】

その思いをくみ取ってくれるかのように

うお座の土星・海王星が

寄り添ってくれます

「あなたの本質はどこにあるの?」

星からの問い合わせがきます✉

「本質」に気づけば

「あなたのペースでも早い速度でも

どちらでも問題ないのでは?」と語りかけてきます


【専門性】

既存のものに縛られず

探求してみたい

あなたの五感をフル活用してみて

匂い

質感

耳心地

目を奪われる

これらの感覚のなかに

あなたが探求したい世界の扉が現れます

ぜひ、おうし座上弦の月

素敵な扉を

ノックしてくださいね

----✤----✴------~✩~*----✤----✴------~✩~*----✤----✴------~✩

♉おうし座 新月ワーク🖊

あなたの五感

普段、どんなものに対して

感度が高いと感じますか?

----✤----✴------~✩~*----✤----✴------~✩~*----✤----✴------~✩

🌜最後までお読みいただきありがとうございます🌜

ここからの約1ヶ月間

おうし座上弦月のエネルギーが降り注ぎます

五感を活かして

新しく探求する世界と出逢って

心地よく進めていきましょう📒

廻転する頭の中で。

「今、結構、威圧的な言い方でしたよね。

本当に申し訳ないです。」

という瞬間がよくあります。


そういう時、何が起きてるか。

というと。


自分の口から発した言葉というより、

頭のてっぺんとか、

真後ろから、

スリッパで

スパコーン!Σと

勢いよく、強めのツッコミみたいなのが

やってきて、

そのツッコミが

口からポンっ!

と、そのまま出てきてしまう感じです。


その出来事の一例のお話。


キーワードは

「〇〇の前に、ひとりの人間でしょう。」

です。


幼少期から

どうも自分の言葉で話すことが苦手で。

人の話をじっと聴いては

「そういう感じ方もあるんやなあ」

と、周囲を

観る、視る、覧る。

そんな子でした。


目で見る等の現実の感覚より、

【全感覚を研ぎ澄まして、深いところを覗く】

そんな感覚が近いかもしれません。


だから、自分の言葉がすごくこわくて。


めちゃくちゃ相手の感覚とかも考えて、

これを話す、話さないを決めるような

【こどもらしくないっちゃ、らしくない。】

そう言われても仕方のない子でした。


だから、

素直というか、考えなしというか、

どこからそういう考えが降ってきた?

ということばが、

天井から口へと

ストーン!

と、突っ切った時は、

時節問わず、とんでもなく寒気を覚えます。

比喩でもなんでもなく、

寒さがひどくなります。体温が急激に下がるように。


その中の例。


・母の話を聴いて、ひと言。

「母である前に、ひとりの人間なんだから。泣いていいんだよ。」


・先生から接し方を問われて、ひとこと。

「それなら【気を遣わない】という気の遣い方もありますよ。」


・部活長に対して

「周囲のごちゃつきより先に、

【自分のやりたいことは何か】を考えような。」

等。

当時の年齢など、いろんな視点で鑑みても、

正直、目上の人に対する言葉ではないな。

と、今でもすごく思います。


それを言った本人が、

自分自身にドン引きしてるし、

「傷つけたー!失礼なことしたー!

あかーーーん!」

って、落ち込んでます。

「小学生で、それ言うか?」とか。

「あれ、自分何歳だったっけ?」とか。

急にすべてがフリーズします。


その上、「だって、同じ人間やないですか。」

ということばが続く理由もわかってないし、

さらに

「何言ってんだ、自分。」

って思ってます。

「もういいから、早う、自分の口閉じてー!」

って、発狂物です。


まだまだ精進が足りないです。


火の輪潜りができない。こわい。

と、怯んでる自分に矢印を向けたまま落ち込んでる

ライオンがただいま昔を思い出して

泡食ってます。

「やーめーてー!!!」


これで一番おもしろいのは

言った本人より、

母のほうがこの意味を理解して、

その解釈を

正座して教わってる最中であるというところです。


はい。今回の迷言、反省、以上です。

むこうからやってくる

こちらの記事は、自身のホロスコープを実感と共に掘り下げていく記事です。

画面の向こうのあなたと、一緒に勉強をするつもりで書いています。

良かったら、最後まで読んで行ってください。


火星の考察の続きです。

火星の説明でよく言われることに、「使いこなせないと、向こうからやってくる」というものがあります。

イライラとか、もやもやとかの正体も、「使っていない惑星」だと言われますが、特に火星は、顕著にそれが現れると言われます。


私は火星が発達する時期に、専業主婦で子育て真っ最中だったので、火星の行動力を社会に活かす機会は、ほとんどありませんでした。ということは、使えていなかった火星の代わりに、何かが向こうからやってきていた、とも考えられます。

思い出してみましょう。


子どもが幼稚園に入園すると、働いているお母さんたちとも知り合いになります。育児休暇を終えて復職した方や、新しく仕事を始める方もいました。そんなお母さんたちに会うたびに、私の中には「もやもや」が募りました。


どうして私は、何もできないんだろう。

そんな思いが、当時は常に、身の内にありました。


思い切って時短のパートに出始めたのは、長男が小学一年生になる頃でした。いつでもどこでも募集しているような飲食店のパートでしたが、久しぶりに社会で働く感覚は、とても楽しかったのを今でも覚えています。


私って、働くのが好きなんだな。本当は。

しみじみとそう感じたのも、その時です。


今にして思えば、太陽と金星と水星が6ハウスにいて、そのすべてが山羊座の私が、働くのが嫌いなわけはありません。仕事が趣味と言えるような、星の配置です。

そして、これまた今にして思えば、私を駆りたてていた「もやもや」こそ、「使ってもらえない火星」だったのかもしれないと思います。


火星に備わっているのは、行動力。目的ではありません。私があの頃感じていたもやもやは、身の内で渦巻く行動力だったのかもしれません。


知り合いの専業主婦で、「家にいる事が、何よりも好きで充実している」という方がいます。彼女は仕事を持つお母さんたちに出会っても、外に出て働きたいとは感じないようでした。

これは、太陽の意図と、その目的地の違いからくるのかもしれない。というのが私の推論ですが、どうでしょうか?

火星の行動力は、太陽の意図を反映している。そう感じた違いです。


けれど、実はもう一つ、気になっていることがあります。

私の火星は、海王星と重なっています。合です。


火星と海王星の重なりは、「自己犠牲になりやすい」と言われたりします。行動力と共感力が一緒に働くと考えられるからです。

つまり、「こんなふうに行動してほしいと、思われているかもしいれない。」みたいな、ふんわりとした感覚が、行動に現れるということでしょうか。


「自己犠牲」も、もやもやしそうな言葉ですよね。

もやもやの正体は、火星だけではないのかも。


長くなってきたので、火星と海王星の考察は、また次回に持ち越します。


皆さんの火星模様は、どんな感じですか?


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

心から、感謝です。

また、遊びに来てくださると、とても嬉しいです。



魂の傷(小惑星カイロン)に触れる。

こんばんは、うしです。


前回、前々回の投稿を経て「次はカイロンだな」と思ったので、今回はネイタル小惑星カイロンについてのお話をしたいなあと思っています。

カイロンが表すのは魂の傷癒し

今世のこの命の傷やトラウマというよりは、過去世から引き継いでいる傷やトラウマ、という感じでしょうか。「何故かは分からないけれど、昔から〇〇に対する苦手意識が強い」とか「何故かは分からないけれど、〇〇が怖い」とか、そういうものとして持っているものかなと思います。


私のネイタル小惑星カイロンは獅子座11室。

獅子座は自己表現のサイン、11室はコミュニティサークルなどの集団を表す部屋。そこに傷があるということは、自己表現することが怖かったり自信がなかったり、集団に馴染めない感覚を強く感じやすいという解釈が出来るわけですが、私は昔からこの感覚がめちゃくちゃに強いです。

Owlbookではこれ以上ないくらい自分自身の話をしているし、寧ろこれ以上ないくらい自分自身の話をすると決めているので、「自己表現に魂の傷があるだあ!?!??」と思われるかもしれないのですが、世を忍ぶ現実世界の私は自分の話をするのが物凄~~~~~~~~~~~~~~く苦手です。この人生の中で「喋らない」「喋れ」「何考えてるのか分からない」「つかみどころがない」とはよく言われたものです。まあ前回の記事を読んでくださった方なら察していただけると思うのですが、ああいうことを感じたり考えているうしですから。

”集団に馴染めない”という点においては、そんな私だからこその必然な感じもしますが、約7年の不登校ひきこもり生活というのが分かりやすく物語っていると思います。周りの女の子達がNE〇SやKAT〇TUNにキャーキャー言ってる中、小学生の頃から一人PIERR〇Tのボーカリストであるキ〇ト様を \神様/ と崇め、NIGH〇MAREのギタリストである咲〇様を \先生/ と敬愛し、歌詞を考察するブログを書いたり内観に勤しんでいた異端児ですからね。馴染めなくて当然というか、寧ろ自然な流れという感じもしますが。


さて、ここからカイロンについて掘り下げていきたいのですが。


私のカイロンは獅子座4°にあります。

サビアンシンボルは獅子座5°『絶壁の端にある岩の塊』。現実に直面し、我慢強さ忍耐力耐久力を身に付ける度数。

同じく獅子座4°には真実正直さ現実に直面する勇気明らかにするという意味を持つ小惑星トゥルースがあり、0°でコンジャンクション。

対立の角度と言われる180°先には、歴史に名を遺すような才能芸術名誉を表す小惑星クリオが水瓶座1°、悲劇裏切りや不正に対する深い怒りを表す小惑星メデアが同じく水瓶座1°、物事の本質や真実を追求し、それを最も重要視する態度透明性誠実さを表す小惑星ヴェリタスが水瓶座6°でいずれも5室に。オーブ5°圏内からは外れていますが、制限を表す土星と、「幸運位」とも呼ばれる天賦の才幸運の鍵を表すパート・オブ・フォーチュン、宿命他者から求められている役割を表すバーテックス、隠された欲求抑圧された女性性を表すブラックムーン・リリスも水瓶座にあります(この4つはタイトにコンジャンクション)。

葛藤の角度と言われる90°先には、真実の愛見返りを求めない愛偏見のない愛を表す小惑星アムールが牡牛座4°、チャートルーラーでもある言語コミュニケーションを司る水星が牡牛座5°でいずれも8室に、パフォーマンス役割を演じ分ける能力表現を表す小惑星アクター(逆行)が蠍座6°で2室に。こちらもオーブ5°圏内からは外れていますが、魂の目的を表す太陽、喜びを表す金星も牡牛座に、破壊と再生徹底的な拘りを表す冥王星、超越的な創造エネルギーの在り処見えざる力物質世界の呪縛を表すダークムーン・リリスも蠍座にあります。


そう、『”登録していただけ”だったOwlbook、ついに初投稿。』でも取り上げた、私のチャートルーラーでもある水星がカイロンに対してタイトにスクエアのアスペクトを組んでいるのです。

言葉による自己表現

ここに傷と葛藤を持ちながらも同時に癒しがあると捉えているし、思い返せば昔からずっと私は私のことを文章にしてきました。今はなき某ブログサイトとか今はなき某掲示板のエッセイ板とか日記板とか、その時々で場所や内容は違うけれど、私は私の文章を書き続けてきたしそれに癒されてきました。

少し離れているけれど、人生の目標今世地球でやりたいことを表すアンチバーテックスも獅子座にあり、「魂のチャート」と呼ばれているドラコニックチャート(龍頭図)では太陽・金星・水星が獅子座でグランドコンジャンクションしていますから。結局私は自己表現をしたくて堪らない人であり魂なのだろうなあと思う。

Owlbookでの投稿は、そんな魂の傷を癒すために書いていると言っても過言ではなく、それをさせてもらえる場所を提供していただいていることに感謝でいっぱいです。そして、木星が獅子座に移動するこの2026年にこの流れが起きているということが凄く面白いし、1月17日に突然駆り立てられるようにしてOwlbookへ初投稿をして、その2日後に山羊座新月が訪れたわけですが、私のネイタルチャートで山羊座が担当しているカスプは獅子座と紐付いている自己表現の5室。更にこの山羊座の月が満ちるのは6月30日、この日は山羊座満月であると同時に木星が獅子座にイングレスする日なんですよね。何だか凄く星の流れに乗っているというか導かれているというか誘われているというか、そんな感覚を感じずにはいられないのです。

ちなみに、調和の角度と言われる120°(水星にとっては協力の角度と言われる30°)先には主張行動力を司る火星が牡羊座6°にあるので、「俺がリードするから大丈夫☆やっちまおうぜ☆」って感じで、グイグイ引っ張って行ってくれている感覚もあって、有り難いなあ~~~とも思っている。ちょっとキャラはおかしいが。キャラをおかしくしているのは私だが。

最近はリアルでも漸く自分の火星力を発揮するということを徐々に許せるようになってきて、本当に本当に少しずつだけれど「NO」を言えるようにもなってきました。


改めて形式を変えて書くけれど、自分を表現すること(獅子座)と集団に馴染めないこと(11室)に魂の傷(カイロン)を持ち、個性的であることや自由(水瓶座)に表現すること(5室)への制限(土星)と、欲求を抑圧する力(ブラックムーン・リリス)と対立(オポジション)し、今の世の中ではタブーと思ってしまうような、秘めておかねばならないと思ってしまうような(8室)思考や言葉(水星)葛藤(スクエア)している私この文章を書き、公開しています。しかもこの傷は我慢忍耐といったキーワードを持っている。

最後のほうにも書いたけれど、この記事を投稿することは私にとって凄く怖かった。その怖さには、自分の”まんなか”にある、自分の核となっている本音だからというだけではないものがあったのかなとも思っています。

しかし、”書く”というところで終わるのではなく、実際に他人様の目に触れるようにするという行動に移すことができたのは自分自身と向き合い続けたからでもあると思うけれど、やはり星の存在がそこにあると知っていたからというのが凄く大きくて。きっとこの配置と意味を知らなかったら、星読みというものが私の世界になかったとしたら、今も私は自分の”まんなか”にある光を内に秘めて生きていたと思うし、占いについての深い話や自分の中にあるスピリチュアル的な感覚を文章に書いて人目に曝すなんて、「ツインレイ」や「ソウルファミリー」などという言葉を自分の文章に用いるなんて、許せていなかったと思うのです。昔から自分の中にあったものは書いてきたけれど、もっともっと現実的な視点だけを持って文章を書いていたので。スピリチュアル的な感覚が拓いていなかった、とも言えますが。

けれど、実際にカイロンがあるのは11室なのだけれど、獅子座が担当しているカスプは12室なので、きっと私が本当に表現したかったのはこういう世界観で、でもそれを表現することで傷付いてきたのかもしれないなあとも思っています。

そこに魂の傷と癒しがあると気付いたからこそ、そこに制限を持ってきたと気付いたからこそ、それを秘めておかなければならないと思ってきたと気付いたからこそ解放することができた。

スピリチュアルな界隈や宇宙理論を扱っている界隈では「手放す」とよく言いますが、手放すにはまず認知する必要があるんですよね。もしもそれが自分の中に全くないものなのであればきっと反応すらしないし、本当に全くないものをわざわざ「全然そんなことないけどそうなのかも???」って採用する必要はないと思うのだけど、何かが引っ掛かる感覚だったり、ざわっとする感覚だったり、もやっとする感覚があれば、影響の大小や重い軽い、深い浅いは様々だろうけれど、きっと”何か”はあるはずで。


前回の記事で書いていた「占いは信じてはいけない」という話題に関する庚的切り口(?)を書くとしたら今なのかもしれないと思ったのでちょっと書いてみようかなあと思うのですが。

私の記事を選択して読んでくださる方々は漏れなく全員大丈夫だと思ってはいるのですが、人によっては負の感覚を引き出されるということもあるかもしれないので、読まれるかどうかは自己判断にてお願いいたします。

愛は存分にあります🫶🏻寧ろ愛の塊でございます🫶🏻


これは”外側(現実)は内側の投影”という視点を採用した意見なのですが、「占いは信じてはいけない」という批判的な声にネガティブな感覚で反応するというのは、自分の中にも少なからずそういう感覚があるからで、そこに抵抗しているからなのだろうなと思ったのです。

これはあくまでも想像ですが、占いを仕事にしていて(仕事にしようとしていて)、且つその意見に強く反応を示した人ほど”占いが好きなのに、対価をもらって提供しているのに、その反対にある感覚が自分の中にあること”に罪悪感や後ろめたさみたいなものを感じてざわざわしたり、そのざわざわした感覚を感じたくない、認めたくないが故に反発する感覚が浮き出てしまう人が居たりもするのかなあと。

私としては「そういう意見がある」というのを知った時も「こういう意見があって、それに対して5000いいねがついていて」というお話を聞いた時も「まあそういう人もいるよね~」「まだまだそういう感覚の人も多いよね~」みたいな感じで、どちらかと言うとそれ自体がどうこうと言うよりは「この話題の落としどころはどこに設置されていてどう着地するんだろう?」というところに興味を持っていたのですが、そんな私でも「この人になら言ってもいいな」と思う人にしか自分が占いをやっていることは言っていないし、でもそれって結局「占いをやっていると言うと”怪しい”とか”胡散臭い”とか”そんなの信じてるの?”みたいに思われるんじゃないか」とか「怪しいと思われたくない」「変な人だと思われたくない」「引かれたくない」みたいな感覚が少なからずあったり、裏を返せば「マトモだと思われたい」とか「信頼されたい」とか「立派な人だと思われたい」みたいな感覚があるからだなあと思っていて(冒頭にも少し書いたけれど、キ〇ト様ことを「神様」と呼んでいるくせに「良い人だと思われたい」「嫌われたくない」って思ってきたよなあ私、って気付いた瞬間があって、その時に「我、庚持ちのキ〇ターぞ???」と我に返り、自分の日干を好きになることができたということがありました。今は前回の記事に書いたことを経たので最早愛している)(ちなみに、若かりし頃は相当~~~な暴れん坊将軍だったキ〇ト様、漢字で書くと切人であり、ご本人のキャラクター性を見ても庚を象徴しているような人ですが、日干は庚ではなく乙。まさかの草花な上に、太陽星座も『大きな愛で包む女神』と言われている魚座です。オモロ過ぎるだろうが。しかし、実際めちゃくちゃお茶目で深い深い愛の人だなあとも思っていて、それを感じられる動画がこちらにあるので是非見てみてほしい。私はこの動画が大好きだし、「この人の素晴らしさを9歳の時に分かっていた私、凄すぎん???」と思っています)(相変わらず余談が長い)(読みにくくてごめんなさい)。でも、「占いってそうじゃないはずだ!」と思う自分も居るし、「それでも私は占いの可能性を信じたい!」と思っているし、「もっともっと占いが一般的に日常のものとして浸透してほしい!」という願いがあるからこそ葛藤があったりもして。

そういう感覚って、きっと私だけではないんじゃないかなあと思うんですけど。

ただ、もっと掘り下げて言うならば、最早”占い”というのはただのラベルに過ぎなくて、それぞれがそれぞれに持っている罪悪感後ろめたさや批判されることへの恐怖不安、それに対する抵抗といった周波数(波動と言ったりもしますが)そのものを現実世界に投影した結果、こういう外側の声として目や耳にすることになったり、「認めてほしい」とか「愛してほしい」という欲求が声を上げている人が多いからこそ、多くの人達がこの事象を見せられるということが起こったんじゃないかなとも思うのです。

だからこそ、「占いを学びたいと思ったきっかけや理由に光の欠片があって、それが違う世界線に連れて行ってくれるヒントになってくれると思うから初心に立ち返ってみよう」という視点も勿論素敵だし、その光の欠片を”まんなか”に置くというのもと~~~~~っても大切だと思うのだけど、それ以前に、罪悪感や後ろめたさや恐怖や不安や抵抗や「認めてほしい」「愛してほしい」といった欲求が少しでも自分の中にあると感じるのだとしたら、それが自分の中にあるということを許して認めるということも、この一連の出来事は促していたのではないかなと。

私自身、上記で書いてきたようにカイロンが獅子座にあるので「認めてほしい」「愛してほしい」という欲求が特に強くて。でも”その欲求に気付けていなかった”というか、”気付けていなかった”はちょっとニュアンスが違うかな、”何年も何十年も「私にはそんな価値はない」と抑え込んで生きてきたからこそ、いつの間にかその声すら発することがなくなった”と言ったほうが合っているかもしれない。私がインナーチャイルドに根気強く語り掛けていた時に初めて返してくれた言葉は、たった一言「認めてほしかった」という言葉だったので。その欲求が自分の中にあったことに気付くことができた時、「認めてほしい」「愛してほしい」という欲求を持っていることそのものにOKを出し、「私はもっと認められていいし、もっと愛されていいし、もっと大事にされていいんだよ」と自分自身に許可を出したのですが、それによって凄く楽になったんですよね。私は他の誰よりも私に認めてほしかったんです。

その他の感覚も玉ねぎの皮を剥くように、手放したと思ってもまだ出てくるなあと思ったりもするけれど、その感覚を否定したり蓋をして見ないようにしたり抵抗するのって結局解決にはならなくて。その感覚を今自分の中に感じるのであれば、まずは「今自分はその感覚を使っている」と認知すること。そして、その感覚に共感・受容した上で「大丈夫、感じたいだけ感じ切ればいいよ(SELF HUG🫶🏻)」と許すこと。ここまでがセットだと私は思っています。ネガティブな感情って「嫌だな、感じたくないな」と思ってしまう感覚だとは思うのだけど、その感覚が今自分の中にあるということを全受容して「感じたいだけ感じ切ればいいよ」と言っている時の体感覚って、温かくて、じんわりしてて、安心できる愛の感覚だと思うんです。で、もし、その時点で「まだ感じたいんだ!」と内側が言っているならば(モヤモヤする感覚やざわざわする感覚が消えないならば)とことんその感覚に浸ることを許せばいいし、「あ、もう充分ッス✋🏻」ってなるのなら勝手にスッと消えていくのでそれをそのまま受け入れれば良くて。その過程の中で「本当はこうだった」っていう本音がポロポロと出てきたりもするし、複合的に組み合わさった色んな感覚が紐解かれていったりもするなあというのが私の経験談なのだけど、それもそれとしてぜ~~~~~んぶ丸ごと受け入れます。外側と戦わないことも大事だけれど、それ以上に自分の中にある二元を否定しないこと負の感覚を持っていることやそれを感じることを悪にしないことが”力みなく”できるようになること(「そうならなきゃいけない!」って思うのはまた違うので、あくまでも”力みなく”というのが重要)で、自然と二元を超えた視座から物事を見れるようになるのかなと思っています。


以上、「占いは信じてはいけない」という投稿が話題に上った時に私が感じていたことでした。

人によってはこの文章で抵抗が生まれたりすることもあるのかもしれないなと思ったので、先に注意書きをさせていただきました。

けれど、私がこのことに触れる記事を書く流れの中に居るのは、きっと何かしらの感覚を手放すタイミングの方がいらっしゃるからなのだろうなあとも思うし、私自身が庚の力を表に出していくことを許すタイミングでもあるのだろうなと思っています。内容的に結構切り込んでいる感覚もあるのですが、どうか優しい時間となることを祈っています😌


カイロンからは離れたようで直結しているような話でしたが、癒すことも手放すこともやることは変わらないのではないかなと思っています。認めることで癒され、認めることで手放されていく。私も、これを読んでくださっている方も、一緒に身軽になっていくことができたら嬉しいです。


さて。


カイロンの元となっているのは、ギリシア神話に登場するケンタウロスの一人であるケイローン。

ケイローンについての神話や資料は色々と見られ、射手座になった話は有名かと思いますが、個人的にはケイローンの妻であるカリクロとの話に興味があって。二人が如何にして出逢い、夫婦になり、どのような関係を築いていたのか。すご~~~~~く興味深いのですが、特にカリクロについての神話が殆ど残っていなくて私のサーチ力ではほぼ何も分かっていないんですよね。

というのも、小惑星カイロンと小惑星カリクローが0°でコンジャンクションしている人間関係というのは何らかの意味があるように感じていて。カイロンは魂の傷癒し医療、カリクローは傷の手当てスピリチュアルな目覚め慈愛を表すので、何となく優しい、柔らかい愛の感覚は感じ取れるのですが。

もし、この本に書いてあるよ~!みたいなのをご存知のギリシア神話に明るい方がいらっしゃったらマシュマロから教えていただけるととっても嬉しいです🥺ご自身の記事にして思う存分語っていただくのも大歓迎ですが。何卒よろしくお願いいたします🥺


🐄🐄🐄


酒田さつきさんが『見えない世界の話。』で、うしの記事を取り上げてくださいました🫶🏻

あんなに長くて読みづらいであろう記事を読んでいただけたことも勿論嬉しいのですが、うし以外の方の記事が新たに生まれ、この世に放たれるきっかけになれたということがと~~~っても嬉しい。

私は私自身の光のビジョンに対して「るろうに剣心とか銀魂のワンシーンにありそうな景色だなあ~」なんて思っていたので、「BLEACH的な」と書かれているのを見て「ンア~~~~~~!!!あなたはそういう世界観なのね!!!」と思いながら読ませていただいていました(奇声を上げてすみません)。私の場合は刀と対話するという感覚はなくて、何と言うか、剣を呑み込むマジックってあると思うんですけど、あんなニュアンスをイメージしていただきたくて。”物理的に私の体内にある”みたいな感覚なのです。刀そのものが人格(?)を持っているという感じでもなく、あくまでも無機物だと思っているので、こちらから語り掛けることはなく、あちらから何か語り掛けてくるでもなく、”ただただ静かにここにある”という感覚。そこにチューニングを合わせると静寂に包まれます。勿論実際体内にはないし(うしは実際に刀を呑み込むどころかマジックもできないので)、刀だからといって体内が傷付いてる感覚も勿論ないし、身体という空洞(筒?)(器?)の中心に浮いている、みたいな感じ。

ちなみにBLEACHでは涅マユリ様が好きです。超余談です( ◜◡◝ )


そして、今回のように記事にならずとも誰かの内観のきっかけになれているのだとしたら嬉しいなあとも思っています。

うしは占いの人ではなく内観の人であると自負しているので、”占いが軸にある”というよりは”内観が軸にあってそこに占いがくっついてる”みたいな感覚を持っているのですが、占いの有無を問わず内観についての記事もいずれは書いていけたらいいなあと思っているし、昨年からずっと「内観パートナー」というワードが私の中に届いているので、ゆくゆくは内観に付き添う人というところに行けたらいいなあとも思っていたりします。現実的な悩み相談に乗るというよりは、私が感じ取ったその方が気付いていないであろう思い込みをお伝えして内観を深めるための鍵をお渡しするみたいな感覚。&Uだとクリアランスメゾットが近いのかな???と勝手に思っていますが。


金星→太陽→水星→火星と次々に個人へ影響する天体達が水瓶座へ移動し、その影響をモロに受けているのか何なのか、うしの未来ビジョンも語ったところで今回は終わろうと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました🌟

感情が大暴れする理由がわかった。

最近、感情的になりやすい気がしてます。

(私だけかな!?)


思うところがあってAIと話をしてたら。

あることに気づきました。


自己共感できてなかった。

たとえば、すごく悲しいことがあって泣いてる最中なのに。


うんうん。泣いてるのはわかったよ。

それで、ニーズは何だと思う?☺️


そんな言い方を自分にしてたんです。


「早くニーズに気づこうよ!」みたいな姿勢で話を聞いてるから。


そうじゃないんだけど!

なんでそんなこと言うの?

どうしてわかってくれないの!?


って、余計にこじれてた。


別なパターンだとこういうのもある。


うんうん。

今は怒ってるけど、本当は「安心」したいんだね☺️


勝手に決めないで!💢


決めつけられるのがイヤなんだね。

じゃあ、「自由」を求めているのかな?☺️


だからさぁ……💢


みたいな。


すごく悲しいね😌

泣いちゃうよね😌


それは怒っちゃうよね😌

ムカつくよね😌


みたいに言えてたら違ったのに……。


もっと自分に優しくしよう。

これでも自分に厳しい言葉言わなくなったり、目線を向けなくなったりしたほうだけど。


「早く答え出して、その状態やめてくれる?」って。

自分に圧をかけてたとわかったから。


もう少し自分に寄り添って、自然と本音やニーズが出てくるのを待つことにしました。


次に感情が揺さぶられることがあれば、ゆっくり自己共感してあげたいなーと思ってます。