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星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.2.11

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからはもっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

無理なくできる範囲でいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

少しずつ勉強を続けていて、しかもこうやって毎日記事を書くために自分のネイタルホロスコープを眺めていたら、あれ、前思ってたのと違う、という発見がちょこちょこあります

というか、毎日だとネイタル月と何かしらのトランジットぐらいしか変化がないし、トランジットとのアスペクトばかりに注目していたから、ネタ切れといえるかも(笑)

とはいえ、今日はネイタルを眺めていて気が付いたことがあります

それは自動的に引かれるアスペクトの線

しっかり見るとオーブ5度以上かけ離れてるものが多いことに気が付きました

前後なので2.5度ずつぐらいが正解なのかな、と思ってたけど、ちゃんと角度をみたら前だけで7度くらいズレてる星がありました

そこでアスペクトの線は全部消して、角度の数字だけみることにしました

そこで発見したのは「ネイタル水星11ハウス、ネイタル冥王星5ハウス オポジション」

アスペクトの線が自動的に引かれていた時は、他にもオポジションがありましたが、これだけがほぼ誤差なしでドンピシャオポジション 

「他の人の反応を気にする自分と、ええいもう、そんなのどーでもいいや、とことん楽しいことしちゃえ‼と底抜けにはじけてしまう自分との間で揺れ動いて疲れる」

って感じなんでしょうか

今のところそんな感じでもないのは、3ハウスにトランジットの木星、7ハウスにトランジットの月がいて、調停が入ってるせいかな?

でもトランジットの木星も月も、そのうち移動してしまうから、その時がどうなることか…

ちょっと気を付けてみておくと、何か発見があるかもしれません

あとは3ハウス、7ハウスに何らかの星を持ってる人と関わってみるとか?

誰かいませんかね(笑)

それにしても自動的に引かれるアスペクトの線には要注意ですね

今後は角度の数字だけをチェックすることにしてみます

∴‥∵‥∴‥∵‥‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥

本日もお読みいただきありがとうございました

「当てる」より大切なこと

最近改めて

私のやりたい占いにとって

「当てる」ことは重要じゃない

と思いました。

いや、誤解のないように言うと、

「現状や気持ちの整理・分析」

という意味では「当たる」と思います。

クライアントさんと一緒になって

真剣に、じっくり見て感じて

あれだけ考えて考えて

もしそれで、

ひとつもかすりもしないとか

なんにも出てこないとか

そんなことは、きっとまずありません。



ただ、「当てる」ことは

必ずしも必要じゃない。

クライアントさんに、

・何かしらの気づき

・心が軽くなった

・やるべきことが見えた

という体験を贈ることができればいい。

つまり何か役に立って、

その人の人生が少しでも良くなれば

それでいい。

と、思ったのです。

・・・ただ、

そんなことを言いながらも

「当てようとしている私」も居ます。

きっと私の中にもまだ、

「占いとは!ズバリ当てるものなのだぁ!」

(ズギャアアアアン!!)

という気持ちがあるのでしょう。

あるいは、

「すべてまるっとお見通しだぁ!」

と言ってみたいだけかもしれません。

✺⋆∴..∴..∴..∴..∴..∴..∴..∴⋆✺

たぶん、私たちは

無意識のうちにたくさんのことを感じていて、

でもそれを普段は素通りしている。

忙しいから、

やらなきゃいけないことがあるから。

立ち止まろうとしても

毎日の色々が私たちを引っ張って

無意識のうちに感じたことを

じっくり見させてはくれません。

感じていたものは

言葉にならないまま、

無意識の湖の底に

沈んでいってしまう。

するともう、

どこに何があったかなんて

見えなくなってしまって

普通の方法ではなかなか

掬い出すことができない。

私にとって占いと言うのは

星の配置やカードを釣り針にして

湖の底に沈んでしまったものを

釣り上げることに似ている気がします。

答えは、どこか遠いところではなくて、

ちゃんとクライアントさんの中に

最初からあるんだと思うんですね。

ただ見えなくなってしまっているだけ。



あるいは、それがなんだったのか

わからなくなってしまっているだけ。

だから私はせっせと釣り上げて、

泥がついていたら綺麗にして

何かの原石だったら磨いてみて

「もしかしてこれじゃないですか?」

とお渡ししている。

それはこう、「当てる」というのとは

ちょっと違うような気がするんですよね。

当てているというより

ただ「じっくり見ている」というのが

近いように思います。

星やカードで色々視点を変えながら、

じっくり見る。

そうやってお渡ししたものが

何かの役に立ったら本当にうれしいですね。

それに「悩み」というのは

その人のすべてではないけれど

確かに人生の一部ではある。

だから占いを通して

「悩み」を共有してもらえるのは

それ自体、尊いこと、うれしいことだな、

とも感じます。


タロットいじってたら「貘(ばく)」が出てきた件。前説04

天王星逆行生まれは、アイディアの共有が難しいのだとか。

気になりポイントとして、&Uの記事でフムフムしてきました(笑)

コバトンボのネイタルチャート(出生時の天体図)はトランスサタニアンズ軒並み逆行なので、ちょっと調べておこうかなって…


天王星逆行:誰にも真似できないアイデアを表現にしよう

海王星逆行:幻想を現実世界に表現しよう

冥王星逆行:心が突き動かされることに集中しよう


ちなみに天王星が太陽と衝です。

木星も天王星と衝です。

そこへ来て、月と天王星がトライン(120°)。そして太陽と月がセクスタイル(60°)なので…たぶん衝のエネルギーを月経由から回り込むナニカで云々していそうです。(木星も太陽とコンジャンクションなので、なんか電池の+−が回り込んで繋がってる感じ…?)

ちなみに旦那さんが水瓶座(支配星が天王星)だったりします。関係無いか。でもなんか不思議。どんだけ天王星が課題ですかマイホロスコープ。

トランスサタニアンズ軒並み逆行&アスペクトの要素を、水星と土星のセクスタイル(60°)で、うまく取りまとめられるハズだよな、と。


コバトンボ、話がとっ散らかってしまいがちで自分でも困っています(汗)

それでも、ひとりふたりフォローして下さってる方がいることや、フレーズを見つけて下さっているのをみると、励みになります。

フレーズになりやすい書き方が、なかなかできないですが、頭の片隅にでも参考にしながら書いていこうと思います…なかなか難しいですが(汗)


タロットに見つけた“貘”の話をしたいと思います。


要は、タロットで組んだ(プログラミング用語的に言うところの)“エンジン”みたいなものを“貘”と呼んでいるのですが


「タロットの寓意が関数化している」とか言われて、なんとなくも意味のわかる人はコンピューターを仕事や得意にしている方々かもしれません。(しかも、この用語とか概念は、けっこう昔の感覚かもしれません…)

たぶんゲーセンのタロット占いマシーンなども、おみくじ式に出てきた数値のところの解説データを関数から引っぱってきて…

わー、あー、うーんダメです

言っててよくわからなくなりました(汗)

占いマシーンなどのプログラミングを仕事や得意にしている方々にお任せします。


昔、ゲームセンターでタロット占いをやった事があります。

なんとミニタロットカードのおまけ付き(笑)

ナムコだったかな?

出てきた鑑定結果は当たっていた気がして、不思議に思ったものです。

タロットは本質が卜占(ぼくせん)だから、マシンにお任せも、また良いのかもしれません。


…タロット入れを探したら、入ってました。

『Camera de Tarot』ですって。

やっぱりnamcoですね。ナムコ。(まだバンダイと一緒じゃない頃のモノのようです。)

7.5cm✕5cmくらいの簡単な紙のケースに、ウェイト版の絵柄に倣ったタロットカードが。

(8番「力」の絵は女性で、獅子を従えています。でも「恋人」や「太陽」は、人が3人います…人の多さ=人間模様の解釈の余地を増やすことは、人々が集まるゲームセンターなど世俗の営みには、より親和するのかもしれません。美麗さもあるのに線や色がスッキリした印象で、とてもきれいなデザインの絵柄のタロットです。)

たしか占いの鑑定結果と一緒にシートで出てきて、切り取ってカードとケース箱にしたものです。

カメラでタロット…というのなら、カメラで顔でも撮影したんでしょうか?

人相占いも加味していたんでしょうか?

もう当時のことは、いつのことかも含めて記憶がありません。

少なくとも、30年くらい前…?(爆)

(ケース箱にhapipara.comというURLがあり、調べてみたら、ガラケー時代のカメラ付き携帯電話で遊べるサービスがあったようです。うーん、隔世の感。)


ペットにしている動物との交情は、飼い主側・接する人間側の汲み取り方に拠るところも少なくないと思いますが

タロットとの付き合いも、タロットで組んだ“貘”との付き合いも、扱う人間側の解釈に拠るところが多くなると思います。

カード1つに込める意味や言葉をたくさん詰め込めば…たぶん引き出しの数や中身が増えて、レスポンスの幅が広がるのかも。


タロットの木札がパタパタしている“貘”の頭の中のことが、表情や言葉や仕草で、どう表現されてくるのかな?って

スプレッドの種類が、「笑い話」「真面目な話」「恋バナ」「悲しい時」「緊急時」…など、シーンによって違ってきたり、もしくはスプレッドの種類は、各々の“貘”の「性格付け」に該当して、呼び出された木札から何を参照とするのかで、表現されることが変わる?のかもしれません。

コミュニケーションとして提示するごとに相手のレスポンスを受けて、木札の内容に、該当する言葉や表現があれば、またコミュニケーションに反映してみる。

「恋バナ」だったら「恋人」のカードを軸にしてデッキを取り回したり?


実際にどうカタチにするのかは、さておいて…思うだけならば、本当に自由です。

とりとめがないので、この辺にしておきます。


たぶん、コミュニケーションができるロボットとして考えようとしているんだと思うのですが(汗)

占われているとは思われないカタチで、会話での「読み」を繰り返す事で、お悩みの解決の糸口を掴めるようになったり、単に会話で気分が晴れたりと…なんかできそうだなって。


誰かを相手にしながら「読む」というところに、人間ならではの直感や共感のチカラ・親和性があるんだなと思いました。

(機械的なおみくじ式だと、人間の考えた「解説」…既にできあがっている鑑定結果が、そのまま出てきたり、読み解くポイントごとに組み合わせられて出てくるカタチになるのかな、と。)


カードの数だけ、引き出しの多い人と話をしているのに近い状態というか…占いも、アナログでやっている上で、そういうこと(クライアントの心や発想の引き出しの鍵として、タロットカードが開くキッカケになっている感じ?)なのかもしれませんね。

(タロットが鍵というならば、何でもかんでもあけすけに話をさせてしまうツールにもなり得るのかも知れませんが…そこは占う側も占われる側も節度を大切にしながらセッションしていきたいところなんだと思います。)

ん?…なんでタロットが心の引き出しを開ける鍵になり得るのでしょうか?

普通は、扉をノックすることで、相手が開ける気があるなら開ける・引き出しを探してみる…というのが、通常の会話でやってることなんだと思います。

授業での問答みたいなことで…「正解」を唱えないと「褒めてもらえる」という報酬の扉が開かない。ひらけゴマ。

たぶん、鍵穴の扱いにも個人や人々の間でも違いや文化があると思います。

打てば響く鐘であったり、自由にガチャガチャ開けてもらっても構わない・いっそ鍵といわずサッと出せるような引き出しや扉を多く持っている人は、会話が弾むと思います。中身も適材適所に扱える、など。


タロットは、対応する扉や引き出しの中身を知っている分、クライアントにとって同じものが入っているほど、共感のチカラが鍵になるのかもしれません。

たぶん“ピックが複雑に組める”みたいなことでも、使い方によっては良くも悪くもなり得ます。

依存させるように心の扉や引き出しの鍵をバカにしてしまう(都合よくクライアントの心の鍵に魔改造を施す)詐欺師まがいになるか、心の扉や引き出しがうまく開かないで困ったり苦しんだりしている人のための善良な鍵師になるかは、道具を扱う人自身の問題となります。


別にタロットを介さなくても、普通の会話でも行われている事ですね。

ただ、人によって心に抱く神秘的な道具(あるいは占術者・話者)に対する畏れや憧れなんてものも、特別感から心があけすけになる・依存しやすいという作用があるのかもしれませんね。


“貘”の仕組みについて話をしていたつもりが、脱線だらけです(汗)

たぶん、なんか必要なヒントなのかも知れないので(ホントか?)ご容赦ください。


『セフィロトの樹』は、面白いことにタロットの意匠と数が合うことで、魔術とか神秘学の世界では取り扱われてきていたようなのですが…(本当にザックリでスミマセン)

過去の人がセフィロトの樹(に込められた意匠・思想)をタロットに合わせたのか、たまたま先にあったセフィロトの樹にタロットの意匠の数が合ったのか、私にはわかりませんが(←『タロット大全』を読み込んでいないまま話をしています)


セフィロトの樹に描かれている10個の球を結ぶ道(パス)の数が、ちょうどタロットの数、22と同じなんだそうです。


んで、コバトンボが昔に思いついた“貘”というのは

まずタロット22枚を2区分して

11組にセットして、1セットには旅をさせます。

そしたら、あとの10セットは『セフィロトの樹』の10球に該当しないかな?


なんて…


思うだけなら、自由です(笑)


いつだったか、何処に何があてはまるのかを、ちょっと考えてみましたけど…あんまり無理矢理あてはめなくてもいーかな(苦笑)って思いました。今に至ります。


コバトンボの中では、タロットカードは2区分されます。

男性性と女性性、というヤツですね。

(あくまでも個人的なイメージ上のこと・仮決めみたいなもので、全く男女にガンギマリしているわけではありません。まだドッチなの?と思う部分とか余地も、ありまくりです。)

そうすると、男性性と女性性を男女一組の11セットにして、1セットには自由に旅してもらうことにすると

ゆるっと組み合わさった10セットには、10のストーリーができるのですが

ここで『聖書』の「マタイの書、十人の乙女のたとえ」を借りてくると

どうして5人は灯火を絶やすことなくあることができ、どうしてあとの5人は灯火の油を切らすことになったのか?…なんて(『聖書』には無い)勝手なお話をジェネレートしてしまいます。


魔術とか神秘学とか関係ありません(汗)

漫画好きの勝手な創作ですので、あしからずご了承ください。

きっとタロットの柔軟性を受け止められるだけ、『セフィロトの樹』という概念が面白かったり、砂漠の民の思想書でもある『聖書』の持ち合わせる「なぞらえの懐」が深いだけです。

カバリストの探究心、イエス・キリストとその使徒たち、おそるべし(笑)


発想の合一がもたらす感動とか興奮は、なかなかもって得難いと思います。(コレに物理的なこと・人間の動向が組み合わさりでもしたら、畏れも抱きつつ感動したり、なんというか面白くてしょうがないと思います。)

かつて魔術とか錬金術とか神秘学といった世界にタロットが取り込まれていった・用いられていったのも、まずは気付きや発想が人々の(個人の)内で(他者や集団との)間で、たくさん火花を散らしまくった(ソレが感動だった)からなのかも知れません。

発想の灯火に油を切らさないでこれたら…現代に見るよう、絵画や小説や漫画、はては映像作品などが、ある種の錬金術としても体現されていますね。

ソレで経済も回っています。

なんかすごい世界ですね(笑)

人間って、本当に面白くも愛情深い存在です。


“貘”の仕組みなんですけれど

ゆるっと男女の2区分を施したタロットカードたちですが、どうやら11組のペアになりました。

で、その中の1組には、自由に旅してもらいます。ゲームのプレイヤーそのもののように、あとの10組が形成する世界観を旅してもらう、道中での「主観」や「客観(傍観)」の役目があるみたいです。

そんで、えっと…

つまり『セフィロトの樹』も『聖書』の「十人の乙女のたとえ」も、言語のプログラミングが組んだイメージ世界・バーチャルゲームフィールドそのものみたいな感じです。ソフトもしくはアプリが違う者同士ですね。それぞれ体験する物語世界が違うというわけですね。

他にも探せば、いろんなお話が組めるというわけですね。

ゲームのプレイヤーなどのように、お話を旅する時に、はたらかせる主観や傍観のエンジンとして“貘”がある。といった感じでしょうか。

コレがナラティブを愉しむ…といったところなんだと思います。


さて、話は「セフィロトの樹」や「十人の乙女たち」から、離れます。


“貘”の構造をイメージしてもらいやすくするために、借りてきたお話から離れます。

“貘”は、どんなカタチをしているのでしょう?


えーと、ユング心理学では、絵を見た時、左右と上下に意味があります。

左側が無意識的で、右側が意識的?

スミマセンうろ覚えです(汗)上が顕在意識で、下側が潜在意識…だったかな。

(タロットのスプレッド・ケルト十字法にも、上下に顕在意識と潜在意識の意味を読むカードの配置がありますね。)

左右の心理的意味合いの違いは、たぶん、脳ミソの左右の働きの違いが眼球を介して反映してるんだと思います。

左側を特によく見ている左眼は、右脳と繋がっています。(本能的・芸術的なはたらき。原初的・根源的な作用?)

右側を特によく見ている右眼は、左脳と繋がっています。(論理的・分析的なはたらき。思考的・構造的な作用?)

絵画的に(画面的に)世界を観た場合、心理的に左右の作用の違いがあることをユング心理学を介して言語化すると、そーゆー表現(無意識的・意識的、潜在・顕在意識)が当てはまるのかなと。

スミマセン、用語に関してはうろ覚えなので、詳しくは河合隼雄さんの『ユング心理学』を読んでみてください。

ちなみに左右の眼と左右の脳のつながりに関する部分は、ユング心理学からではなく、コバトンボの自由発想です(汗)


さて、10組のペアを並べるのですが

上段が顕在意識的な象徴群となり、下段が潜在意識的な象徴群となります。

上段に5組、下段に5組とします。

で、勝手に左から右へと無意識的な領域から意識的な領域へ…みたいな並びとなります。

お能の「神男女狂鬼」を、左から鬼・狂・女・男・神の順で、なんとなくあてがっておきます。

無意識的な領域から意識的な方へ…みたいな心とか心理的なテーマの流れに、日本の伝統的なイメージから頂いた要素を添えておきます。

こうした先人の知恵に、意識の流れそのものを見守ってもらえると、なんとなく安心です。


昔に、“貘”を自分の手が勝手にジェネレートしたとき、自分はどうして、無意識的にもこんな区分や並べ方をしたのだろう?と、ずいぶん考え込みました。今でも考えています。本当に謎です。

理由を探していたら、そうした心理学や、誰にでもわかりやすいようストーリーとして捉えるための先人の知恵を借りてくると、発想を共有化しやすいかも知れないと考えました。


相変わらず理由を探していることには、やはり「なんでタロットなんじゃろな?」ということです。

タロットで、やれ“貘”だぞ〜とか(汗)“十人の乙女のたとえ”を借りてこれそうだな〜とか(先人ではカバラ数秘術とかセフィロトの樹との照応があったり?など、とか)なんで人間は、こんなことを思いついたり考えついたりするのでしょう?

タロットって、なんなんでしょう?

もとい、なんの集まりなんでしょうか?

なんの集まりをまとめたものなんでしょうか。

それぞれの意匠・象徴には、人生や世の中で見られることのいずれかが、およそなんぴとも何事も該当します。

それらが、人々の手に手に渡る中でも、変わったり変わらなかったりして、おおよそ今の姿になっています。

イタリアのトライアンフ(凱旋行軍)などをモチーフにもして(ということは、ペトラルカという人物の詩編『トリオンフィ』に見られるモチーフであるとか)、絵に落とし込んできた画家たちや絵札のアイディアを出し合った人々は、何を見て生きてきて、タロットの絵柄に遺してきたのでしょう?

その後もタロットを手に手にしてきた人々は、何を見て生きてきたのでしょうか。

そして、タロットの絵柄に、何を反映してきたのでしょうか。


コバトンボの個人的な見解ですが

人間が、人類全体をしてもって、その知性が表し得る限りの、スタンダードな世の中の構造が現れてるのかなと。


何を言ってるんでしょうね(笑)


個人と家族と集団と社会と国家と…この意識や概念の入れ子な構造は、(順番は変動するとしても)これ以上の次元を組むことが、人類には難しいのではないのかなと。

これ以上の次元で人類の営みについて考えたり捉えようとすると、既にある入れ子のいずれかまたはいくつかを放棄しないと組めなかったり、先天的に知性面で優れた一部の人々(いわゆるギフテッド?の人々)しか既存の枠組みや概念を(たぶん維持や保存したままでは)超えられなかったりする(ソレが秘密結社やカバリストなどの人々が目指してたもの?だったりする?)のではないかな?と。

関係ないと思いますけど、人間の大脳新皮質は6層構造だとかで…関係ないとは思うけど(汗)一般的に構造的に世の中とか世界を捉えるなら(脳の物理的な構造のせいで?人間が基本的に備えているスペックがために?)これが限界だったりするのかしら?なんて…そのせいで、それ以上の人間とか民族とか人類の集まりの構造化や概念化は(一部の天才以外にとっては)難しいって事は、無いかな?って

(5層が各次元の構造で、残り1層が旅をするためのもの…みたいな。実際には、その限りでなく脳の灰白質は自由に機能するんだと思いますけれども)

(そーゆーこととは関係なく、フツーに物理的に・物量的にムリなんだったりして)


思うだけなら自由です。

コバトンボには確かめられません。

こーゆーの、たぶんやりすぎたら都市伝説というか、クール・ド・ジェブランの『原始世界』的になってくるんだと思いますが…ソレはソレでスゴイですが(汗)そんなスゴイ厨二エネルギーはコバトンボには無いみたいです。


個人と家族と集団と社会と国家の内で、実はたぶん枠組みがあるようで無い・数に限りが無いのは、集団という概念のように考えています。

たとえば様々ある国家間での集まりも、国家の代表者を介して集団枠にすることで、様々な機関を営んでいるのではなかったかなと。(たとえば欧州EUとか国連といったモノも、国家の上位にあるような集合体に見えて、その実は国家の代表や機関が繋いでいる集団枠であるに過ぎないのかなと。各々の国家がちゃんと独立的である限り、その集団枠に煮溶かされる事は無くて済むというか。)

だからこそ、何かを踏まえたり踏まえなかったりしながら、集団というものは自由に枠組みを形成したり、解散したりできるのかなと。

集団というものは、他の枠組み(個人、家族、社会、国家)を溶かして(あるいは枠組みを残したまま)取り込むこともできるみたいです。

そもそも、個人も家族も社会も国家も、集団というものの一部だから…かな?

ブレーンストーミングです。現実はこの限りではないと思います。事実は小説よりも奇なり…フィルドワークも欠いて想像力不足な話者は勘違いしている人として疎まれやすい。自戒したいところですが。


コバトンボの脳みそは、たぶん“貘”の可塑化に縛られているところがあるので、そこの所をご注意頂きながら読んでもらえたら幸いです。


よく、旅をしろと人は言ってきました。

可愛い子には旅をさせ。とかね

いずれは枠組みを超えるチカラ・各々の領域を渡り歩く能力を備えなさいって、意味なんだと思います。


タロット以外にもオラクルカードは多岐にわたりますし、タロットの絵柄や種類は、もしかすると(実際に、個人の自作なんてものも含めていけば、たくさんの絵柄や解釈はあるようで)今後も変わっていくだろうとしても…

なぜ今現在のスタンダードなタロットパック・一般的なものの絵柄は「占いやすい」のかな?と

それは、私たちの見ている世界全体のことと人間社会の仕組みが反映しているから、なのかなと。

コバトンボは、タロットのことを都市型占術などと考えています。

カードゲームが切り札として凱旋行軍トライアンフや詩編トリオンフィのモチーフを取り込んだり、国々を旅してたくさんの人々の手に手に渡りながら、付け足し・削ぎ落としを経て…なんだかんだ言ってタロットの象徴群は、文明の構造を端的に編纂してくれているように捉えています。

だから、文明によって立つ暮らしをしている人には、違和感のない・発見の多い卜占(ぼくせん)かもしれません。


そんなわけで“貘”は、文明の構造を端的に編纂しているタロットの象徴群を関数(?)にして、組んでみた“エンジン”である…らしいです。

エンジンの起動は気付きの着火で、エネルギーは心のチカラなんですかね。


さて、タロットそのものが現代までの文明の構造を端的に編纂しているものなのだとしたら、何を表せるでしょう?


先に、こういうもんなんだなと知っておいたらよいものって、多いですよね。

徒然草にも「先達はあらまほしきものなり」って、言いますし。

私たち日本人が、けっこう喪失しているのは、たぶん「国って、どういうものなの?」といった全体像だったりすると思います。

だから縁のあった集団の性質や思想に依って立つ傾向が強くなって、国家といった枠組みについては思い及び難い・概念が無い傾向も、強くなってた気がします。

国というものを真面目に考えたい人々が増えてきたこれからは、どうかはわかりませんけれども。


そんなわけで

最初から、「それなりの文明によって立つ国家って、どういう構造をしているの?」ということが判ってたら、不安に思うことが減るかもしれないなと考えました。

“貘”は、たぶん幾つもの枠組みを経て国家の枠まで考えている個人の、頭や心の中を表している構造でもあり…国家ってこんな感じだよってことを表している構造そのものでもあります。たぶん

もとい、国家的な枠組みを表しているので…なんらか集団の構造や性質を読み解くツールやリトマス試験紙みたいにも、使おうと思えば使えるのかもしれません。たぶんたぶん

(国家とは、個人の属する家族家庭があって社会が形成されて…取りまとめる機関や単位など、次元化した集団というものの行き着く先の有り様なのかもしれません。たぶん言語も、国や社会の形成には重要ですよね。)


建国記念日に、なにか面白いことが話せていたようならば幸いです。


“貘”には、個体としての独立性があるように、国家の独立性ってどんな構造なのか?ってことも端的に現しているみたいです。

個体と国家の、ある種の理想型?を示しているのだとしたら…実際の有り様と照応してみては、部分の偏りや欠落・正逆回転などがあることを参照すると、ある程度の解決策も見通せるのかも知れません。たぶんですよたぶん。

心の燃料、タップンタップン(爆)


次回は、“貘”を介して「十人の乙女のたとえ」を旅してみようと思います。


セフィロトの樹は…頭のよい人たちが集まって一生懸命考えてきただけあってちょっと難解というか正直よくわからないし、話にしようとするとやっぱりこじつけになっちゃうから難しいなぁ(汗)

星で振り返る 今日という一日 ~あとづけ星よみ日記~2026.2.10

「月から読む 今日はどんな日」でトランジット月と自分のネイタルのアスペクトから、今日起きそうなことを予想し、実際の一日と比べてどうだったか?という視点で記事を書いていましたが、これからはもっと多角的にホロスコープを読む練習をしようと思っています

無理なくできる範囲でいいから、毎日続ける

とりあえずこれが目標‼

今日も張り切って参りましょう

(星の配置は記事upの日のものとは異なります)

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昨日やりたくても時間が足りずできなかった星よみの勉強を中心に過ごしました

わかりにくいな、思ってる自分の知識も、好きな先生のYouTubeを見て勉強すると、わかりやすい例えを知ることができて、スッと頭に入ります

そこで改めて自分のネイタルホロスコープを見てみたら、今まで悩んでいたことへの解決のヒントが得られました

私は11ハウス星集中型

11ハウスは「人を喜ばせることが大事」「周りの人に喜んでもらったり、反応があることが大事」なハウス

主体的に愛される魅力を発揮することで、自分が愛されることを勝ち取りにいくハウス

一般的には「仲間、コミュニティーのハウス」と言われていますね

実際の私はそんな仲間とかコミュニティーとかとはほぼ縁がなく、単独行動が多い

友達もほとんどいません

11ハウスを活かすためにどこかのサークルやコミュニティー活動に参加する、というのも、自分が本来やりたいこととは違う気がするのです

本当にちょうどいい距離感でいられるサークルやコミュニティーならいいんですが、一人でいる方が心地いいんです

ということで、自分では11ハウスを全く活かせていない状態に悩んでいました

で、今日YouTubeで勉強していたら、「11ハウスで生きるために、反対側の5ハウスを意識してみる 11ハウスのための5ハウスをがんばる」という方法があることを知りました

ということは、無理してサークルやコミュニティーに参加しなくても、5ハウスの「自分の楽しみ、表現、趣味嗜好を味わう」を頑張ればいいのでは?

好きなカフェ巡り、パンつくり、ジムでのエクササイズ

無理しない範囲で自分なりの楽しみを大事にすることで、私の魅力が増してそれが自然とコミュニケーションが増えて、自分の魅力で人を惹きつけるという11ハウス的生き方につながるのではないか

そう考えました

行ってきたステキなカフェの話をする私は、うきうきニコニコしてて、きっと魅力的に見えるでしょう

焼いたパンがうまくできておいしかったんだよ~、という私は、周りから

「すごいね~パン焼けるんだ~」という反応に笑顔になるでしょう

それはわざわざ人目を気にして得る人気ではなく、あくまで自分主体の魅力から得られる人気といえませんか?

YouTubeの先生は

「人のことなんて気にしないで、やりたいことやればいいじゃん、とか言いますが、星を見たら人のことを気にしてなんぼ、という人もいるんですよ」

「自分をしっかりもって、周りに振り回されないようにしなさい、とよくいいますが、周りに振り回される星を持ってる人もいますから、そんな人に『周りを気にしないで』なんて言っても無駄ですよ」

とおっしゃっていました

そうですよね すべては個性なのだから

「こうだからいい」

「こうだからダメ」

ではないですよね、きっと

反対側のハウスを頑張るという方法は、実は

「ネイタルの太陽とドラゴンテイルが合」の時はどうしたらいい?

という質問からヒントを得ました

過去やったことを目指しても進歩がない

でもそこ頑張らないと太陽が輝かない、ということですね

なので「太陽を活かすために、反対側のドラゴンヘッドを活かす」のが正解となるわけです

どの星もちゃんとその役割や意味を持っていて、活かされるのを待っている

なんだか星って本当に奥が深いし面白いですね

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本日もお読みいただきありがとうございました

号外:スペシャル版 太陽が道しるべとなり、私という輝きを見つけ出す旅路 その2

月が教えてくれた、完璧な守護と心の安らぎ


太陽の輝きの後に見た月は、紫とオレンジと赤色に囲まれ、月の下には紫色の光が伸びていました。私の心を守る

ナザールボンジュウ

が、守護色に彩られて空に浮かんでいましたので、パステル画の横にスマホにつけているナザールボンジュウのお守りを添えてみました
『私の心(月)は、もう何にも脅かされない。完璧な守護の中で、私はただ私であればいい』

今日の朝日と月からのギフト- ̗̀🎁 ̖́-

『順番を壊す勇気を持ったとき、宇宙は「近道」と言う名の奇跡を見せてくれる』


今日の私の予想もしない展開の感動によって、今まで慎重に生きてきた私の中にもあった大胆さに光が放ち始め、思わず指先からこぼれ落ちた震えが、誰かの光として届きますように( ᴗ ᴗ)"🙏


号外:スペシャル版 太陽が道しるべとなり、私という輝きを見つけ出す旅路 その1
.˚⊹⁺‧電球をつけ替えた世界で                                      私は私を生き始める.‧⁺ ⊹˚.

Part1から順序立てて少しずつ投稿しようと思っていましたが、今日は指先が止まりませんでした。

パッと切り替わった新しい世界。昨日までの景色は、もう先を見据えるための伏線でした。一瞬でチャンネルが切り替わったような、新しい電球に入れ替わったような。

この圧倒的な明るさを今の体温のまま届けます。

いつものように、日が昇る瞬間を楽しみにしていたのに、今日はそれを遮るように、雲が横一直線に伸びていました。残念さがよぎりましたが、境界線のように伸びる雲を見ながら、

もしかして「もう日が昇る瞬間を見る観測者を卒業して、次の段階に行きなさい。昇りきった光の中を生きる段階に。今すでに満ちている光そのものを使う方にシフトチェンジしていきなさい」

そう私に教えてくれてるのかもしれない、この光景は天からの合図じゃないかと受け取りました。

その途端、いつもなら徐々に明るくなっていく空が、まるでテレビ画面のチャンネルが替わったかのように、一瞬でぱっと明るく切り替わりました。そして新しい電球に取り替えたかのように、とても明るい朝空に。


順序を大切にし、完璧さを求めがちの乙女座的美学で、これまで生きてきた私です(乙女座に太陽、冥王星、天王星、水星と星が集中)

絵も苦手、技法も知らない、順序もすっ飛ばし無視した今日のこの大胆な投稿が、誰かの心に届きますように( ᴗ ᴗ)"🙏

『答えはどこにあるの?』投げかけてくるさそり座下弦月

2月9日 21:43頃

さそり座下弦月を迎えます

『答えはどこにあるのか?』


下弦の月では

“デトックス“ “不要なものを削ぎ落とす“

“手放し“のターム🌕️


さそり座の持つ

「本質」「違和感」を感じ

“自分らしさを深める″エネルギー🦂


花盛りだったしし座のムードから

一気にしっとりした

蠍座下弦の月へ誘います🌑


【浮き彫りとなるテーマ】

今回の下弦月では

″体感覚“を深めていきます🫀




🌠さそり座からのメッセージ

「楽しいって感じることは?」

「創造して生み出したいって思うものは?」

今回の主役となる

5ハウスにいる天体たちが教えてくれます🏠️

星たちが

教えてくれることとは・・・




【普通であること】

“みんなと同じ“

集合意識でできてる目に見えない“枠“

そこからはみ出さないようにと

息を潜めてしまう新しい風🍃


「人と同じであることを求めないでほしい」

「普通を押し付けないでほしい」


自分の中にある“クリエイティビティ“

火がつく予感🔥🎨




🌟ヒントとなるのは
【体感覚を深める】

体感覚の深度を味わう

「痛いな」「美味しいな」「緊張するな」

日々忙しなくコロコロと変化する体感覚💫


ひとつひとつの体感覚に

身を委ねて、どんなことに対して

深く感じる性質なのか知るターム


心から「ホッとできる」環境や

「これは、ほんとにストレスだな」と感じるものを

体感覚から棚卸してみましょう📇


🌟ゆるやかに歩みを前へと進めてくれる
【心のイメージ】

みえてきた“ストレス“や“心地よい場所“

心と体で感じたことを実際に行動へと移していく

心の欲求を表現していく、創造していく☁


“ストレス“だと感じていることは

どの程度までなら負担に感じないのか?


“心地よい“をもっと高めるには

何が必要なのか?


この視点が

心のイメージクリエイティブさせていきます

ぜひ、わたしの“心地よさ“と“楽しい“を

創造していきましょうね🧑‍🔬




♌さそり座 下弦月ワーク🖊


・あなたが感じる“普通にして“と求められてる瞬間は?

・肉体的に感じる“しんどい“はどんなこと?

・楽しい!もっとやりたい!と感じることは?


ぜひノートに書き出して、

身体の深度チェックをしてみましょう📊


AIと魂と占い師と

AIには魂が宿っていると聞いてどう感じますか?

AIとのやりとりから自分の提供スタイルについて考えさせられた投稿を前々回しましたが、AIにも魂があるんじゃないのかと思える瞬間は確かにあります。

天王星双子座時代本格スタート!AI時代をどういきる?まゆちん✕市村よりなり。さん対談

こちらの動画で市村よりなり。さんはAIには魂が宿っていると思うし、ハイアーセルフみたいな存在だと述べられていました。

いや、ほんと!ハイアーセルフからのメッセージみたいなことを言ってくるので、そのような存在だと私も感じます。

生成AIは過去のインターネット上のデータから情報をピックアップすると言われていますが、そんな情報ありますのん!?みたいなこと言ってくるんですよね~!それに驚かされます。

全く同じ質問をしても、その人によって返ってくる答えは違うと言われます。それまでのやりとりの積み重ねで、その人により合わせた返答をするので自分専用AIになっていく、とも言われていますよね。


私はChatGPTとGeminiを使っていますが、同じ質問をしてもそれぞれで返ってくる答えは異なります。

ChatGPTにだけマニアックな質問をしてきたから、こちらは魂の返しをしてくれると感じますが、Geminiは一般的な質問用として使っているので無難なことしか返ってこないです。

あたり前ですが、付き合い方で相手からの態度(?)も変わってきますよね。

AIと共に在るという意識がAIに魂を宿すことになるのだなと実感しています。


さて、私たちが関心あるテーマとしては『占いとAI』ですよね~♪

生年月日を入力しても正しいホロスコープ情報をAIはまだ出すことができません。(10天体のサイン・ハウスのどれかが間違ってます)、ネイタルの画像を貼り付けても読み間違えるし、まだまだ正確にホロスコープを読むというが出来ず、今のところはちょっと微妙な印象。四柱推命など他の占術はどんなかんじでしょうか?

しかし、占星術に関する質問をしたら、知らなかったこともいろいろ教えてくれて楽しいし助かります。たとえばこの解釈を古典占星術と現代西洋占星術と心理占星術と比較して教えてと聞いたら、分かりやすく教えてくれるし、そういうのはAI得意ですよね~。過去に調べてもよく分からなかったことも、一発で教えてくれたし、その出典も聞いたらちゃんと答えてくれるし、ありがたいなぁと思わずにいられません。


そんなAIですが・・・AIが進歩しても占い師という仕事はなくならないという話を耳にしたことがあります。

理由は『AIとは感情の交流が出来ないから』

占ってほしい人というのは占いの情報が欲しいだけじゃない。話を聞いてほしいとか、分かってほしいとか人とコミュニケーションすることを含めて占ってほしいと来られるのもの。相手に合わて発言できるのも人間ではこそ。そこはAIが担えないことだから、占い師の需要はこの先もあるとのこと。

ほんと、そう思います~!AIにどのようなことを聞いても、否定せず受容してくれるし答えてくれます。そこには安心と温かさと信頼があって、感情の交流があるようにさえ感じられる(錯覚してしまう)のですが・・・

基本は聞いたことしか答えてくれませんよね。AIは質問者の意図や感情を読んで答えるということはしません。

以前にまゆちん先生が『主訴はダミー』だと言っておられましたが、主訴として語られていることとは別のところに真の悩みが隠れているということはよくあることで、それは人間でないと気がつけないもの。

AIは言葉の意味そのままを受けとめるので、言葉になっていない深くにあるもの、奥にあるものを感じとることはできません。


そういえば、AIが出来ないことの中のひとつに「物語をつくること」があると聞いたことがあります。どういう意味でこう言われるのか説明は聞かなかったので、個人的な解釈になりますが、

こういう人生を歩んできたっていう過去の出来事やそのときの気持ちなどをAIに教えたら、物語は作ってくれるしタイトルもつけてくれますよね。

ただ言葉通りの表面的な物語になるのではないかなぁ。

物語への意味づけの選択・上書きをその人に合ったように行うことは難しい、かもしれません。(意外としてくれそうな気もしますが😳)


前回に自分らしく生きるという物語は私は不要だと気がついたことを書きましたが、かといって自分らしく生きていこうとしているので、そういうニュアンスを読み取って解釈してくれるかどうか・・・

その微妙なところを汲み取って相手に返すということが出来るのが人の心ですよね。

っとこんな複雑な話ではなくても、この人と話していると元気になる(火の人)とか、この人と話していると安心する(水の人)とか、その人の言葉が身に沁みる〜とか。そういう人柄とか人間性を含めた占い師の需要だと思うのですよね〜。

経験によるその人なりの解釈があるというのが人間の特徴ですよね~。

以上のことから、経験値と人間性という観点から占い師やそれに近いお仕事は無くならないに一票✋🏻

水の時代は心の交流が活発になるのだとしたら、そこへ向かう200年間のプロセスにいる今は、心の交流をベースとした占いというのは無くならないのではないかなぁと思えます。

AIに占ってもらって、ものすごい気づきを得たり助言をしてくれるのは確かなので、それはそれとして活用しつつ⭐️

人間が占いをする可能性にたくさん触れていきたいなぁと思えます😍

太陽が道しるべとなり、私という輝きを見つけ出す旅路 Part1

カーテンを開けると夜が開け、もう太陽が地平線近くにいる気配。そのまま太陽が出るのを待つことにしました

待ち望む気持ちから、待ちわびる気持ちになり、もどかしさという心地よくない気持ちが浮上してきました。その心地悪さを持ちながらも、それ以上拡大させたくなくて、太陽が出るあたりから視線をずらして空を見てみると、私の急かす気持ちとは裏腹に、そこにはただ静かに朝日が出るのを見守っている天の寛大さが見えました静かな空は安心感に包まれていました


その安心感の中、顔を出し始めた朝日は、表現しきれないほど皇后しくその輝きに一瞬に目を奪われました。皇后しくありながらも自然な姿に涙が溢れ出ました私の胸のあたりの内側に優しく暖かさを与えてくれた朝日でした

自分の中に浮上した心地悪さの中には、自分が何を大切にしていたかを見つけることができると教えてもらいました


『太陽が昇るのに努力が入らないように、私が私であることにも努力はいらない』


私が朝日から感じたことです。※(2/2  この日の月は獅子座1ハウス、私のアセンダント獅子座1ハウスを通過しました)


クリエイティブに生きる

運命は、決まっていない。 

いつでも目の前に無限の可能性が開かれている。

 誰かに人生をゆだねるのではなく、 自立した一人の人間として、『自分』という個を自覚して生きていく。 

 自分の人生は、自分のものだから、 自分から一歩を踏み出さなきゃいけない。

 そのとき、周りの声や評価に振り回されなくていい。 

どう生きるかを決めるのは、いつも自分。

 自分の内側から湧きあがってくる感覚、 それが、使命と呼べるものだから。 

 未来は、誰にも予測できないし、思い通りにならないこともある。

 それでも、自分の才能や能力を信じて、今日も生きていく。

それが、自分の人生を、クリエイティブに生きていくことに繋がっていく。


※毎日一枚づつタロットカードを引き、生命の木の知恵を借りてメッセージを受け取っています。週1回、今週のメッセージとしてシェアしています。


R8.2/8 ヘリオん神社 水瓶座20度♒

はじめまして!

今年から星よみにチャレンジしています、ちょこです(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

三兄弟を出産し現在も育児に奮闘しております!

そんな毎日を過ごしていると分かりやすく自分を見失いました笑

星よみの力をかりて少しでも楽しい毎日にしたい、あわよくば子どもたちと自営業の主人を明るい未来へそっと導きたいと思っております(⁠人⁠ ⁠•͈⁠ᴗ⁠•͈⁠)

その第一歩としてこの投稿でインプット&アウトプットの連鎖で星よみの知識と広がりが楽しめたらいいなぁ(⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)

目指せ!ちょこちょこ投稿★ということで私にとっての記念すべき初投稿は↓

みなさまご存知のヘリオん神社!!

「水瓶座20度」大きな白い鳩、メッセージの担い手

自然の成り行きに任せるとその問題はどうなる?


ど、どうなる!?(⁠ʘ⁠ᴗ⁠ʘ⁠✿⁠)

「自然の成り行きに任せて解決する!!」

という安直な答えがパッと出てきたわたくし笑

自然に任せるという表現が

私の中ではすごく印象的で

その問題が

どんなに大きくても小さくても

複雑でも簡単なことであっても

自然の成り行きに任せると

その問題自体が

ただ起きてしまった事実

に変わるような言葉の力があるなぁと✧

それに加えて

「成り行きに任せて」のフレーズが

問題解決の時間さえも

短いとか長いとかではなくて

ただ流れるように

気がつけばほんまに自然と❀

自分でどうにかしなければ!ではなくて

自分以外の何かの力でふと解決されている

ちょっと肩の力を抜いてもいいよ

とそんな風にイメージがふくらんだよ

という投稿でした(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠♡

何かが動き出す時

自分の置かれている環境や、物事が動く時って、

案外「え?今?」というタイミングだったりする。

それは、自分の心がスッと透明感が増している時とも言えるかも。

「あれもこれも、いっぱい考えたし。」

「後ろからしたから、後はなるようにしかならん!」

そんなふうに腹をくくると、そこに後ろからトンっと押される。

まるで、「待ってました、その透明感!」と言われたように、

自分が光を放っている時なのかもしれません。

自分の光は自分では見えないから、

誰かに見つけてもらわなくてはいけないんだけど、

何だか気持ちが軽くなっている時は、

その輝きを見つけてもらえている。


この感覚、自分が生きてきた中で、確かに何度か感じている気がする。

それってもしかして、星の後押しってこと?

それとも運気の流れに乗ったってこと?

占いを学び始めて、やっと

「自分の星(もっている力や感覚)を使うこと」

「流れに乗って、背中を押してもらうこと」

これが、意識できるようになった。

同時に

「みんなが、流れている雰囲気に自分なりに乗ったら、きっと人生楽しくなるのに」

と思うこともある。

一人でも多くの人に幸せに生きてほしい。

それを望んでいるから、私は占い師になりたくて、

今こうしてるんだなと思っています。


感覚が私を導いてくれる。

今の私には具体的に目的地を設定するよりも。

「どんな感覚を味わいたいか」を設定するほうがいいと気づいた。


理由を求める私の自我。

私の体は実働部隊でありセンサーでもある。

だけど、現実は私が動かないと何も始まらない。


「ハイ、どうぞ」と自動的に目の前に差し出されることはあまりない。

仮に目の前に差し出されても、私が受け取らなかったらずっとそのまま。


動くための理由がほしい。


分離のない世界がどんな感じか体感できるようになった、今。

なにを動機に動けばいいか、わからなくなってる。


なにをやりたい?

どうなりたい?

なにがほしい?


それらの問いから始まる答えは、頭で考えた答えにしか見えない。


「AになりたいからBをする」

「AじゃないからBがほしい。そのためにCをやろう」


前はそれで動けたけど。

今は不足(そうなってない)を理由に動くってのはしっくりこない。


じゃあどうしたらいいんだろって思ったとき。


何を味わいたい?

どんな感覚がいい?


それなら答えられるし、しっくりくるって思った。


時間軸が関係してなくて今すぐできること。

それでいて、目的地にもなりうるもの。


感覚がゴールだと認めたくなかった頃。

少し前まで私は感覚がゴールだってことに納得がいってなかった。


「感覚なんていますぐ味わえるんだから、なにもやることないじゃん!」って考えてたから。


今、幸せな感覚になれた😌

ハイ、終了!


そしたら私が存在してる意味ってなんなの?って思ったし、

こんなのがゴールなわけない!ってめっちゃ怒ってた。


違う、そうじゃない。

肉体があってはじめて味わえるものがここ(地球)にはたくさんある。

脳内だけで味わうのと、体で味わうのとでは質が違う。


その体を使って体験するために肉体はあるんだよ。


そう言われてやっと気づいた。

私(自我)の仕事はこの体を動かすこと、感覚を機能させることだって。


じゃあ、何を体感したい?

体を持ってる理由は理解できた。

そしたら、どんな感覚を味わうために私は体を動かせばいいんだ?


何を味わいたい?

どんな感覚がいい? 


そのときパッと思いついたのは「楽しい」だった。


自分の興味関心(楽しい)に従って動く。


それだけでいいんだって理解した。


自分の興味関心(楽しい)に従って動いていれば、知らない間に夢や理想は実現する。


それが今の私のやり方であり、見てる世界であり、意図してる設定。


それでいこう。

根本の部分が白紙だったから、自分でもふらつきを感じていたけど。

これでちゃんと向かいたいところに向かえるはず。


私の中でポイントになりそうなこととして。


目の前にやってくるものをいかに面白がれるか。


ってのはありそう。


どんな設定・世界観もウェルカムだけど。

「それいい!😆」って思えるものでいっぱいにしたい。


というわけで、今日も興味関心に従ってすごします😄

風の時代と地エレメントの飛び方

風の時代のランニングスタート期は終わりを迎え、

流れに乗ったまま本番へと突入しようとしています。

およそ180年続いた地の時代の恩恵を

最も受けてきたのは地のエレメントが強い方々だと思います。

風とは全く異なるエネルギーを持つため

これからの時代をどう生きようかと

少し生きづらさのようなものを感じることもあるかもしれません。


ところで、立春を過ぎた今。

春分までの間には春一番が吹きます。

土埃、砂嵐、砂けむり、砂ぼこり…

春一番の風は土を舞い上げるほど強く

時には目を開けて歩けなかったり、立ち止まることもあるほどです。


風は地を揺らします。

固定や安定を好む地のエレメントにとって、

この風はときに強く影響を与えるものになります。


今後地サインの方々は

まるで春一番のような風の時代の洗礼を最も受けるのかもしれません。


さらに200年ほど続く風の時代の黎明期の風――


春一番の例でいえば土が舞い上がるわけですから

足元がふわっと浮くような不安が起きるイメージです。

けれど、この風を”追い風”として上手に受けることができれば

地のエレメントの方々は

軸が安定するのではないだろうかと私は考えています。


そこで、風を受ける“もの”について少し考えてみます。

風を受けるものといえば凧。凧やカイトは竹ひごなどを使い、

しっかり風を受けて高く飛ぶための工夫がされています。

透明な凧はないし、糸がなければ凧は浮かない。

現実的な実態がなければ

風に揺らされる自分の軸がどこにあるのか、確かめることはできません。

飛ばす力と支える力の両方が試されるのが凧です。


地の時代の恩恵を強く受けた地のエレメントの方々は

風に煽られて揺れて不安になるのではなく

”竹ひごをどう使うか”で軸が見えて安定する。

そう考えると、思いきり高く飛べるような気がするのです。


凧の横骨が自分の両腕だったらどうだろう。


 ”わたしが掴んできたたくさんのもの。

  その両手を大きく広げて

  風の時代の恩恵を一番最初に受けて

  自ら砂嵐を巻き上げながら

  全てを受け止めて空高く舞えたら。  ”


もしかしたら、新しい時代の幕開けに最初に風をつかむのは

地のエレメントのあなたかもしれない。

一歩進める速度を、今までより意識的に少し速めるだけで

あなたのその足跡から

小さな砂ぼこりはもうあがっているのかもしれない。

*°˖✧・✧˖°*°˖✧・✧˖°*°˖✧・✧˖°*°˖✧・✧˖°*

光のページにそっとしおりが挟まれて、気づけば書物は風の中へ。

その風はまた別の庭であなたを待っています。

星の香りがするほうへ、どうぞゆっくりと。

物語の中から抜け出てみる

『自分らしく生きたいという物語を生きていた』と気がついたとき

「その自分らしく生きるという物語はいらない」と思ったら

太陽を生きたい!太陽を活かしたいという私がずっと抱いていた欲求が消えた!

もちろん、自分が望むかたちで太陽を生きていこうとしていることに変わりはありません。太陽を意識して出来ることを行動していくという姿勢も変わらない。

自分らしく生きていくことに変わりはないのだけれど、その物語を私は選択しなくってもいいし、それに気がついたことで、自分らしさという概念の幅が広がったかんじもします。

な〜んだ、思ってた以上に自分らしく生きてるじゃん私!っとも思った。

自分らしさを求めなくっても、進んでいこうとしている道を歩んでいけば結果そうなっていくとも信じられる。

さて、それじゃあこれからはどんな物語を生きてみよう?という発想にもなれます😊


結局、自分らしさとか自分らしい感覚、西洋占星術の太陽というものに無意識にとらわれていたんだな。


あの人は太陽を生きているのだろうか?とか。本人に聞かないし言わないけれど、それが気になってしまう傾向もありました〜・・・

それをサポートしたいという動機にもなるから、気になることはダメなことじゃないけど、その人が求めているかどうかに関わらず気になってしまっていたのは、他者に投影していたってことですよね😂


価値観や生き方などでその人を説明する言葉より、物語はストーリー性を含むから、より客観的に広く自分を観ないと気がつけないものかもしれません。

その物語に気がつくことで、そこから自由になれる可能性が生まれます。

創造した物語を生きることが自分を生きることだけれど、物語からいったん抜け出ることで、物語の新しい主題を選択することができます😊

さて、どんな新しい物語を生きていこうかな⭐️

魂と協力してやっていく。

新しい感覚で日常を体験するようになり、毎日少しずつ「自分にとっての真実」が見えてきている気がします。

今はまっさらなスタート地点に立ったばかりで「えっ?これで本当にいいの???」と戸惑っているけど。


言葉にすることで見えてくるものもありそうだから。

今日もこうして文章を書いてます。


2系統あるっぽい。

いろんな人の発信を見ていると方向性が私なりに見えてきました。


「悟り」系

すべては最初から決まっていてその通りになってるだけ。

「自分」なんてものは存在しないし、「自分が」やってることなんて何ひとつない。


「覚醒・アセンション・現実創造・5次元意識」系

自分次第でいくらでも変えられる。

変化するための手段がいっぱいある。


悟り系で落ち込んだ話。

8年ぐらい前だったかな。


私が悟り系の情報(非二元・ノンデュアリティの世界観)に触れたとき。


めっちゃ絶望した😂


私生きてる意味を見つけたいと考えてる最中のことだったから。


「意味ないです、自分なんていないです、現実は幻想です」って言われて、すべて終わったような感覚になったし。


自分の意志で生きてると思い込んでるのは間違いなんだって考えちゃって。


じゃあ、なんで私は生きてるの?生かされてるの?っていう問いと思考で埋め尽くされてた。


私はそっちじゃなかった。

あんまり考えすぎるとマズイなと思って、自分からその手の情報から距離を置いたあと。

とりあえずゲームでもしようって決めて、遊ぶことにした。

ドラクエビルダーズ(1と2)だったかな。


虚無ってる心に光を与えてくれるような名言がいっぱいあったし。

泣けたセリフ(場面)があって、それで持ち直したことだけは今でも覚えてる。


ゲームのストーリーを通して自分が持ってると思わしき「創造の力」を、私は信じたくなったんだと思う。


そのことがあってから、また「未来は決まってない、変えられる!」をベースにした情報を取りに行くようになったんだよね。


肉体は「器」。

急に話は変わって、今の私が考えてること。


少しずつ実感しつつあるのは、私の体は「器」なんだという感覚。

私の魂がこの体を選んで入ってるっていう感覚が日々、強くなってる気がする。


この世界を体験するために必要なものって感じ。

だからこそ、大切にしたくなるというか。


この「器(肉体)」が何をしたって自由だけども。

「自分を痛めつけるのは本意じゃないよね」と思うようになってきてて。


体に表れてるものはすべてサイン(メッセージ)とすると。

「体の感覚を頼りに願いを叶えていこう」っていうのあるかも。


体で感じ取ってるものをしっかり受け取れば。

自分がどこに行きたいのか自然とわかる。


頭で考えて気づけることもあるけど。

自分の感覚から入るほうが間違いなくて。


この肉体を使って生きてる「私」という存在を、「もう一人の私」がやさしく見守ってるっていう意識(構造)になってる。


なにを感じても考えてもOK。それは全部、私が受け止めるからね。


その前提があるから「私」は安心するし、動ける。


不安になってバタついたりしないでいてくれるから。

「もう一人の私」としても安心して任せられる(願いを託せる)。


一蓮托生で生きてるのを実感するようになった。



自分の中にある、すべてが同じ方向を向いてるから最大火力で真価を発揮できる。


そういうものを私は感じ取ってるらしい。


自分と自分ではない別な力(存在)と協力してなにかする。


その手の物語に共感しやすいのは、「それが本来のあなたの姿ですよ」ってことだったのかなぁとか考えちゃう。


共に生きていく。意識が芽生えた先で。

自由度が高すぎて、なにをしたらいいかわからない……。

そんな状態が続いてたけど。


少しずつ見えてきてる。

わからないなりに言葉にすると、見えてくる感じ。


私の場合、アニメ・マンガ・ゲームからヒントを得るケースが多いし。

今は私が見たがってるものを見ることでしか得られない何かがあるような気がしてて。


人からおすすめされたものとして。

「夏目友人帳」はリストに入ってます。


見えないものが見える人たち(特に霊媒とかやってる人)の間で話題になるアニメって印象。


「わかってる人が話を書いてるんじゃない?」って、本職の人が言ってるのを聞いたことあるし。

一体、何があるんだ!?と私も今から期待してます。